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2012年1月

2012年1月31日 (火)

「あらゆる良きものは終わりを迎える」…のか?

1994年にスタートした「D&G」が、今シーズン(2012 春夏)をもって17年の歴史の幕を閉じる。今後は、メインブランドである「ドルチェ&ガッバーナ」に一本化していくようだ。「ハイ・キャンプ」なイメージを強く帯びるD&Gのロゴは、今後、メンズのベルトやTシャツに使われていくという。

"All good things come to an end"(あらゆる良きものは終わりを迎える)と題された英「インデペンデント」の記事。1月30日付。

http://www.independent.co.uk/life-style/fashion/features/all-good-things-come-to-an-end-6296402.html

このD&G終焉の理由に関しては、昨日付「WWD」vol.1672 の巻頭、編集長の山室一幸さんによる記事で、衝撃をより深くした。「ファッションと出版物の類似品問題を正す!」というタイトルがつけられた、心を揺さぶられずにはいられない内容だったのだが。D&G問題を氷山の一角とする根が深い問題だと感じたので、かいつまんで紹介。

デザイナーが半年間、心血を注いで作り上げた作品が、またたくまに平然とコピーされ、安価なファストファッションとしてストリートに並ぶ。この事態がすっかり容認されてしまっている現在の事態は、ファッション文化の発展を阻害するゆゆしき問題、という指摘から始まる。

D&Gが撤退を余儀なくされたのも、日本のガールズブランドをはじめとするコピー商品が市場に氾濫し、オリジナルが店頭に並ぶ頃にはすっかり陳腐なものに見えてしまった結果、ビジネスに支障をきたしたことに起因する、と。

そういう哀しすぎる現状があればこそ、オリジナリティとにせものをきっちりと見極めることがファッション・ジャーナリズムに求められる使命である、と山室さんは考える。

しかるに。

昨年12月に伊藤忠ファッションシステム社から創刊された"Style Sight by Fashion Freak Tokyo"が、レイアウトからタイポグラフィ、内容にいたるまで、INFAS(WWDを発行する会社)が発行している"Fashion News"と瓜二つである事実が、証拠としての写真とともに紹介される! 

「奥付に弊社が依頼したグラフィック・デザイナーの名前がクレジットされているので、おそらくは保管されていたレイアウトデータを流用したものと推察される。法的な見地からすれば、『デザインの著作権はクリエイターに帰属するもの』という主張もあるのだろうが、雑誌は編集部スタッフとアートディレクターとの共同作業によって生み出された『作品』である。一緒にモノ作りに携わってきた" 同志"の心情を裏切る行為は、果たしてプロとして道義的に許されるのだろうか。誌面を眺めながら、私たち編集部はドメニコ・ドルチェやステファノ・ガッバーナも味わったであろう、砂を噛むような失望感を抱いた」

山室さんはあくまで冷静な筆致で記しているが、どれほどの失望感と悔しさであっただろうか。

クリエイションそのものばかりではなく、それを報じるジャーナリズムのほうにも、「パクリ」が平然と行われ、その事態が罰せられず容認されてしまっているという、すさまじい現状。

ただのファッション界の内紛、として片づけられるような問題ではないと思う。日本人があたりまえのように持っていた良きモラルが、その大前提から失われてしまっている。「あらゆる良きものは終わりを迎える」。ここにおいてもか?

「広告クライアントに気を配り、コピー商品までもが誌面を席巻するようになった結果、クリエイションの真贋やプロとアマチュアとの境界線が曖昧になりつつある中で、ジャーナリストや編集者がオリジナリティを見極めていく真摯な姿勢なくして、日本のファッション文化は成熟しない」と山室さんは凛と高い志を示す。負けずにがんばってください!

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2012年1月30日 (月)

「東コレは多摩川のバーベキューか」

「WWD」本日付のvol.1672、「ファッションはニュースだ!!!」。斎藤和弘さんとWWD編集委員の三浦彰さんによる、ずばずばとファッション界の核心をつく対談の連載で、毎号、楽しいというかコワ面白い。その第18回めにあたる今日の「『坂の上の雲』と『川原でバーベキュー』」の話が、とりわけ興味深かった。

話題の本、『絶望の国の幸福な若者たち』の話から始まる。日本はこのまま沈没していくけど、若者はフリーターやりながら週末に仲間と川原でバーベキューやれたら幸せ、みたいな論調はどうなんだ、と。

現代の20代の「川原でバーベキュー」派に対して、幕末や明治の若者は、視野を世界に向けて野望を追いかけた「坂の上の雲」派。現代の若者は、サッカーや野球、金融業界などに多い「坂の上の雲」派と、「川原でバーベキュー」派とに、真っ二つに分かれている。

で、ファッション業界の若者はと言えば…。

「三浦: 追いかけないよな。パリコレに出たいとか誰も思わなくなってるんじゃないの。東コレの仲間うちでワイワイ楽しく騒いでさ、同じだよ、川原でバーベキューしている連中と(笑)。東コレは多摩川のバーベキューか」

ぐさっとくるような表現かもしれないが、たぶん、当たってるんだろうな。

でも、ファッション業界であってもビジネス系は「坂の上の雲」を見ていると斎藤さんは指摘。さらに、高い志を抱くのは地方の人であることを三浦さんは指摘。ユニクロの柳井正氏は山口、アイジーエーは福井、ポイントの福田三千男氏は水戸、パルの井上(英隆、隆太)氏は大阪、そしてクロスカンパニーの石川康晴氏は岡山。

「斎藤:地方からは『坂の上の雲』が見えるけど、多摩川の川原から『坂の上の雲』は見えないってことかな」

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2012年1月29日 (日)

ダーツとプリーツとピンタックとギャザーの違いがわかるか?

移動の途中に見始めた「スタイリスタ」というアメリカのテレビドラマ。「サライ」前編集長の河内さんが、絶対面白い!とのお墨付きで送ってくださった(ありがとうございます!)のだけれど、第2話まで見て、完璧にハマる予感。アメリカとカナダで放送されたのが2008年らしいが、古い感じはしない。

「ELLE」編集部で編集者として働きたいという野望を抱く若い人が11人。毎回、課題が出され、一人ずつ「落第」者が脱落していくという、ファッション界の熾烈なサバイバルドラマ。「プラダを着た悪魔」の世界を、さらに具体的に、生々しく、リアリティ番組にしてみせた感じ。H&Mの服がたくさん出てくるし、勝ち残った人にも一年間H&Mが提供されるというから、スポンサーとしてこの会社がついてるのかな?

課題がまた興味深くて、たとえば、30分以内に「ニットでウォーヴンで、エンパイアウエストでピンタック、セットイン・スリーヴでダーツがあってファネルカラー」のコーディネイトを作れ、とか。なんじゃそれ?と言ってるようではファッション誌の編集者にはなれないのですな(笑)。

グループごとにつくる編集ページの審査もスリリングで、およそあらゆる雑誌の編集者はこの審査の場面だけでも見るべきなんではないか?(具体例を通じた、刺激的な勉強になる)と思ったりもして。

おそろしいのは、このコンペティターが全員、同じ宿舎で暮らし、むき出しの敵意や悪意もさらけ出しあうこと。ドラマだからだとは思うけれど。毎回、脱落者が去っていくシーンで終わるというのも、後味がよいわけではない。

でも、そんなこんなの苦さも含めて、続きを見ずにはいられなくなる。

Stylista

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2012年1月28日 (土)

「かっこよくない」制服の魅力

矢口史靖監督「ロボジー」。丁寧にやさしく作られた、ウェルメイド系ドタバタコメディ。ところどころご都合主義で、予定調和の笑いの世界ではあるけれど、そういう世界にはそういう世界なりのよさがある。不快なところがどこにもなくて、とりわけ木村電気のダメダメ窓際社員3人に癒されました。色気を徹底的に配した木村電気の制服がなんともいい味わい。「かっこよくない」制服のよさというものを再認識。DOMO ARIGATO。

Robojie

ロボット爺さんの五十嵐信次郎ってミッキー・カーチスだったのですね。主題歌のMr.Robotをカバーしているのが「五十嵐信次郎とシルバー人材センター」。なんともニクい感じ。いま朝日新聞も「シルバーモデル」の記事を連日掲載している。芸能界やモデル界って、潜在的なシルバー人材の宝庫なんだろうな。

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2012年1月27日 (金)

「ふつう」はないNYファッション業界

ダイアン会長がらみでもうひとつ。CFDAは、今シーズンの「ヘルス・イニシアティヴ・ガイドライン」を発表。2007年から出されているもので、毎シーズン更新されているらしいが、あんまり解決になってない(業界内の誰も従ってない)と見える…。気になった部分だけを大雑把に抜粋。

・摂食障害がいかにして起きるか、その症状、治療法などを学ぶワークショップをおこなうこと。

・16歳に満たないモデルを雇わないこと。撮影やフィッティングにおいて、18歳に満たないモデルを真夜中過ぎまで働かせないこと。モデルの年齢をIDで確認すること。

・喫煙やタバコの害に対する認識を高め、バックステージではそのような影響のない環境を保つこと。成年に満たないモデルにはアルコールを禁止すること。

逆に透けて見えるのが、モデルの若年化や拒食症、飲酒・喫煙などの問題がいかに広がっているのかということ。真夜中過ぎまで仕事するクレイジーな業界の内情。

若すぎやせすぎのモデルばっかり、という事態の反動みたいに「プラスサイズ」のふくよか(すぎる)モデルがヌードになってみたりとか。なんだかアメリカは極端。「ふつう」の中年モデルはいないのか。「ふつう」だと誰も関心を抱かない、というのはわかるけど。

↓CFDAの発表全文。

http://www.cfda.com/health-initiative-guidelines-updated-by-the-cfda/

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2012年1月26日 (木)

「赤いソール」裁判、第2ラウンドへ

ルブタンとサンローランの「赤いソール」をめぐる裁判は、まだ終わってなかった。

今週の火曜日(24日ですね)、CFDAの会長でもあるダイアン・フォン・ファステンバーグにつきそわれ、ルブタンが直々にNYの裁判所において訴える、というニュース。

発端は2011年の4月。サンローランがリゾートコレクションにおいて、ソールまで真っ赤な靴を発表したところ、ルブタンが商標権の侵害だとして訴えた。

ルブタンの弁護士は、「ルブタンの赤いソール」は「ティファニーのブルーボックス」と同じように、トレードマークとなっており、これが守られるべきだと主張。

が、サンローラン側の弁護士は、「オズの魔法使い」でドロシーがはいたルビーレッドの靴や、ルイ14世の赤いハイヒールなどの「前例」をもちだし、赤いソールはルブタンの独創ではないことを主張。

判事ヴィクター・マレッロは、ルブタンの訴えを退けていた。(ラウンドワンはルブタンの負け)

これで終わったわけではない。

今月はじめ、YSL側は、第2ラウンドに備え、11人の法律の専門家の支持を集める。「創造と競争の自由を守るために、ルブタンの訴えは退けられるべき」と。

ルブタンはルブタンで、「赤いソールはとてもパーソナルなもので、私の人生と、20年かけて築き上げた私の会社の本質にかかわるもの」という姿勢を崩さない。

YSL側は強力なプロフェッショナル弁護陣で備え、ルブタンはNYファッション業界の大物を味方につけて闘う。さて判決はどう出るのでしょうか。

↓ テレグラフの記事。

http://fashion.telegraph.co.uk/news-features/TMG9039046/Christian-Louboutin-and-Diane-von-Furstenberg-take-on-the-New-York-courts.html

↓ Fashionista.com の記事。ルブタンの言葉が「WWD」から引用されていますが、このサイトは有料なので、無料で読めるこっちをご紹介。

http://fashionista.com/2012/01/diane-von-furstenberg-sides-with-christian-louboutin-at-louboutin-vs-ysl-court-hearing/

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2012年1月25日 (水)

「服装で損をしたくない」

銀座松屋のカリスマ紳士服バイヤー、宮崎俊一さんの『成功する男のファッションの秘訣』(講談社)。

適正価格(7万円前後)の、価格以上の価値あるスーツを正しく選んで長く着る、というビジネス仕様に徹した目線。歴史的なうんちくも、著名人エピソードも、美意識の押し付けも一切ナシ。ただただ、ビジネスマンとして恥ずかしくない服を正しく選び、着こなすためのハウツーが伝授される。「着るもののこと以外に考えることがたくさんある」という多くのビジネスマンにとっては、たぶん、このスタンスがスーツに対する標準スタンスなんだろうな。プロのバイヤーから見た、よいスーツの見分け方など、参考になる部分も多い。松屋のオリジナルスーツの宣伝のにおいもちらほらと出てくるが、そのことも含め、「実用」に徹した本ね。

「価格以上の価値」「服装で損をしないための、最低限のルールを理解」ということばに、日本のビジネスファッションの「本音」を垣間見る思い。服装ごときでソンをしたくない。きわめて日本人的なメンタリティなのかもしれない(合う合わないは別として、そういう考え方にも、一理あると思う)。

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2012年1月24日 (火)

もはやメンズ・スカートに誰もおどろかない

メンズのコレクション・サーキットがひととおり終了して、すでにさまざまな媒体で写真が出揃っている。

概観して、記憶にひっかかったものは、「へん」なのばかり。これは正気か、メンズの未来なのか、それともただのエンターテイメントか、あるいはヤケクソか、笑いを狙ったのか、とにかく、現時点においては判断不能で黙り込むしかないようなルックがいくつかあって、その最たるものがジヴァンシー。とくに、モデルがみんな鼻に洗濯ばさみみたいなピアス?をつけていたのだが、これを笑わずに見ることがどうしてもできない。

Givenchy_2

でもデザイナーなりの考えというのが、どこかにあるんだろう。その説明がぜひ聴きたい。

メンズに影響力の高いトム・ブラウンは、もっとぶっとんでいた。もうスカート男子ルックにはだれも驚かなくなっているが、このバランスはいったい…。

Browne

今、この時点でこれを見たらみんな笑うんだけれど(あるいは、がちがちのコンサバティブなら「世も末」などと言うかもしれない)、この影響力が2年後ぐらいの現実のメンズファッションに及ぶ可能性は、全くないとは言いきれないのですよね……。

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2012年1月23日 (月)

モダン・ジェントルマンの振る舞い方指南

もう一冊、買ってしまったハウツーの類。

Phineas Mollod & Jason Tesauro, The Modern Gentleman, 2nd ed.  A Guide to Essential Manners, Savvy & Vice.

こっちのほうは、内面的なケイハツばっかりではなく、振るまい一般に関する現代的な助言とか基準みたいなもの。SNSにおける振る舞い方に対する助言まであるあたりが今っぽい。

フラーテーションとセダクションの違いとか、シーツの間における振るまい方とか、元カノとの付き合い方とか、なにもここまで、というような領域にいたるまで、紳士的な振る舞いに関する助言がいたれりつくせり。言葉遊びも多く、ムカシの名作からの引用も的確で、いろんな角度から楽しめる本ではある。

たぶん、この種の助言はかつてならば、近所や親戚のちょい悪おやじが一杯やりながら教えてくれたりしたんだろうけれど、今はそういう付き合いも少なそうだものね。

現代の社交事情が、逆に透けて見える本として興味深い。

この種の本の助言通りに完璧に振るまう紳士がふえれば、世の中はより平和で暮らしやすくなるだろう。でも、完璧な紳士がまったく魅力的ではないのは、いつの世も同じ。だから、この本の素直な読者が増えれば、恋愛したくなるような面白い男はますます減るんではないかな? と妙な心配をしてみたりする。

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男の7つの美徳

ある男性誌の編集者に、ダメな男の条件を挙げてくれと聞かれて、「名言集とかハウツーものばっかり読む男」と答えたことがありました(そういう本をたくさん売ってる出版社だったので、結局活字にはならなかったけど)。

でも、ちょっと弱ってるときなんかについ買ってしまうんだな、この種の本。

The Art of Manliness: MANVOTIONALS; Timelss Wisdom and Advice on living the 7 Manly Virtues. by Brett and Kate McKay.

古今の偉大なる男の言葉のいいとこどりした名言集。7つの男の美徳とはすなわち、

Manliness(男らしさ), Courage(勇気), Industry(勤勉), Resolution(決断力), Self-Reliance(自信), Discipline(規律), Honor(名誉)。

各項目それぞれについて、散文や韻文やスピーチなどから拾い集めた名言のつなぎ合わせによって解説してある。ネタ本としてならいいけれど、やはりこれを「愛読書」として挙げることは憚られるような、そんなビミョウな位置づけの本。最初のバージョンが大ヒットしてこれが進化版、ということはやはりこういう手軽なジコケイハツ本は売れてるんですね。

あまりの「男らしさ」に魂をゆさぶられるような人というのは、こういう本の定義には決しておさまらないどころか、規格を大きくはずれていたりするんだけどね。「愛のむきだし」のユウくんとか。結局、その人が置かれてしまっている、世界でたった一つの関係性のなかでしか、男の美徳なんて考えることなどできないのよね。

……ということを、一般論を読むたびに、虚しく確認する。

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2012年1月22日 (日)

「俺は空洞」

不穏でむきだしの感情の嵐に翻弄される4時間……。ぐったり疲れて、放心。

園子温「愛のむきだし」。

一晩経って翌日。「ヨーコ」「ユウ」と叫ぶように互いの名前を呼びあう最後のシーンの激しい美しさを反芻していた。あの段階にいたるまでの長大な4時間があるからこその、深い感慨。カタルシスに至るまでの長い回り道という意味では「愛と誠」を思い出したし、相手の名前を呼ぶことが最強の求愛にして返答であることを思い出させてくれた点では、「卒業」のラストシーンを連想した。

まだまだ魂にひっかかってるようなシーンはたくさんあるのだけれど、文字にした途端に感情が整理されてしまいそうなのがコワい。定義づけ不能の感情が落ち着かずに暴れたまま。「むきだし」体験ビフォアとアフターで、ぜったい違う人間になっている…。

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2012年1月20日 (金)

「趣味は妻」

アンティークショップを営んでいる同窓生K田くんご夫妻に連れて行ってもらった店が、富山市総曲輪にある「ワイニスタ」というイタリアンの店。

Winista

富山の新鮮な食材を使った本格的なイタリアンで、コース料理のお皿それぞれに、料理に合ったグラスワインがつく。(そういうサービスが売り物の店)。なんやかやと6杯ぐらいいただいたが、お料理もワインも美味しく、オーナーソムリエ松谷幸司さんは、ジャニーズからの派遣ですかと思ったほどのイケメンでした。接客もさりげないのに温かくて、フォーマルなのにリラックスできるという、とてもいい雰囲気の店。また次の機会に伺います。

グルメでもあるK田君ご夫妻は、ご結婚なさってからお会いするのが2度目なのだが、なんとも素敵なカップル。K田くんの名セリフに、「趣味は妻」(!)というのがあるのだが、とにかく人前でも奥様への愛情をたえまなく表現するの。それが不快な感じを与えず、見ているこっちまで笑顔になってくるような自然な愛情表現なんだよね。日本の男でここまで照れずにやってのける人は見たことないけれど、いいなあと思う。奥様も愛されている幸福感にあふれていて、その二人の雰囲気が周囲に幸せのおすそ分けをしてくれる感じ。

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2012年1月19日 (木)

「エレガントでエレファントな教育」に感謝

富山県高等学校長協会の集まりにお招きいただき、「仕事と学び」をテーマに講演。校長先生ばかり約70名の前で私みたいなのがお話をするというのは場違いではないかとの遠慮もあったが、先生方はさすがオトナ、にこやかに熱心に聴いてくださって、楽しい質問もたくさんいただき、充実した時間を共有することができて嬉しかった。ありがとうございました!

富山で小・中・高の教育を受けたことは、本当に幸運だった。先生方が全人格をかけて教育にあたっている(少なくとも私はそういう先生たちに恵まれた)。学校が自分で学ぶことの楽しさを教えてくれたおかげで、塾も予備校も必要なかった。数学の証明問題ただ一問で、60分ドラマのようなドキドキの授業を展開してくれる先生がぞろぞろいらした。elephant (ごちゃごちゃと数式を連ねたあげくの解)ではなく、elegant(考え抜かれた末の、シンプルな証明による解)をめざせという教えは、今の仕事にも生きている。教室の外の生活は常に騒々しくエレファントだったが、おかげで、心身ともにタフに鍛えられたような気がする。

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人を幸せにするのは「もっともっと」という成長感覚

朝日のオピニオン欄、興味をそそられる人の登場が続く。18日付、経済学者ダニエル・コーエンのインタビュー、「経済成長という麻薬」。

人はどんなときに「幸せ」「快感」を感じるのか、という問題について、ユニークな一つの見解を示してもらったことが収穫だった。

「快感は成長が加速する時に得られるだけだ。(中略)人を幸せな気分にするのは成長であって、豊かさそのものではない。到達点がどこかは重要ではない。重要なのは、『もっと、もっと』という感覚だ」

「だから、大きな幸福感を得るときというのは、大変残念ながら日本も経験したように、すべてを破壊する戦争などのあとだ。とても大きな苦しみの後、30年にわたって幸せを感じることができる」

中国に活気があるのも、同じ理由から、と。

経済成長という、中毒症状を起こす麻薬のようなものから抜け出すには?

「自分たちの欲望を操っている法則を理解し、行動しなければならない。ただ残念ながら、人間がそうした法則を理解するのはいつも時代が次に移ってからだ」

経済成長が無理なら、代替を探さねばならないわけだが。

「たとえば知識の成長だったり、医療の成長だったり……。いずれにしても物質的ではない成長だ」

経済成長そのものが麻薬的な快楽であって、それがムリとわかっていても求めてしまうのは禁断症状。…ってなかなか過激な見方。これに代わる「もっともっと」という成長を、国家レベルでも個人レベルでも探さなくてはいけない時代にきているようだ。

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2012年1月18日 (水)

「ぬるい。」

朝日新聞のオピニオン欄、刺激的なインタビューが続いている。17日付の村上隆、「世界でトップをとる」も強烈だった。

「『クール・ジャパンなんて外国では誰も言っていません。うそ、流言です。日本人が自尊心を満たすために勝手にでっちあげているだけで、広告会社の公的資金の受け皿としてのキャッチコピーに過ぎない」

ファッションも含むコンテンツ産業の奨励に対しても厳しい。

「広告会社など一部の人間の金儲けになるだけ。アーティストには還元されませんし、税金の無駄遣いです。(中略)クリエーターの報酬もきわめて低いうえ、作業を海外に下請けに出すから、人材も育たない。地盤沈下まっただ中です」

必要なのは、著作権の整備である、という力説。

「映像化権などさまざまな権利も海外に取得されてしまい、日本側の収益につながらない。そんな状態でクールジャパンなどと浮かれていていいのか。もっとアーティストに利益が還元されるように、著作権をはじめとする法制度の整備が急務です。それなのに、日本政府はビジネスの現状も知らず、国際的な著作権の動向に関してはアメリカに主導権をとられてしまい、右往左往して何も有効な手が打てない」

ジャーナリズムにも問題アリ、と。

「ジャーナリズムは印象批評に偏っており、マーケットを蔑視している」

教育にはもっと問題アリ。

「美術大学は無根拠な自由ばかりを尊重して、学生に何らの方向性も示さない。芸術には鍛錬や修業が必要なのに、その指導もできない。(中略)あいさつさえまともにできず、独りよがりの稚拙な作品しかつくれない学生ばかりが世に送り出される。先鋭的なものは何も生まれてこない。だから、世界に出ていって通用する芸術家が日本にはほとんどいないんです」

日本がトップをとれない理由は。

「国内でそこそこ楽してやっていけるから、安心しちゃってる。地方自治体が街おこしにアートを利用するから、アーティストが結構楽にやっていけるので、海外に目が向かないし、無根拠にもの作りを推奨しすぎる。ぬるい」

ずばずばと真実をつく物言いに、圧倒されたり快哉を叫んだりしている場合ではないのだが。がつんと叱られた気分。マーケットは蔑視しているつもりはなくても、それをビジネスの観点から分析・研究して戦略を立てるという点が、自分の立場には、決定的に欠けていることをあらためて認識する。

エネルギッシュな言葉の数々、重たく受け止めた。

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2012年1月17日 (火)

お仕事バッグに男女の区別はいらないというトレンド

三越伊勢丹グループの紳士服販売担当の方々を対象にした研修で、紳士服の歴史に関するレクチャーをする。今年で3年目になるが、毎回、社員の方々のモチベーションの高さと熱心さに、こちらが刺激を受けてくる。

終了後に研修のマネージメント担当者と雑談していたときに教えられた売り場情報から、気になったこといくつか。

最近は、バッグの分野でメンズ・レディスの区別がなくなっている、ということ。たしかに、ビジネススーツ姿であっても、おしゃれめな男性は、ふつうにレディスの売り場で売っているような大きめの角型のバッグをもっている。男性誌も、女性用のビジネスバッグをお勧めとして紹介しているし、実際、荷物が多い男性編集者も、レディスのトートバッグを持っていたりする。

考えてみれば、お仕事仕様でもつバッグには、男女の区別はいらないんじゃないか。ラグジュアリーブランドではすでに境界はないところも多いが、百貨店の売り場でもそうした売り方をしてもいいのかもしれない。マーガレット・サッチャーの時代のように、どこかで「女性らしさ」や「男性らしさ」を主張しなくてはならない時代でもないのだし。(もちろん、バリバリに「男」や「女」を主張するバッグがあっても、当然いいとは思うけど)

もうひとつ。最近の若い人たちの結婚式では、男性は「黒いスーツに白ネクタイ」のガラパゴス・フォーマルなどムシして、思い思いにカラフルに装っている、ということ。若い人たちの結婚式に招かれることもなくなってきたので知らなかったが、事実だとしたら、よい傾向ね! フォーマルウエアに関しては、「何を着ればいいのか?恥をかかずにすむのか?」という不安をかかえて売り場にくる人が圧倒的に多いと思う。売り場主導でフォーマルの方向を導く(改める)ことの可能性の大きさを、考えさせられる。

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2012年1月16日 (月)

「毒の実」を取り入れて進化する

CGアーチストの河口洋一郎さんに、本郷の東大工学部河口研究室にての「新年会」にお招きいただく。種子島の生物をヒントに異形のSFちっくな立体造形アートをつくることで世界的に知られる方。

研究室には世界中から集められたというあやしげなオブジェや河口さん直筆の絵などがひしめいていて、工学部なのか美術学部なのか生物学部なのか雑貨屋さんなのかわからない異次元な雰囲気。写真はアマゾンのピラニアを突くために使う槍をもつ河口さん。

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参加者も、サックス奏者がいればプロトコルのご専門家がいたりアスリートがいたりとジャンルが多彩で、ふだん聞けないようなお話や生演奏を聞かせていただいた。アスリートとは、なんとアトランタ銅メダル&シドニー銀メダルのマラソンランナー、エリック・ワイナイナさん。明日はケニアにお帰りになるという。日本語が堪能で、日本人的な繊細な気配りが上手な頭のいいジェントルマンであった。

「サバイバー」と「アスリート」の能力が全然違う、という話でひとしきり盛り上がる。ワイナイナさんは両方の能力を持ち合わせているようで、危険を察知する眼などについて教えてもらった。草食動物の群れを見たら、近くにライオンがいると思え、とか。

河口さんお手製のサバイバルフードなども出てきて、楽しく過ごさせていただきました。ありがとうございました!

タイトルにしたことばは、南日本新聞掲載の河口さんのインタビュー記事から。「安定した世界では少ししか進化できないが、別の世界の<毒の実>を食うとすごく進化できる。アートから見た物理や生物、宇宙は<毒の実>みたいなもの。アートに取り入れることで、僕は進化していく」

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2012年1月14日 (土)

「感覚は、こちらから迎えにいく」

13日の金曜日に、まだ新しい手袋を片方だけ、どこかに落としてしまった。かな~り落ち込んだが、この程度のアンラッキーで済んでよかったのかも(もっと大きな不運から救ってくれた)…と気を取り直すことにする。

いまの時期の手袋は手が冷たくてつけるのだが、そうでなければ、手はふつう人目にさらしている。顔と手、というのは身体のほかの部分に比べて覆うことをあまり求められていないのだが、その理由について、鷲田清一先生はこのように。

「もっとも動物的な部位、生殖や排泄にかかわる部位を覆い隠す衣服が<文化>の象徴だとすれば、顔と手はそれじたいがすでに<文化>を創りだすものなので、もはや覆い隠す必要がないというわけなのだろう」

引用は『感覚の幽い風景』(中央公論新社)。

文化を創り出す手。だからなのかな、私の場合、人の記憶というのは顔以上に手と結びついている。その人の手の形とか質感とか、なによりも手の動きや表情が、顔以上に多くのことを語りかけてくる気がする。惚れ惚れしてしまうのは、顔よりもまず手であったりする。手の動きがいいなあと感じる人は、だいたい、ナカミも好きになる。

鷲田先生独特の詩的でフェティッシュな文章でさまざまな感覚についての考察が記されている本なのだが、感覚そのものについての出発点からはっとさせられる。

「わたしたちの感覚は、ふつうなにかに襲われることで起動すると考えられているが、あとから振り返れば、むしろ迎えに行ったとしか思えないことの方が多い。迎えに行けないときには、感覚はじぶんでじぶんを掻きむしり、無理やりにでもみずからを起動させる」

感覚は、迎えに行くことではじめて出会えたり起動したりするもの。ぼんやりとした受け身のままではなにも「感じない」ことのほうがたしかに圧倒的に多い。

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2012年1月12日 (木)

スピリット・オブ・ユニティ

<「現代ビジネス」ブレークタイム>のホストをつとめる島地勝彦さんにお招きいただき、対談。ダンディズムや英国文化の話を中心に、最近の国内事情など話題は延々と尽きず。ラグジュアリーでマニアックな島地ワールド、シガーの香り漂うサロン・ド・シマジにて。

カメラマンは立木義浩さん。島地×立木のかけあいが、長年の信頼関係がないと決して出てこないであろう類のディープな親密さにあふれていて面白く、笑わせていただいたおかげでリラックスした楽しい対談になった。後日、同サイトにアップされます。お楽しみに!

サロン・ド・シマジならではの、レアなシングルモルトはじめ、限定もののブレンディッドも味わわせていただいた。右は、スコットランドの醸造所7か所のウィスキーをブレンドした「スピリット・オブ・ユニティ」。写真ではわかりづらいが、白い文字で「絆」と書いてある。震災後の日本を勇気づけるために作られた限定品で、売り上げはチャリティに。左はロイヤルウェディング記念ボトル。1982という年は、お二人が誕生した年。

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2012年1月10日 (火)

「見つめあうのではなく、同じ方向を見ている」

「サライ」2月号発売です。連載「紳士のもの選び」においてチョコレートの話を書いています。おりしも「サロン・デュ・ショコラ」のシーズン真っ最中。来月はヴァレンタインデーもあるしね(こっちに関しては「フラワーヴァレンタイン」推進中だけど)。機会がありましたらご笑覧下さい。取材にご協力いただいた伊勢丹百貨店洋菓子バイヤー様に、あらためて感謝申し上げます。

以前のエントリーで触れた「ミセス」の食事チェックでは、栄養士さんから「コーヒーは体を冷やすから他の飲み物を」と指摘された。自分では冷え症とは思っていなかったのだけど、やはりコーヒーの飲みすぎはモンダイあるかなと思って、代わる候補を探し、数種の<あたため+刺激>系のお茶やドリンクを試してみた。

もっとも強烈だったのが、「ヴェーダ ヴィ」のジンジャーシロップ(ほかのメーカーからも同様な生姜濃縮シロップが多数出ている)。飲むと体の内側から熱くなって、ほんとうに汗が出る。血のめぐりもよくなる感じ。ただ飲み終わってしばらくすると、その反動で少し寒く感じるのはどうなんだろう。いいのか悪いのかよくわからない。

ジンジャーといえば、映画好きにとってはジンジャー・ロジャースなのだが。彼女の名言とされるフレーズ。

"When two people love each other, they don't look at each other; they look in the same direction." (愛し合っている二人は、お互いを見つめあっているのではなく、同じ方向を見ているものよ」)

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2012年1月 8日 (日)

ウィンザー公とジョージ6世の、隠された弟

メンズファッション史のスター、ウィンザー公(=エドワード8世)と、その弟ジョージ6世(「英国王のスピーチ」のモデルになったあの方ね)の話は、映画効果もあってもう広く知られるようになったが。

さらに彼らの下に弟がいたとは!

名前はジョン。プリンス・ジョン。ジョージ5世とメアリ王妃の間に誕生し(1905年)、13歳で夭折(1919年)。

プリンス・ジョンは自閉症があったうえに癲癇(てんかん)もちで、それゆえに、家族から(世の中から)隔離されて乳母ララに育てられていた。母には愛されずに。

知らなかった英王室の事実…。

そのあたりのことが、丁寧に、繊細に、描かれたテレビドラマby BBC、'The Lost Prince'(「プリンス 英国王室もうひとつの秘密」)。

180分と長く、前・後編に分かれている。2005年のエミー賞最優秀作品賞・衣装賞・美術賞受賞作。時代考証がきっちりおこなわれていて、婦人参政権運動のリアルな活動ぶりがちょこっと挿入されていたりする。なによりも、エドワーディアンの衣装や習慣やインテリアがきめこまかく優美に再現された、動く美術本のようなドラマ。(芝生の上ではなく土の上を歩くときには靴をはき替えなくては、と主張するご婦人に苦笑。)

静かで淡々とした語り口なので、英国史に関心がない方には多少退屈かもしれないが、最後まで辛抱づよく見るとじわりと感慨がこみあげてくる。

こういう映画を作らせる(とくに差し止めはしない)英王室のオープンネスと寛容にも、敬意を覚える(ジョージ5世が無能な印象を与えるように描かれているし)。日本の皇室に類例があったとしてもまずドラマ化はムリだろうな……。

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2012年1月 7日 (土)

「強気のふりも必要です」

◇本日付の朝日新聞。オピニオン欄が、堂々1ページ、川久保玲さんのインタビュー記事で構成されていて嬉しかった。「ファッションで前に進む」。

質問も、マニアックに走らず、ファッションに関心が薄いであろう多くの読者の素朴な疑問を代弁するような、的確な(朝日新聞的)質問が投げかけられていた。

もちろん、川久保さんの回答も、きちんとそれを受けとめたもので、読んでいてとてもすがすがしい気分になる。

安定感や着やすさを求める傾向にある世の中の風潮に対し。「他の人と同じ服を着て、そのことに何の疑問も抱かない。服装のことだけではありません。最近の人は強いもの、格好いいもの、新しいものはなくても、今をなんとなく過ごせればいい、と。情熱や興奮、怒り、現状を打ち破ろうという意欲が弱まってきている。そんな風潮に危惧を感じています」

ファッションで個性を表現する必要はない、という考え方に対し。「本当に個性を表現している人は、人とは違うものを着たり、違うように着こなしたりしているものです。そんな人は、トップモードの服でなくても、Tシャツ姿でも『この人は何か持っているな』という雰囲気を醸し出しています。本人の中身が新しければ、着ているものも新しく見える。ファッションとは、それを着ている人の中身も含めたものなのです」

などなど、一言一言が説得力をもって響く。

なかでも、このインタビューでのいちばんの収穫だったのではと感じたのが、反骨心はどこからくるのか、という質問に対する答え。「本当は私だってそんなに強くはないですよ。ただ、強気のふりも時には必要です。ふりでいいのです。そうしないと前に進めないから。大変だな、どうしよう、としょんぼりしているだけでは何も変わらない」。

あのタフな川久保さんにしてこのフレーズ。「強気のふりも時には必要。ふりでいいのです」。なにか同じ魂に逢ってしまったような(というと、相当厚かましいのは承知の上だが)というか、大きくて暖かなものに背中を押されるような思いがして、何度も読み返す……。

◇同新聞、「職場の理不尽 Q&A」。飲み会の意義がわからない、という問いに対する、経営コンサルタントの岸良裕司さんのAnswer。

「予算3千円以下のお店で飲むと、どうしても話題が仕事の話になりがちで、つい身の上話の愚痴も出てしまう。でも、予算5千円以上のお店になると、食事も上品、しゃれたワインなんかが出てきて、話題も自然にそれに見合う楽しい話題になるという」。

その通り、と納得。

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「初めて本音で話せた気がする」ゲーム

「ミセス」2月号、本日発売。「代謝を上げる」特集で、3日間の食事メモを公開しています。……って、中野香織が何を食べたか(飲んだか)なんて誰もキョウミないですな。

◇「an an」1・11号「特集 女の快感研究」。多種多様のいまどき妄想ワード&快感・NGワードの数々が面白かった。

「キャバ嬢に学ぶ男の快感キーワード」。キャバ嬢の「客をつなぎとめておく」テクニックの一端が明かされる。

「『そういえばこの間の……』と続きから入ると、『俺のこと気にかけている!」と感動するみたい」。

「ラフな会話で距離を縮めてからの私のキラーフレーズは『初めて本音で話せた気がする』。あちこちの男に言っているんだけど(笑)。全然バレない」。

というか、男性はそのように「だまされて」いることを織り込み済みでゲームを楽しんでいるのだろうと思う。女の方も、たぶん、そのあたりをわかって演じている。(ホストと女性客、みたいな男女逆パターンもアリ。本気になっちゃって「だまされて」しまうことも、ままあるかもしれないけれど。)男女間の「粋」を学ぶという点においては、江戸時代の遊郭のカジュアル版なのかな。

こうして「一般論」(?)が普及すればするほど、一般論を無効にする圏外にいる、文字通りの「本音」で話せる人を探したくなってくるというパラドクス。

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2012年1月 5日 (木)

気になるのは、下着よりもむしろ

デイヴィッド・ベッカムの下着広告写真なら、すでにアルマーニで見慣れているけれど。

今度はH&M。しかも自分自身で(ヴィクトリアの協力つきで)デザインしたという下着コレクションを、ご自身がモデルとなって披露。2月2日から発売されるとのこと。

気になるのは、下着のデザインそのものよりもむしろ、かなりの広範囲に彫りこまれたタトゥー。日本に来ても温泉には決して入れないだろうベッカム。イギリスでは日本ほど抵抗はないらしいとはいえ。

日本でもこの広告写真を使うんだろうか。で、苦情なんて来ないんだろうか。倫理の枠をとっぱらってこそもてはやされるファッション業界、モンダイなんてないのだろうか。日本での反応はどうなるんだろう、興味しんしん。

Becks_for_hm

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「エロティシズムを生み出すのは、論理」

田中純『建築のエロティシズム』(平凡社新書)。世紀転換期のヴィーンにおける建築や装飾を中心に、文化人周辺のゴシップなども含めた、分野横断的な論考。

はじめて聞く固有名詞がかなり多く、その世界に入り込むまでがちょっと一苦労だったが、だいたいの人物把握ができてから二度読みしたら、じんわりと面白さが理解できはじめた。(さらにもう一回読む必要がありそうな箇所も多)

「建築を成り立たせているものは、物体であり空間であると同時に論理である。そして、性欲ではなくエロティシズムを生みだすのは、論理以外の何ものでもない。だから、建築のエロティシズムはその論理にこそ宿る。『近代建築のエロティシズムとは、したがって、エロティシズムの近代的な論理と言い換えてもよい」

この的確な定義において、「建築」を「服飾」におきかえても十分成立しそうだ。

登場する建築家や論者たちは、論理に宿るエロティシズムを追求しすぎて、フェティッシュに陥り、それが行き過ぎて「犯罪者」になったり狂人すれすれになったりする(ことがある)。田中さんは淡々と描いてるけど、なかなか扇情的、というか、ロマンティックな話だよなあ…。

とりわけ衝撃を受けたのが、自分のもとを去ってしまったアルマ・マーラーに恋い焦がれるあまり、彼女を再現するかのような人形をヘルミーネ・モースに作らせて、しばらくその人形との生活をともにしていたオスカー・ココシュカの話。アルマ人形の写真まで掲載されていて、そのブキミな生々しさにしばらく茫然と見入る……というか、妄想が具体化されるということについて、しばし考え込んでしまう。

この人形は、たしかに「生命を得た」。ココシュカのアルマに対する執着+モース(女)の自己愛が融合した、異形のバケモノとして。すごい話だと思うんだけど、これ、だれかが小説にしたり映画にしたりしてないんだろうか?

アルマ・マーラーに関してもあらためて調べてみたら、当時の文化人を片っ端から虜にして破滅させたりしている、才色兼備の「魔性の女」なのね。アルマ、ワクワク系の女だわ。彼女からもたっぷりとインスピレーションを受けてしまったので、機会があったらどこかできちんと書きたくなった。

Alma_mahler_1899

脱線した。本書の話に戻る。

ほかにも「知らなかった」お話が満載で、今一度「山の高さ」を見せつけられた感じ。まずは、ダンディズム研究において読んでおかなくてはいけないのは、アドルフ・ロースであると教えられた。さっそく何冊か注文。

「論理には官能性がある」という田中さんの視点には、共感を覚える。本書とは関係ないけど、蓮實重彦、三島由紀夫のがっちりと組み立てられた論考は、表層が禁欲的に見えれば見えるほど、エロティシズムに満ちていると思う。

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2012年1月 4日 (水)

謙遜のフリした自慢

本日の仕事のこぼれネタのメモ。ワードフェチの私が、大学での時事英語教材としても取り上げていた(一昨年はすべて成果をアップしていたが、今は非公開)ほど大好きなサイト、WORD SPYで、久しぶりににやっとさせてくれる言葉に遭遇。

ハンブルブラグ(HUMBLEBRAG)。

直訳すれば、「謙虚な自慢」。

ワードスパイの定義: "An ostensibly humble comment that also demonstrates the person's wealth, fame, or importance. "(これみよがしなほどに謙虚なコメント。それによって、その人の富や名声やステイタスをさりげなく主張するような、なにげにイヤミな謙遜)

あるあるある…ですね。

本人に自慢の気がさらさらないときに、ますますイヤミに聴こえてしまうことがある。こっちが卑屈にならなければいいだけの話だが。

ヒトの言葉をどう受け取るかは、ホント、こちらの心理状態やキャパシティの広さ深さによって、まったく違ってくる。歌詞だけでなく、ね。

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2012年1月 3日 (火)

Once in a Blue Moon

たいへん遅まきながら「ステキな金縛り」。タイトルはセンス悪いと思ったが(こんな陳腐な形容詞をタイトルにつけるかな?)、実際見てみると、近年これほど充実した映画があったろうかと思わせるくらい圧倒的にすばらしく、モア・ザン・パーフェクト。三谷さんの才能に心底敬服する。

Kanashibari

フランク・キャプラの映画まで生かす細部、骨太なストーリーライン、芸達者な役者たち(主役級の方々も楽しそうにチョイ役)の演技、笑わせて泣かせる脚本。音楽に衣装(ヒロインがださい靴下ばきのどた靴→自信をもつとハイヒール、中井貴一の「できる」スーツ、ほか)。すべてにいたるまできめ細かく神経が行き届いていて、とても気持のいい円熟の仕事をみせていただきました。映画の中で「死ぬ」瞬間にこれほど笑ったのは、はじめてです(アベヒロシさま)。

主題歌の"Once in a Blue Moon"は、深津さんが歌っていたのね。とてもいい。と素直に言えるよさがある。

http://www.youtube.com/watch?v=KyeLReoRgT0

帰途には当然のように、シナモンティーを飲んでいく(笑)。

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「私たちの未来がきっと来る」と歌うとき

歌詞の意味がわかるようになると、曲のイメージまで変わることがある。

エイミー・ワインハウスのことを調べているうちに、"Our Day Will Come"に行きつき、聴き入ってしまったら懐かしい曲のイメージが変わってしまった。63年のルビー&ザ・ロマンティックス版では、メロディーの美しさだけに惹かれていたが、今聴くと、しみじみと哀切な曲に聴こえてくる。

「私たちが一緒にいられる未来がきっと来るわ。そうすればすべてが手に入る。恋がもたらす喜びを共有できるのよ」と、表面的には、これから来たるべき恋の希望を歌っているように聞こえるのだが。

これは実は、「そんな日なんて決して来ないことをわかっている」絶望でぽっかりと空いた心を埋めるかのような「カラ希望」というか「夢」の歌でもあるのですね……。映画のシーンで、瀕死のケガ人に「大丈夫。さっさと元気になって飲みに行こうな」と声かけているみたいなのがよくあるが、ああいう感じ。ダメなことを知っていて、でもそう言わないとこっちがおかしくなりそうな切羽詰まった虚しさとカラ希望…。そう読んでみたら、なかなかに泣ける歌でもあることに気づいた。

歌っているのがエイミー・ワインハウスというのも大きいかもしれない。

どっちの解釈でもOKにするメロディーがあるからこそ、この歌が普遍性をもつのだけど。

Our day will come
And we'll have everything
We'll share the joy
Falling in love can bring

No one can tell me
That I'm too young to know
I love you so
And you love me

Our day will come
If we just wait a while
No tears for us
Think love and wear a smile

Our dreams are meant to be
Because we'll always stay
In love this way
Our day will come

Our dreams are meant to be
Because we'll always stay
In love this way

Our day will come

http://www.youtube.com/watch?v=MABe1aX8wig&feature=related

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2012年1月 2日 (月)

「うまくまとまってるポプリ」

本日の仕事のこぼれ話。調べておもしろいと思ったけど、原稿には不要だったネタです。

マーク・ジェイコブズが、自分の作品を「うまくいってるポプリ(potpourri that works)」と表現していたのを、なんのこっちゃ?と思って調べてみたら。

ポプリとは、あのドライフラワーやら乾かした葉っぱその他をごたまぜにして、いいにおいを出させる例のアレなのですが(最近、いっときほど流行りませんね…)。

potpourri の語源は、rotten pot。熟成し(すぎ)たごった煮の鍋料理…。で、そこから、いろんなものをごたまぜにした雑文集やら混成曲も、ポプリと呼ぶようになったみたい。ほ~。

ってことは、マーク・ジェイコブズの上の発言の意味は、「うまくまとまった、ごたまぜのアイディア」ということか。モンダイの作品はこんな感じです。

Marcjacobs

メインテーマは、トレンドになる20年代フラッパーの話だったんだけど、火付け役はどうやらバズ・ラーマン監督の新作「グレート・ギャッツビー」、ディカプリオ主演。74年のロバート・レッドフォードに負けず劣らずギャッツビーが似合うのは、やはりディカプリオぐらいかな。

Greatgatsby_3

下は74年版、今なお20年代ファッションをもっとも美しく見せてくれる映画のひとつね。

Greatgatsby3d

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2012年1月 1日 (日)

「微笑んで。たとえ心が引き裂かれていても」

◇本日(元旦)付の日本経済新聞、第四部15頁、広告欄に、男の白いシャツをめぐるエッセイ「最低でも無難、最高でも無敵」が掲載されています。

昨年、"The Nikkei Magazine" に掲載された、「Maker's Shirt 鎌倉」さんとの仕事がおかげさまにて好評で、レイアウトを変えて再掲載されました。機会がありましたら、ご笑覧ください。

元旦付なので、仕事人間にとってはちょっと縁起がよくて嬉しい感じです。関わってくださったすべての皆様、ありがとうございました。

◇おこさまサービスのつもりで観に行った「もののけ島のナキ」。想定外にすばらしくて、笑い転げつつも最後はナミダナミダ……。(friends、なんてタイトルにつけるのは頼むからやめてください)

最愛の人を再び得る幸せの陰に、失ってしまった埋めがたい哀しみあり。哀しみの余韻がしばらく尾を引く、ぐっとくる映画だった(私はこういうのにヨワいです)。埋めがたい欠落感に苦しんでいる人間には、共感してナミダすることで、若干の癒しにもなるのかもしれない。グンジョウくんがかっこよすぎる。

Mononokejima

映画が始まって間もないころ、揺れが大きめの地震があり、「震度4」ということで、館内点検のために15分ほど上映がストップしていた。新年だからといって地震の恐怖を忘れてはいけない、という天からの警告のように受け止める。

エンドロールで流れる"Smile" (by ミシア)。 さまざまな思いがこみあげてきて、沁み入るというかナミダをいっそう誘う歌詞だった…。

Smile though your heart is aching

Smile even though it's breaking

When there are clouds in the sky

You'll get by

If you smile

With your fear and sorrow

Smile and maybe tomorrow

You'll find that life is still worthwhile

That's the time you must keep on trying

Smile, what's the use of crying

You'll find that life is still worthwhile

If you just smile 

……

http://www.youtube.com/watch?v=b2q_x4wIz80

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ドラゴンは、あなたの本性をはっきりと見すえる

あけましておめでとうございます。

龍の年である。英語圏のdragonと、日本がイメージする龍とは必ずしも同一でないのかもしれないが。dragonをめぐることば。

dragon のイメージとしてポピュラーなのが、手におえない怪物。奥儀に通じた守護神。善悪を超越した(善悪が曖昧な)生き物。人間の本性の象徴…。

だから恐怖の対象にもなるし、それに乗れば強力な味方にもなる。こういうことわざがある。

"If you ignore the dragon, it will eat you. If you try to confront the dragon it will overpower you. If you ride the dragon, you will take advantage of its might and power."

(「ドラゴンを無視すれば、それに食われてしまうだろう。ドラゴンと闘おうとすれば、倒されてしまうだろう。だが、ドラゴンの背に乗れば、その力とエネルギーを利用することができる」)

ドラゴンの解釈は幅広い。ギリシア語のdrakonはderkomai= I see sharply.(はっきりと見る)。人間の本性をはっきりと見すえ、相手の魂のレベルに応じて脅威ともなるし味方にもなる、奥儀に通じたモンスター、それがドラゴンなのかも。(あくまで私の解釈ね)

東洋と西洋のそれぞれのよさをミックスすることで独自の地位を築いている香港のデザイナー、ヴィヴィアン・タムは、ドラゴンのモチーフを多用することで知られるが、ドラゴンについてこんな表現をしている。

"The dragon represents individuals who are always full of life and enthusiasm, with a reputation for being fun loving and innovative. This perfectly describes the woman for whom I design."

(「ドラゴンは、いつも生命力と情熱にあふれている人、楽しんで、常に新しいことにトライしている人の象徴です。私は、まさしくそんな女性のために服をデザインしているのです」)若干超訳入り。

で、この秋冬シーズンに展開された、タムの「Kissing Dragon」のロゴ。

Kissing_dragon

ドラゴンの背に乗せてもらうのにふさわしい人になりたい、と思った2012年の朝。

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