2012年1月20日 (金)

「趣味は妻」

アンティークショップを営んでいる同窓生K田くんご夫妻に連れて行ってもらった店が、富山市総曲輪にある「ワイニスタ」というイタリアンの店。

Winista

富山の新鮮な食材を使った本格的なイタリアンで、コース料理のお皿それぞれに、料理に合ったグラスワインがつく。(そういうサービスが売り物の店)。なんやかやと6杯ぐらいいただいたが、お料理もワインも美味しく、オーナーソムリエ松谷幸司さんは、ジャニーズからの派遣ですかと思ったほどのイケメンでした。接客もさりげないのに温かくて、フォーマルなのにリラックスできるという、とてもいい雰囲気の店。また次の機会に伺います。

グルメでもあるK田君ご夫妻は、ご結婚なさってからお会いするのが2度目なのだが、なんとも素敵なカップル。K田くんの名セリフに、「趣味は妻」(!)というのがあるのだが、とにかく人前でも奥様への愛情をたえまなく表現するの。それが不快な感じを与えず、見ているこっちまで笑顔になってくるような自然な愛情表現なんだよね。日本の男でここまで照れずにやってのける人は見たことないけれど、いいなあと思う。奥様も愛されている幸福感にあふれていて、その二人の雰囲気が周囲に幸せのおすそ分けをしてくれる感じ。

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2012年1月16日 (月)

「毒の実」を取り入れて進化する

CGアーチストの河口洋一郎さんに、本郷の東大工学部河口研究室にての「新年会」にお招きいただく。種子島の生物をヒントに異形のSFちっくな立体造形アートをつくることで世界的に知られる方。

研究室には世界中から集められたというあやしげなオブジェや河口さん直筆の絵などがひしめいていて、工学部なのか美術学部なのか生物学部なのか雑貨屋さんなのかわからない異次元な雰囲気。写真はアマゾンのピラニアを突くために使う槍をもつ河口さん。

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参加者も、サックス奏者がいればプロトコルのご専門家がいたりアスリートがいたりとジャンルが多彩で、ふだん聞けないようなお話や生演奏を聞かせていただいた。アスリートとは、なんとアトランタ銅メダル&シドニー銀メダルのマラソンランナー、エリック・ワイナイナさん。明日はケニアにお帰りになるという。日本語が堪能で、日本人的な繊細な気配りが上手な頭のいいジェントルマンであった。

「サバイバー」と「アスリート」の能力が全然違う、という話でひとしきり盛り上がる。ワイナイナさんは両方の能力を持ち合わせているようで、危険を察知する眼などについて教えてもらった。草食動物の群れを見たら、近くにライオンがいると思え、とか。

河口さんお手製のサバイバルフードなども出てきて、楽しく過ごさせていただきました。ありがとうございました!

タイトルにしたことばは、南日本新聞掲載の河口さんのインタビュー記事から。「安定した世界では少ししか進化できないが、別の世界の<毒の実>を食うとすごく進化できる。アートから見た物理や生物、宇宙は<毒の実>みたいなもの。アートに取り入れることで、僕は進化していく」

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2012年1月 4日 (水)

謙遜のフリした自慢

本日の仕事のこぼれネタのメモ。ワードフェチの私が、大学での時事英語教材としても取り上げていた(一昨年はすべて成果をアップしていたが、今は非公開)ほど大好きなサイト、WORD SPYで、久しぶりににやっとさせてくれる言葉に遭遇。

ハンブルブラグ(HUMBLEBRAG)。

直訳すれば、「謙虚な自慢」。

ワードスパイの定義: "An ostensibly humble comment that also demonstrates the person's wealth, fame, or importance. "(これみよがしなほどに謙虚なコメント。それによって、その人の富や名声やステイタスをさりげなく主張するような、なにげにイヤミな謙遜)

あるあるある…ですね。

本人に自慢の気がさらさらないときに、ますますイヤミに聴こえてしまうことがある。こっちが卑屈にならなければいいだけの話だが。

ヒトの言葉をどう受け取るかは、ホント、こちらの心理状態やキャパシティの広さ深さによって、まったく違ってくる。歌詞だけでなく、ね。

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2012年1月 3日 (火)

「私たちの未来がきっと来る」と歌うとき

歌詞の意味がわかるようになると、曲のイメージまで変わることがある。

エイミー・ワインハウスのことを調べているうちに、"Our Day Will Come"に行きつき、聴き入ってしまったら懐かしい曲のイメージが変わってしまった。63年のルビー&ザ・ロマンティックス版では、メロディーの美しさだけに惹かれていたが、今聴くと、しみじみと哀切な曲に聴こえてくる。

「私たちが一緒にいられる未来がきっと来るわ。そうすればすべてが手に入る。恋がもたらす喜びを共有できるのよ」と、表面的には、これから来たるべき恋の希望を歌っているように聞こえるのだが。

これは実は、「そんな日なんて決して来ないことをわかっている」絶望でぽっかりと空いた心を埋めるかのような「カラ希望」というか「夢」の歌でもあるのですね……。映画のシーンで、瀕死のケガ人に「大丈夫。さっさと元気になって飲みに行こうな」と声かけているみたいなのがよくあるが、ああいう感じ。ダメなことを知っていて、でもそう言わないとこっちがおかしくなりそうな切羽詰まった虚しさとカラ希望…。そう読んでみたら、なかなかに泣ける歌でもあることに気づいた。

歌っているのがエイミー・ワインハウスというのも大きいかもしれない。

どっちの解釈でもOKにするメロディーがあるからこそ、この歌が普遍性をもつのだけど。

Our day will come
And we'll have everything
We'll share the joy
Falling in love can bring

No one can tell me
That I'm too young to know
I love you so
And you love me

Our day will come
If we just wait a while
No tears for us
Think love and wear a smile

Our dreams are meant to be
Because we'll always stay
In love this way
Our day will come

Our dreams are meant to be
Because we'll always stay
In love this way

Our day will come

http://www.youtube.com/watch?v=MABe1aX8wig&feature=related

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2012年1月 1日 (日)

ドラゴンは、あなたの本性をはっきりと見すえる

あけましておめでとうございます。

龍の年である。英語圏のdragonと、日本がイメージする龍とは必ずしも同一でないのかもしれないが。dragonをめぐることば。

dragon のイメージとしてポピュラーなのが、手におえない怪物。奥儀に通じた守護神。善悪を超越した(善悪が曖昧な)生き物。人間の本性の象徴…。

だから恐怖の対象にもなるし、それに乗れば強力な味方にもなる。こういうことわざがある。

"If you ignore the dragon, it will eat you. If you try to confront the dragon it will overpower you. If you ride the dragon, you will take advantage of its might and power."

(「ドラゴンを無視すれば、それに食われてしまうだろう。ドラゴンと闘おうとすれば、倒されてしまうだろう。だが、ドラゴンの背に乗れば、その力とエネルギーを利用することができる」)

ドラゴンの解釈は幅広い。ギリシア語のdrakonはderkomai= I see sharply.(はっきりと見る)。人間の本性をはっきりと見すえ、相手の魂のレベルに応じて脅威ともなるし味方にもなる、奥儀に通じたモンスター、それがドラゴンなのかも。(あくまで私の解釈ね)

東洋と西洋のそれぞれのよさをミックスすることで独自の地位を築いている香港のデザイナー、ヴィヴィアン・タムは、ドラゴンのモチーフを多用することで知られるが、ドラゴンについてこんな表現をしている。

"The dragon represents individuals who are always full of life and enthusiasm, with a reputation for being fun loving and innovative. This perfectly describes the woman for whom I design."

(「ドラゴンは、いつも生命力と情熱にあふれている人、楽しんで、常に新しいことにトライしている人の象徴です。私は、まさしくそんな女性のために服をデザインしているのです」)若干超訳入り。

で、この秋冬シーズンに展開された、タムの「Kissing Dragon」のロゴ。

Kissing_dragon

ドラゴンの背に乗せてもらうのにふさわしい人になりたい、と思った2012年の朝。

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2011年12月31日 (土)

2011モード 回顧と雑感

今年終えるべき仕事がまだ納まらない。でも私から仕事をとったら「酒飲み」と「キティマニア(=変態)」しか残らないし。仕事があることに感謝しつつ、仕事のタネを与えてくれたモード界のさまざまなできごとの回顧と雑感。これだけは「とりあえず」でもやっておいたほうが、後になって、2011年のムードを振り返るときの手がかかりにもなる。とりわけ、地球全体(いまや宇宙も含まれる)から見ると、まったく狭すぎるモードの世界のことは、あまり振り返る人もいないので…。‎

1.アレクサンダー・マックイーンの回顧展が、Metropolitan Museum of Artで開かれ、661,501人というMET史上8番目の動員数を記録。

→ファッションとアートのコラボが今年は目立った。その勢いは来年以降も続く予感。

2.ジョン・ガリアーノのスキャンダル。酔って人種差別発言、その後素人による「I love Hitler」動画が投稿され、天才&人気デザイナーは一気に転落。

→それほどの制裁を受けるに値する事件だったのか? 人々の関心はもはやディオールの後任デザイナーにしかない。非情な世界だ。モードのサイクルがデザイナーに与えるプレッシャーも、あらためて考えさせられる。

3.キャサリン妃のウェディングドレスをピークとする、キャサリン妃フィーヴァー。

→彼女は新時代の「ジャッキー」みたいな立ち位置を獲得してファッション史に残りそう。もう妹のピッパ人気のほうが高いみたいだけど。なにか特別な発信をしているわけでも特別な地位にあるわけでもないピッパ・ミドルトンの人気が上昇しているという現象にも、かなり不思議な一面を感じる。

4.ルブタンvs.サンローランの「赤いソール」訴訟。

→ルブタンの主張が認められなかったことで、赤いソールを堂々と出し始めたブランドもちらほら。赤いソールならルイ王だって履いていた……という話をし始めたら、モードにおける新しさなんて、どこにあるのだろう。モードにおける「オリジナリティ」とか「新しさ」の意味を考えさせられた事件。

5.エリザベス・テイラーの宝石類が競売にかけられ、記録的な数字で売れる。

→リズと2度結婚したリチャード・バートンは「彼女は面白くて、ワクワクさせてくれる(interesting and exciting) 女性だった」と回顧している。今年はレディ・ガガ人気も沸騰したが、彼女に目が行っちゃうのも、面白くて、ワクワクさせてくれるから。ただの美人なんて一日で飽きる。人を魅了しつづけるのは、「おもろくて、ワクワク」することを提供できるかどうかの知性とガッツ、ということを実感。

今年は、震災があり、原発事故が続き、ヨーロッパの経済が危機に陥り……とファッションを語るには「不謹慎」ではないかというムードを強く感じた年だった。

でも、そんな時にも人は服を着て、自分が何者かを考え、他人や社会とコミュニケーションをとろうとする。その欲求は、今年、明るい時代にもましていっそう強くなったのではないかとも感じる。今年フェイスブックに参加してみたことも、そう感じる理由の一つなのかもしれない。

ファッションを探求するというのは、どこのだれかも知らない独裁者が「おしゃれ」と決めたルールに従うことでは毛頭ないし、雑誌が提案する「キレイ」「モテ」とやらを追求することでもない。自分を形づくるもの。社会を形づくるもの。二つと同じものがないそれが何なのかを、時代の渦中にありながら自分の感覚を総動員して探し、考え続けていくこと。そうした作業を通して、自身が歩んでいく足元をしっかり固めていくこと。その暁にこそ、本物の「かっこよさ」がついてくる。

ということを、今年出会った多くのクリエイターやビジネスパーソンや異分野の学者さんや学生・友人たちとの対話の中から学んだ年だった。コメントを寄せてくださったり、メールをくださったりした多くの読者のみなさまにも、刺激を受けました。ありがとうございました!

というわけで引き続きありがたく感謝して仕事をします。今年を締める原稿は、中国のファッション雑誌に寄稿するもので、もう3月号のお話。頭の中は春風のなかのマリンテイストでいっぱいです(笑)。送られてくる雑誌を通して、中国ファッションの勢いというのも肌で感じた年でした。

よい新年をお迎えください。

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2011年12月30日 (金)

「正しいことができず、間違いを避けられない」原因は

大型の新人アクターがなかなか現れないなか、注目株。バーバリーのモデルとしても知られるダグラス・ブースである。左から二番目、赤いジャケットのお方。

Douglous_booth_3

ディケンズの『大いなる遺産』をテレビドラマ化した作品に出演していることで話題になっている。ドラマは見ていないけれど、19世紀メンズコスチュームがあまりにも似合っている写真にくぎ付け。ヒストリカルなコスチュームが似合うかどうか?はその人の魅力の器をはかるひとつのポイントなのです(個人的に)。

Douglas_booth_2

"In a word, I was too cowardly to do what I knew to be right, as I had been too cowardly to avoid doing what I knew to be wrong." (「つまり私は、臆病なあまり、正しいとわかっていることがおこなえず、臆病なあまり、間違っているとわかっていることを避けることができなかったのだ」)

『大いなる遺産』からの引用。「読まされていた」30年前にはわからなかった言葉が、今だったら沁み入ることがある。

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2011年12月26日 (月)

ネガティヴ・ケイパビリティ:葛藤を不確かなままに受容せよ

大学時代に英文学史というのを勉強していたことがある。それぞれの専門分野での第一人者の高潔な教授陣の講義は、すばらしいものであったのだろうけれど、当時は、「何のために」学んでいるのかさっぱりわからなかった。歴史上の文学者の人間関係とか作品とか、ぷっつりと今と切り離して美しく解説をされても、「今、ここに、こうして座っている」私との関係がさっぱり見えてこなかったのだ。

大学の講義でもなんでもだけど、専門家であればあるほど、目の前の聴衆の「今の問題」とのかかわりを(本人がきちんと感じ取るように)示唆してあげなきゃ、モチベーションも高まらないし、学習効果も上がらないのだと思う。自戒をこめて。

で、英文学史である。30年たった今なら、ようやく腑に落ちて理解できることがたくさんでてきた。そのなかのひとつが、ジョン・キーツが表現した、Negative Capability ということば。

平板すぎるポジティブ・シンキングがあまりにもバラ色の思考法のように唱えられている現状に対し、「違うだろう!」と言いたくてその根拠を探していたら、運命的に再会してしまった。

キーツが1817年に弟あてに書いた書簡の中で使っている。

'… it struck me what quality went to form a Man of Achievement, especially in Literature and which Shakespeare possessed so enormously-I mean Negative
Capability, that is when man is capable of being in uncertainties, Mysteries, doubts, without any irritable reaching after fact and reason.'

「ハッとした。人に偉業をなしとげさせるもの、とりわけ、シェイクスピアがたっぷりと持っていたもの、それがネガティヴ・ケイパビリティなのだ。手っ取り早く理由や正解を求めることなく、不確かなこと、不可解なこと、疑いだらけといった状態のなかに人がとどまることができるときに見出される能力、それがネガティヴ・ケイパビリティである」

さっさと自分が納得する理屈をくっつけて安心して、明るく前進する。そんなポジ・シンも結構かもしれないけど、むしろ、不確かでわからないことだらけのことをまるごと受容し、その不可解の渦中にがっつりととどまってみる。ネガ・ケパ(ひどい略だな…)。それができる辛抱強さからこそ、なにかホンモノのクリエイティビティというのが生まれてくるのかもしれない。

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2011年12月24日 (土)

To yourself, respect.

クリスマスソングが流れていない場所に行くと心底ほっとするこのシーズンもあと二日……と数えてしまっている自分のあまのじゃくぶりに苦笑してしまった朝に、行き当たったことば。by Oren Arnold.

Christmas gift suggestions;

To your enemy, forgiveness.

To an opponent, tolerance.

To a friend, your heart.

To a customer, service.

To all, charity.

To every child, a good example.

To yourself, respect.

(クリスマスギフトにいかが。敵には許しを、ライバルには寛容を、友には真心を、顧客には奉仕を、あらゆる人に慈善を、子どもにはお手本を、そしてあなた自身には、敬意を)

ちゃっかりディズニー化したクリスマスには抵抗するけれど、こういうギフトならば、いいかもね。

Merry Christmas.

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2011年12月22日 (木)

「生を贈与されて、借りがある」

◇仕事の打ち合わせ2つ。本題から脱線してしまった雑談のなかに、印象的な話があった。まずは、GQ誌の打ち合わせ。NAVI時代からENGINEを経て、時折、お仕事をご一緒していた「ザ・編集長」、鈴木正文さんがGQ編集長に。その第一号(3月25日発売)で記事を書くことになり、ちょっと本題から逸れて「今、かっこいい男とは?」についての話になる。

思いつくままフィクションの人物やら実在の人やらを例に挙げるなかで、最近お会いした、仏教に関わるデザイナーや作家などの名前も挙げてみたところ、「仏教は肯定の思想だけど、キリスト教は否定の思想だ」と鈴木さんが指摘。流れで、「キリスト教的な思想」についてのお話に。

鈴木編集長によれば、キリスト教は「生を贈与されて、借りがある」という、思想である、と。キリスト教的な考え方によれば、生きているだけで、もうけもの。生きるということは、終わりなき返済の過程。いわば、彼岸のための生。それが倫理の出発点になっている、と。なるほど。

◇もうひとつは、パリ在住のテイラー鈴木健次郎さんの本の一部を執筆するための打ち合わせ。美しい物を作りたいという、ただそれだけの目的に導かれて服作りをすることの意味、美しい感覚を共有できる人とともにいたいという衝動、などなどについて、本題からちょっと離れてあれこれと雑談をしているうちに、自分の仕事にとっての目的や基準は何だろう、と考え始めてしまった。

インプット&アウトプットのはてしない繰り返しの中で、いつも追い求めているのは、想定の枠を超えた驚きだったり、想像の範囲を超える深淵だったり崇高だったり。すでにある常識とか、正しさとか、「退屈」なものをひっくり返して、揺さぶりをかけてくれるような、パワフルな感覚。テイラーが追求する美、というのとはまた違うのかな。そんな衝撃的な感覚に、出会うことは多いけれど、自分で生み出すことはかなり難しくて、相当な勇気も要る。

◇そんなこんなの、キリスト教的世界観とか、仕事の先にある理想、みたいなものを考えていた時に、この前からつらつらと尾をひいている「ダークナイト」の印象が、ふとつながる。

映画マスターでもある「ル・パラン」マスター、本多啓彰さんの絶妙のタイミング(私にとっての、だが)でのコメントも大きい。本多さんは指摘する。「足を引きずりすべての罪を背負って逃げるブルース・ウェイン(バットマン)の背中を観ると、キリスト教的な自己犠牲を感じてしまいます」と。「全世界で大ヒットしたにもかかわらず、日本でのみヒットしなかったのは、このような価値観が伝わらなかったから」とも。

ラストの壮絶なほどの自己犠牲による孤独は、キリストの孤独の象徴でもあったのか。

とすれば、バットマンの、まるで何かに借りを負っているかのような自己を滅した闘いぶりにも納得がいく。

本多さんは、ラストでのゴードン警部のセリフの微細な点も指摘してくれた。英語のタイトルが'The Dark Knight' であるのに、「彼はヒーローではない。我々を見つめる守護神、沈黙の監視者」とナレーションするゴードン警部の最後のことばが、'A Dark Knight' (唯一の暗黒の騎士)である、と。The Knightでなくて、A Knight。ここに圧倒的な孤独が強調されている、ということか。

Dark_knight_rises

「ダークナイト」続編(完結編)の、'The Dark Knight Rises' のポスター。この荒涼として絶対的な孤独の光景。ハリウッドのヒーローものの想定枠にはけっしておさまらない人間の深淵を見せてくれるクリストファー・ノーランにも、強く共感を覚える(おこがましいけれど)。

必ずしもフィールグッドではないかもしれないけれど、隠されていた、陽の目の当たりにくい感覚を喚起してくれる。こういう、敬意に値するクリエイターが活躍してくれていると、まだまだ世界は大丈夫、と(個人的に)思えてくる…。

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