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2011年12月

2011年12月31日 (土)

2011モード 回顧と雑感

今年終えるべき仕事がまだ納まらない。でも私から仕事をとったら「酒飲み」と「キティマニア(=変態)」しか残らないし。仕事があることに感謝しつつ、仕事のタネを与えてくれたモード界のさまざまなできごとの回顧と雑感。これだけは「とりあえず」でもやっておいたほうが、後になって、2011年のムードを振り返るときの手がかかりにもなる。とりわけ、地球全体(いまや宇宙も含まれる)から見ると、まったく狭すぎるモードの世界のことは、あまり振り返る人もいないので…。‎

1.アレクサンダー・マックイーンの回顧展が、Metropolitan Museum of Artで開かれ、661,501人というMET史上8番目の動員数を記録。

→ファッションとアートのコラボが今年は目立った。その勢いは来年以降も続く予感。

2.ジョン・ガリアーノのスキャンダル。酔って人種差別発言、その後素人による「I love Hitler」動画が投稿され、天才&人気デザイナーは一気に転落。

→それほどの制裁を受けるに値する事件だったのか? 人々の関心はもはやディオールの後任デザイナーにしかない。非情な世界だ。モードのサイクルがデザイナーに与えるプレッシャーも、あらためて考えさせられる。

3.キャサリン妃のウェディングドレスをピークとする、キャサリン妃フィーヴァー。

→彼女は新時代の「ジャッキー」みたいな立ち位置を獲得してファッション史に残りそう。もう妹のピッパ人気のほうが高いみたいだけど。なにか特別な発信をしているわけでも特別な地位にあるわけでもないピッパ・ミドルトンの人気が上昇しているという現象にも、かなり不思議な一面を感じる。

4.ルブタンvs.サンローランの「赤いソール」訴訟。

→ルブタンの主張が認められなかったことで、赤いソールを堂々と出し始めたブランドもちらほら。赤いソールならルイ王だって履いていた……という話をし始めたら、モードにおける新しさなんて、どこにあるのだろう。モードにおける「オリジナリティ」とか「新しさ」の意味を考えさせられた事件。

5.エリザベス・テイラーの宝石類が競売にかけられ、記録的な数字で売れる。

→リズと2度結婚したリチャード・バートンは「彼女は面白くて、ワクワクさせてくれる(interesting and exciting) 女性だった」と回顧している。今年はレディ・ガガ人気も沸騰したが、彼女に目が行っちゃうのも、面白くて、ワクワクさせてくれるから。ただの美人なんて一日で飽きる。人を魅了しつづけるのは、「おもろくて、ワクワク」することを提供できるかどうかの知性とガッツ、ということを実感。

今年は、震災があり、原発事故が続き、ヨーロッパの経済が危機に陥り……とファッションを語るには「不謹慎」ではないかというムードを強く感じた年だった。

でも、そんな時にも人は服を着て、自分が何者かを考え、他人や社会とコミュニケーションをとろうとする。その欲求は、今年、明るい時代にもましていっそう強くなったのではないかとも感じる。今年フェイスブックに参加してみたことも、そう感じる理由の一つなのかもしれない。

ファッションを探求するというのは、どこのだれかも知らない独裁者が「おしゃれ」と決めたルールに従うことでは毛頭ないし、雑誌が提案する「キレイ」「モテ」とやらを追求することでもない。自分を形づくるもの。社会を形づくるもの。二つと同じものがないそれが何なのかを、時代の渦中にありながら自分の感覚を総動員して探し、考え続けていくこと。そうした作業を通して、自身が歩んでいく足元をしっかり固めていくこと。その暁にこそ、本物の「かっこよさ」がついてくる。

ということを、今年出会った多くのクリエイターやビジネスパーソンや異分野の学者さんや学生・友人たちとの対話の中から学んだ年だった。コメントを寄せてくださったり、メールをくださったりした多くの読者のみなさまにも、刺激を受けました。ありがとうございました!

というわけで引き続きありがたく感謝して仕事をします。今年を締める原稿は、中国のファッション雑誌に寄稿するもので、もう3月号のお話。頭の中は春風のなかのマリンテイストでいっぱいです(笑)。送られてくる雑誌を通して、中国ファッションの勢いというのも肌で感じた年でした。

よい新年をお迎えください。

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2011年12月30日 (金)

「気をつけてね、それ、ヴィトンだから」

ルイ・ヴィトン、「ハングオーヴァー 2」のワーナー・ブラザーズを訴える、という記事。

結婚式前のバチェラーパーティーで酔っ払いすぎ、目覚めたらとんでもないところに!というあの「ハングオーヴァー」の続編が、ルイ・ヴィトンから商標権を侵害したとして訴えられているという報。「ガーディアン」23日付。

http://www.guardian.co.uk/film/2011/dec/23/louis-vuitton-hangover-part-2

問題のシーン。「気をつけてね、それ、ルイ・ヴィトンだから」というセリフもまずいし、そもそもこれはノックオフもので、ヴィトンはこれを販売しているアメリカの会社(Diophy)も訴えているんだという。ヴィトン側は映画の利益のシェアを要求、ワーナーはDVDでも修正を拒絶、ノーコメントを通しているとのこと。

Vuitton

さらに、タトゥーアーティストのS. Victor Whitmillも、ワーナーに対して著作権を侵害されたとして訴訟を起こしている。マオリ族のタトゥーにインスパイアされてマイク・タイソンのために彫った刺青が、スチュアートが酔っぱらったあとに目覚めた時の顔に描かれていたものと同じだったとのことで。スタジオ側は、DVDではデザインを変更するといい、なにがしかの金額を払う模様。

「ルイ・ヴイトンを積み上げてのセレブな旅」というのは、もはや文化的なステレオタイプにもなっている。映画は、そこを笑いのネタにした。ノックオフ物を積み上げられた上に茶化されたら、そりゃあ、ブランド側としてはおもしろくないだろう。そのあたりはよく理解できるものの。

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「正しいことができず、間違いを避けられない」原因は

大型の新人アクターがなかなか現れないなか、注目株。バーバリーのモデルとしても知られるダグラス・ブースである。左から二番目、赤いジャケットのお方。

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ディケンズの『大いなる遺産』をテレビドラマ化した作品に出演していることで話題になっている。ドラマは見ていないけれど、19世紀メンズコスチュームがあまりにも似合っている写真にくぎ付け。ヒストリカルなコスチュームが似合うかどうか?はその人の魅力の器をはかるひとつのポイントなのです(個人的に)。

Douglas_booth_2

"In a word, I was too cowardly to do what I knew to be right, as I had been too cowardly to avoid doing what I knew to be wrong." (「つまり私は、臆病なあまり、正しいとわかっていることがおこなえず、臆病なあまり、間違っているとわかっていることを避けることができなかったのだ」)

『大いなる遺産』からの引用。「読まされていた」30年前にはわからなかった言葉が、今だったら沁み入ることがある。

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2011年12月29日 (木)

自分自身をさほど重たく考えていないような風情

こちらは、ひたすら眼を楽しませるための、新刊の美装本。ゲイリー・クーパーのスタイル写真集。Gary Cooper: Enduring Style.

ラルフ・ローレンによる前書きつき。クーパーの魅力をこんなふうに解説する。

He had an ideal American look---unstudied yet refined, natural, and playful.  There was a charm about him in the way he didn't take himself too seriously.  He had that sort of "aw shucks" attitude, plus a look that was all about quality, and a way of dressing that was very much his own.

"クーパーは理想的なアメリカ人の風貌だった。凝っていないのだけれど洗練されていて、自然で、茶目っ気があった。自分自身をさほど重たく考えていないような飄々とした風情に魅力があった。「よしてくれよ、照れるじゃないか」という雰囲気を漂わせており、品格があって、彼自身の装いのスタイルを持っていた" (ちょい意訳込み)

"aw shucks" attitude、という言葉をはじめて知った。"aw shucks" というのは、なにか善行を褒められたりしたときに、「よしてくれ」「まいったな」というときの言葉らしい。

クーパーのまっすぐな視線と姿勢がすがすがしい。アメリカン・スターというのはかくあるべき、という模範のようなたたずまい。

でも、一方、あまりにもあっさりとハンサムハンサムしすぎていて、「この人は悩みなんかあったのだろうか? …いや、なかっただろうな…」という思いが湧き上がってきて、それが若干の物足りなさにもつながっている。男の外見には、ある程度、なにか修羅場を潜り抜けてきたようなシブみがあるほうが、個人的には好きかな。(観客は勝手なものだ)

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「しつこく何回も告白してくる男の子みたいな」

ファッションに関して日本語でお勉強してみたい方へ、新しい本2冊のご紹介。まずは、西洋モード史全般に関して。

ゲルトルート・レーネルト著、黒川祐子訳『絵とたどるモードの歴史』(中央公論美術出版)。モードとは何か?という話にはじまり、先史時代から、現代まで、図版とともにとてもわかりやすく解説されている。巻末に用語集、主要モード雑誌、モード論者などの説明もあり、総合的な教科書のようなつくり。視点はあくまでヨーロッパにある。

こちらは、現代日本のファッションの最先端状況と、エッジイな批評。西谷真理子編『ファッションは語り始めた』(フィルムアート社)。西谷さんは「ハイファッション」の編集者をなさっていた方。ハイファッションの刺激的な批評の姿勢をそのままキープ、濃縮して単行本にしたような本。レイアウトが雑誌のように対談内容や執筆内容に応じてさまざまに変わるので、興味のわいたところから自由に読める。

アンダーカバー、UNREALAGE、matohuなどなど、西洋視点から見たジャポニスムではなく、今の日本のリアルな日本らしさを発信するブランドの立ち位置や考え方が理解できる。

個人的におもしろかったのは、「座談会」。ジャンルを超えてファッション好きな人たちが、どうしてファッションが好きになったのかとか、高校時代のファッションのこととか、最近考えていること、ファッションに対するラブ&ヘイト、みたいなことを、とりとめなく語り合っているんだけど、その会話のライブ感が楽しくて、終始ニヤニヤ(というのも気持ち悪いが、ニコニコという感じでもない)しながら読んでいた。

とりわけ、デザイナーの神田恵介が、どういう気持ちで服をつくってるのか、ということを説明するくだり。「女心がわからないのが強みであるというか。”一生分からないズレたレディース”っていうのが自分の強みだと思っています」「僕の場合は、奴隷のような、奉仕する感じといいますか、哀れみで着てもらうみたいな。しつこく何回も告白してくる男の子みたいな」。

各座談会には、まとめ、とか結論、がなくって、そこになんともいえない風通しの良さというか、ああ、今の東京ファッションの空気はこれに近いよね、というような、淡い共感を覚えたのであった。

アプローチはたくさんあればあるほど面白くなると思う。ファッション関連本がどんどん世に出て、書店の「ファッション」の棚がもっと充実することを願いつつ。

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2011年12月27日 (火)

「言葉に魅力を感じない相手とは、本当の官能へはたどり着けない」

Man of Lettersでもある調香師、鈴木隆さんにお送りいただいて、さっそく拝読。

「匂いは常に体の外縁、人と人、すなわち男と女の間にある」という鈴木さんの知的な論考のほか、鹿島茂×福岡伸一の対談、高橋源一郎、本橋信宏、睦月影郎、亀山早苗、などなど、それぞれの方がそれぞれの立場で恋愛を語る。男目線すぎるなあと苦笑する話あり、笑ってしまう話あり、なるほどと感心する話あり、で興味深い一冊だった。

冒頭に「男と女の本音」に関する統計があるのだが、こういう統計は、見るたびに虚しくなる。結局、社会全体の傾向がどうであろうと、自分にとっては、まったく無意味なことなのだから。この問題ばっかりは、各自が抱えている独自の現場で、孤独に奮闘するしかない。多数派だとか少数派だとか、そんなことを知ったってまったく何の救いにもならない。

もっとも印象に残ったのが、黒川伊保子さんの「言葉は媚薬となりうるか」の論考。

「人は、言葉に魅力を感じない相手とは、本当の官能へはたどり着けないのではないだろうか」―名言だと思います。

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フェティッシュなモード感のための+1

このところ、毎日のように愛用しているアイテムがある。「ミス・アシダ」のレザー・パッツである。ロングブーツをはきたいのだけれども着脱もケアも面倒だし.…と思っていたところへ、どまんなかのツボにささった。

足首から太ももまでをカバーするストレッチレザーの覆いで、パンプス+レザー・パッツで、サイハイブーツのようにも見える。くるくると巻いて持ち歩けるので、移動時の足元のバリエーションの演出も可能。コンサバなワンピースでも、これひとつでフェティシュ風味の効いたモード感が出せる。なによりも、とにかくあたたかいのである。

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グッドアイディア。こういうアイテムがほしかった…と感激していたら、やはり意匠登録申請中とのこと。マネっこはだめよ!

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東京ジェントルマンのスタイル

「サライ」連載記事のため、「FAIRFAX COLLECTIVE」に取材。創業者の慶伊道彦さんに、ネクタイとシャツについてのお話をうかがう。

紳士のVゾーンについて、新鮮な見方を提示してもらい、笑いと驚き連続の、楽しい取材になった。ありがとうございました。

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アメリカントラッドを基本にしながらも、ヨーロッパのエッセンスや、日本独自のツイストを取り入れた「東京スタイル」。これが、NYやロンドンにも影響を与えていることを知る。詳しくは、本誌にて。

日本のジェントルマンのみなさん、自信をもって颯爽とがんばってください。

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2011年12月26日 (月)

ネガティヴ・ケイパビリティ:葛藤を不確かなままに受容せよ

大学時代に英文学史というのを勉強していたことがある。それぞれの専門分野での第一人者の高潔な教授陣の講義は、すばらしいものであったのだろうけれど、当時は、「何のために」学んでいるのかさっぱりわからなかった。歴史上の文学者の人間関係とか作品とか、ぷっつりと今と切り離して美しく解説をされても、「今、ここに、こうして座っている」私との関係がさっぱり見えてこなかったのだ。

大学の講義でもなんでもだけど、専門家であればあるほど、目の前の聴衆の「今の問題」とのかかわりを(本人がきちんと感じ取るように)示唆してあげなきゃ、モチベーションも高まらないし、学習効果も上がらないのだと思う。自戒をこめて。

で、英文学史である。30年たった今なら、ようやく腑に落ちて理解できることがたくさんでてきた。そのなかのひとつが、ジョン・キーツが表現した、Negative Capability ということば。

平板すぎるポジティブ・シンキングがあまりにもバラ色の思考法のように唱えられている現状に対し、「違うだろう!」と言いたくてその根拠を探していたら、運命的に再会してしまった。

キーツが1817年に弟あてに書いた書簡の中で使っている。

'… it struck me what quality went to form a Man of Achievement, especially in Literature and which Shakespeare possessed so enormously-I mean Negative
Capability, that is when man is capable of being in uncertainties, Mysteries, doubts, without any irritable reaching after fact and reason.'

「ハッとした。人に偉業をなしとげさせるもの、とりわけ、シェイクスピアがたっぷりと持っていたもの、それがネガティヴ・ケイパビリティなのだ。手っ取り早く理由や正解を求めることなく、不確かなこと、不可解なこと、疑いだらけといった状態のなかに人がとどまることができるときに見出される能力、それがネガティヴ・ケイパビリティである」

さっさと自分が納得する理屈をくっつけて安心して、明るく前進する。そんなポジ・シンも結構かもしれないけど、むしろ、不確かでわからないことだらけのことをまるごと受容し、その不可解の渦中にがっつりととどまってみる。ネガ・ケパ(ひどい略だな…)。それができる辛抱強さからこそ、なにかホンモノのクリエイティビティというのが生まれてくるのかもしれない。

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2011年12月25日 (日)

「東京ファッション」の現在

「感じる服 考える服」展。東京オペラシティ―にて。

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パリやミラノのコレクションが追及する贅沢な美の方向とも違う。ブランドが提案するラグジュアリーとも違う。ファストファッションの実用とも違う。

独特のクリエイションが際立つ東京ファッションの10ブランドが、それぞれのブランドのポリシーが伝わるような工夫で展示されている。

アンリアレイジ、エイチ・ナオト、ケイスケカンダ、まとふ、ミナ ペルホネン、ミントデザインズ、サスクワッチファブリックス、ソマルタ、シアタープロダクツ、リトゥンアフターワーズ。

この展示ではじめて知ったブランドが半数以上。純文学風な展示もあったが、服を着る、服を創るとはどういうことなのか、それぞれのデザイナーが真剣に考えていることが伝わってきた。

こんな刺激的なファッションの展示、これからもどんどんやっていってほしい。

ヴィジターのスタイルも、興味深かった。ファッションの展示をわざわざ見にくるほどだからかな、日ごろあまり見かけない個性的なスタイルの若い人が多く、観客ファッションもひそかに楽しませていただいた(品がなくてスミマセン)。

書籍には、デザイナーの考えや経歴がより詳しく記されている。東京ファッションの現在の見取り図もわかる。惜しまれつつも休刊になってしまった「ハイファッション」という雑誌を書籍の形にしたような印象の本だが、こんなスタイルが、今のファッションを伝えるにはふさわしいのかなとも思う。

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「生地が求めているエスプリが聞こえる」

「JA magazine 」(アシダ ジュン 広報誌)97号発行になりました。

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「ミス・アシダ」デビューから20周年を迎えた芦田多恵さんにインタビューして書いた記事「優しく、静かな革命家」を寄稿しています。機会がありましたら、ご笑覧下さい。

20周年、あらためておめでとうございます。

芦田淳先生のエッセイも毎号の楽しみのひとつ。今回のエッセイの終りの方にこんなフレーズがあって、心を動かされた。「生地と向き合うと、生地が求めているエスプリが聞こえるような気がして、何度でもやり直すことも多い。自分が創った服が、どうか愛されますようにと、さながら娘を嫁に出すような思いなのである」。

私自身は文筆業デビューしてから今年でちょうど30周年。もはや記憶も完全に正確ではないかもしれないが、ある旅行雑誌が募集していた「女子大生レポーター募集! 条件:スペイン語ができること」という文字に「本能」というか「直感」が反応したのがそもそものきっかけ。習いはじめて一週間そこそこしかたっていないスペイン語なのに「できます」と言ってしまったのも、若かったからこその勢いで。それで面接を通ってメキシコに連れて行ってもらい(これが初めての海外旅行になった)、未知の情報に触れ&書く、ということの面白さに完全に魅せられた。

経験や取材を通して「思い」が聞こえてしまうと、やはりそのエスプリを完全につかみとって伝えきるまで、何度でも書き直すことがある…。芦田先生のようなレベルとは比べ物にならないが。

途中で紆余曲折や中断もあったけれど、細々と地味ながら、ご縁に導かれつつ好きな仕事を続けてこられたのは、本当にありがたいことである。仕事を通して関わってきたみなさまと読者の方々にあらためて感謝します。…ま、クリスマスやし。

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2011年12月24日 (土)

「キライなもの」にチャレンジさせる自信

粛々と業務をこなしたあと、to respect myself のためにちょっくら現実逃避をしたくなった。子どもたちは旅行に行ってしまったので、つかの間の解放ならば許される。イヴを一人で過ごすというシチュエーションでも気が滅入らないための絶対必要条件は、「クリスマスソングが流れていない」こと、かつ、「クリスマスのデコレーションなんてかけらもしてない」こと。そんな心優しい場所は、私の狭いテリトリーのなかで知る限り、一か所しかない。

期待を裏切らず、いつもどおりの骨太なポリシーであたたかく迎えてくれた「ル・パラン」で、ヘミングウェイが愛したというシャンパン+オレンジのカクテル(とある有名なパリのカフェの名前がついてた……忘れてしまった)。これがイチゴととてもよく合って、華やかな気分になる。

(追記:その後、名前を再度教えてもらった。モンパルナス界隈にあるカフェ「クロズリー・デ・リラ(Closerie des Lilas)」だそうです。ヘミングウェイはこのカフェで『日はまた昇る』を書いたらしい。芸術家の名がどんどん流れてくるHP http://www.closeriedeslilas.fr/ )

締めに「アレキサンダー」というカクテル。エドワード7世が、デンマークから嫁いできた王妃アレクサンドラに捧げたのでこの名前になったそう。ブランデー+カカオリキュール+生クリームの、かなりリッチな、どちらかといえば「ケーキ」のようなイメージのカクテル。ここのマスターバーテンダーの本多啓彰さんは、私が「甘いものキライ」なことを知っていて、あえてこういうのを出してチャレンジさせるのだな。すごい自信である。で、飲んでみると、偏見がくつがえって、おいしさに感動する。

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「酒とバラの日々」でジャック・レモンの妻がアル中になるきっかけになるカクテルが、まさにコレなんだそう。なるほど、ケーキのように甘やかしてくれる印象がある。

かすかなシガーやら葉巻の香りの中、深く、こっくりとした時間を過ごし、少なくとも、自分へのrespectは失わずにすんだ……(かな)?

本日の記憶をよみがえらせる音楽。Christophe Rousset 演奏による「バッハ・ファンタジー」。琴線にふれる、という表現をつい思い出してしまうようなアルバム。ありがとう。

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To yourself, respect.

クリスマスソングが流れていない場所に行くと心底ほっとするこのシーズンもあと二日……と数えてしまっている自分のあまのじゃくぶりに苦笑してしまった朝に、行き当たったことば。by Oren Arnold.

Christmas gift suggestions;

To your enemy, forgiveness.

To an opponent, tolerance.

To a friend, your heart.

To a customer, service.

To all, charity.

To every child, a good example.

To yourself, respect.

(クリスマスギフトにいかが。敵には許しを、ライバルには寛容を、友には真心を、顧客には奉仕を、あらゆる人に慈善を、子どもにはお手本を、そしてあなた自身には、敬意を)

ちゃっかりディズニー化したクリスマスには抵抗するけれど、こういうギフトならば、いいかもね。

Merry Christmas.

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2011年12月23日 (金)

強運を、品格ある成功のために活かすには

「25ans」2月号、26日発売です。「開運特集」に「”品格”こそサクセスの条件:成功するほど、人は謙虚に、寛大に、そして親切になるもの」というエッセイを見開きで書いています。私の日ごろの人生観(というのも恥ずかしい限りですが)みたいなものも盛り込みました。機会がありましたら、ご笑覧下さい。

「LEON」2月号発売。男のファーの是非について、長々と解説したのですが、「レオン」風にざっくりすっきりまとめられた一口ミニミニ解説になってます。これはこれで「間違ってはいない」のですが、はい(笑)。ファッション情報をややマンガ的に(?)楽しませるスタンスはずっと一貫してるのが、この雑誌の魅力ですね。

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2011年12月22日 (木)

「生を贈与されて、借りがある」

◇仕事の打ち合わせ2つ。本題から脱線してしまった雑談のなかに、印象的な話があった。まずは、GQ誌の打ち合わせ。NAVI時代からENGINEを経て、時折、お仕事をご一緒していた「ザ・編集長」、鈴木正文さんがGQ編集長に。その第一号(3月25日発売)で記事を書くことになり、ちょっと本題から逸れて「今、かっこいい男とは?」についての話になる。

思いつくままフィクションの人物やら実在の人やらを例に挙げるなかで、最近お会いした、仏教に関わるデザイナーや作家などの名前も挙げてみたところ、「仏教は肯定の思想だけど、キリスト教は否定の思想だ」と鈴木さんが指摘。流れで、「キリスト教的な思想」についてのお話に。

鈴木編集長によれば、キリスト教は「生を贈与されて、借りがある」という、思想である、と。キリスト教的な考え方によれば、生きているだけで、もうけもの。生きるということは、終わりなき返済の過程。いわば、彼岸のための生。それが倫理の出発点になっている、と。なるほど。

◇もうひとつは、パリ在住のテイラー鈴木健次郎さんの本の一部を執筆するための打ち合わせ。美しい物を作りたいという、ただそれだけの目的に導かれて服作りをすることの意味、美しい感覚を共有できる人とともにいたいという衝動、などなどについて、本題からちょっと離れてあれこれと雑談をしているうちに、自分の仕事にとっての目的や基準は何だろう、と考え始めてしまった。

インプット&アウトプットのはてしない繰り返しの中で、いつも追い求めているのは、想定の枠を超えた驚きだったり、想像の範囲を超える深淵だったり崇高だったり。すでにある常識とか、正しさとか、「退屈」なものをひっくり返して、揺さぶりをかけてくれるような、パワフルな感覚。テイラーが追求する美、というのとはまた違うのかな。そんな衝撃的な感覚に、出会うことは多いけれど、自分で生み出すことはかなり難しくて、相当な勇気も要る。

◇そんなこんなの、キリスト教的世界観とか、仕事の先にある理想、みたいなものを考えていた時に、この前からつらつらと尾をひいている「ダークナイト」の印象が、ふとつながる。

映画マスターでもある「ル・パラン」マスター、本多啓彰さんの絶妙のタイミング(私にとっての、だが)でのコメントも大きい。本多さんは指摘する。「足を引きずりすべての罪を背負って逃げるブルース・ウェイン(バットマン)の背中を観ると、キリスト教的な自己犠牲を感じてしまいます」と。「全世界で大ヒットしたにもかかわらず、日本でのみヒットしなかったのは、このような価値観が伝わらなかったから」とも。

ラストの壮絶なほどの自己犠牲による孤独は、キリストの孤独の象徴でもあったのか。

とすれば、バットマンの、まるで何かに借りを負っているかのような自己を滅した闘いぶりにも納得がいく。

本多さんは、ラストでのゴードン警部のセリフの微細な点も指摘してくれた。英語のタイトルが'The Dark Knight' であるのに、「彼はヒーローではない。我々を見つめる守護神、沈黙の監視者」とナレーションするゴードン警部の最後のことばが、'A Dark Knight' (唯一の暗黒の騎士)である、と。The Knightでなくて、A Knight。ここに圧倒的な孤独が強調されている、ということか。

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「ダークナイト」続編(完結編)の、'The Dark Knight Rises' のポスター。この荒涼として絶対的な孤独の光景。ハリウッドのヒーローものの想定枠にはけっしておさまらない人間の深淵を見せてくれるクリストファー・ノーランにも、強く共感を覚える(おこがましいけれど)。

必ずしもフィールグッドではないかもしれないけれど、隠されていた、陽の目の当たりにくい感覚を喚起してくれる。こういう、敬意に値するクリエイターが活躍してくれていると、まだまだ世界は大丈夫、と(個人的に)思えてくる…。

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2011年12月20日 (火)

履けない。だから何だ。

表参道ヒルズで、ヴィヴィアン・ウエストウッドのシューズ展。

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ヴィヴィアンの声が淡々と流れるなか、過去のシューズコレクションが一堂に展示されている。やはり生の作品の迫力はすばらしく、ダイレクトに感覚に訴えてきて、ドキドキした。圧巻はやはり、ナオミ・キャンベルがこれをはいてコケたことで有名になった、スーパー・エレヴェイテッド・ギリー。履けない。だから何だ。っていうその挑発的なスピリットにぐっとくる。靴の意味ってものを、根本的に問いただされ、常識を揺さぶられる感覚がたまらない。

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表参道のイルミネーションが美しすぎ。この時期にこういうのを見ると華やぐのかもしれないが、その分、寂寥感がひときわ深まっていくというかね。100%の幸福などありえないことを、かみしめさせられる。まあ、こういうほろ苦い気分もすっかり自分の一部になった親しい感覚ではある。

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2011年12月19日 (月)

よけいなものをそぎ落としていったその果てに

D21のクリスマスパーティー(@帝国ホテル)にお招きいただく。ベストセラー作家の方々や書店、メディア関係者多数の華やかなパーティー。干場社長、スタッフの皆様、ありがとうございました。

僧侶の小池龍之介さん。若い時には、「モテたい」と思って服をたくさん買っていたこともあったそうである。煩悩にあれこれと苦しんで、今は虚飾をそぎ落としていって、なにか満ち足りたような、潔いたたずまい。当時を存じ上げないが、たぶん今のほうが、「おしゃれ」にかかずらっていた時期よりも、断然かっこいいだろうと思う。

先日の、仏教徒でもあるデザイナー信國さんのお話とも響きあうものを感じた。やはり「ファッション」とは、よけいなものをそぎ落としていき、自分とはいったい何者なのかを追求していった、その果てに「気づく」ものなのだ。そうやってそぎ落としていくプロセスのなかで、自分自身を「形づくるもの」、それがファッションなのであり、かっこよさとかスタイルとか呼ばれるもののヒントは、やはりそこにしかありえないんじゃないか。

「隠されている自分の痛みに気づくことが大切」と小池さんは説いていらしたが、「そぎ落としていく」過程には、その痛みに向き合う勇気も必要なんだろうと思う。

小池さんは、小さな声でささやくようにお話をする。だから、聞き逃してはいけないと思って、こちらが身体を乗り出して集中して耳を傾けなくてはならない。人に話を聞いてもらう、これもまたひとつのコツなのかな。声高に叫ぶばかりが、声を届ける方法では必ずしもないことを、教わる。

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2011年12月18日 (日)

貧困とラグジュアリーが共存する不条理世界

こんどはフィリピンのミンダナオ島で台風・洪水。400人を超える犠牲者の多くは就寝中に洪水に襲われたとのこと。

こういう不条理な自然災害の報道を見聞きしたあとに、ファッションニュースの欄を見なくてはならないときに、どうしようもなく虚しくなったり無力感を覚えたりすることがある。エリザベス・テイラーの真珠のネックレス「ラ・ペレグリーナ」が9億円超で落札したとか。なにそれ。同じ地球上で起こっていることなんだろうか。あまりの乖離。

そんな両極端の現実が存在することに目を向けさせる広告キャンペーンが、物議をかもしている。ダナ・キャランの2012年春夏キャンペーン。

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ブラジルのモデル、アドリアーナ・リマがハイチにおいて現地の貧しい少年たちとともに同じショットに収まっている。リマは高価なダナ・キャランをまとい、少年たちはうすよごれた普段着を着て。

ダナ・キャランは志をもってこのショットを世に問うた。彼女はHope & Help & Rebuild Haiti という慈善組織を創設して、震災から立ち直れないでいるハイチを支援しようとしている。このキャンペーン写真も、ハイチの現状に人々の目を向けさせるという意図で制作されたようだ。

だが、これがまったく「帝国主義的な無神経」であるとして不快を表明している人もいる。ソースは「テレグラフ」の記事。

http://fashion.telegraph.co.uk/news-features/TMG8961221/Donna-Karan-courts-controversy-with-new-campaign-shot-in-Haiti.html

以下、つぶやきにちかい私の感想。

たしかにショッキングな写真。日ごろ自分が感じている不条理をそのまま映しだしているかのよう。不本意な災害に見舞われて貧困から立ち直れないでいる世界と、ラグジュアリーなモードの世界という、極端な二極世界が共存しているということ。両者は無関係に乖離しているのではなく、つながっている、つながり続けなくてはいけない、ということを訴えているダナ・キャランに、私は敬意を表したい。広告表現としても、これくらいのショックと引っ掛かりを感じさせ、議論を呼び起こすくらいの方が、ハイチのことを忘れないという目的のためには効果的だと思う。ダナ・キャランの広告としても、チャリティや支援を積極的におこなっていることが認知されただけでも効果大だったのではないか。でもこういう見方もまた「帝国主義的な無神経」なんだろうか?

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2011年12月17日 (土)

「深刻な事態から目を背けるために栄光に溺れる、そこまで堕落したのか」

13日(火)におこなわれた、宮内淑子さん主催の第134回次世代産業ナビゲーターズフォーラムのメモ。この日の講師は、藤原帰一さん。東京大学法学部・大学院法学政治学研究科教授。

テーマは「リスク管理のパラドクス テロ対策から原発事故まで」。具体例をまじえてのぎっしり充実の60分(+30分の質疑応答)。なにせ話の内容が理路整然としているうえに盛りだくさん。20ページ以上にわたりノートをとっているのだけれども、量が多すぎてどこからどうまとめていいのかわからない。かといって放置しとくともっともったいないことに。私のような(専門的知識を欠く)素人の心が動いた事柄だけでも、とりあえず記録しておきます。

リスク管理(事故が起きる前の管理)と危機管理(事故が起きてからの管理)には、とかくパラドクスがつきものだということを、原発事故と9.11の事例から学ばせていただいたことが、大きな収穫の一つ。

なかでも、原発事故が起きた時の菅元総理の話が興味深かった。マスコミはリーダーシップの不在を問うていたが、実は、菅さんはリーダーシップを発揮しており、それを発揮すればするほど経産省とぶつかり、事態の収拾を遅らせてしまっていた…誰が権限を握っているのかわからないまま、どんどん事態が悪化していった…というのが真実、という指摘にショックを受けた。亀井静香さんの「日本の総理大臣は、閣議の司会をやっていればいいんだよ」という発言が的を射ている、と聞いて、が~んとくる。

危機管理に立った場合、日本の制度はきわめて不適応。日本においては「課長のハンコの数だけ政府があり」、権限が分散してしまっているので、非常時にすみやかな対応ができない。決定の一元化をはかることが、極めて困難になるのだ。

では、アメリカのように、非常時には首相官邸だけに権限を集中すれば話が早いのかというと、必ずしもそうではない。

アメリカでは、大統領府の権限が圧倒的に強く、非常時においては権限はすべて大統領府にゆだねられる。9.11のとき、情報のシャットアウトがきわめて迅速におこなわれ、イラク戦争開戦の決定は、ごく少数の人間によっておこなわれた。それが実は誤った決定であったことを、あとから私たちは知ることになる。大統領府に決定の権限が集中すると、チェック&バランスの機能が働かなくなり、愚かな決定が行われる危険が高まるというパラドックスがある。

そうしたパラドクスも理解したうえで、危機発生の前に、超法規的権限をもつ非常時体制をつくっておくべき、というのが藤原先生の主張のひとつ。

また、リスク管理の優先順位をはかるときに、確率とコストによって、トータルの損害額が多い方から対策がとられがちであったりするのだが、数字は人を思考停止させるものでもあり、確率の低いリスクも決して放置してはならない、とも。

レクチャー中の藤原先生は、上の話を含むさまざまな理論を整然と理知的に語られていて、どちらかといえばクールな印象だったのだが、質疑応答の時間になって、がらりと一変し、感情をほとばしらせる熱い口調になることがあり、そのギャップがとても人間的で、共感を覚えた。

そもそもなんで藤原先生がこんな問題を扱っているのか?といえば、義理の弟さんに対する強いコンパッションがあるから。福島で高校教師をなさっている義弟の方は、「パレスチナ人の気持ちがわかる」と言うそうだ。共感をもってもらえず、見捨てられている…という深い絶望。藤原さんは悔やんだ。「重大なリスクが先送りされる危険を知っていたのに、なんでこの事態を避けることができなかったのか」と。その悔しさがあるからこそ、このような研究をしているのだ、と。

社会問題になったAERAの表紙。ガスマスクをかぶった男の写真があって、「放射能がくる」とコピーがついていた、あれ。藤原さんの怒りは、ガスマスクによって読者を脅かした点に向けられるわけではない。「放射能がくる」という他人事意識まるだしの表現に向けられるのだ。放射能は、福島にはすでにたくさん出ている。「くる」という表現は、首都圏の人たちの、距離を置いた「他人事」視線からしか生まれない。その当事者意識の欠如に対し、藤原さんは怒るのである。

震災後、「日本はすばらしい国だ」と各国がホメたことをメディアは自慢してたりするが、それに対しても、藤原先生は怒る。「深刻な事態から目をそむけるために栄光に溺れる、そこまで堕落したのか」と。火事でまさに燃え上がっている家を「すばらしい家だった」と称えるようなことをして、いったいどうするのか。今は先に手をうつことを考えねばならないのに、そんな褒め言葉に酔ってる場合か、と。

「なんとかなっちゃった経済」のままずるずるきている今の日本、問題を洗い出し、とにかくすぐに具体的に問題に手をつけていかなくてはならないのだ!

…というような話をはじめ、話題は多岐に及んだのだが、強く印象として残ったのは、高度に専門的な問題を扱う学者にとっても、やはり個人的な感情としっかり向き合うことが正しい出発点になるということ。藤原先生の悔しさ、怒り、義憤、共感、愛情…。そのような基本的でまっとうな感情がベースになって、人を動かす学問が積み上げられていくということ。理路整然としたお話に説得力と共感を与えていたのは、結局、そういった感情の品格だった。

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「真実だけで人は満足しない。幻想を満たさねば」

アルマーニによるブルース・ウェインのスーツがどんなだったかを確認したかったのと、映画好きの友人が「人生観を変えられてしまったほど衝撃を受けた」とかなんとか言っていたので、もう一度見直してみた。「ダークナイト」。

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スーツ(バットマンスーツじゃないほう)に言及される場面はたった一か所だったが(3つボタンなんて今どき流行りません、とか)、主張しすぎずブルースに威厳とセクシーさを与えていた。皮肉なことだが、「どこのブランドのスーツ」いう特徴がわからないことが、やはり良いスーツの絶対条件。

ジョーカーとの戦いとは、ぎりぎりの状況における人間性との戦い。光の騎士が、絶望を味わって、悪に転落する。人間なんて一押しで悪に染まるとうそぶくジョーカーの勝ち。

恐怖のさなかにパニックになれば、倫理などかなぐり捨てて、エゴまるだしで行動するような弱い一般市民が、最後のギリギリの段階で良心に従う。ジョーカーの負け。

トータルで、ジョーカーとの勝負は、引き分け。

バットマンは、いかなる状況でもモラルを捨てず、エゴなどとは無縁で、正義のためなら汚名さえ引き受ける。高潔すぎて孤高の哀愁が漂うバットマン、クリスチャン・ベイルの、半分、吐息を含んだ低く重い静かな声が、闇の中に溶け込むように響いていく。

「真実だけで人は満足しない。幻想を満たさねば。ヒーローへの信頼は報われねば」

バットマンはジョーカーを必要とし、ジョーカーもバットマンを必要とする、お互いの存在があるからこそ「能力」を最大限に発揮できるという、胸を引き裂かれそうなほどのロマンチックな(両者の関係はロマン主義的だ)皮肉がずっと尾をひく。

実際、この映画は産業資本社会にアンチテーゼを唱えるロマン主義の映画だ。悪党の目的は「金や復讐」だけではなく、「人間の本性をえぐりだして見せる」というもっと壮大なゴシック・ロマン的な目的でありうるということ。「カネ=成功」という発想で規格にちんまりとおさまり、矮小になってしまった人間たちへの挑発でもある。

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セクシー・シンボルのコスチュームの秘密

届いたばかりの眼福本。Dressing Marilyn: How a Hollywood icon was styled by William Travilla.  コスチューム・デザイナーのウィリアム・トラヴィラがどのような考えと工夫をもってマリリン・モンローを装わせたのか。

トラヴィラによるカラーイラスト(これが素敵!)とグラマラスな写真がたっぷりで、ページをめくっているだけで目が潤ってくる感じ。発見だったのは、The Red Dress, The Gold Dress, The Pink Dress, The Purple Dress, The White Dress、という項目を見ただけで、「ああ、あの!」とその色のドレスを着たマリリンが思い出せてしまうこと。やっぱり印象的なドレスというのは、永遠に記憶のなかにその女性を刻みつける効果があるのね…とあらためて思う。

なかでも圧巻なのは、やはり、ゴールドのドレス。ライトが当たるとヌード以上に曲線を強調する。まだ検閲が厳しかった時代なのに、よくパスしたなあ。なまめかしいのに、マリリンのイノセントな表情によって、「ヴィーナスの衣装」のようにも見えるし、知的なことば(ホント、この人は頭がいい)によって、「クレオパトラ(=女王)の衣装」にも見える。だから検閲もアート視してしまったんだろうか。

究極にセクシーなコスチュームを挙げよ、といわれたら、まちがいなくこのドレスを推す!

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2011年12月15日 (木)

「コーヒーをはさんだ会話なんてごめんだわ」

移動の合間にちょこちょこ観ていた「マッドメン」シーズン4、完。最後の13話、ドン・ドレイパーが、とりまく女性たちに、頂点からどん底までのさまざまな思いを味わわせる。

急浮上してきた秘書メーガンに、急スピードで恋におち、プロポーズ。「君は不思議だ。こうして一緒にいると、好きな自分でいられる」「毎朝、君の隣で目覚めたい」「いままでのことは何もかも、君を知るために起きたんだ。だからもう十分」。

天才クリエイティブディレクターであるはずのドン・ドレイパーが、こんな陳腐なセリフを言うのか ?!?  恋の絶頂にある人はみな特別な幸福に酔いしれ、ものすごく陳腐なセリフをいうものだ…という脚本家の皮肉なのかなとか、あれこれ深読みをしてしまった。(でもメーガンには絶頂の幸福感を与える)

そして愛人のフェイには、電話越しに「好きな人が出来た。予想外だった」と伝える。この冷酷。ドン・ドレイパーはやはり冷酷でなくてはね。「コーヒーでも」と言われた時に事態を察知するフェイのセリフ、「コーヒーをはさんだ会話なんてゴメンだわ」がいい。(フェイには地獄の苦しみを与える)

会社の危機を救ったペギーは、ドンの婚約のどたばたに紛れて正当に評価してもらえない。ジョーンとともにタバコをふかしながら「仕事に幸せを求めてもムダよ。ウソばっかり」と苦笑しあってるシーンが、じわっと共感を呼ぶ。(ペギーにはシニカルな諦念を)

元妻ベティ(完璧な家庭の幸福を求めれば求めるほど、だんだんヒステリックで狭量で悲劇的な女になっていく)には、事実を淡々と伝える。「よかったわね」「無理しなくていい」の元夫婦の会話が苦い。ふたりは別々の出口から去り、シーズン4が終わる。(ベティには現実のシビアな苦みを)

ジョーンは結局、夫不在の間に関係ができたロジャーとの子供をひそかに生むことにしたこともちらりと明かされる。

あ~この苦い後味がたまらない。あとになって、いろんなシーンが、現実と重なり合って、みぞおちのあたりにじわっと効いてくるのだ。

シーズン5(日本語版)の早急なリリースを熱望。

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2011年12月14日 (水)

ミカド・ボタン

アルマーニ×OPENERS の仕事。レイナさんにヘアメイクをしてもらい、西麻布のライブラリー・バー「テーゼ」でアルマーニの春夏のジャケット&スカートを着用して撮影。一日がかりだったけど、スタッフの皆様のきめ細かい配慮のおかげで楽しくあっという間に時間が過ぎた。ありがとうございました! フォトギャラリーに私のエッセイがついて、来年2月末にアップされます。

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「テーゼ」はツボにはまる本があちこちにたっぷりと置いてある図書館のようなバーで、とても心ひかれた。シングルモルトにアートな本。これ以上相性がよいものがあるだろうか。こんどは営業中にぜひ伺いたいと思います。

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着用したジャケットについていたボタンは、「ミカド・ボタン」と呼ぶそうである。棒状のボタン。ヨーロッパでは、あのポッキーも「ミカド」という名前で売られている。棒状のもの=ミカド。なぜに。

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上が「ミカド・ボタン」のジャケット。カッティングと素材がすばらしく、柔らかいのに着るだけで背筋がすっと伸びます。

◇以下パ―ソナル・メッセージ。これから白内障の手術を受ける友人に、励ましの意図をこめて贈ります。手術の成功を祈ってます。

http://www.youtube.com/watch?v=4E7XHOotTX0&feature=related

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2011年12月12日 (月)

「強い印象を与える服を着れば、人生はずっとよくなる」

◇ヴィヴィアン・ウエストウッドに関するレクチャーをしていて気がついたこと。70年代のパンクの女王を「卒業」したあと、アート・歴史志向の「デザイナー」に移行し、そして21世紀は地球環境問題にも積極的に意見する社会派クリエイターへ進化した人、と漠然と理解していたのだが。'DO IT YOURSELF'を解くココロ、ブリコラージュ(ありあわせのもので間に合わせる、器用仕事)の精神は、パンク時代からずっと一貫して持ち続けている人だ。

意外なところに聴衆の反応が大きかった。ヴィヴィアンとマルカム・マクラーレンとの間の息子、ジョセフ・コレが創設したエイジェント・プロヴォケター(高級ランジェリーブランドです)のキャンペーン写真である。たしかに、エイジェント・プロヴォケターが作り出す世界は、私の好みのど真ん中ではあるが、眉をひそめる人も多いかもと思い込んでいた。日本では話題にならないし。

大好きな写真はたくさんあるのだが、そのひとつがこれ。エロティックで退廃的でリッチでゴージャス。中世の宗教画みたい。

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ヴィヴィアンの名言から。

The only reason I'm in fashion is to destroy the word 'conformity'.(「私がファッションの世界にいるただ一つの理由は、<調和>という言葉をぶちこわすためよ」)

You have a much better life if you wear impressive clothes. (「強い印象を与える服を着れば、人生はずっとよくなるわ」)

就活のために、無難な真っ黒スーツを着てみんな同じような規格におさまっている学生たちに向けて、暗黙裡に届けたいメッセージでもあり。

◇恒例のOPENERSメリーグリーンクリスマス、今年も参加しました。

http://openers.jp/culture/merry_green_christmas2011/02.html

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2011年12月11日 (日)

創造のプロセスとは、元型の無意識の賦活

整数次倍音、非整数次倍音、についてわかりやすく教えてもらいたい、と思って買ってみたのだけれど。中村明一『倍音』(春秋社)。

音をめぐる文化論。お話が広範にわたりすぎて、ポイントがつかみきれないと感じたところもあり…。でも、「一音成仏」(ひとつの音にすべてを包含する)とか、尺八演奏家ならではの言葉や視点に、なるほどと思わされる気づきもあった。

「無意識の領域を鳴り響かせる」という点に関し、あらためて心に刻みつけておきたいなと思ったのは、ユングの引用。

「元型とともに語るものは千の声をもって語り、人を掴み、圧倒し、同時にその語るところのものを、一回限りの移ろいゆくものから永遠にあるものの域にまで高めます。個人の運命を人類の運命に高め、それによって、これまで人類に、その時々のあらゆる危険から脱出し、どんなに長い夜をも耐え忍ぶことを得させてきたあの救いに満ちた力を、私たちの内にも呼び覚ますのです。

これが芸術の効用の秘密です。創造のプロセスとは、少なくとも私たちにたどれる限りでは、元型の無意識の賦活であり、それを発展させ形づくって、完成した作品に仕上げることにほかなりません」(ユング『創造する無意識』、平凡社)

Life goes on. だけれど、たぶん、「元型」をたどるというか、元型を発見する(元型に気づく)ことが(自分の仕事において)カギとなるミッションの一つなのかなと思う。

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2011年12月10日 (土)

箱根駅伝の人気が高いのは…?

「サライ」2012年1月号発売です。連載「紳士のもの選び」において「宮井の風呂敷」について書いています。機会がありましたら、ご笑覧下さい。

今月の特集は「正月の作法」。もうすっかり正月もふつうの日も変わらぬ過ごし方をするようになっている身には、なにか異文化を見ているような感じもする…。

佐野眞一さんによる「いま改めて問う『正月行事』の意味」。箱根駅伝の人気の高さの理由を説明していた。「駅伝のルート沿いにある名所、つまり歌枕と関係があります。富士山、江の島、往路のゴールにある箱根山、これらの名所がすべて和歌に連なります。(中略)箱根駅伝は、その和歌とスポーツが見事に一体となっているのです」。ホントかな?と半分いぶかりつつも、なるほどそういう見方もできるのか、と感心。

◇知人が主催しているチャリティ・ブックフェア「忘れないために。10人による10冊」に、「ファッション」をテーマにした本、洋書中心に10冊(+サイン本のおまけ)出品しました。アマゾンで高価に取引されている(…ということを知らなかった!)レア本もあります。売り上げはすべてミシン・プロジェクトに寄付されます。もしご都合があえば、ぜひどうぞ。

http://classico-italia.blog.so-net.ne.jp/2011-12-09

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2011年12月 8日 (木)

艶と深みと微細なきらめき

「センシビリタ」に続いて、「アルマーニ」の展示会@銀座アルマーニビル。

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ジョルジオ、エンポリオ、それぞれのライン、アルマーニジーンズ、アルマーニキッズ、靴やバッグ、アクセサリーといった小物にいたるまで、来春夏シーズンの気分に浸る。

毎シーズン変化していくとはいえ、アルマーニの特徴的な美しさはやはりグレーの絶妙なグラデーションにあるなあ…と実感。写真はエンポリオのメンズコレクションから。

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エンポリオのウィメンズのテーマは、「20年代フラッパー」。フラッパーをテーマにしているブランドが、来シーズンはけっこう多い。個人的な好みにはまったのは、このジャケットと帽子の組み合わせ。ま、夢見るだけなら。

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同じビル内のアルマーニ・カーザも見学。アルマーニの美学に貫かれたシックでゴージャスなインテリアが、別世界感を漂わせている。仕事大好きなアルマーニは、毎年、デスクの新作を出すそう。シンプルに見えるのに収納量たっぷりな機能美に感動。

ファブリックものにしても、モノトーンなのに、艶と深みと微細なきらめきが配してあって、決して地味にはならないのがアルマーニ印、でしょうか。こういうライフスタイルあってのファッション、なのでしょうね。ため息。

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ルームフレグランス売り場が拡大している理由とは…

昨日は「サライ」連載記事のため、表参道のルームフレグランス専門店「センシビリタ」を取材。

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香りものの取材にありがちな、感性にウェイトを置いたお話になるかなと予想していたのだが、うれしい想定外だった。社長の蔵中友幸さんじきじきにお話してくださったのは、ばりばりにハードなマーケティング視点からのルームフレグランス展開のお話。

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リサーチたっぷり、説得力十分の、できるビジネスマンによる「勝てるプレゼン」(あくまでイメージ)を聴かせていただいたような興奮。一見、無関係に見えるビジネスがいったいどのようにつながっていくのか、その広がりも納得できて、刺激的で楽しい取材になった。

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蔵中さん、ありがとうございました! 書きたいことは山のようにあるけれど、ここではガマン。詳しくは本誌にて。

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2011年12月 7日 (水)

矛盾だらけ

靴の手入れ法などを紹介しておきながら、自分自身は面倒くさがり屋で、毎日同じ靴をたいした手入れもせずに履いている。

学生でもない人から「先生」と呼ばれることは大キライなのに、本を出している方なんかとお話しなくてはいけないときには、つい「先生」と呼んでしまう。

「こんどゴハンでも」みたいな社交辞令は大キライなのに、知人との別れ際のあいさつにはつい「またお伺いします」などと言ってしまう。

仕事柄、楽しくて美しい人たちに毎日たくさん出会うのに、その都度、コドク感がつのっていく。

矛盾だらけの日々。

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「自分がデートしたいと思うような女を演じる」

アンジェリーナ・ジョリーの慈善活動について書くためにリサーチをする。記事の中には盛り込めなかったけれども、心に残った彼女の言葉。 

「痛みがなければ、苦しみもないでしょう。苦しみがなければ、過ちから学ぶこともないでしょう。痛みと苦しみはあらゆる窓に通じるカギとなります。それがなければ、きちんと生きることなどできないわ」

「私はいつも、自分がデートしたいと思う女を演じている」

この人が多くの男性をとりこにする秘密(と思われること)を、コリン・ファレルが語っている。

「彼女の目をのぞきこんで、そのまなざしや落ち着きを目の当たりにしたんだ。本当に素晴らしいよ、堂々としているんだ」

ついでにレディ・ガガの慈善活動についても。記事内容には無関係だったけど、心惹かれるエピソードがけっこうある。この人も名言の宝庫ね。

「名声っていうのは、お金持ちのフリをすることじゃないのよ。音楽、アート、釣り、何でもいいから、あなたが夢中になってることへの自信や情熱を全身から滲み出させて。ほかの人が、『いったいあれは誰?』と知りたくなるように」

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2011年12月 6日 (火)

ファッションとは、飾ることではなく、そぎ落としていくこと

昨日は、大学にテイラー信國太志さんをお招きして、トークイベントを行いました。

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ファッションスクールの名門、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズでの教育方針や、「デザイナー」から「テイラー」へ転身した理由、デザイナーとテイラーとの違い、間近に見た一流デザイナーたちの具体的エピソード、「スタイリスト」の仕事と役割、クリエイティヴィティとは何か、「ファッション」とは究極は「人」であるということ、概念を見るのではなく、美しいと思ったものを心で見るということの大切さなどなど、話は尽きず。モードの最先端と、仕立ての地道な世界の両極を経験してきた方ならではの、静かながら熱い信念に貫かれたことばに、感銘を受けました。

ファッションとは、自分を飾っていくことではなく、どんどんそぎ落としていくこと。あるがままの自分の姿に「気づく」こと。その点で、仏教とも通じる点があるという話がずっと尾を引いています。「本物のかっこよさ」とは、究極はそこなのではないかと。めざすべきは、やはりそこしかないのではないかと。行きつくまでに、ぐるぐると回り道をしなくてはならないのだけれど。

さらに詳しい内容は、後日、ウェブマガジンOPENERSにて。

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信國さん、ありがとうございました!ご来場のみなさまにも感謝します。

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雑誌はもう2012年に突入…。

「メンズプレシャス」2012年1月号発売です。「カントリージェントルマンとは何か」というテーマで、鈴木文彦さんと対談しています。機会がありましたらご笑覧下さい。

「ワイン王国」2012年1月号発売してます。「幸せのプレゼントワイン」特集で、贈り物にしたいワインについてちょこっとコメントしています。機会がありましたらご笑覧下さい。ご協力いただいた友人に感謝します。

続々手元に届く雑誌がすべて「2012年」号で、いまやっている仕事が2012年の3月号用とか。時間の流れの早さだけは加速がかかっている気がする…。

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2011年12月 5日 (月)

「星が見えていることに気づくこと」

朝日新聞天声人語に引用されていた、吉野弘さんの「星」という詩。孫引きになるが、あまりにも忘れがたいので。

「有能であるよりほかに 

ありようのない

サラリーマンの一人は

職場で

心を

無用な心を

昼の星のようにかくして

一日を耐える」

星のアナロジーついでに、本橋信宏さんの本に紹介されていた、代々忠監督の言葉。これも孫引きで失礼。

「星は見えているんだけど見ていない。生きていくことは星が見えていることに気づくこと」

そこにあるものに、気づくこと。見ようとすること。先入観や既成概念が邪魔になって、見えてるはずなのに見えてないものって、けっこうある。

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2011年12月 4日 (日)

「あなたなしの千年よりも、あなたとともにいる一瞬を選ぶ」

IMAX3DでHappy Feet 2. おこさまサービスのつもりであまり期待していなかったが、予想に反してかなりおもしろかった。

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巨大地震で氷山に囲まれ、取り残された皇帝ペンギンの群れを、ほかの種族たちが協力して救う、という物語。もちろん、人間世界への想像がうながされるのである。種族を超えた友情。食物連鎖。進化。大国のウソ。人間のヘルプの偉大さと限界。家族愛。男女間の求愛。自分ができる小さなことに気づくことが大きな貢献になるということ。とにかくいろんなメッセージが、圧倒的に美しい映像でてんこもり。それを軽快なダンスと音楽にのせて。

フィールグッド(悪人はでてこないし)なジコケイハツ系&アース礼賛系っていう見方も当然できる。"If you want it, you must will it.  If you will it, it will be yours. (願えば叶う)"っていうセリフも繰り返し出てくるし。でも、細部のひねりが効いているうえ、進化論の話なんかもでてきてオトナも十分に楽しめる。とにかく映像が吸い込まれるように美しいので、ひたひたと心が潤うように癒される。現実がこんなにシビアで落ち込みがひどいときには、このくらいの優しさがあるほうがいいのかもしれない。

「適応か、死か」

「危険じゃなくて、試練よ」

「食物連鎖の底辺なんてイヤだ。オレはアタマのついたものを食ってやる」

「君のいないあっちの世界で千年生きるより、こっちの世界で君といられる一瞬を選ぶ」

などなど、セリフも「名言集」みたいな感じ。良くも悪くも時流をとらえた映画。

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2011年12月 3日 (土)

バレンタインデーも、グローバル基準に

10月に明治大学に講師として来てくださったファッションディレクターの干場義雅氏が、バレンタインデーには、男性から女性へ花を贈ろう、と提唱している。

http://www.flower-valentine.com/interview/interview1.html

たしかに、映画「バレンタインデー」を参照するまでもなく、海外では男性から女性へ花を贈る習慣が定着している。日本ではお菓子会社の陰謀というか戦略によって、いつのまにか女から男へチョコレートを贈る日になっている。もう義理チョコの習慣も盛り下がっている一方だし、とはいえ、今の習慣を完全になくす必要もないけれど、グローバルな基本に戻って、「男性から女性へ花を贈る日」という認識を広めてもいいのではないか。

…とはいえ、花の一輪ももらえない自分がかわいそうになる日、というよけいな図が浮かんできて複雑にもなるのだが。

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2011年12月 1日 (木)

ファッションと仏教には共通することがある

展示会後、テイラー信國太志さんと、彼のできたてほやほやのアトリエ、The CRAFTIVISM@銀座でトークイベントの打ち合わせ。モダン・イングリッシュ・ダンディズムというか、オリエントとモダンブリテンの東京的融合というか、ぴりっと皮肉とエッジの効いた、彼らしい美意識が貫かれた「グラマー」なアトリエは、そこだけ別の時間が流れているようだった。

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ロンドンのセントラル・セント・マーチンズでの教育。彼が出会ったエキセントリックなデザイナーたちのエピソード。仕事と職能と幸福感。ファッションと仏教に共通すること。などなど、お話も面白くてつい引き込まれてしまった。

5日におこなうトークイベント(信國太志×中野香織 @明治大学 "Not about what to wear but who wears it")の内容は、後日、OPENERSにおいて一般公開されます。お楽しみに!

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美しい靴は、あなたを美しい場所へと連れて行く

三陽山長2012年春夏の展示会@三陽山長銀座店に出かける(昨日)。

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オールウェザーコレクションや、ドレススニーカー(グッドデザイン賞受賞)など、日本のビジネスマンの事情を考慮したやさしくりりしい靴の数々。デッキシューズも中敷きが洗えるようになっていたりと、日本らしいきめ細やかさが光る。

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下段の靴、スクールシューズみたいな装飾は取り外しも可。これを「キルト」と呼ぶそうです。当初は「ほこりよけ」であったそう。

もっとも心ひかれたのは春夏用のスエード。冬の靴という先入観があったけど、春夏にももちろんOK。スエード靴のお手入れ講習もおこなわれていたので、じっくり教えていただく。風合いを長持ちさせるには、はき始める前のケアが大切。

1. 形のいいシューキーパーを入れる。

2.  スエード専用のブラシ(真鍮ブラシ)で、毛を起こすように、逆立てながらブラッシングする。もともとスエードとは毛を痛めて(!)つくった素材。遠慮せず、逆立てて可。

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3. ムートンブーツには、Splash Brushを使い、同様に。

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4.  スエード専用の栄養スプレーをかける。この成分はほとんどオイル。毛が起きたところに油分を補うので、これが浸透し、発色がよくなる上、水をはじく効果も得られる(!)。色抜けも防止できる。ちなみに、スエードが白茶ける原因は、防水スプレー。これが乾燥して白茶けてしまう。

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(この写真は、スエードが水をはじいているところ。手品みたいで、おもわず「をを!」と)。以上のケアを、まだ靴が新しい段階からやっておくことが望ましい。万一、すでに白茶けてしまった場合、色を入れる染料も市販されているので、それで補うとよい。

…ということでございます。靴は、心を込めて手入れをすれば、それにふさわしい場所へ連れて行ってくれることであなたに報いてくれる。はず。

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