2010年5月26日 (水)

やや野暮で、フェミニン

◇キトンヒール、流行の兆し。ここ2,3年の摩天楼ヒール、リムジンヒールのブームがついに頭打ちのようで、少しほっとする。ランウェイで、モデルが何人か靴をはきこなせずに転倒する、というのは、たしかに異常な事態だった。

1.5インチ(4センチ弱)の、地に足のついた感のある靴、とりわけ、キトンヒール(低いピンヒール)を、各ブランドが展開している。ミシェル・オバマとカーラ・ブルーニの影響も大。マキシスカートにローヒール。力を抜いた、やや野暮な感じ(よいニュアンス)、でもフェミニン、というスタイルが好まれる空気を感じる。

このあたりの前後の文脈を、くわしくは「端麗」に書いた。中国にご出張予定の方、機会がありましたらご笑覧ください。

◇「エンジン」7月号、巻頭の編集長エッセイのページで、本が紹介されていた。というか、ほとんど最初から最後まで、本(の第一章)の紹介にあてられていたような。感謝。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月19日 (水)

ドレスが、歴史的アイコンになるとき

◇英「テレグラフ」19日付で、ここ50年間での「アイコン的」なドレス、ベスト10の発表。

1.スパイス・ガールズのひとり、ジンジャー・スパイス(Geri Halliwell)が着た、ユニオンジャックのミニドレス(これはデザイナーものではなく、ミニドレスにティータオルを縫いつけただけのものだった)。

2.エリザベス・ハーレーが「フォー・ウェディング」のプレミア(1994年)で着た、ヴェルサーチェの安全ピンドレス(これで一躍ハーレーは時の人に)。

3.マリリン・モンローが「七年目の浮気」で着た、白いドレス(地下鉄の通風孔の上でふわっ)。

4.オードリー・ヘプバーンが「ティファニーで朝食を」で着た、ブラックドレス(何度もコスプレの対象に)。

5.レディ・ガガが「ブリットアワード」で着た、白い衣装。

6.ダイアナ妃のウェディングドレス。デザイナーはエマニュエル夫妻。

7.カイリー・ミノーグが2000年の「スピニング・アラウンド」のビデオで着た、ゴールドのホットパンツ。

8.ジェニファー・ロペスがグラミー賞授賞式で着た、グリーンのヴェルサーチェのドレス。

9.ビヨークが2001年のアカデミー賞授賞式で着た、白鳥ドレス。デザイナーは、Marjan Pejoski(ビヨークが「卵」を産んでました)。

10.シンディ・クロフォードがアカデミー賞授賞式で着た、赤いヴェルサーチェのドレス。

着る人のキャラクターとばっちり合って、人とドレスが互いに引き立て合っているようなとき、歴史に残るドレスが生まれ、それを着る人も、後世まで語り継がれるアイコンとなってきたことが、よくわかる。

◇英「インデペンデント」19日付、シセイドウが「ディジタル・コスメティック・ミラー」という、ヴァーチャルに製品を試すことができるものを世に出したという話を知る。

記事は、シセイドウに続き、ティソー(時計ブランド)がセルフリッジズと組んで、ヴァーチャルに製品を試すことができるシステムを導入、という話がメインなのだが。

英シセイドウの試みは、日本ではおこなわれているのだろうか? 

| コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月22日 (木)

政治家のスーツスタイルは、メタファーである

英各新聞のメンズスタイル欄に最近頻繁に登場しているのが、ニック・クレッグ。野党第二党のLib Dem(自由民主党)の党首で、童顔の43歳である。先だってのテレビ公開討論会では、現首相で労働党党首のゴードン・ブラウン、野党第一党の保守党党首デイヴィッド・キャメロンをおさえて、高ポイントを獲得していた。

ネクタイが象徴する3人のテーマカラーがわかりやすい。ブラウンは赤よりのパープル、キャメロンはブルー、そしてクレッグは金色である。

英「フィナンシャルタイムズ」17日付のヴァネッサ・フリードマンの記事によれば、金色のタイは、マークス&スペンサーのものであるようだ。ライラックやパープルのタイの政治家が多い中、金色はとにかく目立つし、暗い時代に輝かしさを与えてくれる。(日本の現首相も、いっとき金色のタイで話題になったことを思い出す・・・・・・)

クレッグのスーツスタイルも、政治的な立場のメタファーになっている、という指摘。ブラウンの「武装としてのスーツ」スタイルと、キャメロンの「サヴィルロウなんだけど袖をまくりあげたりワークブーツを合わせたりもする」いまどきリッチスタイルの、どちらにもころばない中庸のスタイルだと。クレッグのスーツはトラディショナルで、目立たない、既成服が多い(白かブルーのシャツ、ダークスーツでピンストライプなどはなし、イエーガーやポールスミス風のクラッシックスタイル)。このスタイルが、まさにクレッグの立場を象徴している、と。

指摘されてみると、たしかに、スタイルが「人」を表わしているなあ、と見えてくる。そういうふうな見方(言葉)を提示できるジャーナリストがいて、そういう言葉を掲載できるメディアがある、というのは、ちょっとうらやましいな、と思う。

| コメント (3) | トラックバック (0)

2010年4月17日 (土)

着るものに対するアティテュードの伝統

ギュスタヴォ・リンス展@代官山のリフト・エクリュ。布と服、服と身体、建築と服、など多岐にわたって考えることを促す、哲学的でアーティスティックな個展である。

Photoリンス氏はブラジル出身で、もと建築家。その後パリでモデリストとしての経験を積み、2003年から自身のオートクチュールのブランドを手掛けてきた。

暴力的にも見える「服」たちだが、よく見ると、とても繊細で構築的で、テクニックのクオリティが高いことがわかる。

建築と服をつなぐもの、それはキモノであった、とデザイナーのリンス氏は語る。平面的な布と帯が、動く人体の急所を守り、包む理を正確にとらえ、重ね方、結び方のテクニックを駆使しながら、身体にあった立体的な服になっていく。キモノは(帯も含め)多様な可能性を秘めた服だ、と言いつつ、リンス氏はその場で帯を使ってスカーフ風のアレンジを作ってみたり、椅子にかけて家具のカバーのアレンジを作ってみたりしてくれた。上の写真の左から3体はキモノ地で作られている。下は中央奥の服のアップ。Photo_4

現代の日本人にも、キモノを着こなしてきた時代のしぐさの名残りが見られる、というリンス氏の観察眼には驚いた。男性はコートを着るときの仕上げに、あたかもキモノの前の打ち合わせを整えるときのように、前をしゃんと整えるしぐさをする。一方、女性は、コートの着こなしの仕上げとして、あたかも背抜きをするかのように、両肩をくっと後方へそらすという。ええっ!?と思ったが、言われてみれば、そんな気がしないでもない・・・・・・。キモノから洋服に着替えても、着るものに対するアティテュードの伝統が残っているのだという指摘に、半信半疑ながら、面白い着眼点だなあと感心する。少なくとも、外国人デザイナーの目にはそのように映ることもあるのだ。

服を脱いだあとの身体、身体からはずされた抜け殻としての服、というものに想像を促すジャケットも、シャドウと一体となって、目をひきつけずにはおかない。

Photo_2

なるほど、服は身体が造るものでもあるのだ、と思わされる。

本来ならば捨てるはずのパタン(型紙)をあえて縫い合わせて作られたアートもある。エコロジカルなスピリットに支えられたものであるが、こうして作品にするにはお金も時間もかかる。贅沢なエコロジー、というコンセプトの表現。

Photo_5

難解で哲学的なアートピースにも見える作品をつくるデザイナーであるが、とてもサービス精神にあふれたオープンマインドな方であった。赤い靴がステキでした。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月14日 (水)

ソックス・アピール

春夏のトレンドのなかで、ヘンだと思うもの。

ソックスにヒールの靴を合わせるトレンド。以前からちらほらとは出てきていたが、今シーズンはどんと。マルニ、マーガレット・ハウエル、プラダ、バーバリー、ディオールまで。どうみてもヘンだ。たぶん、先シーズンあたり、レッグウエアをだしたら大当たりしたので、こんどはソックス、ということになったのではないか? 

でも、ヘンなものを着こなせるかどうかが、ファッショニスタの試練となる。その大胆な勇気に、周囲は一目置くのである。レディ・ガガの人気もそれで上昇したようなところがある。

ソックス・アピール。難度は高そうだ。少なくとも、流行するまでは(これも見なれてしまえば、とりたててヘンなものでもなくなるのかもしれない)。

ヘンだと思うもの、もう一つ。レザーのTシャツ。これはセリーヌが主導。進化型ミニマリズムの一環?としての、高価な素材を使ったシンプルなアイテム・・・ではあるが。

なんだか暑そうだしムレそうではないか? でもセリーヌならば着心地は案外いいのかもしれない。着てみた人のレポート求む。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月 8日 (木)

仕事も家庭もファッションも?

祝!山崎直子さん、ディスカバリーに乗って宇宙へ。

さらに、祝!芦田多恵さんの服、宇宙へ。

ブルーのニットカーディガンとショートパンツという山崎さんの「船内服」は、芦田多恵さんのデザイン。ニットは縫い目のないホールガーメント(世界に誇るこの機械を作っているのは、日本の島精機さん)で、機能的ながらやさしい女らしさもあって、周囲の空気を和ませるようなイメージである。

Photo_2

上は、多恵さんによるデザイン画。「宇宙で着る服」というとなにか、SF的なぴかぴかした服を思い描きがちであったが、そうか、船内は地球上で着ている服の延長でよいのですね。宇宙飛行士、というと(文字通り)雲の上の人みたいだが、自分が着ている服と同じデザイナーの服を着て仕事をしていらっしゃるのだと思うと、なんだか少し親近感がわいてくる気がするのが不思議(苦笑)。

それにしても、女にとって、「仕事」も「家庭」も両立させるというのはもはやあたりまえ、そこに「ファッション」もふつうに加わる時代になったのか。

ハードル、高くなったな・・・。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月 2日 (金)

青山の店員さん

明日必要になる長男のスーツを買いに、とりあえず「すぐ着られる」服が買えそうな「洋服の青山」へ行く。デッドラインが近づいてやっと行動を起こすという習性はどうにかせんと、と思いながら相変わらずである。

スーツ関連の記事をこれまで多々書いておきながら、量販店でスーツを買うのは初めての経験である。今までの取材はすべて、オーダーメイドの仕立屋さんであった。個人の名前を掲げて作っている店のほうが、(広報マニュアルに沿った言葉ではなく)本人の言葉でのお話を聞きやすかったためである。でも日本でスーツを着て仕事をする人の大半は、こういう量販既製服店チェーンを利用しているのだ。

デビュースーツだし、ほどほどのものでいいだろう、とあまり期待しないでいたのだが、予想外のいい服地のラインもあって、選択肢が多い。驚いたのは、店員である。売り方がほんとうにうまい。本人と、スポンサー(私ね)の一瞬の表情の変化におそろしいほど的確に反応して、ピタっとはまるものを次々に提案していく。結局、「2着めはスーツでもコートでも1000円」という戦略にものせられ(→じゃあ、スーツは高くてもコートを1000円で買えば割安か・・・)高級ラインのスーツとスプリングコートをとりあえず買う。

その後、「スーツをお買い上げのお客様には靴が3000円引き」にものせられ(→他店で買おうと思っていたけどここで間に合うならいいか・・・)。

ついでに「バッグも半額に」に便乗させられ(スーツにリュックで行くわけにもいかないしな…)。

最後は「食らわば皿まで」の勢いで、「ベルトとネクタイとワイシャツ3点で10000円」までもっていかれる。

やられたなあ。散財させられた気もするが、しかし、ほかで買いまわる予定が、一店ですんだので効率的な買い物ができたともいえる。

それにしても、店員の売り方が、絶妙にうまかった。強引に売りつけるわけでもなく、似合わないものにはダメ出しをきちんとするし、終始、誠実につきあってくれて、ソンしたとはけっして思わせない。

帰り際に名刺をもらったら、肩書きの下に「ファッション販売2級」と書いてあった。販売員に級があるということもはじめて知った。「まる一日かかる試験で、けっこう厳しいんですよ」と販売員は話してくれた。服をめぐる世界は、ほんとうに奥深く、幅広い。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2010年3月24日 (水)

できるかな?

英「タイムズ」に載っていたファッションクイズのなかから、いくつか抜粋&アレンジしてご紹介。さて、何問わかりますか?

Q1 その名前がスポーツブランドの由来になった、ギリシア神話の勝利の女神はだれ?

Q2 「ブクレ」とはなに?

Q3 「プリンセス」「マティネ」「チョーカー」「オペラ」は長さを表すことばだが、何の長さ?

Q4 映画製作の資金をつくるために、アンディ・ウォーホルの肖像画をサザビーズの競売にかけたデザイナーは誰?

Q5 「レオタード」という名称は、人に由来するのだが、その人の職業は?

全部わかったら、相当のファッショニスタ! 知っていたからといってイバレるわけでもないのが、ファッションという分野のせつないところですかね。

ちなみに私が即答できたのは、4だけでした。ただのミーハーですな(笑)。

Leotard

こたえです。

A1 ニケ(Nike、ナイキの由来となる)

A2 シャネルのジャケットにしばしば使われる、表面が泡のようなファブリック

A3 パールのネックレス

A4 トム・フォード 

A5 空中曲芸師(19世紀フランスの空中曲芸師Jules Leotardにちなむ)

写真はレオタール氏です。

| コメント (4) | トラックバック (0)

2010年3月20日 (土)

「美しい環境から美しい発想が生まれる」

昨日おこなわれた、ジュンアシダ2010秋冬コレクション@代官山本店。グレートーンのスーツのバリエーションから、鮮やかな色柄のワンピースとジャケット、コート、マント風コート、イブニングドレスにマリエまで、優雅で気品あふれるジュンアシダ・ワールドを堪能する。素材、カッティング、シルエットは常に女性の身体のラインをもっともエレガントに見せるという配慮に支えられていて、ディテールにちらりちらりと遊び心があふれている。帽子やアクセサリーとのバランスも完璧で、美の黄金律のシャワーを浴びる。

マリエ(ウェディングドレス)が予想を快く裏切り、フレッシュな印象だった。いつもはジュンアシダならではの正統派ドラマチックなドレスで盛りあがって締めくくられるのだけど、今回は、なんと「ボンブー」パンツの白いスーツである。たしかSATCのキャリーも、いろいろドレスを着てみたけれど、結局、最後の最後は白いパンツスーツで結婚したのではなかったか? (記憶違いだったらすみません) 非日常的なドレスもいいけれど、地に足のついた結婚、という印象を与えて、映画的にとてもいい印象を与えていたように思う。

先日の「21世紀ナヴィゲイターズコミッティー」で、目黒雅叙園の梶社長が、「最近は仲人を立てないカップルが圧倒的に主流で、しかも、人前結婚式がふえている」ということを話していらしたことを思い出した。旧い慣習に縛られず、自分たちのライフスタイルに似つかわしい結婚式をしたい・・・というカップルが増えているとするならば、白いパンツスタイルの花嫁が増えることも、当然、考えられるわけである。

そんなこんなのいまどき結婚事情にマッチしそうな、白いパンツスタイルのマリエ。新鮮な驚きを感じ、拍手したくなるとともに、でもやっぱり、うそくさいほどドラマチックなドレスも見たいよなあ、という思いもかすかによぎった(観客はわがままだ・・・)。1回のショウに1着、というマリエだからこそ、強く印象に残り、デザイナーの、時代に対する感覚も伝わってくる。「今」の社会のムードとのつながりを感じさせる作品をつくるデザイナーは、やはり優れたデザイナーだと思う。

発刊ほやほやの、芦田淳先生のエッセイ集『透明な時間』(角川学芸出版)、帰途に読みはじめ、そのまま最後まで読み終えた。美に対する考え方、家族への愛情、すてきな方々との交友、ピカソはじめ芸術に対する思い、身近な社会事象に対するちょっとしたお叱り、などなどのことがらが、生き生きとして率直なことばで綴られていて、読みながら背筋が伸びてくるような感覚がある。

なかでも、美は身近なところからお金をかけずに作り出していくものである、という考え方に教えられるところ大。絵や写真などを「まっすぐ」に貼るだけで空間の格が上がる、という指摘には、はっとさせられる。「『傾く』という言葉が不吉であるように、カレンダー、絵、写真などの掛け方や貼り方も、傾いているのはみっともない」。たとえメモひとつでも。その日ごろのささいな心がけが、その人のまわりに大きな違いを生んでいくのだろう。

「茶道では、後片付けをお手前と同じ作法で時間をかける」という話にも、なるほどなあ、と納得する。お掃除のあとの掃除道具の置き方、ドアの締め方、そんなささいなところに神経を行き届かせるかどうかという精神が、美しさを作り出すために大切なこと、と。

我が生活を翻って……あまりのことに思わず絶叫したくなるほどであるが、忙しさは理由にはならないなあ(涙)。新しいキレイなものを買うより、まずは身近なところの整頓と統一から。今年の課題にしよう、としみじみ思ったことであった(思ってるだけではダメなのだが)。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 8日 (月)

パールの価値と女の価値をめぐる複雑な心理

パール卸会社、(株)パールスペンサーのシノダさんが大学にお見えになり、ネックレスなどの留め金をパールの粒や貴金属でつくった「ワイズジェム」のシステムを説明してくださる。パールのネックレスの留め金がいつのまにかぐるりと前に回ってしまったりするのは、やや恥ずかしいものだが、この留め金を使えば、逆にそのパーツを「主役」にすることさえできる。

Photo_8

留め金を替えればイメージががらりと変わるし、何本かネックレスをつないでロングネックレスを作ることもできる。パールの楽しみ方は広がるかもしれない。

Photo_6

ただ、手持ちのパールをこの留め金に変えようとすれば、リフォームが必要になる。芯糸を替えるなど、パールのメンテナンスのタイミングは何度かあると思うのだが、リフォームのために手持ちのパールをプロの業者さんに見せる必要がでてくると、多くの女性は「恥ずかしがる」のだそうである。

自分がもっているパールの品質がどのくらいのレベルなのか。ひょっとしたらあまり上等のものではないかもしれないのではないか。いろいろなことがプロに「わかってしまう」のが恥ずかしさの理由ではないか、とシノダさんはその複雑な心理を推測する。

持ち物としての宝石と、本人の価値とはまったく関係がない。大事なのは、宝石をめぐる個人的なストーリーであり、思いである。

でも、それが、大切な人から贈られたものであったり、なにかの大きな節目の記念品であったりすればするほど、それが上等ではなかった場合に、「私の価値はこの程度か」というような気分にもなりうるだろうことは、わからないでもないような・・・。

| コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧