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2011年10月

2011年10月31日 (月)

「私は悩殺するために服を着る」

本日のレクチャーのテーマが「ロックンロールとは何か?」&フレディ・マーキュリー。

周囲にゆさぶりをかけ、自分も転がっていきながら、主流の「誤解」に気づかせる。それがロケンロール、という解釈なのだが(いまのところ)。人によって多様な考え方があるとは思うのだけれど。

フレディの雄姿、とりわけマッチョに変貌してからの80年代のフレディのパフォーマンス中の姿には、稲妻が走る。あの歯がいいわね。がたがたの、決して美しくはない歯並びだからこそ、引っ掛かりを感じ、吸い寄せられる。つるんと模範的な美貌なんて、3日見たら飽きて忘れる。

フレディ名言(迷言)のなかから、とりわけ好きな言葉。

noteA concert is not a live rendition of our album.  It's a theatrical event.

「コンサートはアルバムの再現ではない。演劇的なイベントだ」(「コンサート」を「講演」に、「アルバム」を「本」に置き換えることもできる)

noteI dress to kill, but tastefully.

「私は悩殺するために服を着る。趣味よく、ね」(たしかにフレディのファッションには悩殺されるが、あの趣味は果たして…と笑えるところがいい)

noteI won't be a rock star.  I will be a legend.

「ロックスターになるつもりはない。私は伝説になる」

ときどきDVDなどを観ては記憶を新たにしながら、永遠に語り継ぎたい人のひとり。

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2011年10月30日 (日)

「素の自分が分かれば、折れない」

◇朝日新聞30日付「仕事力」。コシノジュンコさんの巻。「素の自分が分かれば、折れない」。

コシノジュンコさんの力強い迫力は尊敬の的。あの落ち着きとかっこよさの秘密は何かといつも思っていたのだが。ここに答えが。

岸和田弁がコンプレックスだったが、その悔しさのおかげで強さを得ることができた、と。「コンプレックスは、人には分からない非常に強い感情なので、自分のオリジナリティーを内側から支える利点を持っているのです。だから逆にはっきりと意識したほうがいい」。

背が高く美しいモデルたちの中に入って仕事をすることも、臆してしまいそうだが、そうではない、と。「コシノジュンコは身長で勝負しているわけではないし、容姿で勝負しているわけでもない。だから私は私、クリエーションが勝負の場所だからと平気な顔ができるのです」。

……これ、理屈ではわかっていても、実際に平気な顔をするのは、けっこうたいへんな精神力が要るのだ。美しすぎる人の谷間に入っていって、すっかり自分を見失ってしまった経験は、何度もある(笑)。やっぱり、ジュンコさんは強い。

そして最後、出会うための直観力について。「憧れを持って生きていると、アンテナが鋭敏になっていき、出会った人にハッとする瞬間があります。『ああ、業界で名の知れた方ね』ではなくて、『自分が会いたかった人だ』と直感するようになる。こういうピンとくる、ハッとするという体験が、ぼんやりとしか分からない『自分らしさ』にスイッチを入れ、自分の知らない自分の目を覚まさせてくれます」。

……これはとてもよくわかる。アンテナを日々鋭くしておくことで、出会ったときにわかる、というか、出会うべくして出会った、というような幸運に恵まれる。それが「運命」と感じられるのは、実はその後しばらく交流が続いたあとで、まさしく、「自分の知らない自分の目を覚まさせてくれる」感覚が走る体験を何度か経たあと、ではないかと思う。

◇友人が、金曜に書いた「マヤ暦最後の日」の話を読んで、「『いまを生きる』という映画を思い出した」とメールを送ってくれた。

そういえば、あの映画のモットーが「Carpe Diem (時をつかめ)」であったことを思い出す。公開時は、Carpe Diemといわれても、理解はできるけれども実感がわかなかったのだが、あの「旧暦最後の日」を経てみた今なら少しわかるような気になってきた。義務を放りだして楽しい夢を追いかけたりすることなど許されない身には、「丁寧さ2割増し、集中度2割増し、のつもりで任務を遂行すること」。地味だけど、これが義務まみれの身にとってのCarpe Diemの具体的方法のひとつ。

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2011年10月29日 (土)

「お客さんに楽しんでもらうために、まずは自分が楽しまないと」

四ツ谷のイタリアンレストラン「アルマヴィーヴァ」でのディナーコンサート、「恋のアラカルト」。レストランオーナーの吉田観さんにお招きいただく。観さんは明治大学の同僚(とお呼びするのも気が引ける大先生、吉田悦志先生)の息子さん、というご縁。

アットホームな雰囲気のなか、おいしいイタリアンをいただきながら、ソプラノの寺田千絵美さん、バリトンの田中俊太郎さん、ピアノの篠宮久徳さんによるすばらしく楽しいパフォーマンスを堪能しました。ありがとうございました!

歌い、おしゃべりし、演技するのが楽しくてたまらない、という風情の寺田さんのパフォーマンスが印象に残る。「まずは私自身が心から楽しまなくては、お客さんに楽しんでいただけないですからね」と。

自分のことばかりを考えすぎてアガったり緊張したりしてる場合ではない、のだ。

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2011年10月28日 (金)

NON SUFFICIT ORBIS

マヤ暦(旧暦)最後の日、とかでなにげに騒々しい。そういうたぐいの言説を信じるタイプではまったくないのだが、でもしかし、「明日がないかもしれない、最後の日」に何をするか?ということを考えるにはよい機会である。

スティーブ・ジョブズの、あまりにも有名になってしまった例の演説でも「今日が最後の日だとしたら何をするか?と自問する」というような話があったが、暦が最後になってしまうのと、自分だけが最後の日を迎えるのとでは、「最後の感覚」にも若干の違いが生まれるような気がする。

で、暦が最後の日であるとすれば、自分は何をするか?と考えてみたときに、行きついた答えは、「今日、やるべきことになっている義務と任務を淡々とこなす」ということだった。いつもより2割増しぐらいに丁寧に(いつも丁寧にやっているつもりだが、それをさらに極めるつもりで)、義務を遂行したら、なんだかものすごく気分のいい日になった。

明日がないかもしれない日の締めくくりにはやっぱり美酒よね、ということで、いつものバーで「この世でいちばんおいしいお酒」と注文してみたら、バーテンダーが出してくれたのが、ビンテージグラスに注がれたカルヴァドスだった。「暦が終わるからといって世界が終わるわけではなく、明日からはニュー・ワールド・オーダーに代わるということらしいですよ」という、粋なセリフつき。カルヴァドスはりんごのブランデーのようなもの。そしてりんごは「完結」のシンボルでもある。素敵すぎる解釈。

「マヤ暦の終わり」とされている日はまだいくつかあるようだ。ま、こんな終わりならあと何回かあってもいいかな。

Bond_2

壁に飾られた「(ジェームズ・)ボンド家の紋章」(007ファンがシャレで作った、でも本格的な紋章で、お客さんからバーへの寄贈品)。 ラテン語で書かれたモットーは、NON SUFFICIT ORBIS。すなわち、The World is Not Enough。ホント、世界なんて一つじゃ足りないわ(笑)。

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2011年10月27日 (木)

「少しだけ足りない」からこそ、参加したくなる

映画話ついでに、内田樹先生の新刊『うほほいシネクラブ 街場の映画論』(文春新書)。立ち飲み屋、バー、クラブー、居酒屋などなど、あちこちの飲み屋で映画の感想を言いたい放題、というノリが楽しい本(多様な初出媒体の原稿を収録してあるので、文体が章ごとに違う)。

とはいえ、さすが内田先生で、映画を超えてさまざまな示唆に富んでいて、論じられている映画そのものを観ていなくても読みどころ満載。

「ミリオンダラー・ベイビー」のヒラリー・スワンクを評して、「さわがしくない性」と。「『あ、そういえば、私、女なんですけど、それが何か問題でも?』という肩の力の抜けた性意識。彼女がクリント・イーストウッドとモーガン・フリーマンという圧倒的な存在感を持つ名優に挟まれてなお堂々たる存在感を示すことのできた理由はそこにあると思います」。

「シン・シティ」を評して、「いかにも嘘くさく、嘘の話をする」と。「映画が固有の現実性を獲得するためには、フィルムメーカーと観客が『同じ側』に立って映画内的現実をみつめているという状況設定が必要なのです。『こちら』側にフィルムメーカーと観客、『あちら』に映画そのもの。この二項対立関係が成立すると、映画そのものが(もう人間たちが作り出したものではなく)、固有の悪夢のような現実性を持ち始めて自律的に存在するようになるのです」。

「サマータイムマシーン・ブルース」を通して「なぜ、タイム・トラベルをすると善人になるのでしょうか?」という問題を考える。「過去を見ると、今自分がいる場所も、そこに当然のようにいる友人たちも、彼らから見える『私』も、信じられないほどの偶然が織り重なってつくりあげられた『一瞬の作品』にほかならないこと、はかなく移ろいやすい物であることが実感されます。(中略)僕たちは誰もが偶然的な存在であり、一瞬後には『別の人』になっている。だからこそ、この一瞬を全身全霊をあげて生きなさい、というのが、『クリスマス・キャロル』以来あらゆる『タイム・トラベル物語』の教訓」。

「バベル」を通して「ことばが通じない」状況を考える。「最後まで話はうまく通じない。でも、話が通じないからこそ、人間たちはその乗り越えがたい距離を隔てたまま、向き合い、見つめあうことを止めることができません。言葉が通じないことがむしろ出会いたいという欲望を亢進させるのです。『あなたの言いたいことはよくわかった』という宣言は『だから、私の前から消えてよろしい』という拒絶の意志を含意しています。僕たちはむしろ『あなたの言いたいことがよくわからない。だからあなたのそばにいたい』という言葉を待ち望んでいるのです」。

「父親たちの星条旗」のイーストウッドのスタイルを通して、「少しだけ足りない」ことの有用性を教える。「すべてが『少しだけ足りない』。そのせいで、観客は映画の中に、自分の責任で、言葉を書き加え、感情を補充し、見えないもの見、聞こえない音を聴くように誘われる。そんなふうにして、クリント・イーストウッドは観客を映画の『創造』に参加させてしまうんです」。「それが完成するために僕たちのわずかな『参加』を控えめに求めるからです。それを享受するために僕たちがささやかな『身銭を切る』が必要になる。それによって、そこにはあるオリジナリティが加算されます。つまり、クリント・イーストウッドの映画を見ているとき、僕たちはそれぞれに少しだけ違う『私だけの映画』を観ているのです」

などなど、インスピレーションに満ちた解説はどこまでも続く。

読むだけで満足してしまって、紹介されていた映画をもう観る必要がないように感じてしまう点で、昨日挙げた「映画ガイド」とはジャンルが異なる。『死ぬまでに観たい……」は、上の内田先生のことばを借りるならば、「完成するために、参加が必要」。読者が観てはじめて完成するような映画ガイド。内田先生本は、これだけですでに完成している感じ。どっちがいいかという問題ではなく、私のような映画ファンには、どっちも同じだけ重要。

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2011年10月26日 (水)

「予測のつかない不気味さにゆらめき光るリスト」

映画に対する感覚が近い(と私が思っている)友人に勧められて買った一冊。スティーブン・ジェイ・シュナイダーの『死ぬまでに観たい映画1001本』改訂新版。リストを一覧するだけでシュナイダーも「同感覚の人」であることがすぐにわかる。960ページの濃密で無駄のない愛蔵版。こういうガイドがほしかったんです!

トッド・ブラウニングの「フリークス」も、チャールズ・ロートンの「狩人の夜」も、グリフィスの「イントレランス」も、ホドロフスキーの「エル・トポ」も、リンチの「ブルーベルベット」もニール・ジョーダンの「クライング・ゲーム」もステファン・エリオットの「プリシラ」もトニー・スコットの「トップガン」も載っている。うれしすぎ。

ジェイソン・ソロモンズのまえがきからの引用。

clover死ぬまでに観るべき映画のリストに入るには、観る者の人生を豊かにする作品でなくてはならない。そしてそのような映画はめったに生まれないのだ。ということは、これは大胆で刺激的な、それでいて人をくすぐる、しかし予測のつかない不気味さにゆらめき光るようなリストである。その世界に足を踏み入れることは、終着点にはたどりつかない旅を始めること。愛と冒険と失望と勝利、善悪や悲喜劇を通っていく迷路の旅路、要するに人生を生きる価値あるものにするすべてを通り抜ける旅なのであるclover

映画を観ることそのものも喜びだが、映画について語られた書物でその意味を考えたり、友人と他愛なく語り合ったりすることはさらに楽しいと思う。という意味で、こういう本に出会えたり、「話が通じる」友人に出会えたりすることは無上の喜び。

上にあげたのは私の世界観形成に大きく影響を与えてしまったと思われる映画(のほんの一部)。

友人は「キックアス」が載ってないのが不満、と言っていたが、私は「ワーキングガール」と「シカゴ」が載ってないことに遺憾の意を表明したい。そういうの、全世界の映画ファンからたくさんくるだろうなあ(笑)。苦渋の選択をせざるをえないシュナイダーの苦労がしのばれる。

タイトルぐらいは全部わかるつもりでいたが、初めて聞くというタイトルの映画もずいぶん載っている。以下、シュナイダーの言葉の引用。

clover時計の針は止まることはない。さっそく読みはじめ、そして映画を見続けよう!clover

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2011年10月25日 (火)

男の大ウソは、こんな振る舞いにあらわれる

◇ZELEグループの美容師さん対象に、スーパースタイリスト講座のレクチャー。elegant, sophistication, glamorous, gorgeous, campなどなどのさまざまな美の概念、gothic, baroque, rococoなどの歴史上の美の様式について、ぎっしりと4時間にわたり解説。話している方は楽しいが、聴いているほうはぐったりしたかも?(笑) おつかれさまでした&ありがとうございました。

◇「ゴシップガール」シーズン3、ボックス1をすべて見終わり、ボックス2へ。次から次へと刺激的なエピソードが繰り出されて、興味を引っ張られ、止まらない。プロデューサーは天才ではないか。

ボックス1で印象に残った、このドラマならではの「法則」。「キスしたときにassをつかまない男は大ウソをついている」「3Pにおける3人目はストレンジャーであること。でなければ相手を二人とも失う」(その裏テーマ。どっちが本当に好きかは3Pで明らかになる)。現実味がないだけに納得のしようがない(笑)テーマであるからして、ただただ笑って感心する。

◇たたみかけるように、「マッドメン」シーズン4のボックスも届く。うれしい悲鳴。こちらも、現実から遠いだけに刺激的な真実満載の中毒ドラマである。当分、待ち時間や移動時間(そういう時間がDVDタイム)の方が楽しみになりそう。

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「恐れるのは死ではなくて、愛です」

東京国際映画祭。ガス・ヴァン・サント監督の最新作『永遠の僕たち』(Restless)にお招きいただく。ありがとうございました。

主演のヘンリー・ホッパーは、かのデニス・ホッパーの息子。繊細さとイカレっぷりを兼ね備えていて、将来を期待させる。

死の気配が濃厚に漂う時空のなかに、丁寧にゆっくりと描かれる、ピュアで繊細で一途な若い恋。なにげにカジュアルファッションがくるくる変わり、これがいちいちかわいい。

Restless04

カミカゼ特攻隊員の幽霊を演じた加瀬亮の舞台挨拶あり。最後に印象的に登場する「愛する人に渡せなかった手紙」は、加瀬さんが日本の国語学者や特攻隊員などに取材にあたって書いたとのこと。この手紙がすばらしかった。「私が恐れるのは、死ではなく、愛です」「最後にバンザイと叫べと教えられておりますが、私はあなたの名前を口にします」などなどの、胸に迫る言葉の数々。

やはり加瀬さんの話で、ガス・ヴァン・サントはゲイなので、一人で生きることを余儀なくされており、映画に描かれるようなコミュニケーションに対する切望がある、というような話をしていた。そういう視点で見ると、ああ、なるほど、と納得できる描写が多々。死へのロマンチシズム漂う中の、至福のコミュニケーション。

オフィシャルサイトはこちら ↓

http://www.eien-bokutachi.jp/

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2011年10月24日 (月)

「卵を割らないとオムレツは作れない」

◇朝日新聞23日付の「仕事力」、岸恵子さんの巻、第4回「非日常を捉えて生きる」~「『捨て身の力』を忘れない」より。

思いがけない人との出会いや、事件との遭遇といった「非日常を捉えてしまった」ことが、次々と道を開いてきた、というお話。

apple見逃してしまえばそれまでの人生に何の影響も与えないはずですが、頼まれもしないのにそれを一つひとつキャッチして懸命にエネルギーを使ってきたのですねapple

chickフランスには「卵を割らないとオムレツは作れない」という諺があります。卵は割りたくないけどオムレツは食べたいというのはダメ。何か新しいことをしたかったら、持っているものを壊さなければならないのですchick

apple目の前に降って湧いた非日常に必死に関わってきた私は、決して「芸一筋」とか「この道何十年」という仕事の仕方をしてきませんでした。「継続は力なり」が全くあてはまらない生き方をしてきました。私は見切り発車も出来るし、未知の世界へやみくもに突き進んでゆくことも出来ます。ただとんな時でも選び取ったことには、持てる力のすべてを尽くして臨みますapple

引き合いに出すのはあまりにも厚かましすぎるが、「非日常」をとらえてしまって、「頼まれもしないのにそれを一つひとつキャッチして懸命にエネルギーを使ってきた」というあたり、とても他人事とは思えなかった(笑)。とはいえ、そのたびに中途半端に終わってしまうばかりの人(私とか)と違って、「卵を割って」究極までいくところに、この方のすごさがあるんだろうなあ。

◇GUCCI 90周年、おめでとうございます。GUCCI×OPENERS×amebaの企画に、たいへん恥ずかしながら、登場させていただきました。なんだか二丁目のゲイバーのマダムみたいな雰囲気になってしまったな……。撮影場所は、本ブログにもしばしば登場している偏愛バー、新宿三丁目の「ル・パラン」です。こちらはもちろん、正統派にしてシブい本格派。このバーとの出会いも「とらえてしまった、非日常」。

http://ameblo.jp/guccijp/entry-11011427729.html

OPENERSのほうにも、短いバージョン、同時掲載です。

http://openers.jp/fashion/openers_mode/gucci_90th_01.html

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2011年10月23日 (日)

KENJIRO SUZUKI sur mesure Paris 受注会のご案内です

8月にトークショーの司会をさせていただいた鈴木健次郎さんが、日本で初めての受注会をおこなうことになりました。パリの一流メゾン、「フランチェスコ・スマルト」で日本人初のチーフカッターをつとめたテイラーです。生来の才能とセンスの持ち主であることに加え、大変な努力家でもある熱意あふれる方で、パリテイストのスーツをお考えになっていらっしゃる方、いかがでしょう。まずは和光でのミニトークショーをのぞきにいらしてみては。以下、ご案内です。
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11月12日、13日神戸ブランメル倶楽部主催「ツイード ア ウォーク」に合わせて KENJIRO SUZUKI sur mesure Paris の受注会を開催します。

日本での正式な受注会は初めての事となります。
1950年代にムッシュウ・スマルトが創り上げたフレンチテーラーリング、そのエスプリとエレガントを自身のフィルターを通して表現します。

... 日時 11月12日(土)13日(日)神戸旧居留地内ホテル  
   11月17日(木)18日(金)東京都内ホテル
   11月19日(土)20日(日)銀座「和光」(完全予約制)
「和光」では両日共に13:00~13:30(予定)で
鈴木健次郎氏に依るミニトークショーも行います。
こちらのみの参加でも結構です。
     「和光」問い合わせ
紳士用品売り場 03(3562)2111(代表)
     
14日から20日は東京に居ますので
日時に付いては時間が合えば対応させて頂きます。

場所・価格についての詳細はメールでお答えしております
お気軽に御問い合わせまた、遊びにおいで下さい(ご連絡の上)。
多くの方々とお会い出来るのを楽しみにしております。

KENJIRO SUZUKI sur mesure PARIS

contact@kssm-cecilia.com

(France) +33(6)72 77 29 81
(Japon) +81(0)90 25 30 12 84

http://www.kssm-cecilia.com/

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2011年10月22日 (土)

おもてなしを成功させる三角形

講演終了後に訪れたニューオータニのメインバー、カプリ。壁には画家ポール・アイズビリの連作が飾られている。なかなかよいムード。

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バーテンダーとのおしゃべりで、バーテンダーとホスト(お金を払う男の客)とゲスト(女)の関係の話になる。

この三角形がうまく成立すると、おもてなしは成功する、と。バーテンダーが女性、とりわけ美人だった場合、ゲスト(女)が嫉妬したりすることが多いので、なかなか三角形が成立しにくいのだとか。女性バーテンダーとゲスト(女)だけで盛り上がってしまった場合にしても、金を払う男であるホストがおもしろくない……。

女性バーテンダーばかりというのが売り物の外資系ホテルのバーもある。あれはあれで評判だが? ……女性バーテンダーは現在、増えてきたが、重い物をもたなくてはならなかったり、酔客相手の商売であったり、上下関係が厳しかったりするので、一人前になるまで育てるのがかなり難しい。ようやく一人前に育った彼女たちをひきぬいていったことは、かなりの顰蹙もの、なのだそう。

また、ホテルのバーと街場のバーとのちがい、というのも教えていただいた。ホテルのバーでは、「同じメニューをずっと置いている」ということも大切なのだとか。何十年か経って訪れても、「あの時に飲んだ、あのカクテルが、まだある」ということ、記憶に残るカクテルがあるということが、大事なのだ、と。お洒落すぎない、若干の「どろくささ」もホテルのバーにはあったほうがよい、と。そういえばこのホテルには「トレイダー・ヴィックス」がまだ健在で、しかもそこにはいまもなお、あの「マイタイ」がメニューにあるという。20年前にここで結婚式を挙げたカップルが再訪しても「あのカクテルをもう一度飲める」のだ。それは感慨深いだろうなあ。

そういった状況を大切にするなかでも、新しいカクテルは出し続けているが、似たようなカクテルでも、流行りのネーミングで印象が変わることも多い。ネーミングの周期はだいたい三年。「三都物語」が三年前に流行ったとすれば、こんど巡ってくるときには「三栗物語」になるとか(笑)。

などなど、話も尽きず、記憶に残る豊かな時間を刻ませていただきました。ありがとう。

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「ロイヤル・スタイル」講演終了、ありがとうございました。

マナー・プロトコール協会主催の講演会「ロイヤル・スタイル」@ホテルニューオータニ、無事に終了しました。

ケンブリッジ公爵となったウィリアムとキャサリン妃のロイヤルウェディングにまつわる話を中心に、現在のエリザベス女王、祖先のヴィクトリア女王、アレグザンドラ王妃。そして「英国王のスピーチ」にも登場したエリザベス・バウズ=ライアンとウォリス・シンプソン。つい最近結婚した女王の初孫、ザラ・フィリップス。彼女たちの生き方とファッションをテーマに、「ロイヤル・スタイル」として解説してまいりました。ダイアナ妃やマーガレット王女など、まだまだ話したい人は多かったのですが、なにせ2時間では時間が足りない……。

迎賓館やローズガーデンを見下ろすリッチな会場で、お着物や美しいスーツに身を包んだ素敵な聴衆の方々を前にお話ができたことは、ほんとうに幸運でありがたいことでした。聴衆が、ときにうなずいたり笑ったり驚いたりとわかりやすい反応を示してくれるというのは、こちらの集中度を高めて話のレベルも上げる、というのを実感できた機会でもありました。翻って、今後、よい話を聴こうと思えば、よい聴き手になることが大事だな、とも。

熱心に聴いてくださったみなさま、そして主催の協会関係者のみなさま、ニューオータニのスタッフの方々に、心から感謝します。また機会があったらお会いしましょう!

講演後にいただいた質問で、わたしも「そういえば、なぜだろう?」と疑問に思ったこと。ロイヤルウェディングでは、参列者の私語がうるさく、違和感があった。厳かな結婚式での私語なんて日本では考えられないが、あれはイギリスでは普通なのか?という質問でした。その後、何人かに尋ねてみても、納得のいく答えは得られず。ただお行儀が悪いだけ? どなたかぜひとも教えてください。

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2011年10月21日 (金)

知的なパズルとヘルシーな肌見せ

ミスアシダ、2012 S/Sコレクション。日本橋三井ホールにて。 20周年アニバーサリーコレクション、でもある。浮沈のはげしい業界にあって、20年間、ファッションブランドを安定して継続していくことって、ひとつの偉業だと思う。おめでとうございます!

今シーズンは、幾何学的なカットワークや非対称のシルエットを軽やかにバランスよくまとめあげた、絶妙な技が光るコレクションだった。パズルのように組みあげられた知的なカットワークの隙間からの新しい肌の見せ方、アリかもしれない・・・・・。

レースから透かし見せるという手もあり。楽しい!と感じたのが、レースのパンツ。レギンスに代わる新しいアイテムとなるか?

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モテるための渾身の努力が、運を開く

大学での講義に、ファッションディレクターの干場義雅氏をゲストにお招きし、ファッションディレクターとしての仕事内容や、この仕事に着くまでの苦労話、LEON創刊の舞台裏など、現場の第一線で活躍する人ならではのホットなお話をレクチャーしていただく。写真はほぼ200名の学生で満員の教室。ワクワクのまなざしと熱気。

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「モテる袖のまくり方」などの実践講義や、「サーフィンに行ったときに車で寝ている彼女のスマートな起こし方」などのお笑い(でも真剣)話もとりまぜながらのあっという間の90分間で、学生に大うけ。誰よりも私が楽しませていただきました。写真は、スーツ姿も完璧、上着を脱いでも手抜きなし、という講義後の干場さんの艶姿。(そもそも上着は人前で脱ぐものではなく……みたいな古い講釈は、この場合ナシね!)

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モテたいがための渾身の努力が仕事の運も開いていく、という、これもひとつのビルドゥングスロマン(?)に、わざわざ有給休暇をとってかけつけてくれたOGや、OBも、モチベーションが上がった!と大喜び。

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干場さん、濃密で楽しいレクチャーをありがとう!

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2011年10月20日 (木)

燃え上がる忍耐で武装して

アルチュール・ランボーの誕生日。ということで友人が書き送ってくれたランボーの一節から、苦しい時期に読んでいたことがあったことをなつかしく思い出した……。今読むと、また違った味わいがある。

「地獄の季節」のラストの「訣別」。あらゆる苦しみのあとにくる新生への希望の光を感じさせるような一節。

spadeCependant c'est la veille. Recevons tous les influx de vigueur et de tendresse réelle. Et à l'aurore, armés d'une ardente patience, nous entrerons aux splendides villes.

Que parlais-je de main amie ! un bel avantage, c'est que je puis rire des vieilles amours mensongères, et frapper de honte ces couples menteurs, j'ai vu l'enfer des femmes là-bas ; et il me sera loisible de posséder la vérité dans une âme et un corps.

しかし今はまだ前夜だ。流れ込んでくる力強い命と愛をすべて受け入れよう。そして暁が来たら、燃え上がる忍耐で武装して、僕たちは光り輝く街々へと入っていくのだ。

(中略) そしてぼくには、一つの魂と一つの肉体の中に、真理を所有することが許されるだろう。spade

「光り輝く街々」へ入っていこうとする前夜、長く苦しい夜が明けようとするその直前の、こういう瞬間が、もっともフレッシュで充実していて美しいときかもしれない……とランボーよりもずっと長生きしてしまった身で思ったりする。

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2011年10月19日 (水)

コントロールされているのは、どっち?

ドイツのドキュメンタリー映画「アンダーコントロール」。公開に先駆けて観る機会をいただく。監督はフォルカー・ザッテル。

原発全廃を唱えるにしても、段階的廃止を支持するにしても、原発やむなしの立場をとるにしても、いったい原発の内部はどのような構造になっていて、いかようにコントロールされていて、そこで働く人たちはどのような働き方をしているのか、具体的に知っているのと知らないのとでは、考え方の厚みが違ってくるだろう。

映画として観れば、地味だ。原発の内部を静かに「社会見学」していくようなドキュメンタリー。感情的な盛り上がりは一切なく、激しい批判があるわけでもない。

でも、だからこそ、冷え冷えとした怖さが残る。廃炉にするにしても、おそろしく強大な技術力によって制御される必要があるのだが、完全な制御など不可能であるらしいことがはっきりと伝わってくるのだ。

クリーンで無機的で、SF映画のようにも見える原発のシステム。でも、コントロールされているのは、人間の方だという事実をつきつけられる。

いちばんコワかった、遊園地のようにも見えるシーン。振り回されるばかりで、決してすぐには「止まれない」人間。

Photo

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「組織の不在と政策の空白は、裏表の関係」

◇興味をひかれた記事のメモ。18日付朝日新聞朝刊、「イケメン色々 バディ映画」。イケメン若手俳優二人が主役となるバディ(相棒)映画が邦画界で目立つ、という話。

妻夫木聡×松山ケンイチ、松山ケンイチ×瑛太、松田龍平×瑛太、松田龍平×大泉洋。

以下引用。

mapleイケメン大量戦略。精神科医の斎藤環さんはそれを「男ソファもの」と言い換える。「イケメンバディ映画に求められているものは、『男ソファ』の安定感。優しくてイケメンな複数の男性に、ソファに静かに身をゆだねて癒されたい、という現代女性の無意識を満たしています」。イケメンの真のニーズとは、恋愛や性愛の対象ではないのだろうか。「セクシュアルなものをとり除いた癒しとしての安定感ではありませんか」maple

男ソファ、という表現が、言いえて妙かもしれないだけに、大声で言うのもはばかられるような感じ。

◇もうひとつ、同紙同日夕刊の「時事小言」。藤原帰一氏による「組織不在の21世紀革命」。

アメリカのウォールストリートを占拠する運動が、当初、主要メディアから黙殺されていたという話から始まる。事態が大きくなるにつれて、まずはアメリカ国外のメディアが注目し、最後にアメリカのメディアも大きくとりあげ、世界に反響が広がっていき、10月15日には、ロンドン、メルボルン、東京でも集会が開かれ、ローマでは暴動。ツイッターやユーチューブで集会の模様が同時中継される、という経緯。「世界同時多発革命を目撃するような」気持ちでそれを拾い読みしていた、と。

チュニジア、エジプトで起こった政権崩壊でも似た展開だった。

日本でも、尖閣諸島問題をめぐる街頭デモ、原子力発電の全廃を求める街頭デモ、政治的立場ではおよそ逆のこの二つのデモが、主流メディアの報道からは無視された。これはいったい何だ?

中心となる政治勢力が存在しない。エジプト革命でもウォールストリート占拠運動でも、現在の経済社会と政治社会への告発であって、目的を実現するために誰に権力を委ねるのか、その具体的な政治的選択は見えてこない。

以下、ラストの締めの引用。

maple組織の不在と政策の空白は裏表の関係にあると私は思う。(中略)インターネットを経由して結ばれた社会連帯の中心は空白なのである。

国境を横断して、膨大な数に上る人々が、現代資本主義経済に異議を申し立てる。まさに世界革命のような事態が起こっているというのに、それがつくりだす政治の形は、まるで見えてこない。そこで明らかなのは、議会制民主主義をとる諸国においても、既成の政治が吸収していない膨大な不安と不満が鬱積していることだ。その危うさ、恐ろしさだけは政治家の皆さんに見ていただきたいmaple

不平不満はあちこちで大声で表明されているが、であれば、こういう社会、こういう理想を実現したいのだ、というその先の具体案が同時に語られてもよさそうなものだが、それは(膨大なデモの数に比べれば)あまり語られていないように見える。現状でさえなければなんでも(誰かがなんとかして)、のような抗議の仕方には、確かに危ういものを感じる。こういう「大きな、逆らい難い空気の流れ」ができあがってしまうようなときこそ、あえて慎重になってみることも必要なのかもしれない。

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2011年10月18日 (火)

価値あるものは家族と、明日、創作を目指すもの

Signature 11月号、伊集院静の連載「旅先でこころに残った言葉」、第47回の「大切なものをひとつだけ持って行きましょう」。

1940年、ジョアン・ミロが47歳のときのエピソード。スペインでは内乱、ヨーロッパではナチスのユダヤ人迫害、という緊迫した時代。フランスのノルマンディー地方にあるヴァランジュヴィルで創作していたミロは、あれこれ悩んだ末、死ぬのであれば故郷、スペインのバルセロナを選ぶことを決心する。以下、引用。

☆ミロは妻に言う。

「おたがい大切なものを一つだけ持って行きましょう」

妻はうなずき、彼女にとって一番大切な娘のドロレスを抱いた。ミロは多くの作品の中から、これから創作しようとする一枚のラフな絵を選ぶ。星が何点か描かれた一枚。これをミロは鞄の中に仕舞ってスペイン行きの列車に乗る。この星のスケッチが後の”星座シリーズ”となっていく。

(中略)価値あるものは家族と、明日、創作を目指すものであるところが、愛情と潔さがあっていい。

そろそろガラクタを始末しようか……。☆

急を要するときに持って行く大切な一つのものが軽く10個ぐらいありそうな自分はまだまだ潔さが足りない。

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2011年10月17日 (月)

インスピレーションの源泉にして理想の極致

その人のことを語っているだけで楽しい、というレクチャー(いえ表向きは決してそんなミーハーなタイトルはついていないのですけれど)、第2回目の今日は、白洲次郎。

やっぱり、No Substitute (とりかえ不可能)な人。

若き日の次郎が、若き日の正子に贈ったメッセージは、何度読んでも、パーフェクトだ!と感動する

You are the fountain of my inspiration and the climax of my ideals.

(あなたは私の霊感の源泉にして理想の極致)

こういうことばを贈りあえることができる人に出会えたら、それだけで人生は大成功なんじゃないかとすら思う。

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2011年10月16日 (日)

「修羅場を一つくぐりぬけるたび、大切なことがわかる」

「ワイルド・スピード MEGA MAX」(Fast and Furious)。

Fast_and_furious

ワーナーマイカルのD-Boxという体感型のシートで。映画のシーンに合わせて振動したりゆらゆら揺れたりする。プラス1000円の価値はあるのかどうか、そうとうにビミョウなところではあったが…。

映画自体は、あまり期待していなかったのがよかったのか、かなりおもしろくてのめりこんだ。ド派手だけれどけっして大味ではないアクションといい、さりげないユーモアといい、意外性を適度にちりばめたストーリーといい、華のある俳優といい、爽快な最後のカタルシスといい、なんといっても続々登場する超高級車のセクシーさといい、久々に映画館でワクワクさせてもらった。なにもレッスンが残らない、カラリと陽気なエンターテイメントっていうのも、時にはいいね。

タイトルに書いたのは、仲間のひとり、タフでセクシーな美女のセリフ。

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2011年10月15日 (土)

「脱皮できない蛇は滅びる」

ニーチェの誕生日。という話の流れで友人とニーチェについていくつかのメールを交わしているうちに、「永遠回帰」の話になり。

友人も私もニーチェに関しては「ど」素人のファンという程度なので、以下は放言、というか、ただのつぶやき。議論というほどのもんではないので、専門家の方は寛大なお心でスルーしてください。

永遠回帰。私は「自分の人生が最悪であっても何度も同じことが繰り返される。それを受容することで、超人になる」というふうに解釈していた。悲惨であろうと受容する。とはいえ、それは悲観ではなく、完全なる受容こそが究極の肯定となる、というように。

友人の解釈はそこから一歩踏み込んでいて、ちょっとユニークな感じがした。「ニーチェにとっては、ルー・ザロメとの昼下がりの散歩こそが人生でもっとも美しかった瞬間。それを再び得ることができたなら、あらゆる苦悩の繰り返しをしてもかまわない、ということ。それが永遠回帰」と。 で、「自分自身の人生に、あの瞬間!」を持っている人こそスーパーポジティブの「超人」である、というような解釈。

受け取る人に応じてどのような解釈もできるからこそ、古典なのでしょうね。

にしても、「運命の受容」。これは年齢とともに、大きな難題としてのしかかってくる気がしている。自分が同じ愚行を繰り返している……というのは、うすうすと実感している。それを変えようと思ってあれこれ試してみても、結局、歯車のように元に戻ってきて、また同じ愚行をやっている。戻ってきたときに前とは違う状態でありたい、という希望を捨てきれないからこそ足掻いてみるけれど。完全に運命を受容する境地に至ることができれば、「超人」? 仏教の悟りの境地にも似てるのかな。

ついでながら、私が時折、必要に迫られて(笑)反芻するニーチェの言葉は、「脱皮できない蛇は滅びる」 「人生を危険にさらせ」。なにかにはじめてチャレンジするときには、ぽんと背中を押してくれます(笑)。……で、また後悔する、という同じ愚行の繰り返しなんだけどねっ!

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2011年10月14日 (金)

You can't hurry love. You'll just have to wait.

ずしりと重い写真集、届く。伝説的な編集者、ダイアナ・ヴリーランドの写真集。The Eye Has to Travel. ハーパース・バザー時代、ヴォーグ時代、コスチューム・インスティチュート時代・・・・・・と彼女の全キャリアを通しての仕事の流れが一冊で概観できる。各時代のセレブリティの写真もあり、一枚一枚から強く時代の熱気が漂う。

◇ラジオから流れてきたフィル・コリンズの懐かしの歌。かつてはメロディだけ追っていたけど、今は、歌詞の意味するところが、ようやく深く理解できる。

My mama said

You can't hurry love

No, you'll just have to wait

She said love don't come easy

But it's a game of give and take

You can't hurry love

No, you'll just have to wait

Just trust in a good time

No matter how long it takes

「愛を急いではいけない。じっくりと待たなくては。愛はたやすくは訪れない。それは与えることと受け取ることのゲーム。愛に焦りは禁物。じっくりと待たなくては。時間の流れの中で信頼を築くことが大切。どんなに長い時間がかかろうとも」

「愛」はさまざまなことに置き換え可能。仕事における信用、友情、親子の絆、学問、etc.

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2011年10月13日 (木)

Hard Day's Night

◇昨日の記録。「メンズプレシャス」冬号のための対談、鈴木文彦氏と。@小学館。テーマは「カントリージェントルマン」。日本のメンズファッションにおいて、いかに「美しき幻想」が大きな位置を占めているか、というところまで話が及ぶ。文彦さんのお父様の正文氏とは、10年ほど前、「NAVI」 や「ENGINE」などでしばしば対談や鼎談をさせていただいたことを、感慨深く思い出す。

◇その後、ジュン・アシダ 2012年春夏コレクション@グランドハイアット。変わらぬ優雅の支柱ここにあり、といった安定感がある。素材もデザインも極上で、コンサバティブながらフレッシュ。街中ではファストファッションの影響なのか、ぺらぺらの素材やボディラインをぼんやりさせる、ゆるい服ばかりが目立つが、やはり芦田先生のつくりだす世界はいい。背筋がのびて、心が潤う。永遠のグローバル・エレガンスに通じると思う。

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◇そのコレクション会場で、読売新聞の記者さんに発見され、東京コレクションに対しての意見を求められる。発信力がなさすぎる現状について。「こうしたらいいのでは?」と素朴に思っていたことを話す。それにしても、東京でファッションウィークを開催しているということじたい、果たしてどれだけの方がご存じなのだろうか。

◇グランドハイアットの外で、すっかり恒例となったOPENERSのチャリティ、グリーンサンタの撮影。今年のサンタはメタリックグリーンであった。カメラマンが若い女性の方で、細やかなところまで気配りしていただき、楽しく手早く終了。

◇盛りだくさんの一日のテンションを鎮めるにはココ、とちょこっと立ち寄ったバーでは、ほんとうに全くに偶然ながら、マスターが古書店で購入したばかりというチャーチルとウィンザー公のレアな写真集、ウィンザー公夫妻のサザビーでのオークションカタログがお店に届いた。私が来るのを待っていたかのように(笑)。初めてみる写真も多く、テンション鎮まるどころではない。という状態の私にマスターが出してくれたカクテルが、「チャーチル」。ハードな一日の締めくくりとして、できすぎな演出だった。「バーは魂の置き場」と考えるバーテンダーだからこそできる仕事。こんなHard Day's Nightに出会えるなら、毎日ハードでもかまわない。

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2011年10月12日 (水)

「忘れないために、飲む」

取材の移動の往復で読んだ本。枝川公一『バーのある人生』(中公新書)。dancyuの連載をまとめたというだけあって、たくさんのバーに取材にあたったうえで書かれている、現場の匂いが伝わってくる楽しい読み物。

最近、「こういうすごい人がいるのだ……!」と衝撃を受けた人の職業が立て続けにバーテンダーであった、ということもあり、バーの奥深い魅力にこの年になってようやく気づき始めたということもあり、しかし同時に、バーについては「語られないけどそうなっている」という決まりがあまりにも多いことにも気づき、とにかく自分のあまりの世間知らずぶりは恥ずかしすぎて生きていられない……と思っていたところに、天啓のように目に飛び込んできた一冊であった。

人生におけるバーの位置づけや日本のバーの歴史からはじまり、バーテンダーの仕事、カクテルの謎、バーにおける振る舞い方の基本事項などが、まあ、初心者には納得のいくように記されていた。ぼんやりとしていた暗闇であったのが、目が慣れてうっすらと中の様子がわかってきた(ような気がする)……という読後感。やはり、現場で場数をふまないと、わからないことの方が多いだろうなあ。

なんのためにバーへ行くか?という話で印象に残っている引用。「私は忘れないために飲んでいるのだと思う。きょうこの日を忘れないために、このバーで飲んでいる。飲むことによって記憶にとどめる。お酒とともに記憶が身体を回っている。きょうこの日を噛みしめるために、この場所がある」

そうそうそう、と思う。極上のバーは、「酔っていやなことを忘れる」ために飲みに行く場所などではなく、「この日、この瞬間を記憶に確かに刻んでおく」ために出かける、聖別された時空(というのが過剰表現なら、日常と切り離された演劇的な舞台)、みたいなところなのである。

バーテンダーが舞台監督である、という定義にも、なるほど、と。むちゃくちゃに博識で、観察眼が鋭いのは、毎日、ちがう舞台を演出しなくてはならないから、ということだろうか。ベテランバーテンダーの、厳しい修行を積んできた人ならではの落ち着いた佇まいも、やはりほかの職種ではなかなか見かけることがない独特の職業的魅力のようにも思える。

バーなど別にいかなくてもふつうに生きていけるが、バーに行くことで記憶に刻んでおきたい時間やできごとが、厚みと鈍い輝きを増して身体に貯蔵されていく……そんなイメージかな。

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包んで、ほどく、奥ゆかしき文化

昨日は「サライ」連載記事のため、風呂敷の老舗、「宮井」に取材。

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日本風呂敷協会のラッピング・コーディネーターでもある大工原さんに、包みもの文化のルールや意外なおもしろエピソードなどをたっぷり教えていただく。日本人なのにまったく知らなかったことばかりだったので、ちょっとした興奮(と、おのれの無知に対するささやかな羞恥)。

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風呂敷は包んでこそ絵になる。ワインの包み方や、エコバッグの作り方、さまざまなラッピングの作り方もついでにしっかりマスター。あとはキレイな形を作れるよう練習あるのみ。この冬のワインの贈り物は風呂敷ラッピングでいくぞ。楽しくてためになる取材になった。大工原さんありがとうございました! 詳しくは本誌12月号にて。

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コレは「男風呂敷」による「二本包み」だが、一本包みの方法が華やかなんです。そっちは本誌の写真をお楽しみに。

「みやび裂(ぎれ)」の展示コーナーもあって、1760年代(!)の、まだ化学染料がなかった時代の織物もサンプルもあった。織物の歯切れを集めた見本帳、「織物鑑(おりものかがみ)」と、その一部の拡大版。さまざまな柄があり、そのそれぞれに意味があることを知って、織物文化に畏敬の念を覚えた日。

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2011年10月11日 (火)

「ファッション・ビジネス教育の世界展開」シンポジウムのご案内

ご案内です。明治大学商学部主催で、「ファッション・ビジネス教育の世界展開」シンポジウムが開催されます。11月26日(土)、明治大学駿河台キャンパスにて。シャネル社の社長リシャール・コラス氏、コシノ・ジュンコ氏の講演に続き、イギリス、フランス、中国、オーストラリアのファッション・スクールからパネリストを招き、ファッションビジネス教育に関する国際ネットワーク構築の可能性について議論します。

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学外の方のご参加も歓迎します。以下の案内にあるアドレスまでメールでお申し込みください。

http://www.meiji.ac.jp/shogaku/topics/2011/6t5h7p0000007bpk.html

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<取り換えがきかない>あなたでなくては

横浜トリエンナーレでも観に行こうとのこのこ出かけたら、横浜美術館のチケット売り場に見たこともないほどの長蛇の列! 美術館前にはいろんな表情のモニュメントが。コワかわ系。

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チケットを買うだけで一時間以上待つ勢いだったので、トリエンナーレはいったんあきらめ、これまで「いつでも行ける」と思ってスルーしていた観光スポットなどにあらためて行ってみる。

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ランドマークタワー展望台からの眺め。下、ピンクのインクで書かれた、たくさんのハートの願いごとたち。どさくさにまぎれて一枚書いてみる(笑)。

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帰途、車の中で聞いていたFM東京で、たまたま「未来授業」というのをやっていて、講師が宮台真司さんだった。声も話し方も素敵で、話の内容も面白く、ついつい真剣に引き込まれる。なにせ運転しながら聞いていたのでところどころ集中力を欠いているが、印象に残ったことは次のようなこと。

・エネルギーの代替問題を論じるより前に、まずは私たちがどういう社会を築きたいのかを論じることが大事。そのビジョンに応じて、必要なエネルギーが決まってくるはずだ。

・「任せてブーたれる」、という日本人特有の政治文化では、幸せな社会など訪れない。「幸せではない」と感じるのは、自分たちが一体何をやっているのかという実感や手ごたえがないから。「引き受けて、自分たちが決定する」というやり方にシフトしないと、幸せな社会など訪れない。

・第二次世界大戦開戦の直前を回顧して、意志決定に関わった多くの人が「今さら止められるような空気ではなかった」と言っている。原発の推進に関わった人たちも、「今さら止められるような空気ではない」と同じことを言っている。私たちにはこのように、空気に流されてしまいがちな傾向があることを意識し、止めるべき時には、空気に逆らってでも止めるための行動をとらねばならない。

・コンビニエントで快適な社会、取り換え可能な人やモノが簡単に手に入る社会をめざしてきたわけだが、それは結局、私たちを幸福にはしなかった。これからは、不便であろうと「取り換えのきかない」共同体の絆を築いていかなくては。スローフードの概念も実はそれだった。顔が見える生産者から、知っている土地のものを、少々高くても買う。自分たちの共同体の幸せ、ひいては自分自身の幸せのために。

ナビゲーターの茂木健一郎さんのシメも、短かったが、印象に残る。「脳が完全にいい状態で働くためには、まずは自分で自分自身を受け入れていることが必要になる。ずんぐりむっくりのどらえもんのようであっても、そういう自分をまるごと認めて受け入れることで、脳が完全に働き始める。宮台さんが言った<取り換えがきかない>というのはまさにそこにも通じる問題。カワイイとか、お金持ちとかという属性ではなく、<取り換えがきかない>あなたでなくてはだめだ、という人間の絆を築くことが、幸せのためには大切になってくる」というような趣旨だったかと思う。拡大解釈だったらゴメンなさい。とにかく、偶然にこのお二人からうけとったメッセージは以上のようなこと。

<取り換えがきかない>あなたでなくては、と思った人に拒絶されたり去られたりする不幸、という問題がまあ、現実には多々起きるわけだが。それはそれで乗り越えるほどにタフになっていけるのでしょうかね……。答えの出なさそうな問題だが、少なくとも、それを機に、モノゴトを考えるようになる。喪失感を埋めるかのように。

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2011年10月10日 (月)

グローバル&エターナルの秘訣

前項の続き。グールド論その2、ヨーアヒム・カイザー著「現代の名ピアニスト」から「グレン・グールドとフリードリヒ・グルダ」。ど素人(私)のイタタ…な解釈なので、本格派グールドファンは、武士の情けでスルーしてください。

私はグルダというピアニストのこともよく知らないのだが、カイザーは、グールドとグルダを「大芸術の煌々たる松明を受けついでさらに光を進めていく人間」であり、「才能とともに、あきらかに呪いもまた継承された」「自己破壊的で常軌を逸したものが備わっている」ピアニストと位置づけ。

歴史的に、大音楽家というものは、奇行が多かったと説明し、「モーツアルトのしばしば粗野におちいる手紙、ヴァーグナーの悪趣味な自己宣伝、あるいはプイッツナーの底意地の悪さなどは、まっとうな神聖さのもつ暗黒面」である、と。「グールドの偏狭な奇癖や、グルダの行き過ぎた理論癖とかが、ピアニスト仲間の嘲笑の的となる」のは、そのような「伝統」(?)の延長上にある、と擁護し、こうした奇行を大きく考えすぎるのはフェアではない、とする。「最高度の業績と能力というものはあきらかに、よき平均値にある人たちが夢想だにしないような内的緊張、ないしは過度の緊張でもって購(あなが)われねばならぬ」ということを理解しなくてはならない、と説く。

グールドに対する当時の世間の見方もちらと紹介される。「このピアニストの衣服、ふるまい、狂躁、ヒステリーなどについて、なにかおかしなことが新しく伝えられるたびに、彼らは『眩惑者(はったり)』とよぶのである」。だが、カイザーは次のように擁護。「ベートーヴェンの16分音符のまえには、だれもが平等である。ステージの上の孤独者にとっては、この場合『眩惑(まやかし)』はてんで役に立たない」。百メートル競走にたとえ、「はったり屋』が10秒2を出せば、もう彼ははったりではない。彼がひょっとして競争の前とか後とかにはったりのような顔をしても、である」。

で、積極的に評価。「このデーモンは、絶大な説得力をもって、すべてを誇張する。速いテンポしかり、ゆるやかな諦念しかり、さらには素朴さ、切実さ、いやそればかりか―逆説的に聞こえようとも―謙虚さまでが誇張される」。

「このアーティストがつねにくりかえし自分自身に課しているものが、過剰性に説得力を与えること、異常でエクセントリックなものを人間化すること、奔放で馭しがたいものをしかもなお制御しようとすること」

書かれたのは70年代。「見た目ではない、中身を評価しなさい」とあらゆるレトリックを尽くして説いているのが興味深い。物書きとして、この表現の凝ったバリエーションにはむちゃくちゃに惹かれる。ただ、メッセージとしてはどうか。見た目じゃない、演奏そのものを聴け、としきりに説いているわけだが、「見た目も中身のうち」の現代だったら、もっとグールドに対して違う評価が出てきてもいいと思うのだが。そういうこと書いている人はいるのかな。

◇今朝(10日)の朝日新聞、求人欄の児玉教仁(こだまのりひと)氏。ハーバード大経営大学院のMBA。受けた教育が、「机の上で理屈をこねてぐちゃぐちゃ言ってないで、リスクを取ってとにかく何かにチャレンジしなさい」。

海外の人とつながるためには「素直であること。一生懸命であること。諦めないこと。弱みも見せちゃうこと。好きなことには夢中になること」。

「愛嬌や情熱がグローバル時代の通行証」。

グールドがグローバルかつエターナルになったのも、結局、上のようなひたむきさでピアノに向かったからだよなあ、と妙なところに落としどころを(強引に)見出す。正統派ファンの方、すいません、またまた論点がズレていて。

先週は公私にわたってリスクをとり続け、痛い思いの連続だったけれど、アクションを起こしてみると、結果にかかわらず、なにかふっきれて風景が少し違って見えてきたことはたしか。親身になって見守ってくれた友人たちに心から感謝します。リスクをとるときには、結果がどうあれ味方になってくれる友人がいるとものすごく心強い、ということも改めて実感しました。エネルギーをチャージしたら次、いきます。

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知性とデモーニッシュな魔力の黄金の均衡

グレン・グールドについてあまりにも素人以下のズレたことを書いていたら、愚行を見かねたFB友のナガサキくんが、「理解の補助線になるから読め」と、頭の良い人にしか書けないようなグールド評を二つ、教えてくれたのであった。

ほんとはこれ以上、素人がこの領域にふみこまないほうが賢いんだろうけど、そこは愚行ついで。投げ入れられた「補助線」をお借りして、もうちょっとだけ浸ってみる。

音楽に関しては「ど」素人として楽しむだけの私にとって、グールドがなぜ関心の対象となってしまうかというと、奇行としてくくられる彼のアティテュードの意味が面白いのである。天才的な演奏家であることは、素人にもわかる。だが、数々の奇行とあの美男風ルックスがなかったらこれほど伝説的に語られるのだろうか?これほど幅広く愛されるのだろうか?  演奏は演奏として、外見と切り離して純粋に評価されるものだろうか??? 正統派のファンの方にはご不快であろうから、この項目、スルーしていただきたい。ズレは承知のうえ、個人的な素朴な関心で、ちょっと追ってみる。

こういうことを考えてしまうのも、ファッション(史)において、作品とそのデザイナーのルックスや態度は、切り離して考えることが不可分になっているから。いやもちろん、作品は作品だけで純粋に評価されている場合も多い。だが、それが時代を超えて、ジャンルを超えて多くの人々に知られ、愛されるレジェンドとなるとき、作者自身のアティテュードの印象が、作品のイメージに多大な影響を与えているのだ。

ココ・シャネル、イブ・サンローラン、アルマーニ、ヴィヴィアン・ウエストウッド、トム・フォード、エディ・スリマン、そしてジョン・ガリアーノ。彼らの作品を語るとき、デザイナー自身の、あの強烈な個性を抜きにして十全に語ることなどはたしてできるだろうか? ムリ。

というわけで、関心の対象は、作品とデザイナーのアティチュード、ならぬ演奏とピアニストのアティテュード。そしてもうひとつ、感覚に訴えてくるすごいものに、どうやって言葉で接近するか?という永遠の課題。

前置きがくどかった。送っていただいた論評はふたつ。吉田秀和のグールド賛と、ヨーアヒム・カイザー著「現代の名ピアニスト」からの「グレン・グールドとフリードリヒ・グルダ」。まずは吉田秀和の「世界のピアニスト」からのグールド賛。鋭いと感じた表現を引用させていただきます。

noteこの音楽には、おそらく天才の純潔とでも呼ぶほかはないようなものが息づいている。彼の奇矯はそのために生まれ、彼の細やかさは、その純潔の徴し(あかし)以外の何物でもないのだろう。

note彼のレコードをきいている時、私は、ある時は必死になって、その音をおいかけ、できる限りの力でもって、<この>音楽について、また<音楽>について、考えようとする。私は、そのために音におぼれず、音に酔わず、自分をできる限り透徹した意識で目ざめた状態においたまま、考えようとする。ところが、そういう努力をしているその時間こそ、音楽が終わってふりかえってみると、私は一番深く音に酔い、音に没頭し、音楽に憑かれていたのである。グレン・グールドの演奏は、そういう性質をもっている。彼は私たちをたえず目覚まし続けることによって、私たちを音楽で酔わす。(中略)ここでの彼は、手垢のつかないロマン主義の小妖精のようだ。

noteグールドがバッハをひくのをきいていると、この「反応と即時性といろいろなタッチの微妙な決定の調節」がものすごく鋭敏に、しかも、際立って高度の知能的な態度(インテレクチュアリティ)と技術の水準と緻密な音楽性(フィーリング)とがからみあいながら、演奏の進展するさまがよくわかる。それに一面では極度にスリリングな魅力の源泉になっているが、一面では聴後の全体の印象を統制のとれたものにする原因ともなる。

noteそういった全体がまるで苔の庭のような一分の隙もない緻密で濃密な音の敷物を作り上げるのだが、しかもその表面の艶々した瑞々しさと、その下を絶えず生きて流れている抒情の味わいの気韻の高さ。

noteこの天才にとり憑いた魔霊(デーモン)が<誇張のデーモン>と背中合わせに生存しているのかと思わせるものがある。しかしこの記念すべき処女録音では、知性とデモーニッシュな魔力とは―いかにもバッハの音楽にふさわしく―黄金の均衡を保っている。

天才の純潔。ロマン主義の小妖精。苔庭の艶やかな瑞々しさと抒情。知性とデモーニッシュな魔力の黄金の均衡。

かくも美しいことばの数々のほうに、覚醒しながら酔ってしまう(笑)。さてもうひとつ、ヨーアヒム・カイザーの方は、長くなるのであらためて次のエントリーで。

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2011年10月 9日 (日)

次なるテーマは、戦略と演技と感情の制御。

「メンズファッションの教科書シリーズNo.10 定番品の教科書 秋冬編」(Gakken)。「メンズファションを革新し続ける、ブルックス・ブラザーズの軌跡」という章を書きました。機会がありましたら、ご笑覧ください。

こちらは、なにか書いてるというわけではないのですが、特集に面白い記事があったのでご紹介。「日本女性に、男たちは今これを求めている!」 で、ぐっどうぃる博士、戸賀敬城氏、名越康文氏からの「男のホンネ」。

恋愛カウンセラーのぐっどうぃる博士は、趣味をもって自分の人生を楽しんでいる女性やきらきらしている女性(25ans的な女性?)に対して冷や水を浴びせる。乱暴にダイジェストさせていただくと、

「いつも自分磨きをして、人生を楽しんでキラキラと生きて、メイクやファッションを完璧にすればいい」といった女性誌的価値観で生きている女性は、男性の劣等感や無関心を引き起こすだけ。「男性の提供するエンターテイメントに素直に喜び、男性の支えを必要としていて、何でも屈託なく話し、女性らしさを忘れない人」という男性のニーズに的確にこたえられる戦略が必要、と。

次、メンクラの編集長、戸賀さん。「知識や経験は、幾らあってもそっと包み隠してほしいですね。(中略)みんな、そのままで十分パワフルで華やかなんだから、それを全部アピールされると男性は疲れてしまう。ちょっと控えめに隠して、男性を立ててくれる余裕がほしいね。そうやって、嘘でも持ち上げられて大事にされれば、男たちも『この女性の喜ぶ顔が見たい』と大切に扱うようになるんです。……(中略)実力を隠して、男性が支えたくなるような、本来の『レディーファースト』の気持ちを引き出す女性であってほしいね」

トリの精神科医、名越先生。「今の男性たちがどんな女性を求めているか。それは、安易な刺激や目先の欲望に振り回されず、平穏に、心穏やかに暮らすことができる女性だと思います。男性は女性の荒ぶる感情が苦手ですから、理想とする自己実現のために、日常の波立つ心を制御できる女性に惹かれるんです」。

ニーズにこたえる戦略。男性を立てる演技。そして波立つ感情の制御。女性が目指すべき次なる領域は、どうやらこのあたりにあるらしい。さ-て。この方向へ舵取りしてあとひとがんばりするか、それともわが道をぶっちぎるか、はたまたぜんぶ放棄して隠居するか……(笑)。(←お断りするのもヤボのきわみですが、私のことではなく、これからの女性誌の方向性なんかを意識してこう言ってます。私自身は演技も策略も制御もできず、感情のままに動いて失敗をくりかえすばかりの野蛮人です。←……って聞かれてないですけど)

そういう視点であらためて表紙を見ると、一見、女学生のような風情のキム・テヒ。ヘアメイクもやや昭和っぽくて、白い襟が修道女みたい。でもこのお洋服はルイ・ヴィトンである。このあか抜けなさ、戦略と演技でがんばるわよ!宣言にほかならんだろう。

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「永遠の時間」を生むものは

なんにも予定がすすまないうちにもう10月も三分の一が終わり?!と焦燥感を感じていたところに、中東のFB友がタイミングよくアップしてくれたシェイクスピアの名言。

"Time is very slow for those who wait
Very fast for those who are scared
very long for those who lament
Very short for those who celebrate
But for those who love time is eternal"
— William Shakespeare

「待つ人にとって、時は遅々として進まないが、恐れる人にとっては、早く進む。嘆き悲しむ人にとって時は長いが、祝福する人にとって時は短い。だが、愛する人にとって、時は永遠である」

スカスカに空疎な時間だけが流れ過ぎていく、と感じる理由のヒントを発見。

ベルエポック・スタイル、20年代スタイル、50年代スタイル、それぞれの時代のスタイルが、それぞれに完璧で永遠である理由のヒントも同時発見。

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2011年10月 8日 (土)

破格な装いと「逆行精神」

「サライ」11月号発売です。連載「紳士のもの選び」でカールツァイスのルーペについて書いています。機会がありましたら、ご笑覧ください。

今月の特集は、京都。この季節になると、いろんな雑誌が、京都特集を組む。私は正直なところ、京都の「ほんとうの」(と通がよく言うところの)楽しみ方を知らない。知ってみたい気持ちも半分あるとはいえ、今さら知ろうと関心を示すことがあさましいように見えるのではないかと恐れる気持ちもある。まあ、そんな分野はほかにも無数にあるわけだが。

とはいえ、あれこれの逡巡など超えて、本誌の写真はとても美しく、目がうるおいます。

◇朝日新聞8日付土曜版be on Saturday、フロントランナー。映画プロデューサー、中沢敏明さんの装いがかなりユニークで目をひいた。糸の織りの具合で格子柄に見えるブルーの上着に、黒字に白の水玉模様のクレリックシャツ。紺のタイ。襟元には、社員証にしてはデコラティブすぎるブローチのようなアクセサリー。上着の襟が浮いているので、たぶん、うるさ型の評論家はケチをつけるだろう。ジャストフィットしてないし、よき趣味の逆をいってる、と。だが、これはこれで、この人の精神のあり方を強烈に表しているようにも見える。

と思ったら、そのお言葉に納得。

「周囲を見渡すと、若者もオジサンも生き方指南の本を読んでいる。これではみんな同じような生き方になる。僕は、皆がいいと言う方向の逆へ進もうと考える性格です」

「プロデューサーは時代の潮流を見るべきだという人がいる。僕がそんなことしたら映画が出来た時には潮流は去っているでしょう。僕は自分がいいと思う企画を立てる。時代性は時代が映画が出来た後でくっつければいい」

だれかが決めたルールなど知らぬ、時代の趣味など俺様が先導する、みたいな勢いの破格ファッション。となりの三池崇監督ですらフツーに見えてしまうほどの、インパクト。

Nakazawa_miike

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大御所の弛緩芸に対してとるべき態度は

だいぶ前に「おもしろい!」と思って切り抜いておいた記事だが。朝日新聞9月28日付の、斎藤美奈子氏による文芸時評。「夢まぼろし 大家の弛緩芸」。

その業界の大御所となっている方の、明らかにゆるい仕事をけなすのは難しい。大先輩としてリスペクトしなくてはならないが、いや仕事人としてそれはどうなのだろう…と思うとき。さすが斎藤氏、芸をもってそれを揶揄してしまった。なかなかできないことだわ。勇気と芸とユーモアのセンスに敬意を表したい。

揶揄の対象になってるのは、筒井康隆、丸谷才一、片岡義男。こんな超ベテラン、だれもけなせないじゃないですか! それぞれの大家の最新作に対し、いちおう、ホメるところはホメてはいるのだが、最後のチクっとした批判が、効いている。

まずは筒井康隆の「小説に関する夢十夜」に対し。

「……それなりに読めてしまうのが困ったところなのだが、これがほかの作品を押しのけて『文学界』の巻頭を飾っているのを見ると、つい『来賓の挨拶』とか『接待』という言葉を思い出す。どこか特別枠の扱いなのだ」

次、丸谷才一の「持ち重りする薔薇の花」に対し。

「大物作家の久方ぶりの長編小説という特別枠の限定を外してみると、細部のズレっぷりはいかんともしがたい。(中略) が、そうしたズレ方も、記憶があいまいな老経済人の一人語りだから、という一点でみごとに免罪されてしまうのだ。記憶の再現と夢まぼろしは紙一重。語り手の記憶に難があった場合、中身がどうあれそれは小説として成立し、老練の技は大向うを唸らせ、往年のファンを魅了する。だがそれは、やはり大家だけに許された弛緩芸だろう」

で、最後、片岡義男の「大根で仕上げる」に対し。

いちおう、「ルーティーンのなかに、手順や段取り、必要とするものなどすべてが、いっさいなんの無理もなく、端正に収まっていた。必要最小限の動作で、手際良く、素早く、なめらかにすべてをこなす」という小説の中の一説を引用して、それがそのままこの小説のたたずまいでもある、とホメ(?)てはいる。が、最後に。

「…などと語るスケベ心いっぱいのこの語り手は何者なのだろうか。まあでもこれも一世を風靡した片岡義男の青春小説の残滓と思えば頬が緩まぬでもない」

まとめがすばらしすぎる。

「年長者には寛容をもって接する。それが礼儀と心得れば苦笑も微笑に変わる。小説を読む側にも礼儀が求められる。無礼者には大変である」

業界をとわず、年長者の弛緩芸に苦笑している多くの人は、この一文を読めばちょっとはスッキリするかもしれません(?)

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2011年10月 6日 (木)

中毒ドラマ、リターンズ。

やたらと長い待ち時間があったので、念のためにと持参していった、届いたばかりの「ゴシップガール」シーズン3、ボックス1を見始める。アメリカではシーズン4に入ってるみたいだが、あの早口と今どきジャーゴン満載の英語は、さすがに字幕なしではキビシイ。

あの中毒世界に戻ってきた~っていう感じ。だれもが恋人か元恋人か義理の親戚関係か宿敵かという濃ゆくて狭い社会のなかで、金と陰謀と裏切りと愛と友情と復讐とセックスが軽やかにどろどろとからみあう。リムジンとシャンパンは必需品。舞台はポロであったりサザビーのオークションであったり別荘だったり映画のプレミアだったり。シーンごとのファッションは文句なしにかっこいいし、キャストたちの行動がそれぞれにありえないほど魅力的で、続きを見ることがやめられなくなる。わるいもんにはまる中毒症状みたいなズブズブ感を覚えさせるドラマ。

ゴシップとファッション好きな女の話、みたいな印象なんだろうか、女性誌ではずいぶん前からふつうにとりあげているが、意外とメンズファッションがおもしろいのだ。とりわけクールなのが、チャック・バス役のエド・ウェストウィック。独特の超一流テイラードを、俺様な視線と態度と言葉でもってクールに着こなす。目が離せなくなる。女ウケがよさそうなのは、やさしいイケメン系のネイトだろうが、通(?)は断然チャック・バスである。見逃しているメンズファッション誌の編集者がいらしたら、ぜひ一度チェックしてみることを勧めます。

Chuck_2

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2011年10月 5日 (水)

男は、フルドレス。

「三陽山長」の靴を取材したご縁で、三陽商会が展開するメンズブランドの展示会にお招きいただく。三陽商会の社員の方と、プレス(ジャーナリスト)と、バイヤーさんたちだと思うが、タイドアップしてポケチにまで凝ったフルドレスの男性がずらり。やはり男性がフルドレスで装ってぴしっと背筋を伸ばしている姿というものは、無条件にときめく。こちらもがんばらねば、と背筋が伸びる思いがする。スーパークールビズの延長でずるずるとノータイで場を濁している方がいたら、ただちに「衣替え」していただきた~い(笑)!

先日、取材のときにも感動した、三陽山長のドレススニーカーが、グッドデザイン賞を受賞したとのこと。靴底がラバーになっていて、いくら歩いても疲れにくい、表からは靴にしか見えないスニーカー(?)である。3.11以降、「いくら長時間歩かなくてはならなくなったとしても、疲れにくい靴」ということで需要が高まっている、とうかがっていた。

たしかに、機能的で美しいデザインだと思う。おめでとうございます!

Good_design

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2011年10月 3日 (月)

「与えるものによって人生を作る」

大学でウィンストン・チャーチルに関する講義。その人のことを話しているだけで楽しくてたまらないという大好きな歴史上の人たちが何人かいて、チャーチルはまちがいなくその筆頭にくる。彼のラグジュアリー嗜好(それが現在におよぼしてる影響)、名演説、名言、コンプレックスと逆境克服法、というようなテーマにて。政治家として有名な人だけど政治の話がでてこない、というのが、私流なのだが(^-^; 。

名言をいくつか訳させてみたら、なかなかいい超訳をしてくれた学生さんがいた。

A pessimist sees the difficulty in every opportunity; an optimist sees the opportunity in every difficulty.

「マイナス思考の人は難しく考えすぎてダメになるけど、プラス思考の人はなんでもチャンスに変えてしまう」

いまどきの発想からくるコトバだわ~と感心。嬉しくなる。

ついでに、自分自身が何度も反芻しているチャーチルの名言をいくつか。ココでもしつこく何度も出てくるものもあるが、ご寛恕。

tulipThe farther backwards you can look, the farther forward you are likely to see.

(過去を遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう)

tulipWe make living by what we get, but we make a life by what we give.

(人は、得るものによって生計を立てる。が、人は、与えるものによって人生を作る)

tulipNever worry about action, but only inaction.

「行動することに関して案じるな。行動しないことに対してのみ、不安に思え」

tulipIf you're going through the hell, keep going.

「地獄を経験しているなら、そのまま突き進め」 (→やっぱコレが極め付きにハマる)

tulip

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2011年10月 1日 (土)

スタアの条件

「犬もの?」とあまり期待しないで観に行ったら、意外とよかった。「Dog × Police 純白の絆」。

丁寧に作られた映画。想定外のところへ連れて行かれる興奮、っていうのはなかったけれど、シナリオが堅実、アクションも適度に楽しめたので、好感がもてた。

警察犬と警備犬との違いすら、これまでわかってなかった。「警視庁警備部警備二課装備第4係」の熱い人と犬たちの物語。(警備犬は「装備」なんかじゃない!というのが隠れたメッセージのひとつ)

市原隼人が走ったり泣いたり笑ったり犬とじゃれたりするだけで、画面が華やぐし、もっとずっとこの人を見ていたい、と思わせる。「スタア」だなあ。

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歓喜と謙虚

この選択が吉と出るか凶と出るか、というくらいの転機となりそうな(私にとっては、という程度だが)選択を迫られ逡巡し続けて3日目、判断を下す礎としてぜひともご意見を聴いておきたい、という方を尋ねていったところ、「私は大それた助言などできる立場ではありませんが、この演奏のなかに求める答えが見つかるかもしれません」という前置きのもとに手渡してくださったのが、このCD。

1959年8月25日のザルツブルグ音楽祭でのグールドのリサイタルを録音したCD。コンサート活動をやめてしまう前の、貴重な録音である。天分を惜しみなく十全に発揮している人特有の、歓喜と謙虚。小さいミスなどものともせず、聴衆などいないかのような忘我の境地をうかがわせるフリースタイル。ハミング入り。すばらしいライブ音楽にしばし陶酔する。

他人の評価や偏見など気にせず、自分がいちばん楽しめるやり方を選び、そこで大事なことに没頭すれば、結果はそれに応じておのずからついてくるさ(それを気に病む必要はない)、というメッセージとして受け取ることにした。(ご本人の意図とはまったく違う、自分に都合のよすぎる拡大解釈かもしれないが……笑)

HHさん、ありがとうございました! 映画かドラマに出てきそうなアドバイスのしかただが、そういえば、この方の作り出す世界はあらゆる点で映画的なのだった、ということにあらためて思いが及ぶ。ことばやふるまいから、タッチするすべてのものにいたるまで一貫したテイストを感じさせること、これがスタイルというやつかな、とも思う。服装がおしゃれな人は多いが、他人の人生の選択に対する助言にまでスタイルを感じさせる人、というのはなかなかいない(ほめすぎてゴメンナサイ)。

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