2012年1月24日 (火)

もはやメンズ・スカートに誰もおどろかない

メンズのコレクション・サーキットがひととおり終了して、すでにさまざまな媒体で写真が出揃っている。

概観して、記憶にひっかかったものは、「へん」なのばかり。これは正気か、メンズの未来なのか、それともただのエンターテイメントか、あるいはヤケクソか、笑いを狙ったのか、とにかく、現時点においては判断不能で黙り込むしかないようなルックがいくつかあって、その最たるものがジヴァンシー。とくに、モデルがみんな鼻に洗濯ばさみみたいなピアス?をつけていたのだが、これを笑わずに見ることがどうしてもできない。

Givenchy_2

でもデザイナーなりの考えというのが、どこかにあるんだろう。その説明がぜひ聴きたい。

メンズに影響力の高いトム・ブラウンは、もっとぶっとんでいた。もうスカート男子ルックにはだれも驚かなくなっているが、このバランスはいったい…。

Browne

今、この時点でこれを見たらみんな笑うんだけれど(あるいは、がちがちのコンサバティブなら「世も末」などと言うかもしれない)、この影響力が2年後ぐらいの現実のメンズファッションに及ぶ可能性は、全くないとは言いきれないのですよね……。

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2012年1月 7日 (土)

「強気のふりも必要です」

◇本日付の朝日新聞。オピニオン欄が、堂々1ページ、川久保玲さんのインタビュー記事で構成されていて嬉しかった。「ファッションで前に進む」。

質問も、マニアックに走らず、ファッションに関心が薄いであろう多くの読者の素朴な疑問を代弁するような、的確な(朝日新聞的)質問が投げかけられていた。

もちろん、川久保さんの回答も、きちんとそれを受けとめたもので、読んでいてとてもすがすがしい気分になる。

安定感や着やすさを求める傾向にある世の中の風潮に対し。「他の人と同じ服を着て、そのことに何の疑問も抱かない。服装のことだけではありません。最近の人は強いもの、格好いいもの、新しいものはなくても、今をなんとなく過ごせればいい、と。情熱や興奮、怒り、現状を打ち破ろうという意欲が弱まってきている。そんな風潮に危惧を感じています」

ファッションで個性を表現する必要はない、という考え方に対し。「本当に個性を表現している人は、人とは違うものを着たり、違うように着こなしたりしているものです。そんな人は、トップモードの服でなくても、Tシャツ姿でも『この人は何か持っているな』という雰囲気を醸し出しています。本人の中身が新しければ、着ているものも新しく見える。ファッションとは、それを着ている人の中身も含めたものなのです」

などなど、一言一言が説得力をもって響く。

なかでも、このインタビューでのいちばんの収穫だったのではと感じたのが、反骨心はどこからくるのか、という質問に対する答え。「本当は私だってそんなに強くはないですよ。ただ、強気のふりも時には必要です。ふりでいいのです。そうしないと前に進めないから。大変だな、どうしよう、としょんぼりしているだけでは何も変わらない」。

あのタフな川久保さんにしてこのフレーズ。「強気のふりも時には必要。ふりでいいのです」。なにか同じ魂に逢ってしまったような(というと、相当厚かましいのは承知の上だが)というか、大きくて暖かなものに背中を押されるような思いがして、何度も読み返す……。

◇同新聞、「職場の理不尽 Q&A」。飲み会の意義がわからない、という問いに対する、経営コンサルタントの岸良裕司さんのAnswer。

「予算3千円以下のお店で飲むと、どうしても話題が仕事の話になりがちで、つい身の上話の愚痴も出てしまう。でも、予算5千円以上のお店になると、食事も上品、しゃれたワインなんかが出てきて、話題も自然にそれに見合う楽しい話題になるという」。

その通り、と納得。

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2012年1月 2日 (月)

「うまくまとまってるポプリ」

本日の仕事のこぼれ話。調べておもしろいと思ったけど、原稿には不要だったネタです。

マーク・ジェイコブズが、自分の作品を「うまくいってるポプリ(potpourri that works)」と表現していたのを、なんのこっちゃ?と思って調べてみたら。

ポプリとは、あのドライフラワーやら乾かした葉っぱその他をごたまぜにして、いいにおいを出させる例のアレなのですが(最近、いっときほど流行りませんね…)。

potpourri の語源は、rotten pot。熟成し(すぎ)たごった煮の鍋料理…。で、そこから、いろんなものをごたまぜにした雑文集やら混成曲も、ポプリと呼ぶようになったみたい。ほ~。

ってことは、マーク・ジェイコブズの上の発言の意味は、「うまくまとまった、ごたまぜのアイディア」ということか。モンダイの作品はこんな感じです。

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メインテーマは、トレンドになる20年代フラッパーの話だったんだけど、火付け役はどうやらバズ・ラーマン監督の新作「グレート・ギャッツビー」、ディカプリオ主演。74年のロバート・レッドフォードに負けず劣らずギャッツビーが似合うのは、やはりディカプリオぐらいかな。

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下は74年版、今なお20年代ファッションをもっとも美しく見せてくれる映画のひとつね。

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2011年10月21日 (金)

知的なパズルとヘルシーな肌見せ

ミスアシダ、2012 S/Sコレクション。日本橋三井ホールにて。 20周年アニバーサリーコレクション、でもある。浮沈のはげしい業界にあって、20年間、ファッションブランドを安定して継続していくことって、ひとつの偉業だと思う。おめでとうございます!

今シーズンは、幾何学的なカットワークや非対称のシルエットを軽やかにバランスよくまとめあげた、絶妙な技が光るコレクションだった。パズルのように組みあげられた知的なカットワークの隙間からの新しい肌の見せ方、アリかもしれない・・・・・。

レースから透かし見せるという手もあり。楽しい!と感じたのが、レースのパンツ。レギンスに代わる新しいアイテムとなるか?

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2011年9月27日 (火)

イスラム教徒のモデル、羽ばたく

サウジアラビアで2015年から女性に参政権が認められるようになった。こうした動きをいっそう後押しすると思われるのが、モード界でのイスラム教徒の女性モデルの活躍。

それを紹介する「ニューズウィーク」のロビン・ギヴァンの記事。18日付、The New Faces of Islam. http://www.thedailybeast.com/newsweek/2011/09/18/the-new-faces-of-islam.html.

最初の部分をものすごく大雑把にダイジェストすると。

5年前のアラブ世界は、モデル界のネットワークから断絶していた。女性が海外に移動する、ということが文化的に困難だった。が、いま、たとえばこの二人のモデルが、アラブ世界の偏見や制約を越え、世界ではばたきはじめている。

Hndi Sahli とHanaa Ben Abdesslem の、ややダークな肌が美しい二人。昨年は、ジバンシイ、ラルフ・ローレン、ルイ・ヴィトン、ゴルティエ、ヴェラ・ウォン、フィリップ・リムなどのコレクションにモデルとして登場、イタリア版、フランス版の「ヴォーグ」にも載り、トップショップやランコムの広告にも出演。

この二人のモデルにとって、ファッション業界とは、ゴシップだの贅沢だのといったものに身をゆだねる場などではない。力を得られるところであり、チャンスに満ちた場であり、新しい世界なのである。他人の視線を受けるチャンス、他人に自分のことを語ってもらうチャンス、いや、ただ単純に「存在する」というチャンスを得られる場所なのである。

「ファッション業界は私を自立させてくれました」とベン・アブデスレムは語る。「女性としての自分自身に、自信を与えてくれました」。

皮肉なことに、アラブ世界の女性は、長い間、ファッション界最大の消費者だった。実際、フランスのオートクチュールの経済は、中東に頼っている。ファッション撮影はしばしばマラケシュみたいなエキゾチックな中東でおこなわれてきた。にもかかわらず、アラブの女性はそのなかに不在だった。変化が起こったのが、ようやく2年前。

というわけで、中東で起こりつつある劇的な変化は、モード界とも無縁ではないのである。写真は、紹介されているふたりのモデル。

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長らくヴェールで覆われてきたイスラム世界の美女たち。西洋世界の美の基準に染まらない、彼女たちの美しさを見せてほしいと思う。

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2011年9月11日 (日)

マース、マンキニ、そしてミュエリー

メンズファッションの盛り上がりとともに、新語も増えているという記事。ウォールストリート・ジャーナル 8日付。Grab Your 'Murse', Pack a 'Mankini' And Don't Forget the 'Mewelry'. by Christina Passariello and Ray A. Smith.

http://online.wsj.com/article/SB10001424053111904900904576554380686494012.html

以下、大雑把に概要。

近頃よく使われるようになった新語。たとえば manties (man + panties)、mandals (male sandals)、murses (purses)、mantyhose (pantyhose)、mankini (swimsuit variant).などなど。

こういう新語はギョウカイ用語として出るのはありがちなことだが、今回は辞書の権威たるOEDまでこれらを載せるかどうか検討しているという勢い。

新語が続々でてくるようになった背景には、メンズファッションの盛り上がりがある。NPDグループの調査によれば、今年の前半、アメリカにおける男性のアパレルの売り上げは、4,6%上昇している。女性のほうは0.8%だというのに。

Mewelry とはman+jewelryで、トッズが提案したレザーのリストバンドなどがヒットし、それにマッチするピンキーリングなども登場。

こういうのがでてきたのは、1990年のメトロセクシュアルブーム以降。男が外見を気にすることがふつうになった。manorexia (man + anorexia 男の拒食症)、guyliner (男のアイライナー)、manscaping (男の脱毛)という言葉まで。

ここ10年でもっともふつうになったのが、manbag. 荷物が増えた男のためのバッグはもはやあたりまえに。

だからこそ、そんなからかいの調子ではなく、messenger, gym, tote, carryall, backpack, portfolio, duffelなどと機能別に分類して呼ぶべき、という意見もあり。

記事以上。

今は、アイテム名にいちいち man をおどけたニュアンスでつけなければいけない過渡期なのかもしれない。男にとってもあたりまえのアイテム、として浸透すればmanはとれていくような気もするが。Let's see.... 

下はアルマーニ2011年春夏で発表された、mankini. 男のための新しいスイムスーツである。これを大胆過激にしたバージョン(下を覆う部分がハイレグタイプで、かなーりえげつない水着)が禁止されたビーチもあるが、このアルマーニ版なら、見慣れてしまえばむしろ品がいいように見えなくもないが…。

Mankini_armani

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2011年9月 9日 (金)

ランウェイ化するストリートスタイル

◇ガリアーノの人種差別スキャンダルが勃発し、反ユダヤ人発言をしたとして侮辱罪に問われてから6か月。昨日、パリで有罪判決が下りた。罰金6000ユーロ。約65万円。予想したより軽い。でも、「これだけで済んだ」わけではない。彼はその天才を発揮させるべき職を失った。

これを乗り越えて復活してほしい、と応援しているファンはまだ世界中に大勢いる。

◇上記のは「ニュース」だが、以下、やや「過去のニュース」記事のメモ。ひょっとしてあとからなにか関連事項がでてくるかもしれないので、メモしておきたい。

「グローバリゼーションはストリートスタイルをダメにしたか?」というNYタイムズのディベートルーム。8月22日付のGQシニアエディター、ウィル・ウェルチのコメントが興味をひいた。以下、大雑把な概要の訳。(Too Self-Aware, by Will Welch)

現在のストリートスタイルの皮肉は、それがオンラインに存在するということ。人々は、ランウェイのコレクションや、キャンペーン広告の代わりに、インスピレーションを求めてウェブ上でストリートスタイルをチェックする。

ストリートスタイルは、本来、グローバリゼーションの影響を受けないスタイルとして生まれているはずのものだった。しかるに、アピールはグローバルになっている。東京にもNYにもラルフローレンやユニクロがあるから、とかそういう問題ではない。

ストリートスタイルをダメにした要因があるとすれば、それはその人気。当初は、フォトグラファーも、個性的な日常着を表現豊かに着こなした人々の写真を撮っていた。でも、あまりにも人気が出てくるようになると、今度は、人々のほうがカメラのために装い始めるようになり、競ってカメラに収まろうとするようになった。ハデになればなるほど、カメラに収まりやすくなる。そうすると、ストリートスタイルがランウェイのようになる、という悪しき状況が生まれてしまった。

ストリートスタイルは、「え?ボクがですか?」という何気ない感じがよかったのに、今はそれがなくなり、「ボクを見て見て!」というのが増えている。もうファッション界はこれに飽きて、次のおもしろいことを探しはじめている。

記事の概要以上。

ひとことでいえば「もうストリートスタイルは終わり」っていうことでもあるのだが。たしかに、いま「ストリートスタイル」はあっちでもこっちでも飽和状態で、しかも出てくる人がみんなモデル気分で写っているので、なんとなく食傷気味である…。ストリートが自意識過剰のランウェイ化しちゃったら、本物のランウェイにかなうはずもない。そのような「モード」(=時代の気分)をきっちり把握した記事だと感じる。

ストリートスタイル、リアリティテレビ、SNS…。当初は「なにげない日常をのぞく」のがよい、というところから始まったのかもしれないが、今や完全に演技的な世界。「見られる自分」を意識してプロデュースしている。

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2011年8月30日 (火)

衝撃と社会問題の境界は?

◇ファッション界の「モンダイ」ついでに、最近ニュースになっていたこと二つ。まずは10歳のセクシー美少女モデル。フランスのThylane Blondeauちゃん。4歳からすでにゴルティエのモデルとして「仕事」をしていたが、この春、フランス版の「ヴォーグ」であまりにも妖艶な姿で登場、物議をがもした。

Thylane_blondeau

チャイルドレイバー? という問題ではなく(そんなこといったら日本のあの大人気の子役だって)、10歳の少女をセクシャルに演出するのはいかがなものか? という問題。

過去にも、ブルック・シールズが15歳でカルヴァン・クラインのジーンズのモデルとしてセクシーに登場し、同じような議論を巻き起こしたことがあるが。今回のモデルは、10歳である。問題視するのは当然ではあると思うが、正直言って、こういう表情&ポーズができる10歳の女の子がこの世に存在する、という事実そのものが、衝撃だった。たぶん、ヴォーグが狙ったのもその「衝撃」だと推測する。衝撃は、理性的な美に勝る。これはモード界のルールといってもいいほどだが、衝撃を狙いすぎた結果、社会問題となることも。その境界はいったいどこに?

◇もうひとつ。こっちはイタリア版「ヴォーグ」。8月5日、ウェブサイトに、トレンドになっている巨大なゴールドのフープイヤリングを「スレイヴ・イヤリング(奴隷イヤリング)」と表現して、バッシングを受ける。

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「カラード・ウィメン」の装飾の伝統からインスピレーションを得た「スレイヴ・イヤリング」、と書いたのは、アンナ・バッシ。

Jewellery has always flirted with circular shapes, especially for use in making earrings. The most classic models are the slave and creole styles in gold hoops.

If the name brings to the mind the decorative traditions of the women of colour who were brought to the southern Unites (sic) States during the slave trade, the latest interpretation is pure freedom. Colored stones, symbolic pendants and multiple spheres. And the evolution goes on.

「レイシズムである」「奴隷制を美化するのは何事か」という非難の嵐を受け、イタリアン・ヴォーグ側は謝罪。「イタリア語から英語への翻訳が問題だった。差別的なニュアンスはなく、<エスニック>という程度のニュアンスだった」と。現在は、「エスニック・イヤリング」と改称されている。まあ、イタリア人が「奴隷」というのと、ほかならぬアメリカ人が「奴隷」というのとでは、ニュアンスがまったく違ってくるだろう。

モード界はあらゆるものから平等に(偏見なく)インスピレーションを受ける。いいこともあるが、今回のように、悪気はまったくなくても、思わぬ社会問題(というほどでもないかもしれないが)の引き金になることがある。どこで線を引くか。そこに知性とセンスが問われるらしい。

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2011年7月22日 (金)

まばゆいグローバルモードから、アトリエの職人技の時代へ?

ガリアーノが去ったあとのクリスチャン・ディオール。とくに新デザイナーを立てるわけではなく、この前のパリ・コレクションでは、ショウの最後に、アトリエの責任者として(クリエイティブディレクターとしてではなく)、ほぼ無名のビル・ゲイッテンと助手のスザンナ・ヴェネガスが登場してあいさつをした。

メディアでのディオール評価は芳しくなかった。なんといってもまだガリアーノの幻影が漂っているのだ。あの刺激と比べてしまえば、地味なアトリエデザイナーたちの技術だけで組み立てたような作品が満足を与えるはずがなかった。

で、ディオール社長のシドニー・トレダノや、ディオールを傘下におさめるLVMHグループのベルナール・アルノーはいったいどうするつもりなのだろう?というのは誰もが思うことなのだが。"Newsweek" 7月11日付にロヴィン・ギヴァンの記事あり。長い記事だが、以下、心に残った要点の概要のみ記しておきます。

ガリアーノの「メルトダウン」(とギヴァンは表現)は、アルノーに方向転換を考えさせたようだ。ディオールという華やかなメゾンを実際に支えているのは、地道にアトリエで働いている人たち。彼らの多くはパリではないところに住み、地に足をつけて質素な生活をしているつつましい人たち。このアトリエのチームとしての力に脚光を当てよう、とアルノーは考えたようだ。

グローバルで、幻惑的な、ステイタスを背負った帝国を、何か別のものへ方向転換させるタイミングが来ている、とアルノー。キーワードは、intimate, Old World, artful. 今こそその時期だ、と。

ロックスターのようなデザイナーは、現れては去っていく。だが、よい作品は永遠に残る、とアルノー。

記事以上。

なるほど、アルノーほどの人が、「時期デザイナーが決まらない」という理由だけで中途半端なコレクションをするわけがないと思っていたが、やはり、この人なりの、時代の先を見据えた考え方があったわけである。

まばゆいスターデザイナーの時代から、職人の匠に支えられた、昔ながらの親密なアトリエの時代へ。アルノーの「次の一手」は、はたして次の時代への先駆けとなるのか、それとも、空回りに終わるのか。Let's see.

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2011年7月16日 (土)

「根っこさえあれば、何度でも復活できる」

7月13日(水)に行われた、シャネル(株)代表取締役社長、リシャール・コラス氏の特別講演。明治大学商学部主催のファッション・ビジネス特別講演シリーズ、前期の最終回である。

リシャール・コラス氏の今回の講演のテーマは、LUXEのプレイヤー(コラス氏はactorという言葉を使っていらしたが)。ブランドのトップによって戦略が変わるということを、具体的なラグジュアリーブランドの例を引き合いに出しながら、お話いただいた。個人的にはツボにどまんなかというか、大好きすぎるほどの話だったので、わくわくしながら拝聴。「事実」やデータの裏にある、さまざまな人間くさいお話は、やはり「プレイヤー」のひとりでなくては語れない内容。ジョークを交えてのとても楽しい90分で、時にげらげら笑いながら、あっという間に時間がきてしまった。以下、とりわけ印象に残ったお話の概要を、ランダムにメモ。

・Boom, Consolidation, Expand, Crisis ときて、ラグジュアリービジネスの今はReboundの時期。

・リーマンショック後のラグジュアリービジネスの動向。アメリカは回復が早く、すでに「健康的」な数値を見せている、ということに軽く衝撃を受ける。2010年は日本以外は成長していて、なかでも最大の伸び率を見せているのが中国であり、なんと30%増。日本だけがマイナス10%という「非健康的」な伸び率。要因は2つ。まずは、日本はすでにマチュア・マーケットになってしまっており、おじいさん、おばあさんの世代は富のシンボルとしてラグジュアリー製品を購入したが、豊かになった日本の若い世代はもはやラグジュアリー製品を買う必要を感じていない。その2。観光客を呼べなくなった。これまでは中国人が来るときだけ売れたということがあったが(日本での売り上げの20%が中国人観光客によるもの)、これがなくなった。ただし、観光客を呼ぶためのインフラをどんどん作れば、第2のブームがくる可能性はある。

・ラグジュアリー市場は全世界で20兆円。かなり巨大なマーケットである(スイス、マレーシア、エジプトの国全体より大)。ちなみに日本は436.7兆円。

・キープレイヤーであるLVMH、PPR、リシュモンなどの、それぞれの歴史と市場規模、店舗数、売上高なども、数値をすべて示して教えていただいた。なかでもトップの考え方がわかるエピソードが印象に残る。たとえばLVMHのベルナール・アルノー。彼はアメリカで不動産業などにも携わっていたのだが、ブランドビジネスの重要性に気づいた。気づかせてくれたのが、NYのタクシーの運転手。「NYのタクシーの運転手は、フランス大統領の名前を知らないのに、クリスチャン・ディオールを知っている」。で、アルノーはクリスチャン・ディオールの買収にも成功している。

・エピソードの続き。リシュモン・グループのカルティエ。70年代にペランが、「マスト・ドウ・カルティエ」(豊かになる人は、これを持たねばならない、としてカルティエ製品を位置づけ)を提案して以来、急激に伸びる。ぺランは、ラグジュアリーのなかにマーケティングを持ち込んだ最初の人。これ以来、ラグジュアリーは大衆的になっていく。ちなみにぺランはただのセールスマンだった。

・グッチの場合。オーナーのパワーによってブランドの元気が左右されている、もっとも顕著な例。

・ラルフ・ローレン。ローレンはWASPではないが、WASPのコードを引っ張って大衆に夢をもたせることで、ファッションブランドを成功させた。日本では西武百貨店と組んでライセンスビジネスもおこなっているが、本家ものも同時進行。ライセンスがあってもイメージダウンせず、ライセンスと本物を共存させ成功させている、唯一の例。

・ブランドのオーナーが変われば戦略も変わり、元気になったりそうでなくなったりする。上場すれば、3か月ごとに株主の前で報告しなくてはならないので、いやでも短期的戦略をもたざるをえない。短期的戦略をとれば、ブレることが多い。軸がブレると力が落ち、そこをついてニセモノもふえてくる。

・シャネル社は上場していないプライベートカンパニー。非上場のため、売上高なども公開していない。だからこそ、ブレない戦略をとることも可能。

・ブランドにとってのデザイナーとはどのような位置づけなのか? (これは学生の質問に答えての話)  ブランドに雇用されるデザイナーには、ブランドのエスプリ把握とデザイナーのセンス、両方が求められる。デザイナーが交代するのは、往々にして、ブランドのエッセンスをつかみきれていないとき。ブランドのエッセンスのなかに自分のパワーを入れているデザイナーが、成功する。カール・ラガーフェルドはそのよい例。ココ・シャネルの名言のひとつに、Fashion Fades, Only Style Remains. というのがあるが、「スタイル」というのがほかならぬブランドのエッセンス。かといって移り変わる「ファッション」も不可欠。移り変わるファッションと、根っこの部分にあるスタイル、ブランドにはこの両方が必要なのだ。根っこ、すなわち伝統と歴史さえあれば、ブランドは死なず、またいくらでも元気になりうる。ブランドは何度でも復活できるのだ。その点で人間と同じである。

などなど、興味は尽きなかった。ブランドとは、とても人間くさいもので、またブランドの成長過程は人間の成長にもなぞらえることができるものだということまで、教えていただいた。コラス先生、および招聘してくださった商学部に心より感謝します。

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