2012年2月 3日 (金)

「ある日、いっせいに春になる」

電子書籍仕上げに集中で、今週の平日は結局、一度も電車に乗ることなくワンマイル圏内で過ごしてしまった。煮詰まったときに気分転換に読んで癒された本。宮本輝さん『真夜中の手紙』(新潮社)。

ご自身のウェブサイトBar Teru's Club で、寝る前に、ファンに向けて話しかけるようにさらっと書いたツイッターみたいな文の集積なのだが。だからこそ、ストーリーラインを追わず、開いたところから「1分」とか「5分」単位で楽しめるようになっている。自分がこういう状況のとき(ほかのことに長い時間をとられてはいけないとき)には、このくらい脱力した感じがちょうどよい。逆に、きちんと本に向き合いたいときには、「薄い…」と感じるだろうな。

脱力してても、さすがベテランの小説家で、ぴりっと「らしい」ところが時々ある。とくに心にキタところを紹介させていただくと。

「春は少しずつやって来るのではありません。ある日、いっせいに春になるのです。世の中も同じです。少しずつ変わっていくのではありません。あるとき、怒涛のように変化するのです。病気が治っていくのも同じです。薄紙をはぐように、という場合もありますが、治るときが来たら、一気によくなります。これは真実です。商売も同じです」

「ジャック・ニクラウスにも『わたしはメソッドというものを信じたことはいちどもない』という言葉があります。駄目なレッスンプロというのは、このメソッドばかり教えようとするんですね。Method 一定の方式とか方法という意味ですが、万人にあてはまるメソッドなんてないのです。しかし、これだけは厳守しなければならない正しい基本というのはあります。

いまはゴルフにかぎらず、あらゆる分野で、正しい基本を教えられる人が少なくなってしまったので若者が育たないのです。

どうしたら小説家になれるかと質問する人がいます。それは方法を知りたがっているのです。小説家になりたかったら小説を書くしかない。これが基本です」

(『夜明け前』の文章を評して)「この文章のどこに難解な言い回しがあるか。どこに美文でございという臭みがあるか。どうでもいいようなメタファやレトリックが一箇所でもあるか。そんなものはなにひとつない正確無比な文章なのです」

というわけで、臭みやレトリックを極力そぎ落として「正確」をめざそうとすると、なかなか作業が終わらないのだな。シンプルで正確で相手の心に過不足なく届く。カンタンそうに見えるのだが、案外、難しい。文章においての話だけど、たぶん、装いなんかにおいても。

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2012年2月 2日 (木)

5000年分の軍服

辻元よしふみ&玲子ご夫妻から、新刊『軍服の歴史5000年』をお送りいただきました。古代ローマから現代までの軍服の歴史が、イラストも豊かに、どしりとした一冊としてまとまっています。

巻末に各国軍隊の階級表もついていて、ややこしい軍事用語に苦労する身には、ありがたい資料になる。

ご夫妻で病気を乗り越えながら4年間かけて仕上げたという労作。何よりもそのひたむきさと熱意に頭が下がる思いがしました。素晴らしい本の完成、おめでとうございます!

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2012年1月25日 (水)

「服装で損をしたくない」

銀座松屋のカリスマ紳士服バイヤー、宮崎俊一さんの『成功する男のファッションの秘訣』(講談社)。

適正価格(7万円前後)の、価格以上の価値あるスーツを正しく選んで長く着る、というビジネス仕様に徹した目線。歴史的なうんちくも、著名人エピソードも、美意識の押し付けも一切ナシ。ただただ、ビジネスマンとして恥ずかしくない服を正しく選び、着こなすためのハウツーが伝授される。「着るもののこと以外に考えることがたくさんある」という多くのビジネスマンにとっては、たぶん、このスタンスがスーツに対する標準スタンスなんだろうな。プロのバイヤーから見た、よいスーツの見分け方など、参考になる部分も多い。松屋のオリジナルスーツの宣伝のにおいもちらほらと出てくるが、そのことも含め、「実用」に徹した本ね。

「価格以上の価値」「服装で損をしないための、最低限のルールを理解」ということばに、日本のビジネスファッションの「本音」を垣間見る思い。服装ごときでソンをしたくない。きわめて日本人的なメンタリティなのかもしれない(合う合わないは別として、そういう考え方にも、一理あると思う)。

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2012年1月23日 (月)

モダン・ジェントルマンの振る舞い方指南

もう一冊、買ってしまったハウツーの類。

Phineas Mollod & Jason Tesauro, The Modern Gentleman, 2nd ed.  A Guide to Essential Manners, Savvy & Vice.

こっちのほうは、内面的なケイハツばっかりではなく、振るまい一般に関する現代的な助言とか基準みたいなもの。SNSにおける振る舞い方に対する助言まであるあたりが今っぽい。

フラーテーションとセダクションの違いとか、シーツの間における振るまい方とか、元カノとの付き合い方とか、なにもここまで、というような領域にいたるまで、紳士的な振る舞いに関する助言がいたれりつくせり。言葉遊びも多く、ムカシの名作からの引用も的確で、いろんな角度から楽しめる本ではある。

たぶん、この種の助言はかつてならば、近所や親戚のちょい悪おやじが一杯やりながら教えてくれたりしたんだろうけれど、今はそういう付き合いも少なそうだものね。

現代の社交事情が、逆に透けて見える本として興味深い。

この種の本の助言通りに完璧に振るまう紳士がふえれば、世の中はより平和で暮らしやすくなるだろう。でも、完璧な紳士がまったく魅力的ではないのは、いつの世も同じ。だから、この本の素直な読者が増えれば、恋愛したくなるような面白い男はますます減るんではないかな? と妙な心配をしてみたりする。

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男の7つの美徳

ある男性誌の編集者に、ダメな男の条件を挙げてくれと聞かれて、「名言集とかハウツーものばっかり読む男」と答えたことがありました(そういう本をたくさん売ってる出版社だったので、結局活字にはならなかったけど)。

でも、ちょっと弱ってるときなんかについ買ってしまうんだな、この種の本。

The Art of Manliness: MANVOTIONALS; Timelss Wisdom and Advice on living the 7 Manly Virtues. by Brett and Kate McKay.

古今の偉大なる男の言葉のいいとこどりした名言集。7つの男の美徳とはすなわち、

Manliness(男らしさ), Courage(勇気), Industry(勤勉), Resolution(決断力), Self-Reliance(自信), Discipline(規律), Honor(名誉)。

各項目それぞれについて、散文や韻文やスピーチなどから拾い集めた名言のつなぎ合わせによって解説してある。ネタ本としてならいいけれど、やはりこれを「愛読書」として挙げることは憚られるような、そんなビミョウな位置づけの本。最初のバージョンが大ヒットしてこれが進化版、ということはやはりこういう手軽なジコケイハツ本は売れてるんですね。

あまりの「男らしさ」に魂をゆさぶられるような人というのは、こういう本の定義には決しておさまらないどころか、規格を大きくはずれていたりするんだけどね。「愛のむきだし」のユウくんとか。結局、その人が置かれてしまっている、世界でたった一つの関係性のなかでしか、男の美徳なんて考えることなどできないのよね。

……ということを、一般論を読むたびに、虚しく確認する。

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2012年1月14日 (土)

「感覚は、こちらから迎えにいく」

13日の金曜日に、まだ新しい手袋を片方だけ、どこかに落としてしまった。かな~り落ち込んだが、この程度のアンラッキーで済んでよかったのかも(もっと大きな不運から救ってくれた)…と気を取り直すことにする。

いまの時期の手袋は手が冷たくてつけるのだが、そうでなければ、手はふつう人目にさらしている。顔と手、というのは身体のほかの部分に比べて覆うことをあまり求められていないのだが、その理由について、鷲田清一先生はこのように。

「もっとも動物的な部位、生殖や排泄にかかわる部位を覆い隠す衣服が<文化>の象徴だとすれば、顔と手はそれじたいがすでに<文化>を創りだすものなので、もはや覆い隠す必要がないというわけなのだろう」

引用は『感覚の幽い風景』(中央公論新社)。

文化を創り出す手。だからなのかな、私の場合、人の記憶というのは顔以上に手と結びついている。その人の手の形とか質感とか、なによりも手の動きや表情が、顔以上に多くのことを語りかけてくる気がする。惚れ惚れしてしまうのは、顔よりもまず手であったりする。手の動きがいいなあと感じる人は、だいたい、ナカミも好きになる。

鷲田先生独特の詩的でフェティッシュな文章でさまざまな感覚についての考察が記されている本なのだが、感覚そのものについての出発点からはっとさせられる。

「わたしたちの感覚は、ふつうなにかに襲われることで起動すると考えられているが、あとから振り返れば、むしろ迎えに行ったとしか思えないことの方が多い。迎えに行けないときには、感覚はじぶんでじぶんを掻きむしり、無理やりにでもみずからを起動させる」

感覚は、迎えに行くことではじめて出会えたり起動したりするもの。ぼんやりとした受け身のままではなにも「感じない」ことのほうがたしかに圧倒的に多い。

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2012年1月 7日 (土)

「初めて本音で話せた気がする」ゲーム

「ミセス」2月号、本日発売。「代謝を上げる」特集で、3日間の食事メモを公開しています。……って、中野香織が何を食べたか(飲んだか)なんて誰もキョウミないですな。

◇「an an」1・11号「特集 女の快感研究」。多種多様のいまどき妄想ワード&快感・NGワードの数々が面白かった。

「キャバ嬢に学ぶ男の快感キーワード」。キャバ嬢の「客をつなぎとめておく」テクニックの一端が明かされる。

「『そういえばこの間の……』と続きから入ると、『俺のこと気にかけている!」と感動するみたい」。

「ラフな会話で距離を縮めてからの私のキラーフレーズは『初めて本音で話せた気がする』。あちこちの男に言っているんだけど(笑)。全然バレない」。

というか、男性はそのように「だまされて」いることを織り込み済みでゲームを楽しんでいるのだろうと思う。女の方も、たぶん、そのあたりをわかって演じている。(ホストと女性客、みたいな男女逆パターンもアリ。本気になっちゃって「だまされて」しまうことも、ままあるかもしれないけれど。)男女間の「粋」を学ぶという点においては、江戸時代の遊郭のカジュアル版なのかな。

こうして「一般論」(?)が普及すればするほど、一般論を無効にする圏外にいる、文字通りの「本音」で話せる人を探したくなってくるというパラドクス。

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2012年1月 5日 (木)

「エロティシズムを生み出すのは、論理」

田中純『建築のエロティシズム』(平凡社新書)。世紀転換期のヴィーンにおける建築や装飾を中心に、文化人周辺のゴシップなども含めた、分野横断的な論考。

はじめて聞く固有名詞がかなり多く、その世界に入り込むまでがちょっと一苦労だったが、だいたいの人物把握ができてから二度読みしたら、じんわりと面白さが理解できはじめた。(さらにもう一回読む必要がありそうな箇所も多)

「建築を成り立たせているものは、物体であり空間であると同時に論理である。そして、性欲ではなくエロティシズムを生みだすのは、論理以外の何ものでもない。だから、建築のエロティシズムはその論理にこそ宿る。『近代建築のエロティシズムとは、したがって、エロティシズムの近代的な論理と言い換えてもよい」

この的確な定義において、「建築」を「服飾」におきかえても十分成立しそうだ。

登場する建築家や論者たちは、論理に宿るエロティシズムを追求しすぎて、フェティッシュに陥り、それが行き過ぎて「犯罪者」になったり狂人すれすれになったりする(ことがある)。田中さんは淡々と描いてるけど、なかなか扇情的、というか、ロマンティックな話だよなあ…。

とりわけ衝撃を受けたのが、自分のもとを去ってしまったアルマ・マーラーに恋い焦がれるあまり、彼女を再現するかのような人形をヘルミーネ・モースに作らせて、しばらくその人形との生活をともにしていたオスカー・ココシュカの話。アルマ人形の写真まで掲載されていて、そのブキミな生々しさにしばらく茫然と見入る……というか、妄想が具体化されるということについて、しばし考え込んでしまう。

この人形は、たしかに「生命を得た」。ココシュカのアルマに対する執着+モース(女)の自己愛が融合した、異形のバケモノとして。すごい話だと思うんだけど、これ、だれかが小説にしたり映画にしたりしてないんだろうか?

アルマ・マーラーに関してもあらためて調べてみたら、当時の文化人を片っ端から虜にして破滅させたりしている、才色兼備の「魔性の女」なのね。アルマ、ワクワク系の女だわ。彼女からもたっぷりとインスピレーションを受けてしまったので、機会があったらどこかできちんと書きたくなった。

Alma_mahler_1899

脱線した。本書の話に戻る。

ほかにも「知らなかった」お話が満載で、今一度「山の高さ」を見せつけられた感じ。まずは、ダンディズム研究において読んでおかなくてはいけないのは、アドルフ・ロースであると教えられた。さっそく何冊か注文。

「論理には官能性がある」という田中さんの視点には、共感を覚える。本書とは関係ないけど、蓮實重彦、三島由紀夫のがっちりと組み立てられた論考は、表層が禁欲的に見えれば見えるほど、エロティシズムに満ちていると思う。

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2011年12月29日 (木)

自分自身をさほど重たく考えていないような風情

こちらは、ひたすら眼を楽しませるための、新刊の美装本。ゲイリー・クーパーのスタイル写真集。Gary Cooper: Enduring Style.

ラルフ・ローレンによる前書きつき。クーパーの魅力をこんなふうに解説する。

He had an ideal American look---unstudied yet refined, natural, and playful.  There was a charm about him in the way he didn't take himself too seriously.  He had that sort of "aw shucks" attitude, plus a look that was all about quality, and a way of dressing that was very much his own.

"クーパーは理想的なアメリカ人の風貌だった。凝っていないのだけれど洗練されていて、自然で、茶目っ気があった。自分自身をさほど重たく考えていないような飄々とした風情に魅力があった。「よしてくれよ、照れるじゃないか」という雰囲気を漂わせており、品格があって、彼自身の装いのスタイルを持っていた" (ちょい意訳込み)

"aw shucks" attitude、という言葉をはじめて知った。"aw shucks" というのは、なにか善行を褒められたりしたときに、「よしてくれ」「まいったな」というときの言葉らしい。

クーパーのまっすぐな視線と姿勢がすがすがしい。アメリカン・スターというのはかくあるべき、という模範のようなたたずまい。

でも、一方、あまりにもあっさりとハンサムハンサムしすぎていて、「この人は悩みなんかあったのだろうか? …いや、なかっただろうな…」という思いが湧き上がってきて、それが若干の物足りなさにもつながっている。男の外見には、ある程度、なにか修羅場を潜り抜けてきたようなシブみがあるほうが、個人的には好きかな。(観客は勝手なものだ)

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「しつこく何回も告白してくる男の子みたいな」

ファッションに関して日本語でお勉強してみたい方へ、新しい本2冊のご紹介。まずは、西洋モード史全般に関して。

ゲルトルート・レーネルト著、黒川祐子訳『絵とたどるモードの歴史』(中央公論美術出版)。モードとは何か?という話にはじまり、先史時代から、現代まで、図版とともにとてもわかりやすく解説されている。巻末に用語集、主要モード雑誌、モード論者などの説明もあり、総合的な教科書のようなつくり。視点はあくまでヨーロッパにある。

こちらは、現代日本のファッションの最先端状況と、エッジイな批評。西谷真理子編『ファッションは語り始めた』(フィルムアート社)。西谷さんは「ハイファッション」の編集者をなさっていた方。ハイファッションの刺激的な批評の姿勢をそのままキープ、濃縮して単行本にしたような本。レイアウトが雑誌のように対談内容や執筆内容に応じてさまざまに変わるので、興味のわいたところから自由に読める。

アンダーカバー、UNREALAGE、matohuなどなど、西洋視点から見たジャポニスムではなく、今の日本のリアルな日本らしさを発信するブランドの立ち位置や考え方が理解できる。

個人的におもしろかったのは、「座談会」。ジャンルを超えてファッション好きな人たちが、どうしてファッションが好きになったのかとか、高校時代のファッションのこととか、最近考えていること、ファッションに対するラブ&ヘイト、みたいなことを、とりとめなく語り合っているんだけど、その会話のライブ感が楽しくて、終始ニヤニヤ(というのも気持ち悪いが、ニコニコという感じでもない)しながら読んでいた。

とりわけ、デザイナーの神田恵介が、どういう気持ちで服をつくってるのか、ということを説明するくだり。「女心がわからないのが強みであるというか。”一生分からないズレたレディース”っていうのが自分の強みだと思っています」「僕の場合は、奴隷のような、奉仕する感じといいますか、哀れみで着てもらうみたいな。しつこく何回も告白してくる男の子みたいな」。

各座談会には、まとめ、とか結論、がなくって、そこになんともいえない風通しの良さというか、ああ、今の東京ファッションの空気はこれに近いよね、というような、淡い共感を覚えたのであった。

アプローチはたくさんあればあるほど面白くなると思う。ファッション関連本がどんどん世に出て、書店の「ファッション」の棚がもっと充実することを願いつつ。

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