2011年9月29日 (木)

「いちばん最初に名を思い浮かべてもらえるか」

昨日、シャネル社社長リシャール・コラス氏による「リュクス・セミナー」第4回目に参加。明治大学商学部ファッションビジネス特別講座の一環。以下、ほとんど自分のための備忘録のようなものだが、個人的になるほど、と思ったことの概要をメモしておきます。

今回のテーマは「無形資産」。数値として変換できない価値が、実は消費者の頭の中に存在していて、これがブランドの価値を決め、売り上げを大きく左右する。

では、その価値を具体的にどのように測るのか? 

その方法の一つとして、第三者に依頼しておこなう、ブランドイメージの調査がある。ラグジュアリー製品となると、とりわけ「消費者がどう見ているか」というブランドイメージが重要になるのだ。

しかも、ブランドイメージというのは生き物であって、定期的・継続的に見ていく必要がある。その意味では健康診断のようなものでもある。そして、製品とは無関係であっても、なにか企業回りに大きな「失敗」があると(たとえば、社員によるセクハラなど)、とたんにイメージがダウンする、というデリケートなものでもある。ゆえに、イメージのファクターは、「こういうイメージを消費者に届けたい」という戦略だけで決まるのではなく、外からの要因にも大いに左右される。

ラグジュアリー・ブランドに関するイメージ調査に関しては、どんな人に聞くか、というターゲットも重要になってくる。ランダムに聞いても意味がない。具体的には、東京圏・大阪圏に住む24歳~60歳の女性、200名で、ラグジュアリー製品のレギュラーユーザー。ラグジュアリー製品年間購入100万円以上の独身女性で、年収1000万以上、など具体的に対象を決める。

ブランド・エクイティの3つの要素として、Saliency (際立っていること。一番最初に思い浮かべてもらえること=Top of mindにくること)、Value、Strength(イメージの強み)がある。Saliency + Value + Strength、この総和を3で割ったものが、ブランドエクイティ。

この結果を見て、ブランド側は、長期・短期の戦略を立てていく。期待に添えていないなら、それを改善する努力をし、誤解があって価値が伝わっていないなら、それを伝える努力をする。data→改善努力→data→改善努力…の繰り返し。

……という総論があり、具体的に「ラグジュアリーブランド全般に関して」、「既製服に関して」「ハンドバッグに関して」「フレグランスに関して」「メイクアップに関して」「時計に関して」という各項目のもと、細かなデータの結果を示していただきながら調査結果を教えていただいた。個人的には、どのような「ことば」の分類でもって消費者のアタマのなかのイメージを調査をしていくのか、ということがおそろしく興味深い講義であった。

ribbon Image Dimension として、Prestige(威信), Aspiration(憧れ), Cutting Edge(最先端), Relevance(ふさわしさ)があるということ。

・そのPrestigeを定める項目はなにかといえば、Timeless Style, Worth the Investiment, Iconic Products, Know-how in craftsmanship, Standard for luxury, Exceptional finish, Well-known people, Really takes care of its clients など。

スパイダーグラフをつくってみると、シャネルは、Exceptional finishという点が少ないようにも見える(この点ではエルメスが突出している)。でもそれは、シャネル側の戦略のせいでもある。シャネルバッグは、実は1つ作るのに18時間かかり、職人ひとりの養成に3年間かかっている。でも、シャネルはそういう現実的な職人技のすばらしさを伝えるよりもむしろ、あえて「夢」を売る戦略をとっている。消費者に、職人技がどうのという現実は宣伝していない。その結果でもある。

・で、次、Aspirationを定める項目はなにかといえば、Very feminine style, Makes me dream, Makes me feel special. など。

ラグジュアリーブランドのなかではディオールがこのAspiration全体において不足している。その結果、全体のイメージが低下している。

・次、Cutting Edge。 これを定める項目は、Daring, fun, in or hot right now, Avant-garde, Really Dynamic, Attract Youg people

ここにおいては、ヴィトンが傑出し、エルメスはやや下の方にくる。エルメスはそのあたりを売りにはしていない(最先端ではなく、タイムレスなスタイルを売りにしている)から、当然。

・次、Relevanceを定める項目はといえば、Fits my lifestyle, Feel close to, I'm crazy about, Truly pleasant shoppping experienceなど。

以上のような細かな各項目にわたり、2007年から2011年までの数値の推移を公表していただいた(社外で見せるのははじめてのこと、でした)。

総合すると、シャネルがトップにきて、エルメス、ヴィトン、プラダ、グッチ、ディオール、クロエ、フェンディ、D&G,セリーヌ、アルマーニ、YSL、Valentinoと続く。ここ数年でプラダが上昇し、ディオールがやや下降気味なのが目立つ。

ぼんやりと語られがちな「ブランドイメージ」だが、こうした言葉と数値できびきびと示されてみると、目からうろこが落ちる思いであった。当然のことながら、「既製服」「ハンドバッグ」「フレグランス」「メイクアップ」においては、使われることばも違ってくる。たとえばフレグランスの場合、イメージ・ディメンションの下には、Prestige, Seduction, Vitality, Relevanceという項目がくるし、メイクアップの場合は、Scienceという項目も入る。シャネルはプレスティージはあるがサイエンスにおいて不足しているので、10年がかりでいまそれを投入しようとしているところ。

eye 学生からの質問にもユーモラスに答えていただく。

「シャネルは男物を作らないと言っていたのに、香水BLUEも出したし、ネクタイも売っている。これはどういうことか?」

→80万円のシャネルスーツを買った奥さんが、エクスキューズとして、夫にちょっとしたおみやげを買っていくのに、2万円のネクタイはぴったり(笑)。

→Blueのコンセプトは、Unexpected. 「自分がいるべき、と思うところから、全然ちがうところにいる」。っていうわけで、コンセプトにも合う(女物だけやるべき、と思っていたところから、男物までやっちゃっている、というところにいる)。

「コラス社長のネクタイはシャネルだとおっしゃってましたが、スーツはどこのですか?」

→ゼニアの6~7万円のもの。これはコラス氏自身の体の動き(激しくよく動く)にあっているのだそう。ブリオーニの繊細な生地だったらたちまち破れてしまう(笑)。ちなみに靴はベルルッティ。これも軽くて歩きやすく、機能性にすぐれていて20年履いても「古くならない」。

……とまだまだ名残惜しかった充実の100分。楽しくお勉強できました。ありがとうございました!

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2011年9月13日 (火)

「問題って、あなたをつかんで放さないもののこと」

◇遅まきながら、「文學界」9月号に掲載されていた上野千鶴子先生による最終講義「生き延びるための思想」。

フェミニズムは敬遠しがちだったが、これを読んで上野先生がどのような思いで闘い、いかなる業績を築いてきたのかということの一端がはっきりとわかった。畏敬の念がじわ~っとわき、心が洗われるような思いがする。

最初は最終講義のタイトルを「不惑のフェミニズム」としたかった、と。「最終講義のときに東京大学の構内に出る看板に、『フェミニズム』という文字を載せてもらいたかったからです。その文字の入った看板が東大構内に立つのをこの目で見たかった。同時に、『フェミニズム』という文字の入ったタイトルで最終講義を行うのは、おそらく私が最初で最後であろうというふうにも、予感をしておりました」

上野先生の業績がわかったこと、フェミニズムに対する理解をあらためて得られたことも収穫であったが、それ以上に、「ファッション学」を考えるときにも応用可能な、力強く愛にあふれた言葉を、しかと「バトン」として受け取った気になれた。

「私たちは女性学というものの種を蒔き、それを育て、担い手と聴衆を共に育て、マーケットを作り上げてきました。ですから、学問もベンチャーの一種だと考えれば、ある意味、私は女性学というベンチャーの創業者の一人であったと言ってもいいかもしれません」

「学問の原点にあるのは、『私って何?』という謎です」

「フェミニズムというのは、社会的弱者の自己定義権の獲得運動」

「問題って、あなたをつかんで放さないもののことよ」

「学問というのは、こういう人々の営為が積み重なった『伝達可能な共有の知』」

「女が自分を語ろうとしたときに、語る言葉がなかったときに、女の言葉を悪戦苦闘しながらつくってきた先輩の女たちが、私たちの前にいました。その女たちの言葉が私の血となり、肉となっています。英語で言うと、I owe you. つまり、私はあなたたちのおかげでここにいる。私はあなたたちのおかげで、この私になった。私は彼女たちに恩義がある、ということです。だから恩返しをしなくてはなりません。これが私の40年でした」

「弱者が生き延びようとしたときに、弱者は敵と戦うということをしなくてもよい。敵と戦うということはもっと大きな打撃に自分がさらされるだけだからです。強者になろうとする者は、戦いを選ぶかもしれないが、弱者の選択肢はたった一つ、『逃げよ、生き延びよ』」

「時間と年齢は誰にでも平等に訪れます。かつて強者であった人も自分が弱者になる可能性に、想像力を持たなければならない時代が、超高齢化社会だと思います。私たちは、弱者になるまい、ならない、というような努力をするぐらいならば、むしろ誰もが安心して弱者になれる社会をつくる、そのための努力をしたほうがマシなのです」

……だから何、といま一気にまとめてしまうと、こぼれおちたことのほうに大切なものがありそうで惜しい感じがするのだが。日本においてはファッション学はまだ「ベンチャー」として位置づけることができ、それゆえの可能性に満ちていること。「原点」や「問題」は、「弱者」としての自分から出発していいこと。というか、むしろそれを曇りなく見ることができる目を磨くべきこと。「わかってくれる人だけにわかればいい」のではなく、伝達可能な共有知として抽象化する責任があること。数少ない先人の恩義を忘れてはいけないこと。大きな土俵で闘うことを考えず、生き延びることを考えていいこと。想像力を駆使して社会全体とのつながりを保ち続けるべきこと。などなど。

◇私が「バトンを受け取った」異国の先人のひとりに、ヴァレリー・スティールがいる(まだばりばり現役中だが)。The Berg Companion to Fashion は厚さ4センチを超える「読めるファッション辞典」。各項目がコラムのように読み物として書かれていて、それぞれに参考文献がついている。この言葉の集積の迫力たるや。

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2010年10月23日 (土)

「人間世界には楽な途はありません」

◇朝日新聞土曜日朝刊は「悩みのるつぼ」が楽しみ。回答者が車谷長吉の週は「やった!」という感じ。今日も「同僚女性がむかつきます」の悩みに対し、アナーキーで笑える(回答者本人はいたってまじめ?なのだが)、つきぬけたお答え。

「洞窟があって、中を覗くと火が見えました。中老の男の人が火を燃やして、鍋で食事を煮ていました。この人は本土の人だったのだそうですが、人間関係が嫌になって、孤島で一人暮らしをしているのだと言うていました」

ホント、究極はこうするしかないのですよね・・・。

「楽な途を求めれば必ず転んで痛い目を見ます」

これも共感の真実。最後に「阿呆になる気晴らしのすすめ」でばかばかしく締めるあたり、名人芸。

◇同、磯田道史の「この人、その言葉」も、あまり知られていない立派な人の生涯と言葉を紹介してくれる、ありがたい欄。安東省庵の巻。

「人能く己を虚しうせば、善を人に取る」(→大河や海はおのれを虚にしているからすべてをのみこめる。海のような男になれ、そうすれば善なるものを他人から学べる)

「学ばずに生きれば獣。獣になるなら死ぬ」の心構えで学問追求した人の迫力の生涯、小さな欄にぎっしり濃縮して味わわせる。こちらもプロフェッショナルな芸。

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2009年5月 3日 (日)

浅田次郎さんのエッセイ + 知の三高峰

浅田次郎さんは小説も巧いですがエッセイも熟練の極みの技を見せてくれます。「ま、いっか。」読了しました。

日経新聞のコラムの連載をはじめたころ(もう10年近くも前になりますが)、毎週毎週どうやって読者を飽きさせずに書くんだ?!と不安と焦りでパニックになっていたときに大量に買い込んで読み込んだのが、ほかならぬ浅田さんのエッセイでした。

事実だけをストイックに描写して心情を伝える(というか、想像させる)。短い文章の積み重ねでリズムを生む。時折、おやぢっぽい「抜け」をつくる。まったく関係のなさそうな現象をさりげなくつなぐ。古今東西の文学のエッセンスになってきた普遍的テーマをそれとわからせずに骨格に入れる。常識や思い込みをひっくり返しながら、正論に落とし込む。全方位に気を配る。短いエッセイのなかにも一輪の花が咲いている(と感じさせる)。この人のエッセイから学んだことはほんとうに大きい。

で、新作の「ま、いっか。」は久しぶりに読んだ浅田さんのエッセイでしたが、円熟の度合いが深まったところに軽みも加わってすばらしく、拍手喝采すると同時に、私はこの10年でいったいどんな成長をしたのかとわが身を振り返って、ほとんど絶望すら覚えたのでした・・・。

仰ぐべき具体的目標があることは、すごく励みになり、とてつもなくありがたい。一方、そこに向かって登りはじめたとき、これほど時間と労力を費やしてもそこにたどりつくまでにはまだまだ遠大な距離がありすぎると知ることは、ものすごい自己嫌悪と絶望をもたらす。浅田次郎さんのエッセイのレベルは到達できたらうれしいなあという一目標でもあるが、あー、いつまでたってもその足元にも及ばない、と自覚して、がっくりする。

日経の連載を始めたころよりもさらに以前から、高く仰いでいた(今でも、だが)三大「知の高峰」もいる。荒俣宏さん、高山宏さん、鹿島茂さん(内二人は、なんと昨年以来、同じ大学同じ学部の「同僚」になった・・・・・・畏れ多すぎてとてもお近づきにはなれませんが)。仕事の質も量もずばぬけてすごいのはもちろんだが、このお三方に共通するのは、「<つなぐ>能力と技芸が図抜けていること」。

「専門分野」なんていう狭い領域も、時間も、空間も、飄々と超えて、まったく予想もしなかった複数のできごとや人物やモノやことばなどを、鮮やかにつないでみせる技。接点のなさそうな複数の現象が、どんどん掘っていくと実は巨大な地下水脈でつながっていたことを示してみせる力量。そんな驚きの世界を次々に大量に華麗に繰り広げる圧倒的なパワー。学問の醍醐味、というものを教えてくれる。

一読者としてはそういう成果に触れているだけで幸せなんですね。でも自分が(どんなにささやかなものであれ)なにか書き始めたときに、あのレベルが目指すべき高み(というか深み)、として常に脳裏にあるのである。なのに、どんなにがんばっても、その100000の1のレベルにも及ばない。これはキツイ。比べることじたいがそもそも間違ってはいるのだが、やはり、かなり打ちひしがれることでもある。

荒俣さんは平凡社に寝泊りして執筆をしていたという。とにかく時間とエネルギーをすべてそこに注ぎ込まないことには、誰もまねのできないすごい物は生まれないのかもしれない。ネイルサロンに行ったり、映画みたり、ショッピングしたり、ワインを飲んだりしているその時間にもっと勉強して書けよ、とも思うのだが、そういう「むだな」時間も私のギャル魂(?いい年して情けないことだが)の健康にとっては必要だったりする。それ以前に、主婦業や母親業にも、最優先事項としてエネルギーを注がねばならない。時間と力の使い方からして、知の高峰たちに追いつきたいなんて言えるレベルではない。

そんなこんなの諸事情と折り合いをつけつつ、できることをやっていくしかないのだが。

ってことで、今週の一本、ムルソー(ドメーヌ・ラトゥール・ジロー 2006)を開ける(おいっ、ですね。すいません)。この前から赤ワインの話ばっかり書いてるけど、日常ワインはだいたい白が多いんです。翌日残りにくいので。でも、特別の白、となればムルソーかモンラッシュですかね、やはり。実はムルソーを自分用に買ったのははじめて(おつかいもの用の白としては、とても喜んでもらえます)。厚みのある白のゴージャスな品格をずしりと感じつつ、がんばってもがんばっても巨匠たちの足元にも及ぶことができない自分の無能っぷりに、ちょっとだけ落ち込む。

☆☆☆(以下翌朝記)

二日酔い、というわけではないけど、ふわふわした感覚がしばらく残っていた(リポビタンDにビタミンCを入れて飲んだらすぐすっきりしましたが)。

やはり物書きとして読者に提示すべきは、一見無関係な表層の諸現象をつなぐ、巨大な地下水脈、と再確認した。あきらめずに、くさらずに、淡々と掘り続けてみることにする。

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2009年4月13日 (月)

辞書をつくります

大学の新学期。ファッション文化史の講義に大教室に人が座れないくらいあふれていて驚く(たぶん、初回だけのこととは思いますが・・・)。ファッション文化論が学問として大学で教えられる、ということじたいが20年前にはあんまり考えられなかっただけに、感無量。明治大学に感謝。

今年から始まったゼミナールでは、21世紀に誕生した英語の辞書をつくることにしました。オーソドックスな英和辞典に載っていない英語や、英和辞典の解説が時代感覚とずれてしまっている英語を集め、「ファッションワード辞典」としてウェブサイトでアップロードし、パブリックに役立てるのが目標。私自身がそういう辞書を欲しかったからつくろうと思ったまでですが、「一緒につくりたい」という学生が予想以上に多くて、困惑する羽目になる。希望者全員と一緒にできれば最高なのだが、ゼミは定員を超えてはならないという決まりがあり、断腸の思いで入室テストをする。公正を期し、私情を封じ、えこひいきなしに、英語の解釈力を有する学生を上から20人だけとる。お断りせざるをえなかった学生の中には、ファッションを学びたいという意欲の高い、よく知っている学生さんも多く、ひりひり心が痛む。今回ご一緒できなかった学生の皆様、ほんとうに申し訳ありませんでした。受け入れたくとも受け入れられない教師もまた、つらいです。

なんとか気を取り直し、公に通用するよい成果を残そう、と思う。ブログ読者の皆様もぜひ、「この英語表現は辞書に載ってないけど、なんて意味?」というのがあったらお寄せください(恐縮ですが、Fワードは除きます。大学で妙齢の女の子たちも品よく(!)討論可能な表現に限ってどうかよろしく)。

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