« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月

2011年11月30日 (水)

「教育」効果の高い広告には責任がともなう

もうひとつ、「禁止」にまつわるファッションニュース。イギリスの広告のオーソリティが、miu miu の広告を禁止した。

Haileesteinfeld_2063842a

これが問題の広告。アーティストはHailee Steinfeld。たしかに危なっかしいイメージではあるけれど。ちなみに、このオーソリティは、ダコタ・ファニングをモデルにしたマーク・ジェイコブズの香水の広告も禁止している。まあ、こっちはあからさまにエロティックではあったのだが。

たしかに、広告、しかもすぐれた広告ほど、ものすごく高い「教育」(洗脳といってもいい)効果があって、だからこそある程度の規制は必要だと思うが。

それにしても、あっちこっちでいろんな「禁止」がおこなわれていて、ちょっと息苦しいかな。

| コメント (0) | トラックバック (0)

カリフォルニアでファーの販売が禁止

男性にもファーがトレンド。バーバリーもフィリップ・リムも、かっこいい男性用のファーを提案している。動物愛護団体の抗議をものともせずに。ということで、ある男性誌の依頼を受けてメンズファーについてのコメントをするために調べていたら、出会った記事なのだけれど。

ウエスト・ハリウッド・シティ・カウンシルは、ファーを販売することを正式に禁止した。11月22日。

http://westhollywood.patch.com/articles/council-votes-again-to-ban-fur-clothing

「エシカル」な流れの中で、ファ―論争はついにここまで。

男性も女性も、ファーを着るなら、かわいいからという脳天気な気分だけではなく、こういう世の中の流れも片目でチェックしつつ、それでもなお、という覚悟の上で、ね。

ちなみに私はファーに対して反対でも賛成でもない。拙著でも書いてるけど、ファーはサステナブルで地球環境に優しい、という考え方もできるのだ。両方の視点をじっくり吟味した上で、着る人それぞれが信念をもって着るなりやめるなりすればよい、というのが私の立場。

| コメント (0) | トラックバック (0)

ウソ、真っ赤なウソ、そして統計

景気に応じてスカート丈が上がったり下がったりする(hemline index) 、という説を出した経済学者がいた。George Taylor センセイ。

で、コンピューターのIBMが、それに代わるあやしい説を出した、という記事。The New York Times , Heel Hight Times Tweets? by Eric Wilson. 11月 23日付。

http://www.nytimes.com/2011/11/24/fashion/ibm-predicts-heel-heights-runway.html?scp=1&sq=eric%20wilson%20heel%20hight&st=cse

ソーシャルメディア、ブログなどの投稿から分析した結果、2009年の7インチヒールから、現在は2インチヒール。それだけ低くなっている、と。

(いやたしかに2009年には「17センチのヒールの靴」というのが話題にはなっていたが…。)

サックス・フィフス・アヴェニューのファッションディレクターの冷ややかなコメント。「ヒールの高さや、スカートの長さ、赤い口紅の売れ行きなどに、みなさんが経済的な指標を読み込みたがるお気持ちはわかります。だけどそれはたんにファッションサイクルの問題です」。

FITのヴァレリー・スティールも冷淡。「めまいがするような高いヒールの靴も出ていれば、同時にバレエフラットもたくさん売れてますよ。マーク・トウェインのLies, damned lies and statistics' を思い出して」。

(イギリスびいきの中野からスティール教授へのツッコミ。Lies, damned lies and statistics はマーク・トウェインで有名になったかもしれないけど、もとは英国首相のディズレーリのことば。「この世には3種類のウソがある。ウソと、真っ赤なウソ、そして統計だ」。スミマセン、記事の本質的な問題とはズレまくりですが)

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月29日 (火)

「優等生を演じていると、メスを刺激しない」

本音に迫るインタビューをこなす人としてすごいな、と思っていた本橋信宏さんの『心を開かせる技術』(幻冬舎新書)。

こわもての人からAV界の人まで、ふだんはなかなか会えないような人にインタビューをおこなう、そのそれぞれのプロセスに臨場感があっておもしろい本。

とりわけいいなと思ったのが、代々木忠監督へのインタビュー。「あなたに逢えるようにずっと波動を送っていました」というツカミのいい挨拶(これを監督が言う)の言葉もぐっとくるし、

「自分が心のなかでつくったものは自分でしか解決できない」

「対象を否定的にとらえてしまうと、否定したものにエネルギーを与えて肥大化してしまう」

「彼は常に優等生を演じている。だからメスを刺激しない」

「”男は獣”と子どもに言いつづけると、育った子供はそんな男としか出会わなくなる。人間は意味づけしたものしか認識できないから」

などなどの、真実をつく名言の数々にはっとさせられる。

「個性とはその人の使う言葉でもある」、という著者のことばにも、納得。

心を開かせる技術とは? それを一口で言っちゃった「まとめ」は、とても平凡な一般法則なのだけれど、神はそんな抽象論には宿らない。1対1の、一期一会のインタビュー、それぞれの具体例こそがきらきらとしている。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月28日 (月)

「尊重されたければ、自分で闘え」

アルマーニに関するレクチャーをするために、再々見したDVD。 10年ほど前、ジョルジオ・アルマーニ65歳のときに一年間かけて撮影されたドキュメンタリー。

ディオールは52歳で心臓発作で亡くなるし、アレクサンダー・マックイーンは40歳で自殺するし、ガリアーノは酒と薬で問題起こすし、マーク・ジェイコブズにしても「リハブ」経験あり。ストレスが半端ではなく大きいであろうファッション業界において、76歳になってもまだ現役バリバリでアルマーニ・ミラノホテル(上から見ると、Aの形!)まで建てたばかりという意気盛んなアルマーニの秘密をあらためて考える。

細部にいたるまで手抜かりなしの完璧主義。節制と禁欲。人生のすべては仕事のために。そのために愛情が制限される。孤独という犠牲を払わねばならない。でもそれも覚悟の上でひきうける。「公私混同」どころか、人生のすべての瞬間が「公」。こういう姿勢を貫いて、ブランド買収戦争に巻き込まれることなく、アルマーニ帝国を守り抜いた。

「アンドロジナス」に対する考え方も、表面的ではないところがアルマーニらしい。

Androgynous today means that men and women have the same attitude towards what they want to wear, ... It's not unisex dressing, but more the idea that you can see a jacket on a woman in this show, which you can just as easily see on a man.”

「アンドロジナスとは、着るものに対する態度を男女が同じくするようになった、ということ。ユニセックスに見えるということではない」

◇レクチャー終了後の帰途に観ていた「マッドメン」(4)のドン・ドレイパーのセリフ。「人に自分を知ってもらおうとして、都合よく理解されるだけだ」。

結局、自分の理解(想像)できる範囲でしか、人や現象を本当に理解できない(だから、わからないことを必死でわかろうとするために、「文学」や「芸術」が必要になる)。私のアルマーニ解釈にしても、自分が理解・想像できる範囲内でしかわかってないのかもしれない。あなたのことも。

もうひとつ。ステレオライプな社内セクハラに憤慨する女性部下ペギーに対し、ドン・ドレイパーが言い放ったセリフ。「尊重されたければ、自分で闘え」。で、セクハラ証拠の下世話なマンガを丸めてくずかごへ。シブい。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月27日 (日)

ドレスが永遠になるとき

目も心もアタマも喜ばせてもらった豪華なビジュアル本。Hal Rubensteinの'100 Unforgettable Dresses'。 時をつかんだ100のドレスが、エピソードつきで紹介される。アルベール・エルバスのイントロつき。

エリザベス・ハーレイのヴェルサーチェ<安全ピン>ドレス。チャールズ皇太子不倫告白の日にダイアナ妃が着た、クリスティーナ・スタンボリオンによる<復讐>ドレス。シェールが話題をさらったスケスケドレス。夫だったライアン・フィリップの浮気が発覚したときにリース・ウィザースプーンが着た黄色いニナリッチの<ライアンって誰?>ドレス。トム・クルーズと結婚したばかりのころにニコール・キッドマンがオスカー授賞式で着た、ディオールのシノワズリのドレス。それぞれのドレスからその時代の熱気が立ち上ってくるよう。

彼女たちはまた、「この一着」を転機に、自分を解放し、運気を上げていくのである。女が意志をもって一着のドレスを選び、怖れず、静かな自信をもって着こなして見せるとき、そのドレスはドラマを作り、時代の空気をつかんでタイムレスになる。溜息ものの一冊。

| コメント (0) | トラックバック (0)

「神の創造物は丸く、人間が考え出したものは四角い」

明治大学創立130周年記念国際シンポジウムのひとつ、「ファッション・ビジネス教育の世界展開」が昨日、大盛況のうちに終了。

コシノジュンコさん、シャネルジャパン社長リシャール・コラスさんの特別講演に続き、各国の教授陣からのプレゼンテーション。UKからはインペリアル・カレッジ、ビジネススクールのネルソン・フィリップ教授。フランスからはモダルト・インターナショナルスクール学院の校長、パトリス・ド・プラース氏。同じくフランスからパリ商業高等大学マネジメント学部のクレッツ博士。中国からは東華大学服装・芸術設計学院の楊以雄教授。そしてオーストラリアからはクイーンズランド工科大学のケイ・マクマホン先生。

4時間半近くに及ぶシンポジウムは内容がぎっしりで多彩、ファッションビジネス教育の現状と展望が、ぼんやりとながら理解できた。そのなかで、自分のような、ビジネス色の薄い立場から(カルチュア、ヒストリー、ジャーナリズムという観点から)ファッションにアプローチするとはどういうことなのか、あらためて考えさせられる。

・コシノジュンコさんの講演は、「対極の美のバランス」。

1126_1

神がつくったものは丸く、人間が考え出したものは四角い、という指摘。つまり、地球、月、妊婦のおなか、波紋、らせんなどの自然界にあるものは丸くて、建築などに見られるような無駄なく合理的に計算されたものはどうしても四角くなる。昼と夜、オンとオフ、陽と陰、右と左、重い扉とのれん、赤と黒、未来と過去、楽譜と手習い、現実と非現実、などなど、あらゆる「対極」にあるものを、逆らわずに融合させていくことが大切、というお話。

・リシャール・コラスさん。流暢な日本語で、ジョークをとばしながら、シャネル・ブランドについての熱いお話。ファストファッションが流行する現代だが、「Fast Fashion はFast Fading Fashion でもある。トゥエンティワンはフォーエヴァーではなく、トゥエンティトゥーにはもう存在しない」とジョークで笑わせ、シャネルのスロウ・ファッションの戦略について語る。

スロウで変わらない、と見えても実は時代に応じて微妙に変わっている。消費者にはわからないように。たとえば香水No.5のボトル。50年代にはアメ車やハリウッドスターの影響を反映し、少し太めに。60年代にはイタリアンデザインを意識して少しスリムに。でも消費者には永遠に変わらぬNo.5のボトルに見えるように。

11265

現在もなお、ココ・シャネルの価値観からはずれるようなことは、決しておこなっていない。彼女の価値観とは、Discipline(規律、礼儀正しさ), Rigueur(厳格さ), Austerite(わび・さび), Simplicite(シンプルさ), Liberte(自由)。そしてビジネスにおいては、「新しいことだけをする」こと。

職人をリスペクトする、というシャネル社の姿勢が一貫していることにも心を打たれる。銀座のシャネル社のビルには、建築に加わったすべての職人の名前が刻まれている。10年後、彼らがこのビルの前を通った時に、自分の子供に「これがお父さんが造ったビルだよ」と教えられるように。

上場しない。十分なキャッシュフローをもつ。ということも、やりたいビジネスを貫くためのポイントとして守り続けている。

一流の人は、ジャンルを超えてあらゆる仕事に通じる話ができる。それを実感した講演でもあった。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年11月26日 (土)

叶わぬ想いは成仏させる

岡田斗司夫の順番がめぐってきた「悩みのるつぼ」、朝日新聞26日付。27歳主婦(結婚3年目)の相談。初恋の人がいまだに忘れられず、気持ち悪いほどの思いをいまだに持ち続けているという悩みである。

岡田さんは、それは恋愛ではなく信仰である、と。彼への思いを芸術家として表現するのがいいが、それができぬ常識家であれば、叶わぬ想いは成仏させて信仰としましょう、と。

「毎日この仏像を、彼だと思って拝みましょう。今日を感謝し、大好きです、見守ってください、と祈りましょう。もっとすてきな女性になります、と誓いましょう。自分の子も他人の子も全部『彼の子供』と思って愛しましょう」。

このような信仰と、現実世界の愛は両立する、と。

叶わぬ想いがすべてこういう方向にシフトすれば、すてきな人だらけの平和な世の中になりそうな、迷解答…。

| コメント (0) | トラックバック (0)

「完璧な一杯」か「人の心を動かす一杯」か

読者の方に勧めていただいたのが、マンガ版の「バーテンダー」。比べてみるのも一興かと思って、まずはこちらを大人買い。ドラマ版の「バーテンダー」。ネイルや移動や待ち時間に、全8話完。

「マッドメン」の、大人の目配せ風なシブい演出にすっかりはまってしまっている身には、このドラマのわかりやすすぎる演出がどうも子供っぽく感じられてしかたがなかったが、相葉雅紀の魅力的なバーテンダーぶりに、それもさほど気にならなくなった。

流れるような、でもメリハリのある、相葉くんの美しい所作に、毎回惚れ惚れ。カクテル道は茶道にも通じるところがあるのかな。すべての動作に意味があって、ムダがない。一つ一つ丁寧におこなわれる作業、そのプロセスを見守ることもまた、「カクテル(茶)を味わう」ことに含まれるらしい…。美しいカクテルが作られていく過程そのものに、その都度ドキドキさせられる。「どうぞ」と言って客にグラスをさしだすときの相葉くんの慎ましい自信にあふれたさわやかな笑顔は、実際にカクテルを飲まなくても十分「魂の薬」になった(笑)。

毎回、客の悩みや問題をカクテルを通して解決していく、というお話もなかなか楽しかった。「神のグラス」にふさわしい酒が、「すべての人に等しく完璧な一杯」なのか、それとも「目の前の、絶望している人の心を救う一杯」なのか、という問いかけは、他の職業にも通じる話。「一生をかけた仕事に背を向けるということは、一生を放棄するに等しい」「自分に足りないものを探すよりも、自分がお客様に何ができるのか、身を削って考えろ」というセリフもまた。

たくさんの印象的なカクテルが登場したが、やはり究極は、'XYZ'。「終り」のカクテル。終わりを受け入れるからこそ、新しい気持ちで前を向ける。終りのカクテルは、始まりのカクテルでもある。なんだかいろいろ重ね合わせてしまって、眺めているだけで泣けてきたグラス。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月25日 (金)

「痴呆的流行ほど、美しい色彩となって残る」

今日は三島由紀夫が市ヶ谷で割腹した日。45歳だった。この人にはかなりの影響を受けている。逆説を用いながら真実をつくウィットがたまらなく好きで、少しでもその頭の中のレベルに近づきたいと憧れている永遠の師でもある。

小説もいいが、何度も読み返しているのは、エッセイのほう。とりわけ「不道徳教育講座」はどっかの細胞の一部になっているかもしれない(笑)。「流行に従うべし」という項目の次のくだりなどは、小気味よくてかっこいいばかりか、真実をついている。

「流行は無邪気なほどよく、『考えない』流行ほど本当の流行なのです。白痴的、痴呆的流行ほど、あとになって、その時代の、美しい色彩となって残るのである」

「一般的に浅薄さはすぐすたれ、軽佻浮薄はすぐ凋む。流行というものは、うすっぺらだからこそ普及し、うすっぺらだからこそすぐ消えてしまう。それはたしかにそうだ。しかし一度すたれてしまったのちに、思い出の中に美しく残るのは、むしろ浅薄な事物であります。(中略)しゃっちょこばったものや重厚なものは、一見流行ほどはやりすたりがないようにみえるが、本当のところは、流行より短命なのかもしれない。浅薄な流行は、一度すばやく死んだのちに、今度は別の姿でよみがえる。軽佻浮薄というものには、何かふしぎな、猫のような生命力があるのです」

「人の不幸を喜ぶべし」とか「空お世辞を並べるべし」「死後に悪口を言うべし」「人の失敗を笑うべし」などなど、一見、「不道徳」な項目ばかりが並んでいるのだけれど、すべて偽善の虚をついて、ピリッと楽観的に人間の真実をさらけ出して見せてくれる。フィールグッドな言葉ばかりが流通する現代じゃあ、これをそのままうけとって、まじめに「けしからん」とかいう人もいるのかな。お手軽な自己啓発本や名言集みたいのばっかり店頭に並ぶ現代の「軽佻浮薄な流行」を、三島だったら何と言ってからかうだろうか…。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月24日 (木)

無垢と色気と知性

◇恒例、ロンドンのホテル、クラリッジズのクリスマスツリーが公開された。今年はランヴァンのアルベール・エルバスがデザイン。レトロでカラフルなボールがたくさん。ランヴァンのアトリエで手作りされたものだそうですが。

Lanvinchristmastree005

悪くはないのだが、「ふつう」以上の感慨は湧いてこない。どうしても比して思い出してしまうのが、昨年、一昨年のジョン・ガリアーノによる、彼にしか作れないであろうファンタスティックなツリーなのである。ガリアーノ復活を、かえって強く願ってしまう。

◇興味をそそられたcoming movies. まずはメリル・ストリープがマーガレット・サッチャーを演じるThe Iron Lady. 予告編を見たら話し方がサッチャーそっくりで鳥肌が立つ。さすがストリープ。化けっぷりも完璧。お話は、デニスと夫婦愛が軸になるようだが。マーガレット・サッチャーみたいなパワフルでエレガントな女性は、やはり稀有。

http://www.youtube.com/watch?v=yDiCFY2zsfc

Merylstreepasmargaret007

もう一本は、ミシェル・ウィリアムズがマリリン・モンローを演じるMy Week With Marily. 写真だけでは、よくわからないが、Financial Timesほか新聞のレビューを見る限り、好評。

予告編では、かの有名な「シャネルNo.5を着て眠る」のセリフが、他社の某香水の名前に入れ替わっている。スポンサーかな?

http://myweekwithmarilynmovie.com/

Innocent, sexual, intellectual という三要素を兼ね備えていたマリリン・モンローはやはり特別な女優だった……。

Michellewilliamsasmari008

◇今日はフレディ・マーキュリーの命日。出っ歯を直さなかったのは、3・5オクターブの音域をもつ声を損ねたくなかったから、とも。口髭、黄色いジャケット、側章入り白パンツに運動靴、というスタイルがこれだけサマになる人もそういない。

Mercury1rex

以上ランダムに気になったことを羅列したが、One and Onlyで輝いたさまざまなジャンルの人に思いを馳せてみました、ということで。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月23日 (水)

ギーク・シックがくる?

中国の「端麗時尚先鋒」(「グラマラス」と提携)からの依頼で、ギーク(おたく)・シックについて書く。最初は「え??」と思ったのだが、調べてみると出るわ出るわ、ギーク・シックがこれからはちょっとしたトレンドになるかもしれない、とまで思えてきた。

スティーブ・ジョブズのVonRosenのカシミアの黒タートルセーター。やはりジョブズのLunor Classic Rund PPのメガネ。オタクを主人公にしたテレビドラマの人気。ジャスティン・ティンバーレイクらセレブの「コスプレとしてのギーク」。ディオール、シャネルのみならず、H&Mのギーク風味のコレクションやルック。そしてほかならぬデザイナー自身(マーク・ジェイコブズ、マイケル・コース、ゴルチエ、アレキサンダー・ワンなどなど)がギークであること。などなどを時代の空気のなかに関係付けて書いてみた。なかなか刺激的なお題でありました。感謝(こういう難題を出してくれる編集者がいてこそ、鍛えられるもの)。中国にご出張の機会がありましたら、ご笑覧ください。

Lunor

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月22日 (火)

「ファッション美術館が学校だった、と言ってもらえるように」

神戸ファッション美術館の名物(?)学芸員、浜田久仁雄さんが、ファッション美術館でおこなおうとしている人材教育について、熱く語っている。

http://www.youtube.com/watch?v=iGvr_8vWq2E

360度から見ることができる展示。

洋服を最大限に美しく見せるために工夫された、独特のマネキン。体型ばかりか、顔までも。オーランド・ブルームがモデルになっていたりもする。

「着ることができる」複製品の制作。

彼の試みには、いつも驚かされていたが(常に賛否両論あった)、こうして、自分のやろうとしていること、実際に行っていることをわかりやすく熱をこめたことばで発信するという態度もまた、あっぱれだと思う。

「黙々と誠実にやってれば誰かがわかってくれるだろう」という慎ましさは好ましく思うものの、現実はそれで通用する時代ではなくなっている。有言実行。ビジョンを明らかにして人についてきてもらう。多くの仕事人と接するうちに、それもまた責任のうち、と痛感するようになったこのごろ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

Drunkorexia

食べずに飲む。こういう「誤った飲食行動」が、Drunkorexia と名付けられていることを知る。anorexia (拒食症)などの摂食障害に関わることばにつく、orexia(食欲・摂取欲望)がついている。

http://marquettetribune.org/2011/10/25/news/drunkorexia-no-eating-more-drinking-bg1-me2-td3/

食べて飲んでいたら明らかにカロリーオーバー。というわけで、食べることとと飲むこと、どっちをとるか?といえば、私のような人間は、飲むことをとるわけである。「ミセス」誌の依頼を受けて、「食事メモ5日分」(←これをもとに栄養士さんが栄養状態を分析してくれるらしい)というのを書いていたら、私はモロこれではないか、ということにあらためて気づく。

Drunkorexiaは長期的に体に害を及ぼす、とこの記事は警告している。栄養以前の問題だな(苦笑)。

というわけで、めげることなくカクテル本もう一冊。『スタア・バーへようこそ』(文春文庫PLUS)。IBA世界カクテルコンクールのロングドリンク部門で日本人初の世界チャンピオンとなった岸久さん著。

「バー・ラジオ」の本が文化の薫りたっぷりであったのに対し、こちらのほうはもっとマテリアリスティックというか現実的。カクテルやお酒の種類の分類はじめ、バーでの注文の仕方や振る舞い方など、懇切丁寧に具体的に指南してくれるイメージ。味わい堪能する本ではなく、「情報を仕入れる」ための本。

おもしろかったのが、バーの仕事、バーテンダーの舞台裏のお話。バックバーの酒瓶を毎日磨く理由。グラスを煮沸していつも磨いている理由。おしぼりや氷にかける手間ひまと思い。閉店後にやっていること。などなど。

さらに、銀座でバーをやるということは、ただ店を出してればいいってもんじゃない、という話も興味深かった。返却不要の傘を常時30本用意しておくとか。お客さんがお連れになった方のためにお土産を常備しておくとか。銀座のウエストは電話一本でそのようなお土産を届けてくれるとか(笑)。

やはり奥深いバー文化の世界。

| コメント (2) | トラックバック (0)

「秘薬の匙に入るのは生命の薬でしょうか」

バーの話を書いていたら、お酒好き読者の方から何冊かお酒まわりの本を勧めていただいた。その中の一冊。昭和57年に柴田書店から刊行されたものを、昭和62年に角川書店が文庫化。『バー・ラジオのカクテルブック』。

バー・ラジオの店主、尾崎浩司さんの語りと、彼がつくる際立って美しい数々のカクテルの写真、そしてラジオに集った文化人(和田誠、榎木冨士夫、松山猛、小池一子ほか)によるエッセイから成り立っている。目にも心にも響いてくる、永久保存版となりそうな本。もう中古本しか流通してないが。

Bar_radio

映画にインスピレーションを得たカクテルの写真とエピソードが圧巻。グレタ・ガルボ、マレーネ・デートリッヒ、ローレン・バコール、泥棒成金、家族の肖像、などなどと名づけられたカクテルは、グラスや色も含め、もうそれしかありえないだろうと思わせるたたずまい。写真一枚一枚が、文字通り、溜息もの。

実際に飲むともっとイメージ通りであるらしい。イメージにぴったりすぎて違う名前になったというカクテルまである。それがフランシス・アルバートで、「元の名はシナトラと呼ばれていた。もちろんフランク・シナトラをイメージしたカクテルなんだけれど、これがなんともまあ美味いカクテルで、ドライで引き締まっているけれど、一寸コクがあって生意気な味がする。そのナマイキなところがシナトラにピッタリで、こんなのを考え出した尾崎さんに感心してしまう。その生意気に気取った味わいは、”シナトラというよりフランシス・アルバートって呼びたい感じなのだ”とわめいたら、それ以来そのカクテルをフランシス・アルバートと客が呼んでくれるようになったので満足」(榎木冨士夫)。

この「理屈じゃない」感じが酒場カルチュアね。

出てくる映画まわりの固有名詞は、やはり50年代から60年代あたりの「永遠の名作」が多く、文学ではやはりヘミングウェイ、チャンドラー、フレミング、常盤新平のニューヨーカー、あたり。たしかに「これを超えられるか?」という永久不滅王道感はあるのだけれど、その時代からもう半世紀近く経っている。今であれば、ここに入る固有名詞として何がふさわしいのか?ということをあれこれ考えながら読んでいた。

巻末の尾崎さんの「おわりに」では、ラジオにおいてはおしぼりや生花、カトラリー、グラスにいたるまで、いかに細やかな気配りがなされていたのかが明かされる。そして仕事場以外でいかに美を追求するための修業をしているのかも。

「バーテンダーに要求されるのは順応の早さ、それに小粋さなどですが、入り組んだ精神構造をお持ちの現代人を前に、名精神科医の役割も果たさなければなりません。投薬するカクテルの処方も、正確無比といきたいところです。秘薬の匙に入るのは生命の薬でしょうか。媚薬でしょうか。恐ろしい粉末でしょうか」……シブいです(笑)。

どんなささやかな一分野でも、手を抜かず真心をこめて仕事につとめ修業を積んでいけば誰かの魂を奪い、奇跡が起きる、ということを信じさせてくれる本でもある。

立ち寄るたびに、その時の状態にぴったりのカクテルを「処方」してくれるバーの店主は、この尾崎浩司さんのもとで働いていた。考え方に通じるものがあって、納得。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月21日 (月)

「自由と平等の中に歴然と存在する階級社会」

Signature 12月号、葉山孝太郎さんの連載「スパークリングなスクリーン」、第8回。甘くて不条理な身分違いのロマンスの話(『サブリナ』リメイク版、シドニー・ポラック監督)を、登場するクリュッグのシャンパーニュにからめて。

クリュッグの位置づけ、クリュッグの描写がうまい。描写が難しいお酒だが、ああ、こう書くのか。「クリュッグは、シャンパーニュの中で最も高価で、マニアっぽく、男臭い。日本の俳優でいえば、三船敏郎的な存在だろう。フル・ボディで、シェリー酒のような酸化した風味がある。好き嫌いがはっきり分かれるというより、クリュッグ側が飲み手を選ぶのだ」

『エリゼ宮の食卓』(新潮文庫)に書かれている情報として、こんな紹介もある。エリゼ宮で海外のVIPを招いて大統領主催の晩餐会を開くときには、相手によってワインの銘柄を露骨に変える、と。「昭和天皇がエリゼ宮に招かれたとき、敬意を払ってドン・ペリニヨンが出たが、短命内閣に終わると世界中が予想した羽田首相が渡仏した際、名もない南仏のワインを出し、『何の期待もしていない』とのメッセージを送った。このエリゼ宮で最高ランクのワインがクリュッグだ。クリュッグは、フランスの最重要国、イギリスのエリザベス女王が国賓待遇で来るときなど、特別の要人にしかサービングされない」

で、クルッグしか飲まない伊達者を「クリュギスト」と呼ぶそうだ。エリザベス2世にココ・シャネル。

映画の結末と、フランスにおけるこのシャンパーニュの位置づけのからませ方が知的で、酔える。「自由と平等の中に歴然と存在する階級社会。その中で階級を超えたロマンスが実を結び、クリュッグを飲んで様になる風格を備える。これが究極の『自由と平等』かもしれない」

(ちなみに、ヘップバーン版「サブリナ」では、モエ・シャンドンだったとのこと)

昨日の健次郎氏の話にもあったけど、そうそう、「階級社会」であることが歴然としているコワイ国、フランスは、建前上は「自由と平等」の国なのだった。こういうややこしいところで、究極の自由と平等を手に入れるには、相当な<ドラマ>が必要なんですね…。

クリュッグを飲んでサマになる風格。これを備えてクリュギストに名を連ねられたら、それこそお酒好きにとっては最高の栄誉だろう。

その前に、「グラスを2個ポケットに入れ、未開封のクリュッグを1本もってパーティを抜け出す」、そんなシーンに巻き込まれてみたいもの(笑)。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月20日 (日)

「役回りをまっとうする」

朝日新聞20日付、「レイルウェイズ」に出演する三浦友和さんのインタビュー記事より抜粋。

clover仕事がないときに支えになったのは、「うまくいかないときこそ、きちんと生きなくては」という強い思い。逆に、多くの映画や本に触れることができる時間にもなった。85年公開の映画「台風クラブ」で、無責任な中学の教師役を好演し、個性的な役が舞い込むようになる。「いまになればわかるんですが、俳優にはいろいろな役回りがあり、それをまっとうすることが大切なんです」clover

俳優でなくても。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月19日 (土)

動作やしぐさに服がついてくる、その秘訣は

夏のブランメル倶楽部のイベントで、お仕事をご一緒したテイラー、鈴木健次郎さんのミニトークショウつき受注会@銀座和光。

Kenjiro_wako_2

日本にパリのテイラー文化を伝えたい、という熱い志のもと、少しずつ仕事の重点を日本へ移していきたいとのこと。

いつもながら感心するのだが、鈴木さんの、自分のヴィジョンを伝える表現力というのはとても高い。「黙っててもわかるだろう」なんて甘いことが通用しない異国で鍛えられたのか、あるいは元々表現力が豊かであったのか、いずれにせよ、メッセージがブレず正確に、しかも熱を帯びて、きちんと伝わってくる。

Wako_2

以下、かなりランダムだが、彼の話の中からなるほど、と感じた点。

・フランスは階級社会であるから、日本のように「好きだから」語るとか、「好きだから」こんな服を買う、という発想があまりない。語るスポーツひとつとっても、階級によって異なる。当然、階級によって、作るスーツも違う。

・パリのスタイルといっても、フランスのテイラリング産業を支えている多くの人々は、外国人移住者であったりする。異なる宗教観、文化をもつ外国人が、自分のフィルターを通して、フレンチスタイルを形づくっている。そこが面白いところでもある。彼ら職人は「世界でいちばん美しいものが集まるのはパリ」という信念をもっており、自分にしかできない美しい物を作ろうとすることに、職人としての誇りをもっている。

・パリの上流階級のエレガンスのエッセンスは、「ディスクレ」(英語でいう、discreet、控えめな部分における美しさ)にある。教育、支払い方、チップの渡し方、すべてにおいて「ディスクレ」な態度が貫かれている。服においてもそうで、誇張されたスタイルはよしとされない。部分的な意匠で驚かせたりはしない。その服はどこの?と聞かれるのは、野暮の極み。着る人自身がエレガントに魅力的に見えるカッティングこそが、最重要事項として求められる。このあたりの美意識は、日本人にも通じるところがあるはず。

・自分が作るスーツにおいては、空気感を重視している。日本人の体型にぴたりと合わせてスーツを作ると、マッチ棒のようになってしまいがち。それでは美しくないので、立体感や奥行きを重視し、前面に空気の層を二重、三重に入れる。そうすることで、動作やしぐさに服がついてくる。日本の「着物をまとう」感覚と同じ。空気の層でゆとりがあっても、ウエストをシェイプしているので、ぶかぶかに見えることはない。

・フランスの顧客はテイラーに3度のチャンスを与える。一度目は、「体に合った」服。二度目は、その人の動作や癖や着心地やポケットに入れるものの習慣などに応じてゆとりを考慮した服。三度目はテイラーの美意識の反映も許すような服。三度の「テスト」にパスすれば、「レッセフェール」、あとは信頼して任せてもらえる。

・あと5年から10年足らずで、パリからテイラーはいなくなる。パリにはすばらしいテイラリングの伝統があり、何年もかけてレベルを上げてきたはずなのに、肝心のパリのテイラーがそれを次代へ伝えていこうとしない。その点が「継承」重視のアングロサクソンと違う点で、残念なところである。せっかくパリで修業を積んだ自分は、そのような貴重なパリのテイラリング文化をなんとしても日本へと伝えたい。その使命感をもって仕事をしていく。

テイラリングは文化を背負う。そして誰かがそれを、明確な言葉とそれを具現化する作品を通して伝えていかねばならない。孤独でハードルの高い仕事を辛抱強くやろうとしている鈴木さんは、仕事への向き合い方においても、多くのインスピレーションを与えてくれる。

Wako_3

| コメント (4) | トラックバック (0)

2011年11月18日 (金)

TOKYO GOTHIC

神宮前のDA FIOREにて一年ぶりに再会の友人と、ワインとイタリアンの夕べ。

Da_fiore_2

友人のはからいで、食事に合わせて一皿ごとにワインが変わる、というコースを頼んでもらい、6~7種類ぐらいのワインを楽しむことができた至福の時間。食後のグラッパも実にさまざまな種類があって、アスパラ入りなど珍しい物も。

11183

さすがにここまでは飲めず、見るだけ&撮るだけ。料理もワインも接客もすばらしく、また訪れたい素敵なお店でした。ありがとうございました。

表参道からその店に向かう途中に、ディズニーランドのシンデレラ城みたいにライトアップされた施設があって、なにごとかと思ったら「○○大聖堂」と書いてある。ぴかぴかに新しい「大聖堂」は、信仰とはあまり関係のない、パーティーやウェディング用の施設であるらしく、その夜もちょうどウェディングの真っ最中。

11185

なんちゃってゴシック。ゴシック&ロリータを生むほどの日本だから、こういう建築もアリなのね…。

| コメント (2) | トラックバック (0)

分化ではなく、統合に向かう想像力を

昨日は、明治大学商学部でのファッションビジネス教育の世界展開に関し、マスコミ交流会をおこないました。商学部長横井教授による全体の概要の紹介、商学科長小川教授による現在の取り組みの具体的紹介につづき、国際日本学部で私が担当しているファッション文化論(「ファッション文化史」、「モードの神話学」)の講座の目的と概要をプレゼンテーションさせていただきました。65名ものマスメディアの方々にご来場いただき、その後の懇親会でも好意的な多くのコメントを頂戴して、励まされました。ありがとうございました。

私の話のテーマは「学問としてのファッション学」というものだったのですが。以下、その大雑把な趣旨の一部です。

大学で教える「ファッション学」として私が目指しているのは、あらゆる知や感覚や経験を統合していく学問としての位置づけ。分化・専門化ばかりがすすみすぎた弊害が、全体を見渡して統合する感覚と想像力を欠いた人材の不足という現状になって現れているのではないかと思っている。専門化の行き過ぎは、リーダーシップの不在と無関係ではないはずだ。

ファッションとは、時代の空気を形づくるもの。時代の空気とは、政治・経済・社会・芸術などのほかに、広告・雑誌・映画・ポップカルチュア・サブカルチュア、そしてひとりひとりがかかえる心理的な問題(コンプレックス、幸福感、アイデンティティ、人間関係、同調圧力、家族の問題、セクシュアリティ、などなど)の諸要素が、渾然となってつくられる。

それらの諸要素に偏見なくきめこまかく目を向け、諸要素のつながりを考えることができる想像力。過去2000年分(それ以上でもいいわけだが)のファッションの歴史と現在のモードとの関連を想像できる感性。そのような「統合」に向かう想像力をもち、しなやかで幅広い教養を備えた人材を育てる、というのが私が大学における「ファッション学」教育を通して目指していることである。

ここでいう「統合」とは、Integrate 。すべての要素の境界をぐちゃぐちゃにあいまいにするのではなく、個々の要素をきちんと立てて生かしながら、全体を有機的にまとめあげていく、ということを意味する。

というような、日ごろ考えている自分の仕事の位置づけのような話に続き、具体的なカリキュラムの紹介をおこないました。

大風呂敷かもしれないが、これくらいの理想を掲げておいたほうが、私自身ががんばれる、ということもある。失笑を買うことにはとうの昔から慣れているので、平気だし(笑)。

ファッションの表層的事実だけを記述していっても、それはすぐに古くなる。でもその背後に働く想像力は古びない。それを見抜いて記述していくこと、というのが<ファッションについて書くという仕事>の個人的な理想でもあるのだが、そう簡単なことでもなくゴールがあるわけでもなく、日々、延々と修業中…。

| コメント (4) | トラックバック (0)

2011年11月17日 (木)

キティラベルのボジョレー・ヌーヴォー

ワインを欠かした日など一日たりともないけれど、ボジョレー・ヌーヴォーなどは別にどうでもよかった。薄くて高い、お祭り便乗品ぐらいにしか思ってなかった。

でもこれは特別~。キティラベルのボジョレー・ヌーヴォーである。

Kitty_2

便乗といえばこっちのほうがワル乗りのはずなんだけど(笑)、好きなものだとつい甘くなり、嬉しくなってしまう。キティ愛を公言していたことでご縁ができたサンリオの方から送っていただきました。しばらく飾っておきます。ありがとうございました!

| コメント (0) | トラックバック (0)

ショコラにこめられるデザイア

昨日は「サライ」連載記事のため、伊勢丹にチョコレート(というよりも、ショコラと呼んだ方がよいですね)の取材。バイヤーの上野さんに、ショコラ最先端事情をうかがう。

ショコラだけでどれだけのことが書けるだろうか…という当初の不安は吹き飛ぶ。展開する奥深い世界に、逆に、「話題が多すぎて書ききれない」不安がこみあげてくるほど。詳しくは本誌2月号にて。

それにしても感銘を受けたのは、上野さんの信念と情熱と知性と美しい言葉であった。この10年で日本にショコラ文化をこれだけ根付かせたのは、こういう方々の努力があってこそなのだなあ、と静かに感動する。ショコラの世界だけではなく、バイヤーの信念というか人の力に心が動かされた取材になった。ひるがえって、世間の偏見を払拭して新しい理念を普及させようとするとき、絶対必要な要素は何かということを教えていただいたような思いがする。このタイミングでこの人に出会えたことは幸運だった。ありがとうございました。

写真は、サロン・ド・ショコラ10周年を祝って登場する、鬼才パトリック・ロジェの限定復活アイテム。10年目のテーマは、Desire。人間の根源的な欲望。デザイアの解釈は、ショコラティエの数だけ存在する。そして食べる人の数だけ。

Choco_2

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年11月16日 (水)

「スキャンダルはセレブの称号」

ジミー・チュウの創設者、タマラ・メロンがジミー・チュウを離れ、あらたな自身のブランド(トリー・バーチとかトム・フォードみたいな)を始めるらしい。

ジミー・チュウという靴ブランドは、ラグジュアリー界にあってかなりユニークな成長のしかたをしてきて、比較的特殊と思えるような位置にある。たった一人の女性がどうやってブランドを創設し、いかにしてブランドがかくも大きく成長していったのかという経緯が、周囲のラグジュアリーブランド戦争や彼女自身をめぐるスキャンダルなどのなかに生々しく描かれる本。

ジミー・チュウのハイヒールのイメージを向上させるのに、タマラ自身のスキャンダラスな私生活が多大な貢献をしていたことが、よくわかる。彼女もまた、ブランド界における「できる公私混同女」。ジミー・チュウというブランドの行く末よりもむしろ、今後のタマラ・メロンの人生がどうなっていくのか、そちらのほうに興味がかきたてられる。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年11月15日 (火)

Everything is fine and dandy.

毎日楽しそうでけっこうですね、と皮肉交じりに言われることもあるが、多くの人々の例にもれず、生活の半分以上は苦い思いをしたり、辛抱したりすることでなんとか成り立っている。ただ、知らない人まで暗い気持ちにさせたくはないので、明るい話題しか口にしないし、書かない、というだけのこと。他人の不幸話やみじめ話は蜜の味、ということもあるけれど、それはまた別のカテゴリーでの話。

ただ、ビターな思いというのはそんなに嫌いではない。苦さを味わえばこそ、嬉しいことがあったときのありがたみも増すし。苦い思いがすっかり親しいものになっているということもある。

忘れかけていた過去のビターな思いと直面する必要に迫られた夜。シラフでは行けないなあと思って直前に立ち寄ったいつものバーで、バーテンダーが出してくれたカクテルが、"Fine and Dandy "であった。 「あまり女性にお出しするカクテルではないのですが」とのお断りつき。ジン、コアントロー、レモンジュースに、ビターズが1ダッシュ。フレッシュで苦みが強い。芯のある苦みが心地よい。

Fine and Dandyというカクテルが存在することすら知らなかった。Fine and Dandy、1930年代にブロードウェイで歌われて、ジャズのスタンダードにもなっているらしい。

英語のイディオムとしても使われる。excellent と同じような意味で使われるが、そこには皮肉がこめられる。'How are you?' と聞かれたときに、'Everything was fine and dandy, until my girlfriend left me.' (彼女にフラれるまでは、何も言うことはなかったね)とか。

'Our boss suggested  going abroad on vacation'(上司、休みに海外に行くんだとさ)という話がでたときに、'That's fine and dandy for him, but what about the poor assistants like us?' (そりゃけっこうなことで。でもわたしらビンボー人は)とか。

楽しそうですね、などと言われたときに、どんなにみじめなことがあった後であったとしても、返す言葉としては、なかなかいいようだ。Yes, everything is fine and dandy.

ダンディズムの本なんぞ書いていながら、こんなdandyの使い方も今さらはじめて知った。ほんとに、知っているべきことに上限というものがない。なさすぎる。

それにしても、このバーがすごいのは、いつも心の状態にあったカクテルを「処方(prescribe)」してくれて、新しい発見や知識を与えてくれること。偶然が重なってるだけかもしれないけど(笑)。たしか、カウンターのアンティークっぽい酒棚にはPrescriptionというような文字が見えた記憶があるが、本来、お酒とはそういうものであったかもしれないな、と腑に落ちる。

ちょっとだけ覚悟していた過去との直面のほうは、苦みなどすっかり薄まって、水みたくさらさらの無味無臭になっていた。ほっとすると同時に、これはこれで、やや拍子抜け。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月13日 (日)

できる女は、公私混同。

紫綬褒章を受章した女優の大竹しのぶが、会見で「過去の男」たちへの感謝を述べたということが週刊誌などで取り上げられているが。

「最初に結婚した主人(服部晴治氏)、つかこうへいさん、蜷川幸雄さん、野田秀樹さん、いろんな男の人たちが私を支えてくれた。(明石家)さんまさんには、私の中の“軽い”部分、コメディーも楽しく思えるって部分を出してもらった」

ウェブで紹介されていた週刊文春の記事では、こんなコメントも紹介されていた。

「大竹は男性の才能に惚れるタイプ。野田氏も大竹の女優としての才能に惚れていた部分が強かったから、別れた今も、仕事を通じて交流できるのでしょう」(演劇関係者)

「男に溺れるのではなく、最初の夫からはドラマを学び、さんまから笑いを、野田から舞台の魅力を教わって、着実にステップアップしてきた希有な例」(テレビ関係者)

これを読んですぐ連想したのが、ココ・シャネル。きら星のような愛人たちとの交際から、そのつど、さまざまなインスピレーションを受け、ファッションや香水やアクセサリーに昇華させた。別れたあとも、友情を保ち、イギリス、ロシア、スペイン、フランス、イタリア、ドイツなどなどにまたがる元愛人たちのネットワークは、生涯にわたりシャネルを支え続けている。

サンローラン(男だが、まあ、この方のパートナーは男だし)もそうだけど、やはり突出した成果を出す人は、公私混同というか、仕事をプライベートをきっちり分ける、みたいなせこいこととは無縁なのであるなあ…とあらためて感じ入る(オノ・ヨーコとか、神楽坂恵とか、マリア・カラスとか、エディット・ピアフとか、マリー・キュリーとか、ほかにも例を挙げればきりがない)。恋愛の情熱と仕事への情熱、それが不可分になってその人の中でトータルな化学反応を起こしているからこそ、人の心を動かすようなものが生み出されている。公私混同って、うまく機能すればだが、少なくともアーティスティックな分野においては、最強のモチベーションとなるばかりか、想定を超える成果を生み出す起爆剤になるらしい。

| コメント (2) | トラックバック (0)

「クリエーションは違いを目立たせることから始まる」

まっさきに開いたのが、コシノジュンコさんの「仕事力」3回目が載っている頁。朝日新聞13日付。やっぱりかっこよい人にはかっこよい考え方があるわ~。

「クリエーションというのは、この、自分が見つけたドキドキや美しさを徹底していって、それを多くの人に還元することだと思います。自分という入口は、本当は同じ時代を生きる人の感覚とつながっている。まだ人が気づいていないその感覚を、あなたが見つけてくるのだと言い換えられるかも知れません。そのために気持ちは自由にしておく。仕事が忙しくても、自分らしさの源となる心には、遊ぶスペースをいつも持っていなくてはと思います」

目立ってナンボ、という発想の肯定にも、説得力がある。

「浮いてしまうのが怖いと考えるのは、今自分の位置を確保した集団からはじかれるのが怖いからですね。でも、クリエーションは違いを目立たせることから始まります。サービス業でも、製造業でも同じだと思いますが、『こいつは何か違う』と言われる人は、エッジが立っています。周囲の色に全部染まっていたら、いつだってその人の代わりは利く。

浮いていることを認め、気持ちの中に自分だけの遊びのスペースを持っておくこと。あなたの感受性は、コンピューターの情報の中などにはないのですから」

ただ自己主張したい一心というのが透けて見えるから浮いている人と、心に豊かな遊びのスペースがあるからこそかっこよく浮いている人、の違いは一目瞭然。前回も書いたけど、後者になるには、心のタフネスと勇気が必要。決心するのは簡単だけど、実行し続けるには相当なエネルギーが要る。浮いていることを認めて、愛してくれる近しい人の存在は不可欠だと思う。ジュンコさんの場合はお母様はじめ姉妹がそうだったのかな。幸運で、幸福な仕事人生を邁進している方だなあ、とあらためて敬意を覚える。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月12日 (土)

「名声とは、幸福の輝かしき葬列」

映画館で見逃していた「イヴ・サンローラン」、DVDで。

サンローランの物語、というよりも、亡きイブを回顧する、50年間にわたるパートナー、ピエール・ベルジェによる、サンローランとの日々の回想録といった趣きのドキュメンタリー。

静かに、ほんとうに静かに淡々と、ピエールが語っていくサンローランとの日々。その抑制のかげに隠れた大きすぎる愛の物語に畏敬の念をおぼえるし、彼らを国家的に敬い、認め、愛するフランスという国のすばらしさにナミダする。

冒頭の、サンローランによる引退会見の言葉からして心をかきみだされずに聞いてられない。

「人は生きるため、とらえがたい<美>を必要とします。私はそれを追い求め、苦しみました。苦悩にさいなまれ、地獄をさまよいました。精神安定剤、麻薬、神経症、厚生施設…。でも私は、<創造の天国>に昇ることができたのです。(中略)人生でもっとも大切な出会いは、自分自身と出会うことです。(中略)心から愛したこの職業に、別れを告げます」

華やかな名声にいろどられているかに見えるサンローランだが、実は幸せそうな顔をしていたのは、年にただ2回、コレクションの最後に登場して喝采を受けるときだけだった、というピエールの告白。

あとの日々は、創造のための苦しみばかりだった。

それを支え続けたピエール。こういうパートナーに出会えたことこそが、サンローランにとっての最大の幸福だったのだなあ…としみじみ思う。

クリスティーズのオークションにかけられる、ふたりが愛した美術品たち。ピエールの心中を想像するだけで耐え難いものがあった。

サンローランの映画、というよりもむしろ、静かに語られる、一つの比類なく美しいラブスト―リー。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月11日 (金)

じらして最後に、極上の陶酔

「ゴシップガール」最新ボックスもすべて見終わり(チャック・バスがちんぴらに撃たれてその後どうなるかわからずに終わる、というこの宙ぶらりん感!なんとかしてくれ)、移動の友のDVDは「マッドメン」シーズン4に。

やっぱりしびれるこの大人世界。前のシーズン、アレで終わっといていったいどういうふうに続くのか?というのが最大の興味であったのに、いっこうにソノ話が出てこなくて、ひょっとして私はどこかのお話をとばしてしまったのだろうか…と不安にすらなりはじめてきたところに、最後、バッチリと顛末が明かされる。最小限のキメ台詞と、最高の表情で。

「そうだったのか」の感激に、「タバコロード」の歌詞がかさなる。その瞬間、うわ~っと脳内ドーパミンみたいなものが噴出する。さすがドン・ドレイパー。というか脚本家がすごいのだな。観客を信用しきっているのがセクシー。本気でめまいがした。この陶酔感をなんと表現していいか。

じらしてじらし続けて、最後のぎりぎりで観客に究極の極上のカタルシスを与える。このドラマがセクシーである最大の理由、と実感。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月10日 (木)

「モンスター」が香るとすれば…

「サライ」12月号発売です。連載「紳士のもの選び」にて、シングルモルトウィスキーについて書いています。機会がありましたら、ご笑覧ください。取材にご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。

今月号の特集「温泉は百薬の長」。行きたくてもなかなか行けない身は、脳内旅行で擬似体験…。

また、「サライ・ファッション」のページでは、国際日本学部の学部長、蟹瀬誠一先生がモデルをつとめていらっしゃいます。学部生は必見ですよ。

◇ドイツの原子力発電所見学映画「アンダーコントロール」の公式ページに、コメントが掲載されております。

http://www.imageforum.co.jp/control/comment.html

◇久々に引っ掛かりを感じたファッションニュース。レディ・ガガも例にもれずセレブリティ・フレグランスを作るという。ガガ最初の香水は、'blood and semen' の香りがして、Monster と名づけられるだろう、と。生肉ドレスに続いて、賛否両論を巻き起こすこと必至。好悪をとびこえて、前例のないことにチャレンジし続ける姿勢は、あっぱれだと思う。

http://fashion.telegraph.co.uk/article/TMG8876288/Lady-Gagas-first-perfume-smells-like-blood-and-is-called-Monster.html

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年11月 7日 (月)

時間を引き延ばそうとしても、かえって時間はムダになる

ジェームズ・ボンドはなぜ半世紀以上も文化的・商業的影響力をあたえているのか?に関するレクチャー。材料が多すぎてなかなかまとめきれず、しばらく延期してきたが、

I shall not waste my days in trying to prolong them. (時間をだらだらと引き延ばそうとして、かえって時間をムダにするようなことはしたくない)

という原作者フレミングの言葉に行き当たって、それもそうだな、とけりをつけた格好。締め切りをひきのばしたって、その間の時間が空疎になりがちなことは体験済み。やたら長生きだけしようとしても、その間、濃く太く生きなかったらかえってその時間は空しいだけ…という気もする。もちろん、濃く太く長く生きられれば、それにこしたことはないとは思うが。

ジャマイカの別荘で10年間だけ小説を書く。一年に一作ずつ、確実に残るヒット作を。だらだらと引き延ばさず、短期集中決戦でそれをなしとげたフレミングは潔くてかっこいい。

ボンドワールドは、マッチョでアナクロな、偉大なるマンネリズムでできている。男が幻想の男らしさにひたれる数少ないファンタジ―世界、というのがやはり根強い人気の秘密のひとつかなあ。永久に立ち入れない、というところが探究心をかきたてますね。恋愛と同じ?

そのほかに好きな(というか、印象に残る)フレミングのことば。

A woman should be an illusion, (女は幻想であるべきだ)

You only live twice.  Once when you are born and once when you look death in the face. (生まれるのは二度。この世に生をうけたときと、死に直面したとき)

後者のぴたりとくる訳語を模索中…。映画のタイトルでは「007は二度死ぬ」だったけど、原語は逆なんだよねえ。

新作はSkyfall 、悪役がハビエル・ハルデム、ますます楽しみ。

タイミングよく「ジョニー・イングリッシュ・リボーン」の試写状も届く。日本語のタイトルが「気休めの報酬」。久々に笑えるナイスな邦題!

Jonny_english_reborn

予告編を見たが、ローウァン・アトキンソンの髪が白くなって老けたなあ…という印象。これも「不老不死」のボンドに対するパロディか?

そんなこんなの調査をしているうちに、過去に自分が書いたボンドに関する記事の中に、調べ方が不足していたための間違いを発見。恥ずかしい。申し訳ない。消え入りたい。ホント、どれだけ研究しても enough というレベルにいきつけない。

<追記>

'You only live twice' に関し、ボンドマニアの友人がさっそく解釈のヒントをくれた。「一度目の生を受けたときは自覚もなく、危機を感じて初めて『生』を意識する…」ということでは、と。

それでようやく理解できた!つまりこういうこと?

『生』を感じられるのはたった二度。一度目は生を受けた瞬間。二度目は死に直面したとき。でも、一度目は自覚がないから、実は本当の意味で『生』を感じられるのは、死に直面したとき、ただその時一度のみである。

そこからさらに解釈を発展させれば、生きていることを実感したければ、死と隣り合わせのつもりでいけ、と。

そこまでは読みすぎかもしれないけど(笑)。

この解釈で 'only' の意味もくみとることができた。ありがとう!

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 6日 (日)

「姿も、形も、生態も、行動も、何を食うかによって変わってくる」

◇宇田川悟『最後の晩餐 死ぬ前に食べておきたいものは?』(晶文社)。各界の著名人と著者との、食をめぐる対談集。

登場するのは、島田雅彦、奥本大三郎、猪瀬直樹、荻野アンナ、南部靖之、磯村尚徳、小山薫堂、山本容子、逢坂 剛、田崎真也、辻 芳樹、千住 明、楠田枝里子、ほか。

食を語ることを通して、その人のことがわかる。たしかに。おそろしいことだ…(笑)。これまでの印象が一変した方もいれば、ああ、やはりそういうふうにお考えになるのですね、と納得させられた方もいる。食べることは、その人の生きる姿勢と直結する(こともある)らしい。

最後の晩餐に食べたいもの、あなたの場合は? と読者は自問を迫られる。私の場合は、ない。聞かれてないが(笑)。食べることに執着がない。ほっとくと、というか一人でいると、ほんとうに何も食べないので、息子たちは旅行に行ったりしたときに、「ちゃんとメシ食べた?」と心配して電話をかけてくる(ふつう、その心配は親がするもんだが)。ということは、「生きることにも執着がない人間」ってことなのかな。締め切り前には意識的にステーキとか焼肉を食べるが、「燃料」というイメージ……。もちろん、友人と食事をする社交は大好きだが、その場合も、会話が盛り上がるようなサービスを供していただけるレストランでさえあれば、何でも美味しく食べられる。

でも、最後の晩餐(?)として飲みたいお酒、これを飲まなきゃ死ねない、というお酒ならばある。クリュッグかポル・ロジェのシャンパーニュ⇒ムルソー⇒モンラッシェ⇒ロマネ・コンティ⇒カルヴァドス(高い酒ばっか? まあ、あくまでも勝手な「夢想」なので、ご寛恕)、このへんでまだ意識があったらカクテルへ、そうだな、サイドカーがいいかな。甘く終わるのもなんなので、締めにスーパードライなマティーニ。これを飲み終わるころになると現世での後悔なんぞもすっかり忘れて、すんなりとあちらの世界へ行ける準備が整っているだろう。やっぱり、現実を実質的に生きてない、というか、地に足がついてない姿勢があらわれているようだ(苦笑)。

タイトルにしたのは、奥本大三郎さんの言葉。昆虫の話、ではあるけれど、生き物(人間含む)全体について言える言葉として。

| コメント (2) | トラックバック (0)

「その時、その場で伝えるべき魂を知っている」

楽しみにしていた、コシノジュンコさんの「仕事力」2回目。「センスとは、状況判断である」(朝日新聞6日付)。

どんな分野であれ頭角を現すために必須のセンス。そんなセンスとは磨くことができる能力である、という前提のもと、では何がセンスで、どうやったら磨くことができるか、という話を、具体例を添えて。

「センスは4つの意味を含んでいると思います。『感覚的』『経験がある』、それについての『知識を持っている』。そして瞬時にどうすべきかの『状況判断ができる』。

「手に触れたものが何で出来ているのか、今見たダンスになぜ感動したのか、どんなことでも自分のセンサーにかかったらつかまえて、私のセンスの引き出しに蓄えているのです。意識してそれを続けることですね」

キューバ大使夫人から送られた銀のフォークのブレスレットのエピソードを紹介して。「多くの困難な体験をしていらしたと思います。それでも虚勢を張ったり、何かで間に合わせたりするのではなく、その時、その場で伝えるべき魂を知っていることのすごさ。センスとは、つまり見た目がどうこうというのではなく、人間の総合力なのです」

日ごろからぼんやり感じていたことをきちんと言葉にしていただいたような印象。日々、偏見なくセンサーを張り巡らせていると、「この人、センスがいい!」とか「この店のセンスが抜群!」というような出会いには恵まれるもの。それを「どうしてそう思うのか?」と自分で消化していく作業を繰り返すことで、センスは磨かれていくはず……と信じて努力を続けてはいても、意外とできないのが、「状況に応じた伝え方」。理由はただひとつ、「勇気がないから」。あるいは「失敗を怖れすぎて臆してしまうから」。その時、その場の魂を瞬時に判断して過不足なく伝えられる。これはもう、行動力の問題で、現場体験を(恥をかきながら)重ねていくしかないのだろうなあ。

そういう場に臨んでも、「できたことだけが自分の能力のすべて」と考え、(もっとうまくできたのに、などと悔やんだりして)決して落ち込まないことが大事。今後の課題ですな。

センスの良しあし、テイストの良しあしが決して表層的な問題ではない、ということを言っている人は、イギリスの作家にもいる。たとえばヘンリー・フィールディング。ときどき読み返している名言の一つ。

A truly elegant taste is generally accompanied with excellency of heart. (真にエレガントなセンスは、おしなべてすぐれた心をともなっているものだ)

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 5日 (土)

「嗅覚は想像を生む感覚だ」

◇園子温監督が神楽坂恵と婚約したことを『恋の罪』関連のニュースで知る。やっぱり、というのが最初の印象。

「人としても女優としても成長させてもらった」というのが神楽坂恵のコメントにあったが、園子温の映画に出てくる彼女を見ていて、なんというか、底にある生ないし素の部分が次第にぐいぐいと外に開かれていっているな~という感じを受けていた。それこそがたぶん、彼女にとっての「成長」で、そういうふうに導いてくれる人と巡り合えるというのは、幸運&幸福以外のなにものでもないのだろうなあと思う。おめでとうございます。

◇読者の方に勧めていただいた本。2005年のゲラン賞受賞。『マリー・アントワネットの調香師 ジャン・ルイ・ファージョンの秘められた生涯』。エリザベット・ド・フェドー著。

宮廷での慣習や具体的な取引などの様子、王妃の着付けやお出かけ、入浴などのこまごまとした生活の様子、アントワネットのために作った香水の具体的なデータや調香法、そして革命によって激変した生活の状況などが、「まるで見てきたかのように」描かれている。膨大な量の参考文献。トップノート、ミドルノート、ラストノートという、香水になぞらえた粋な章立て。小説のように読めて、かつ史実も学べる楽しい良書。

こういう本の存在を教えてくださる読者に恵まれることもまた幸運&幸福だと感謝する。

タイトルにしたのは、「トップノート」の扉ページに書かれていた、ジャン=ジャック・ルソーのことば。L'olfaction est le sens de l'imagination.

◇アントワネット周りで目に留まって購入したのが、やや大型のビジュアル本『王妃 マリー・アントワネット 美の肖像』(世界文化社)。写真を中心に構成された、マリー・アントワネットの世界。

インテリア、宮殿、庭園、肖像画、手紙、アクセサリー、食卓、などなどを通して語られる、まさしく「家庭画報」の読者が好みそうな世界。

けっしてビジュアルだけで終わっているのではなく、読みどころも堅実に書かれているのがよい。エピソードの中でとりわけ印象に残った言葉は、王妃が、もう会えないフェルゼンに託した指輪に刻んだ、イタリア語の銘文。「すべてが 私を貴方へと導く」。

| コメント (0) | トラックバック (0)

「不可能」は、挑戦を待っている

喝采を送りたい大切な友人への贈り物として、ニュースを聞いたときにこれしかないだろう、と思っていた、サントリー開発の青いバラ「アプローズ」。

入荷の数が限られ、なかなか入手しにくいということで予約注文しておいて、ようやく現物と初対面。

114_7

青というよりも、モーヴというかピンクパープルに近いかなあ…といった印象。これに別売で、アンバランスなほどに豪華なボックスと能書きがつく。

正直なところ、価格に疑問を呈したい感もありだが、これはまあ、今後のいっそうの改良研究費に投資と考えればいいわね。

不可能と思われていたことに挑戦し、一歩ずつ近づいていく。やはり喝采に値する偉業だと思う。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 4日 (金)

容赦ないマティーニ

◇芦田多恵さんがMiss Ashidaブランドを創立して20周年。ということで祝:記念インタビュー、Jun Ashida本社にて。

コレクションのときには毎回お会いするのだが、長い時間をとってお話を伺う機会がなかなかもてずにいたので、じっくりとデザイナーの考えを聴けたことはとても意義深く、なんといっても楽しかった。

経済問題、格差問題、地球環境問題、政治的問題、その他もろもろの深刻な問題が山積する時代において、ファッションの役割をどう捉え、どのように取り組んでいくのか。

震災後にあらためて確認できた、顧客の方々との絆。

転機となったクリエーションや、デザイナーとしての立ち位置の自覚。服を作ることの意義。舞台で自分の作品を観るときの感覚。ファミリーや社員の方々との絆。などなど、興味深い話はどこまでも尽きず。

詳しい内容は、次回発行のJA誌にて。お楽しみに!

◇次の取材までの間、少し時間があるので、さっぱりめの「ウォッカコリンズ」(←「酔わないお酒」と注文したらこれが出てきた)などを飲みながら待っていたいつものバーで、急遽キャンセルの連絡が入る。「では、容赦なくいきますね」とにやっと笑ってバーテンダーが作ってくれたのが、「007 マティーニ」。

114_5

通常のドライマティーニと若干レシピがちがう。「カジノ・ロワイヤル」の原作にレシピがあるそうだが、ジン、ウォッカにヴェルモットを加え、シェイクして、薄く大きく切ったレモンピールを入れる。ふつうのドライマティーニが甘くやさしく思えてくるほどのタフで骨太な強さで、まさしく、容赦せず挑んでくる感じ。ダニエル・クレイグのボンドは映画のなかでこれを六杯あおった。

サカナに出してくれたのが、The Gentlemen's Clubs of London。ロンドンのほとんどの紳士クラブの内部を撮影した貴重な写真集である。007マティーニの友には最高。(英国紳士文化の専門家ということになっている)私ですらもってないレアな洋書の古書が、いつもなぜかここにくるとさりげなく出てくる。うれしくて、少しくやしい(笑)。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 3日 (木)

「愛を選べ。祖国はなんとかなる」

「三銃士」3D。おなじみのデュマの古典を、プロットの基本はおさえながら、空中を飛行する海賊船みたいなのを飛ばしてまで派手にスケールアップした豪華版。

Three_musketeers

監督がポール・アンダーソン。アトスにマシュー・マクファーデン、アラミスにルーク・エヴァンズ(やや存在感が薄い)、そしてポルトスにレイ・スティーヴンソン(英テレビドラマ「ローマ」で大ファンになった方である。大スクリーンでお目にかかれて嬉しい~)。

ミラ・ジョヴォ様の、サービス満点の下着姿でのセクシーアクションといい、オーランド・ブルームのキザな悪役っぷりといい、「パイレーツ」シリーズも連想させるCG駆使のいまどき戦闘シーンといい、金がかかってるな~と思わせるセットといい、批評家ウケは悪そうな要素はたくさんある。

しかしながら! お金を払って観る一観客として、これほどたっぷり楽しませていただければ大満足である。っていうか、これまで映画化された「三銃士」はすべて観てきたが、今回の映画が、もっともお話がわかりやすかった。

17世紀初期のコスチュームをいまどきの嗜好にアレンジした衣装も、楽しい。「歴史的事実に忠実ではない」かもしれないけれど、今ならこうだ、というその解釈のしかたは素敵。フランス王と英バッキンガム公の衣装合戦も感心しながら笑えたし、三銃士たちがくつろいでいるシーンでのシャツ姿もよかった。襟元にそれぞれ違う、こまやかな刺繍が施されているのだ。17世紀の騎士ファッション特有の、折り返しつきのブーツ、あれ、今みてもスタイリッシュでいいなあ。もう一度流行しないだろうか(笑)。

Three_musketeers_balcony_shot_crop

そんなこんなの眼福エンターテイメントとして観てるだけでもいいのだが、なぜいまこの時代に三銃士の物語?と(むりやり)考えたときに響いてきたセリフが、ダルタニアンの父が旅立つ息子へ贈った言葉、'Fight, Love, and Live (闘って、愛して、生きなさい)'。

そして、祖国への忠誠という「大義」か、目の前の「愛する女性」か、どちらかを選ばなくてはならなくなった切迫した事態において、アトスがダルタニアンに言ったことば。'Choose the woman. France will take care of itself(女を選べ。祖国はなんとかなる)」。←セリフうろおぼえで必ずしも正確ではないかも。

大義などロクなもんではない、ということは先日のエントリーでも書いたばかりだが。世界中で今もなお、何かのために闘わなくてはいけない人たちに向けたメッセージのようにも聞こえる。

思えば、戦意高揚映画「カサブランカ」では、ボギーは女を選ばず、大義を選んだのだった。それがどういう結果をもたらしたかは、歴史を見ればわかる。

「三銃士」のオリジナルは、フランス王と王妃に忠誠をつくした銃士たちの物語、というふうに表向きは装っているが、実はこういう大胆な現代的解釈をしのばせることも可能なのね、と勝手に感心。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 2日 (水)

「オジサンたちは古いのよ 私は女の子 やりたいことをやるわ」

映画好きの友人が「2010年のベストワン!」とまでホメて強力に勧めてくれた映画。

アメコミのヒーロー風が4人、という怪しげなカバー写真に半信半疑だったが、これが……傑作! どん底から天空まで感情をかる~く揺り動かしてくれ、ワンシーンワンシーンが驚きと笑いと興奮に満ちている。これだけの爽快なカタルシスを感じさせてくれた映画は久しぶり。B級を装いながら、緻密に作り上げられた一流の仕事。

ヒロインのヒットガール(クロエ・グレース・モーレッツ)のアクションが惚れ惚れするほどかっこいい。タランティーノがかすむくらいの、容赦なさとユーモアと痛快な切れ味。11歳ぐらい、という設定なので状況がまずくなると「児童虐待」をふりかざせるのもいい(笑)。彼女が本気出した時にちょっとゆがむ口元が、またものすごくセクシー。

音楽のセンスも抜群。たとえばクライマックス、廊下で敵をなぎ倒しながら走るヒットガールのBGMが、ジョーン・ジェットの「バッド・レピュテーション」。

I don't give a damn 'bout my bad reputation
You're living in the past it's a new generation
A girl can do what she wants to do and that's
What I'm gonna do
An' I don't give a damn ' bout my bad reputation

「評判なんか気にしない オジサンたちは古いのよ 私は女の子 やりたいことをやるわ」っていうような訳がついていたかと思うが、これほどあのアクションとぴたりと合う歌もない。

ださいオタクの主人公(アーロン・ジョンソン)が、ヒロイン危機一髪の時に登場する、度肝を抜く登場の仕方は、笑撃を通り越して神々しいくらいだった(笑)。

ビッグ・ダディ役のニコラス・ケイジも、哀しさとかっこよさのメリハリがあって、強い印象を残す。

監督はマシュー・ヴォーン。センスいいなあ。Kickass 2 の製作も進行中のよう(Internet Movie Data Base情報)。

<追記>

友人からのインフォーメーション。「バッド・レピュテーション」を歌っているのは、クロエちゃん自身。さらに、マシュー・ヴォーンは、アクションコメディのセンスが抜群なだけでなく、超シリアスな『レイヤーケーキ』みたいのも撮っているのがすごい、と。

こういう友人をもつと、映画の楽しみが何倍か増しになります。というかずぶずぶと映画アリジゴクに堕ちますな。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 1日 (火)

祝・『日本洋服史』復刊

出版業界の志を信じることができた本。1977年版が復刊した。77年版は実物を手に入れられなかったので、一部のみをコピーし、必要なときは、本の所有者である知り合いのテイラーのところまでうかがっていた。

このたび2巻本となって、神々しく復刊。あまりのありがたさに心がしびれたようになり、しばらく飾っておくことにする。

全1100ページの大型本。50400円は高価だが、専門家にとってはそれだけの価値がある貴重な資料が満載なのである。

日本図書センター様、ありがとう!

◇文脈的にまったく関係ないのだけれど、今日、近所のファッションテナントビルに入ったらクリスマスソングが流れてきた。ワクワクではなく、がーんという暗めのショックが全身を貫く。早すぎるクリスマスソングは、どう考えても逆効果だと思うけどなあ(と感じるのは、私だけなんだろうか?)。

| コメント (0) | トラックバック (0)

「善意が人を暴走させる」

桐光学園の特別講座14回分の内容を書籍化した本の、4冊目。分野不問で最前線で活躍なさっている先生方14人の、中・高生向けレクチャー。とても贅沢な教育だなあと感心する。

cloverとりわけ印象に残ったのが、森達也さんが2010年6月におこなったレクチャーの記録。「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」。

ノルウェーでの受刑者の様子。オスロ刑務所では、受刑者の生活に不自由ないどころか、自由まである。部屋にはテレビもゲームもあるし、冷蔵庫には旬の野菜やデザートまで。所長の話。「こうした環境にしているのは、最終的には彼らにきちんと社会に戻ってほしいから。受刑者が厳しい環境で過ごし、ひどい扱いを受ければ、更生しないまま社会に出て、適応できなくなる」

こうして受刑者は新しい人間的な環境で社交性を身につけ、ルールを守ることを覚えていくのだとか。

ノルウェー法務省の役人のことばも印象的だった。「なぜ罪を犯すのか。一つは、幼いときの愛情の不足。二つ目は、青少年のときの教育の不足。三つ目が、現在の貧困。であれば、この三つを社会がカバーしてあげればいい。苦しみを与える必要はない」。

このような寛容な措置が可能になるのは、豊富な財源があるから、といってしまえばそれまでなのだけれど。「罪と罰」に対する根本的な考え方の違いも感じる。

「善意が人を暴走させる」という森氏の意見も、深く心にとどめておく価値あり。

「『正義のため』『大義のため』『善意のため』、さらには『愛するものを守るため』という理由があったとき、人は何万人でも殺すことができる。悪意には摩擦が働き、後ろめたさを残す。でも善意には摩擦が働かず、後ろめたさがないから、人を暴走させるのです」

「さらには『危機意識』。オウム以降、僕たちがメディアによってそれを植えつけられたように、危機意識があると人は攻撃的になる。20世紀以降の戦争や虐殺のすべてはこれらが原因です。そこに領土的野心はほとんどありません。『このままだと民族が絶えてしまう。守らなければ』。そんな善意と危機意識が働き、人は際限なく人を殺し続けることができたのです」

cloverもう一人、奥泉光さんの「文学力をきたえる」。

「表現とは、極端にいえば、再現すること」。過去に面白いと思った経験を、もう一度つくりだすことである、と。

「人間の文化とは、おもしろいものに触れた次の世代が、そのおもしろさを再現しようと試みる、その連続」

「文学に関わる者は、感動の質を見極めなくてはいけません」

「つくり手に求められるのは、パターンから離れた感動をどれだけつくり出すことができるか、ということ。理想は、今まで誰も知らなかった感動です。それをもし発見できれば、作家冥利に尽きるでしょう」

過去に面白いと思った経験を再現することと、誰も知らなかった感動を作り出すことの間には、いくばくかの距離があるのでは?と奥泉先生に質問してみたいのだが。 問いと矛盾が果てしなく終わらないからこそ、文学か。

☆今日は、いつもそばにいてくれる(笑)キティ・ホワイト(ロンドン生まれ)の誕生日。おめでとう!

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »