2009年9月17日 (木)

ヴェストが姿を消していた理由

◇昨日の「スリーピース復活」の話題を、従業員から社長さんまで三つ揃いで決めている高橋洋服店@銀座のタカハシ社長に、他の用事ついでにお知らせしたところ。

「第二次大戦中、節約のために既製服の三ツ揃が禁止になって、
そのまま背広が上下になってしまっただけという経緯があります。
背広は本来、上中下の物なので、
スーツにチョッキが付いてるのは当然と言えば当然なんです」

というお話を教えていただいた。「節約のための三つ揃い禁止」! そういうことがあったとは。

◇薬物で逮捕・保釈された女優の謝罪会見。薬物に手を出したという行為については、法で裁きを受けることになるだろうから、何も言うことはないし、その心の弱さや社会的無責任を糾弾したりする資格も私にはない。彼女に対するスタンスとしてはファンでもアンチでもなく、逮捕されて初めて顔と名前が一致したほどだった。

そういうわけで、とりわけ強い思い入れも偏見もなく、行為の善悪を問題にするつもりもまったくなく、ただ、謝罪会見中、ずっとアップで映し出されていた顔を淡々と眺めていたのである。するとちょっとした発見があった。

「大粒の涙」の美しい落とし方である。

あれだけの量の涙をぼろぼろ流せば、ふつう、ファンデは落ちるわアイメイクはにじむわで、顔は汚くなるものなのだが、彼女はその点を難なくクリアしていた。ウォータープルーフのマスカラを上下にたっぷり、は当然としても、ポイントは、下まつ毛である。うるうるうると涙があふれてきたと思ったら、涙の粒は、長い下まつ毛を通って、ぽたっと丸い「滴」となって、顔にふれることなく、下に落ちたのである。下まつ毛の長さが足りなければ、こうはいかない。

顔を伏せる角度も絶妙であった。正面から見れば、長く濃い上まつ毛が影をおとし、その影から、涙の粒が、はらり、はらりと落ちる。横から見れば、下まつ毛のカーブを通って、涙滴が落ちて行く。顔を汚すことなく。それこそ「マンガのように」涙の粒がきれいに落ちていた。

それが左右各5,6滴ぐらい。あとは顔をあげて話しながら涙を流していたので、ふつうに顔の上に「流れて」いったが、そのときはすでに目元やファンデの崩れよりもむしろ、つやつやのリップグロスを施された口元のほうに目を奪われている。

計算ずくのことなのかどうかは私の目にはわからない。何も意識しなくても、人を魅了するふるまいが自然にできる天性の女優なのかもしれない。結果的に、美しい涙の落とし方というものを具体的に見せてもらった一場面になった。

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2009年9月15日 (火)

王室とビジネス

◇英国のチャールズ皇太子が、自身のオーガニックブランド「ダッチイ・オリジナルズ」を、スーパーマーケットの「ウェイトローズ」で独占的に販売する契約をした、というニュース。

今後、ダッチィーズのブランド名は「ダッチイ・オリジナルズ・フロム・ウェイトローズ」という風に変わるそう。チャールズ皇太子としては、収益を自身のチャリティ基金のほうへ、より安定した形で回したいという思いがあったようだが。母のエリザベス女王ならけっしてロイヤルブランドを収益目的で使うようなことはしなかっただろう、という批判的な意見もちらほら。今後どういう展開になるのか、見守っていきたい。

◇パトリック・スウェイジの訃報にショックを受ける。日本では「『ゴースト』の相手役俳優」というような位置づけで伝えるメディアが多かったが、アメリカとイギリスの新聞の多くは「ダーティーダンシング」のスターとして報じていた。いずれにせよ、作品名を挙げただけで世界中の多くの人がその顔を思い浮かべることができる出演作品が少なくともひとつある、ということは俳優として幸せなことのようにも見える。でも57歳というのは、あまりにも若すぎる・・・・・・。ご冥福を祈ります。

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2009年9月14日 (月)

メンズファッションにも、「透明性」

◇ニューヨーク・ファッションウィーク関連で目につくニュースが、ヴィクトリア・ベッカムのコレクション。ヴィクトリアが着たら似合いそうな超ボディコンシャスで大胆なドレス(要コルセット)が多いが、今のところ、批評家ウケも悪くないようだ。

それにしても彼女はどこまでいくのか。ポップスター→世界一有名なサッカー選手の妻→三児の母→アルマーニの下着モデルになるほどのファッションアイコン→ファッションデザイナー・・・・・野心も大きいが、それをかなえるエネルギーといい、ストイックなほどの努力といい、ここまでくるといかなるやっかみも寄せ付けないレベルである。あっぱれ。

◇先日、消費のトレンドとして「透明性の勝利」というキーワードがあると書いたが、来春夏のメンズファッションでも、「透明性の勝利」としてくくられそうなものがちらほら。ヒューゴ・ボスのナイロンコート、カルバン・クラインのスケスケのシャツ、アルマーニの半スケのカーディガン、ガリアーノの「アラビアのロレンス」風巻きもの、などなど。

いや、この場合、透明性に重点があるというよりもむしろ、一枚透明なヴェールを通してその奥に視線をさそうことにポイントがあるように見える。上品に透けていたら、どうしたってその奥を想像したくなる。こんなメンズスタイルは、ひょっとしてあれかな、近頃の自称「草食系男子」の、「受け身を装った誘惑」というずるいテクニックと連動するのかな。

断るまでもないが、この場合の透けは、「ランニングが透けてます」の場合の透けとは、ぜんぜん意味が違う透けである。

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2009年9月 7日 (月)

「友愛ファッション」に期待

「WWD」9月7日号(vol.1542) 最後のページの「鳩山新総理に着てほしい『友愛ファッション』はコレだ!」が、おもしろかった。

鳩山さんの顔写真と、4種類のハデハデなファッションの写真が合成してあるのだが、それがもう、似合いすぎて素敵すぎて・・・。(こういう合成写真は、肖像権上だいじょうぶなのかな?とちらっと心配になったが)

パーティーでドルチェ&ガッバーナのピンクのタキシード、スキー場でモンクレールの赤青ライン入り真っ白のスキーウエア、ジャパンをアピールするスタイルとして東コレブランドのヨシオ・クボの赤&黒スーツ、ジョン・ロレンス・サリヴァンのゴールドの「宇宙人」ジャケット。鳩山さんなら、なるほど、ぜったいに着こなせるな~と半ば真剣に期待してしまう。

鳩山夫妻の、海外での公式行事のファッションがなんだか楽しみになってきた。

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2009年9月 3日 (木)

透明性の勝利

これもこぼれおちたネタ。政治でも、会社や学校の経営でも、商品の販売においても、芸能人のプロフィルでも、透明性を高めたほうが信用につながり、客が集まる、という「トレンドウォッチグ・ドットコム」のリポートがおもしろかった。名づけて、透明性の勝利(transparent triumph)。

商品のレビューサイトとか、質問がきたら即対応するカスタマーサービスの体制とかもそうか。なんだか買う前から、行動する前から、先が見えているようなスケスケ感に現代人は安心するんだろうか。

私は何かを見たり買ったりするときに、レビューサイトは努めて見ない。「みんなの意見」の「みんな」にだいたいはあてはまらないあまのじゃくということもあるが、まったく情報がない状態でモノや作品に接するほうが、自分のほんとうの反応と向き合う冒険(というとことばがデカいが、未知のものに向かうワクワク感という程度のニュアンス)にもなるし、自分にとっての価値を問う訓練にもなる気がするのである。いろんな人の意見を読んだり聞いたりするのは、「あとから」のほうが、がぜん面白い。

政治や会社や学校を選ぶときは、もちろん、ある程度事前情報が多い方がいいと思うが、それにしても、透明性に悪乗りしたとしか思えない、偏狭すぎる感情的な情報まで同じ「情報」として並列されるのはいかがなものかと思うことがある。

だから逆に、情報をすべて丸飲みせず、そこからノイズを排除していく読解力を高めていかなくてはならないことになるはずだが、それを面倒と感じる人が多いのか、ノイズばかりかノイズでないものまでカットされた、シンプルすぎるスローガンがもてはやされていく。「ユウセイミンエイカ」とか「セイケンコウタイ」とかもその一例。タイトル以上のことは何も語っていない「ベストセラー」とか。

透明性が勝利し、たくさんの情報が質にかかわりなく量として集まりすぎる時代には、皮肉なことに、単純きわまりない一つの「透明すぎる」スローガンに大衆は群れる。こんなんでいいのか。

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2009年6月 4日 (木)

デイヴィッド・キャラダイン 冥福を祈ります

「キル・ビル」のデイヴィッド・キャラダインが72歳で没。

新作映画「ストレッチ」撮影中だったとのこと。英「インデペンデント」によれば、クローゼットの中で半裸状態でカーテンコードを首と性器にまきつけて亡くなっていたのをメイドが見つけた。自殺ではなく、事故死では、と同紙はほのめかす。なにがあったのか、詳しい調査を待つしかないが、タランティーノによるキャリア復活の「キル・ビル」ではほんとうにかっこよかった。冥福を祈ります。

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2009年6月 3日 (水)

スーザンの入院

英メディアのスーザン・ボイル報道が目立つ。「ブリテンズ・ゴット・タレント」決勝で負けたあと、ロンドンのホテルで「異常な行動」をとるようになり、救急車でプライオリ・クリニック(精神病院)に運ばれ、入院したとのこと。

ブラウン首相までもが番組プロデューサーに彼女の容態をチェックするよう電話したとか、文化相も動き出したとか、もはや国家的関心の的のようである。

決勝でいちばんいい思いをしたのは、賭け屋。ほとんどの人がスーザンが勝つことに賭け、結局胴元がいちばん儲けた。

スーザンは生まれた時の酸素不足が原因で、LD(学習障害)だったことも報じられた。恋愛経験のひとつもない地味な47年間のあと、一夜にして世界的有名人になり、メディアに連日あることないこと報じられ、多大な期待と賞讃の声を寄せられ、莫大な金額の賭けの対象にまでなり、あげくのはて、そんな視聴者が選んだのは自分ではなかったと知る・・・。こんな、歴史上の誰も経験したことのない短期間の激しいアップダウンに見舞われれば、誰だってメンタルヘルスに異常をきたすだろう。

コントロールできないほどのストレスでダメージを受けてしまったスーザンの心中を思うと胸が張り裂ける思いがする。彼女をめぐる報道をつい読んでしまい、反応してしまうミーハーな自分もまた間接的に騒動拡大に加担している一端になるのかと思うと、情けなくいたたまれなくなり、自己嫌悪に陥る。でも、多くの人が、彼女からあきらめずに生きる勇気と希望を得たはずだと思うと、無視することもできない。さまざまな矛盾に、答えが出ない。スーザンの回復を願い、一週間禁酒することにする。

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2009年5月 6日 (水)

ジェイコブス、ではなく ジェイコブズ、と書きたいのだが。

なにかと話題をふりまいてくれるマーク・ジェイコブ(Marc Jacobs)なので、よく記事のネタに取り上げます。で、そのつど、校閲さんから「ジェイコブ」に直すよう指示がくるのですね。日本の代理店も「ジェイコブ」と表記してるからってことで。

日本におけるブランド名がそういうふうに通っちゃっているならもちろん、日本の媒体での記事中の表記はそれに従いますが、でもいつもなんとなく気持ち悪さが残るのです。ニュースなどでは「ジェイコブ」と発音されるように聞こえるし、「固有名詞英語発音辞典」(三省堂)をひいても、Jacobsは「ジェイコブ」と発音するのが正しいことがわかります。

なんで日本語になるとこうなっちゃうのだろう? とずっと薄気味悪く思っていたのですが。 

先日、ピーター・バラカンさんと対談した時に(すいません、OPENERSでのアップが遅れております。もう少しお待ちください)いただいたバラカンさんのご著書「猿はマンキ、お金はマニ」(NHK出版)のなかに、膝を打つような指摘がありましたっ。

日本のミーディア(メディア、と書かないところにバラカンさんの主張あり)がまちがった発音やおかしな発音を伝えており、これが日本人の英語がなかなか通じない原因の一つにもなっている、と。

バラカンさんは、野球チームの例をあげます。ニューヨーク・ヤンキー(New York Yankees)と表記されるのが通例になってますが、これは当然、「ヤンキー」であるべきと。同様にDodgers は「ドジャ」、Tigersは「タイガ」と表記されるべき、と。

複数形のsの読みが「ス」と濁らないのは、その前の文字が無声音(c,f,k,p,t)のときだけ、というのは学校の英文法でも教えているはず。

わざわざへんな発音にして、日本のカタカナ語として定着させてしまうのは、「このことばはもう、英語じゃないから。日本語として日本の慣例にしたがってもらうのでよろしく」っていう日本語の意地?みたいなもんなんだろうか。

というわけで、私が「ジェイコブ」と表記しつづけるのは、このほうが正しいのではないかと思っているからです。とはいえ、実際にこのブランドを取り扱う日本の代理店が「ジェイコブ」と書け、というならそれは「ご本人代理」の方からの指示とうけとめて従います。その程度の正しさではありますが。

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2009年5月 4日 (月)

女帝編集長?

米ヴォーグ編集長アナ・ウィンター(「プラダを着た悪魔」のモデルになったといわれるあの人ね)が、ある新聞のゴシップ欄でエディトリクス(editorix)と呼ばれていた。

editor(編集者)とdominatrix(女帝)をくっつけたことばだと思うんだけど、女帝編集長?独裁女編集長? っていうニュアンスでいいのかな。まだ用例は少ないようだ。

キレのいいことばで、なかなか気に入りました。

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2009年5月 2日 (土)

ミシェル・オバマの100日

ワシントンポストのファッションジャーナリスト、ロビン・ギヴァンによる「ミシェル・オバマの100日」というフォト記事に目が釘づけになった。

就任式から100日を経たアメリカのファーストレディの活躍を、ファッションで追っていくのである。就任式、公式写真、ホワイトハウス案内、G20訪問、エリザベス女王に謁見、カーラ・ブルーニとの「対決」、スクール訪問・・・各シーンで賛否両論を巻き起こしたが、いずれにせよ意図的な服装戦略がとられていることがわかる。ミシェル・オバマは明らかに「ファッションの歴史」に名を残す人だ。

ヨーロッパではフランスのカーラ・ブルーニ・サルコジと、スペインの皇太子妃レティシア(離婚歴のある元ジャーナリスト)のファッション対決(とりわけ二人並んだ後姿がうっとりもの・・・ほんものの美女は後姿に意識を注ぐ!)が華麗にことこまかに報じられ、こちらもたっぷり目の保養をしつつ、フランス・スペイン関係がどんなものか、さわりだけでも学ばせていただきました。

こうやって注目を浴び続ける当の本人たちはたいへんな苦労をしていることとは察するが、でもちゃんと世界に向けて、絶大な国のパブリシティをおこなっている。遠い国の、私のようなミーハーな人間は、ファッションを通して、「ああ、こんなことが起こっているのか」とぼんやりとでも時事を知ることができる。

ファッションがそんなふうに政治欄にも食い込んでくるような国では、ファッションジャーナリストも育つ。ワシントンポストのロビン・ギヴァンはピューリッツア賞をとっているし、インターナショナル・ヘラルドトリビューンには名物記者スージー・メンケスがいる。タイムズではリサ・アームストロングが独特の着眼点で記事を書くし、テレグラフにはおなじみヒラリー・アレグザンダーがいる。(フランス語圏とスペイン語圏のことはよくわからないが)

ファッションをとやかく言っちゃいけないような無言の圧力のある日本では、政治や外交の場に出ていく女性は(男性もだが)、自分の服装ができるだけ話題にならないような(としか見えない)無難な装いが多く、骨太な社会派ファッションジャーナリストが育つ土壌もあんまりない。それはそれで日本的な美点かもしれないとも思うのですが。

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