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2011年9月

2011年9月29日 (木)

酷薄で横暴な男の魅力と美しすぎる衣装

まずい。見始めてしまった。これヤバい(って大学生みたいですいません)。ジョナサン・リース・マイヤーズがヘンリー8世をやるテレビドラマ「チューダーズ」。本国イギリスではシーズン4を終了したみたいだが、日本ではようやくこの秋、シーズン1のDVDボックスが発売になった。

当然、予約しておいて発売とともに届いたものの、あれやこれやそれやのミッションを終えてから見ようと手元に置いておいたらはや一か月以上経つ勢いで、これじゃあ死ぬまで見れん、と思って見始めたらば、やはり甘美な地獄にずるずると引き込まれる。

冒頭から「暗殺」で血なまぐさく始まる。謀略、暴力、殺戮、政治、スポーツ(武芸)、宴、それらと妖しいコントラストをなすエロティックなシーン。ヘンリー8世がどういうことをしたかは、歴史としてすでに知っている。その背景、そのプロセスが、現代人にも響くように、丁寧にスキャンダラスに描かれる。

しかも、この美しすぎるチューダー朝の衣装は、なにごとか。 家臣ひとりひとりにいたるまで、贅をこらした素敵なチューダーコスチュームの数々。ましてや酷薄で横暴な印象が長所になっているジョナサンの着る「王の衣装」のカリスマ性たるや!すべてモダナイズされているのがまた心憎い。1シーン1シーンが古くて新しい絵画のようで、生きていてよかった級の眼福。

日本でこれを放映している会社(AXN)は、「25時」とか「27時」とか、それって何時ですかという時間帯にやっていた。やっと普通の時間(笑)にDVDで見られる幸せ。

あ~でもさすがにここでいったんストップせねば。

続きは、また近日中に。

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「いちばん最初に名を思い浮かべてもらえるか」

昨日、シャネル社社長リシャール・コラス氏による「リュクス・セミナー」第4回目に参加。明治大学商学部ファッションビジネス特別講座の一環。以下、ほとんど自分のための備忘録のようなものだが、個人的になるほど、と思ったことの概要をメモしておきます。

今回のテーマは「無形資産」。数値として変換できない価値が、実は消費者の頭の中に存在していて、これがブランドの価値を決め、売り上げを大きく左右する。

では、その価値を具体的にどのように測るのか? 

その方法の一つとして、第三者に依頼しておこなう、ブランドイメージの調査がある。ラグジュアリー製品となると、とりわけ「消費者がどう見ているか」というブランドイメージが重要になるのだ。

しかも、ブランドイメージというのは生き物であって、定期的・継続的に見ていく必要がある。その意味では健康診断のようなものでもある。そして、製品とは無関係であっても、なにか企業回りに大きな「失敗」があると(たとえば、社員によるセクハラなど)、とたんにイメージがダウンする、というデリケートなものでもある。ゆえに、イメージのファクターは、「こういうイメージを消費者に届けたい」という戦略だけで決まるのではなく、外からの要因にも大いに左右される。

ラグジュアリー・ブランドに関するイメージ調査に関しては、どんな人に聞くか、というターゲットも重要になってくる。ランダムに聞いても意味がない。具体的には、東京圏・大阪圏に住む24歳~60歳の女性、200名で、ラグジュアリー製品のレギュラーユーザー。ラグジュアリー製品年間購入100万円以上の独身女性で、年収1000万以上、など具体的に対象を決める。

ブランド・エクイティの3つの要素として、Saliency (際立っていること。一番最初に思い浮かべてもらえること=Top of mindにくること)、Value、Strength(イメージの強み)がある。Saliency + Value + Strength、この総和を3で割ったものが、ブランドエクイティ。

この結果を見て、ブランド側は、長期・短期の戦略を立てていく。期待に添えていないなら、それを改善する努力をし、誤解があって価値が伝わっていないなら、それを伝える努力をする。data→改善努力→data→改善努力…の繰り返し。

……という総論があり、具体的に「ラグジュアリーブランド全般に関して」、「既製服に関して」「ハンドバッグに関して」「フレグランスに関して」「メイクアップに関して」「時計に関して」という各項目のもと、細かなデータの結果を示していただきながら調査結果を教えていただいた。個人的には、どのような「ことば」の分類でもって消費者のアタマのなかのイメージを調査をしていくのか、ということがおそろしく興味深い講義であった。

ribbon Image Dimension として、Prestige(威信), Aspiration(憧れ), Cutting Edge(最先端), Relevance(ふさわしさ)があるということ。

・そのPrestigeを定める項目はなにかといえば、Timeless Style, Worth the Investiment, Iconic Products, Know-how in craftsmanship, Standard for luxury, Exceptional finish, Well-known people, Really takes care of its clients など。

スパイダーグラフをつくってみると、シャネルは、Exceptional finishという点が少ないようにも見える(この点ではエルメスが突出している)。でもそれは、シャネル側の戦略のせいでもある。シャネルバッグは、実は1つ作るのに18時間かかり、職人ひとりの養成に3年間かかっている。でも、シャネルはそういう現実的な職人技のすばらしさを伝えるよりもむしろ、あえて「夢」を売る戦略をとっている。消費者に、職人技がどうのという現実は宣伝していない。その結果でもある。

・で、次、Aspirationを定める項目はなにかといえば、Very feminine style, Makes me dream, Makes me feel special. など。

ラグジュアリーブランドのなかではディオールがこのAspiration全体において不足している。その結果、全体のイメージが低下している。

・次、Cutting Edge。 これを定める項目は、Daring, fun, in or hot right now, Avant-garde, Really Dynamic, Attract Youg people

ここにおいては、ヴィトンが傑出し、エルメスはやや下の方にくる。エルメスはそのあたりを売りにはしていない(最先端ではなく、タイムレスなスタイルを売りにしている)から、当然。

・次、Relevanceを定める項目はといえば、Fits my lifestyle, Feel close to, I'm crazy about, Truly pleasant shoppping experienceなど。

以上のような細かな各項目にわたり、2007年から2011年までの数値の推移を公表していただいた(社外で見せるのははじめてのこと、でした)。

総合すると、シャネルがトップにきて、エルメス、ヴィトン、プラダ、グッチ、ディオール、クロエ、フェンディ、D&G,セリーヌ、アルマーニ、YSL、Valentinoと続く。ここ数年でプラダが上昇し、ディオールがやや下降気味なのが目立つ。

ぼんやりと語られがちな「ブランドイメージ」だが、こうした言葉と数値できびきびと示されてみると、目からうろこが落ちる思いであった。当然のことながら、「既製服」「ハンドバッグ」「フレグランス」「メイクアップ」においては、使われることばも違ってくる。たとえばフレグランスの場合、イメージ・ディメンションの下には、Prestige, Seduction, Vitality, Relevanceという項目がくるし、メイクアップの場合は、Scienceという項目も入る。シャネルはプレスティージはあるがサイエンスにおいて不足しているので、10年がかりでいまそれを投入しようとしているところ。

eye 学生からの質問にもユーモラスに答えていただく。

「シャネルは男物を作らないと言っていたのに、香水BLUEも出したし、ネクタイも売っている。これはどういうことか?」

→80万円のシャネルスーツを買った奥さんが、エクスキューズとして、夫にちょっとしたおみやげを買っていくのに、2万円のネクタイはぴったり(笑)。

→Blueのコンセプトは、Unexpected. 「自分がいるべき、と思うところから、全然ちがうところにいる」。っていうわけで、コンセプトにも合う(女物だけやるべき、と思っていたところから、男物までやっちゃっている、というところにいる)。

「コラス社長のネクタイはシャネルだとおっしゃってましたが、スーツはどこのですか?」

→ゼニアの6~7万円のもの。これはコラス氏自身の体の動き(激しくよく動く)にあっているのだそう。ブリオーニの繊細な生地だったらたちまち破れてしまう(笑)。ちなみに靴はベルルッティ。これも軽くて歩きやすく、機能性にすぐれていて20年履いても「古くならない」。

……とまだまだ名残惜しかった充実の100分。楽しくお勉強できました。ありがとうございました!

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2011年9月28日 (水)

消費のための「社交劇場」の増加

不況に打ち勝つための戦略として、販売促進を兼ねた社交イベント、「リテイル・シアター(retail theatre=直訳すれば、「小売劇場」)」があちこちで仕掛けられているという記事。英「インデペンデント」25日付。Fashion designers offer 'retail theatre' to combat economic gloom.  by Genevieve Roberts.

これも大雑把な超訳で紹介。

不況下にあっても、人を消費させ続けるために、売る側はさまざまなイベントを企画している。ディナーパ―ティーから、パーソナルスタイリストやセレブを招く企画、そしてディスコにいたるまで。

ヴォーグ・ファッション・ナイトアウトもそうだし、ブシュロンやアスプレイは今や定期的に顧客向けのディナーパーティーをやっている。ハイブランドではなくても「マンゴ」は「スタイリスト」(雑誌)と組んで、カクテルやおみやげつきの 'Work It ' night を開催。「クラークス」も、チョコレートやカクテルつきでデザイナーとおしゃべりするイベントを開催した。

この流れは止められない、という解説。このようなショッピングイベントを企画するとはどういうことか?「楽しい経験と付加価値を与えること。セレブに会わせ、値引きをするというのは、即効性のあるマーケティング戦略として有効」。

別の解説では、「お客様に、遊び場を提供すること」。

ショップの中でのお楽しみ、カナッペとシャンパーニュが、顧客を消費へと促す大きな要素になっているというこの記事。

日本でもこの趨勢を実感していたので、納得。

セレブのトークショー、ディナーからちょっとしたティーパーティーにいたるまでの顧客向け販促イベントがますます増えているのだ。そこで重要になるのが、やはり「社交」。そのイベントへ行けば、セレブばかりでない、同じファッションの志向性をもつ知り合いや友人と会い、おしゃべりを楽しむことができる。そんな「社交」という付加価値につられ、出かけていくのである。で、ついでにその店のなにかを買って帰ったりする。この販促効果は侮れないと思う。

そんなこんなの内外のトレンドの印象をひっくるめて、上のタイトル(消費のための「社交劇場」)にしてみたんですが、いかがなもんでしょうかね?

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2011年9月27日 (火)

マナー・プロトコール協会主催の講演会のご案内です

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「ロイヤル・スタイル」と題し、イギリス王室史をいろどるロイヤル・ウーマンたちの、ファッションと人生についてお話します。詳細は、以下の通りです。お問い合わせは、マナー・プロトコール協会までお願いします。万一、お時間とご興味がありましたら……。

<開催概要>
■日程: 2011年10月22日(土)14:00 〜16:00
■会場: ホテルニューオータニ東京 ザ・メイン16階 LAPIS-1(ラピス-1)
東京都千代田区紀尾井町4−1 TEL 03-3265-1111
<最寄り駅> 
・赤坂見附駅(地下鉄 銀座線・丸ノ内線)紀尾井町口 3分
・永田町駅(地下鉄 半蔵門線)7番口 3分
・麹町駅(地下鉄 有楽町線)麹町口 6分
・四ツ谷駅(JR中央線・総武線、地下鉄丸ノ内線・南北線)麹町口・赤坂口 8分 
■会費: 6,000円(ブリリアントクラブ会員)
8,000円(会員以外の方)  
ご友人をお誘いいただいても結構です。
■定員: 30名
お申込、お問合せはメール(brc@e-manner.info
またはお電話(03-5212-2600)にて
「日本マナー・プロトコール協会ブリリアントクラブ係」まで

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イスラム教徒のモデル、羽ばたく

サウジアラビアで2015年から女性に参政権が認められるようになった。こうした動きをいっそう後押しすると思われるのが、モード界でのイスラム教徒の女性モデルの活躍。

それを紹介する「ニューズウィーク」のロビン・ギヴァンの記事。18日付、The New Faces of Islam. http://www.thedailybeast.com/newsweek/2011/09/18/the-new-faces-of-islam.html.

最初の部分をものすごく大雑把にダイジェストすると。

5年前のアラブ世界は、モデル界のネットワークから断絶していた。女性が海外に移動する、ということが文化的に困難だった。が、いま、たとえばこの二人のモデルが、アラブ世界の偏見や制約を越え、世界ではばたきはじめている。

Hndi Sahli とHanaa Ben Abdesslem の、ややダークな肌が美しい二人。昨年は、ジバンシイ、ラルフ・ローレン、ルイ・ヴィトン、ゴルティエ、ヴェラ・ウォン、フィリップ・リムなどのコレクションにモデルとして登場、イタリア版、フランス版の「ヴォーグ」にも載り、トップショップやランコムの広告にも出演。

この二人のモデルにとって、ファッション業界とは、ゴシップだの贅沢だのといったものに身をゆだねる場などではない。力を得られるところであり、チャンスに満ちた場であり、新しい世界なのである。他人の視線を受けるチャンス、他人に自分のことを語ってもらうチャンス、いや、ただ単純に「存在する」というチャンスを得られる場所なのである。

「ファッション業界は私を自立させてくれました」とベン・アブデスレムは語る。「女性としての自分自身に、自信を与えてくれました」。

皮肉なことに、アラブ世界の女性は、長い間、ファッション界最大の消費者だった。実際、フランスのオートクチュールの経済は、中東に頼っている。ファッション撮影はしばしばマラケシュみたいなエキゾチックな中東でおこなわれてきた。にもかかわらず、アラブの女性はそのなかに不在だった。変化が起こったのが、ようやく2年前。

というわけで、中東で起こりつつある劇的な変化は、モード界とも無縁ではないのである。写真は、紹介されているふたりのモデル。

Islam_models

長らくヴェールで覆われてきたイスラム世界の美女たち。西洋世界の美の基準に染まらない、彼女たちの美しさを見せてほしいと思う。

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2011年9月26日 (月)

「人間関係をつくるのに、エネルギーを使わなさすぎ」

私が一方的に「師」の一人として教えを(著書などから)仰いでいる、湯山玲子さんのメルマガの最新版を読んでいたら、

「人間関係をつくるのに、あまりにもエネルギーを使わなさすぎ」

という鋭すぎる指摘が出てきて、ぐさっときた。

こちらがエネルギーを注ぎ、相手からも同じように注がれた、という経験をしてはじめて、絆のようなもの、というか、カンケイができるのだ。実際、「相手にうざいと思われたらやだ」とか気取ってたり、「そんなに関心強いわけでもないのにこっちから連絡するのも疲れる」とかワガママ言っていると、その時点でご縁は途切れる。そもそも、それは傲慢だ。

ずっと関わっていてほしい人だからこそ、エネルギーを使って言葉を届ける。会う機会をつくる。先方からのサービスを待っているだけの受け身ではダメで、それを意識的に継続的にやるのが、まずは基本的前提。っていうことをあらためて実感した日。

人間関係でなくても、エネルギーを使い続けていないと報われることなどない、というのは、なにごとであれ同じなのだが。

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2011年9月25日 (日)

世界初の「アロマ・スコープ」とは

Spy_kids世界初の4Dとは? 飛び出す「におい」、アロマスコープとは?

おこさまサービスを兼ねてとはいえ、ちょっとそのあたりもどうなってるのか、興味があったのだが。

「アロマスコープ」とは。8種類の番号を書いた紙を渡される。映画の途中でスクリーンの端に番号がでてきたら、それに合わせた番号をこする。で、そのこすった指のにおいをかぐ。

……う~ん。あえてコメントはしません。

ジェシカ・アルバが、破水しながら(笑)敵と戦い、赤ん坊を抱きながらスパイ任務を遂行する。「義理の母」としての苦労をかかえながら。

まあ、マンガのようなお話を、小さなお子様と楽しむ分には。

それにしても「映像を匂いとともに体験できる」という試み、過去にもいくつかあったとは思うのだが、「世界初の4D」というからハイテクに行くかと思ったら思い切りアナログだったという点、実は半分ほっとしているところもある。もうテクノロジーはしばらくいいから、脚本をおもしろくすることにエネルギーを注ぎ込んでほしい!

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2011年9月24日 (土)

グレーヘア、フリースタイル。

uomo 11月号発売です。「スクリーンに見る男の『やさしさ』と『強さ』」について2ページにわたって「語って」おります。好きな映画に出てくるいい男たちの話をしゃべりつくし。機会がありましたらご笑覧ください。

「強くやさしい男」といってもそれこそバラエティに富み、マニアックなのも実はけっこう挙げたのですが(「セクレタリー」のジェームズ・スペイダーとか、「第九地区」のエイリアンになる男とか、「ラブ・アクチュアリー」の失恋男とか)、さすがに今回は載せきれなかったというか却下されたというか(笑)、それだけが心残り。

とりとめなく終わらない話をコンパクトにをまとめてくださったライターのオダシマさん、聞き上手の副編フクダさん、きれいな写真をちりばめて素敵なページにしてくださったカイヌマくん、ありがとう~!

表紙の吉川晃司、いい感じ。なにがいいのかと思ったら、白髪を染めないグレーヘアね。ボタン開けして着たシャツに、白いランヴァンのコートを羽織ってちょっと流し目。ラフでパンキッシュなグレーヘアがとても効いている。若作りはしないけど、老けもしない、っていうこの自然で自由なスタンス、とてもセクシーだと思います。

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2011年9月22日 (木)

「背負うものが多ければ、限界突破は可能になる」

これもここしばらく持ち歩いて何度か読み返した本。内田樹先生の『最終講義 生き延びるための六講』(技術評論社)。ヒューマニズム、アカデミズムの王道をいくお話として、ひたひたと心を潤してくれるような感覚を味わわせてくれる。

「かすかなシグナルに反応して、何かわからないけれども自分を強く惹きつけるものに対して、自分の身体を使って、自分の感覚を信じて、身体を投じた人にだけ、個人的な贈り物が届けられる」

「どんなふうに人間は欲望を覚えるか、どうやって絶望するのか、どうやってそこから立ち直るのか、どうやって愛し合うのか……そういうことを研究するのが文学研究です。だから、文学研究が学問の基本であり、それがすべての学術の真ん中に存在していなければいけない」

「知性のパフォーマンスを向上させようと思ったら、自分以外の『何か』を背負った方が効率的であるに決まっています。自分の成功をともに喜び、自分の失敗でともに苦しむ人たちの人数が多ければ多いほど、人間は努力する。背負うものが多ければ、自分の能力の限界を突破することだって可能になる」

「どうやったら学びのモチベーションを高く維持できるか。そのために使えるものは全部使う。最終的に彼らが採用したのは、営利栄達でも、知的優越でもなく、自分の脳が高速度で回転しているという事実そのものだったんです。その『アカデミック・ハイ』だけは間違いなく、今ここでたしかに実感できる。最後に残るのは、この快感だけである」

「自分の知性の活動が最大化するときの、最高速度で頭脳が回転しているときの、あの火照るような体感に『アディクトする』人間がいて、そういう人間が学者になるんです。『あの感じ』を繰り返し経験したくてたまらない。だから、どうやったら自分の知性が最高速度で機能するようになるか、その手立てを必死になって考える。(中略)だから、使えるものは全部使うようになるんです。自分の知的なパフォーマンスを高める可能性のあるものは、総動員する。それが本当の学者だと僕は思います」

「自分が『理解することの困難なこと』をめぐって語っているのだという自覚があれば、書き手が最初に配慮すべきは、『読者の知的緊張をどこまで高いレベルに押し上げられるか、どれだけ長い時間それを維持できるか?」という、すぐれて技術的な『読者問題』になるんじゃないですか」

ほかにも、五感に染み渡るような「情理を尽くし語られた」ことばのオンパレード。とりわけ専門化しすぎて排他的になりすぎたアカデミズムに対するご意見のあたりが、ひやひやしながらも、とても共感できた。

ユダヤ人問題のこと、北方領土問題など、私には完全には理解が及ばなかった箇所もある。なんだかすごく大事なことが書いてありそうなのに。ホント、自分のレベルに応じたものとしか「出会う」ことなんてできないんですよね、本の内容も、人も。

「自分のレベルに応じたものとしか出会えない」ことついでに、最近なるほど、と思った酒場の教養。「ル・パラン」本多さんの、「バーテンダーは砂金採りのようなもの」説。「砂金の宝庫、と評判の場所でも、心の網の目が粗いと、カンやゴミしか集まらない。でも、心の網の目を細かくしておく(=知識や教養を磨いておく)と、砂金にもたとえられるいいお客様がたくさん集まってくる」という意味だそうである。たぶん、バーテンダーばかりではなく。

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2011年9月21日 (水)

天才で美形で繊細で奇行。

カナダのピアニスト、グレン・グールドの、ドキュメンタリーDVD。録音の外を離れての素顔のグールドと、録音中のグールド。

ハミングしながらのレコーディング、こだわりの椅子にすわっての、独特の猫背姿勢、妥協のない発言。やはりこの方は「天才」。

とりわけインテリの間に、グールドを嫌いと言ってはいけないような雰囲気がある。実際、グールドがわからないとか嫌いとかいう人に、お目にかかることはきわめてまれ。その理由の一端が、少しだけ、わかる気がした。

神からふんだんなギフトをもらってるとしか思えないのびのびとした天才ぶり、繊細さと正直さ、ほれぼれするほどの美形、なのに奇行すれすれの言動。こういう、類のなさすぎる天才は、嫉妬のしようもない「人類のお宝」なのだなあ、と。彼の音楽からはポイントずれまくりだが、音楽を離れたところでのグールドの位置づけみたいなことをつらつらと考えさせられた。

音楽に関しては、正直言って、他の人が熱狂的に騒ぐほどの感情は盛り上がってこない。で、そのあたり、なんでだろう? やはり音楽体験が少ないせいか?と思っていたら、このDVDを勧めてくれた高校の同窓生ナガサキくんの以下の指摘にヒントがあった。多くの専門的な意見を述べてくれたのだが、なかでも、自分の感覚に照らし合わせて「そうか」と思ったのが、

「『粒の揃った真珠の連なり』を連想する」という点と、「ホロビッツと対極の『非情念系』である」という点。

私はどっちかといえば、「粒が揃ってない真珠=バロック」が好きで、かつ、情念系の人間。なにかグールドの音楽を疎遠に感じることがあるのは、そのあたりにも理由があるんだろうか? あるいは根本的に、音楽の知識や鑑賞体験が不足してるんだろうか?来月あたりに公開になるという映画も見て再確認したいところ。

◇次男の小学校が、この獰猛な台風の中、三浦での宿泊研修を決行。最初、ありえない、この判断!と思ったが(大学ですら休講になり、多くの学校が休校になっているのだ)、一時間ごとにHPにアップされる写真などを見ていると、けっこう楽しくやっている模様。もっとも神経をすり減らしているのは、引率の先生だろう。全員の無事を祈りつつ、深く感謝。

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2011年9月20日 (火)

「社交は欲望を充足しつつ、満足を暴走から守る」

ここひと月ほど毎日持ち歩いて、少しずつながら、気になったところを中心に3度ぐらい読み返しているのが、山崎正和先生の『社交する人間 ホモ・ソシアビリス』(中公文庫)。

礼儀作法の意味、ファッションが社会において発揮する力、学問が成立する場所、ソーシャル・ネットワーキングの意味、これからの社会や仕事のあり方など、最近、つらつらと考えていたことに対して一貫したヒントを与えてもらったような思いで、かなり運命的なものを感じている本。なんでハードカバーで出た時に読んでおかなかったのか、と悔やまれる。

効率や生産性や手段といった19世紀的な発想がもう機能しなくなっている今、人間的な幸福に支えられた社会実現のために重視すべきもののひとつとして、たしかに「社交」の復活がある、と感じられる。「会議は踊る」。そもそも政治だって社交の中でおこなわれてきたのだ。ましてや学問は!

引用したい箇所があまりにも多すぎて(ほぼ全部)、かえってフラストレーションがたまりそうなのだが。前半、がつんとやられたなかの一か所から。

「けだし社交とは、本来、いっさいの清教徒的な禁欲とは無縁の営みである。それは人間のあらゆる欲望を楽天的に充足しつつ、しかしその充足の方法のなかに仕掛けを設け、それによって満足を暴走から守ろうという試みである。社交はあらゆる道徳的な命令にたいして中立的であり、むしろ倫理への反抗を内側から逆転させて野蛮を防ぐ奸智だといえる」

文章も山崎さんらしい論理的で誠実で力強い筆致で、最後まで、一瞬たりとも手が抜かれていない。全身を落ち着かせてくれるようなトーンで、どこか「帰るべきところに帰ってきた…」とほっとさせられる。しばらくの間、引き続き、持ち歩いて反芻したい本。

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2011年9月19日 (月)

「精神的種族の保存拡大のために」

上野千鶴子先生の最終講義録が目的で買った「文學界」9月号だったが、思わぬ収穫もあった。河野多恵子と吉田修一の対談、「『逆事』と抑制の小説作法」。

河野 「そういえば、福島原発の事故以降、やたらと「節電!節電!」と言うでしょう。先日、新聞を見ていたら、「節電」と『陰翳礼讃』を結びつけた内容の記事があったの。あれには驚いた」

吉田 「たまたま僕が読んだ雑誌にも似たような記事がありました。『陰翳礼讃』がエコ生活読本のような扱われ方で(笑)」

河野 「そう。冗談じゃないわ。『陰翳礼讃』は、その頃の谷崎の心理的マゾヒズムという性的欲求から生まれているのよ。そこのところが全くわかっていない」

吉田 「目隠しをされた時に感じる人間の五感の喜びのようなものだと僕は理解しているのですが」

……上のくだり、痛快だった。たしかに、「節電のために暗い」=「日本人には陰翳礼讃という美的感覚が」みたいな記事が多くて、ちょっと違うなあ、気持ち悪いなあ、という違和感をおぼえていたのだが、そうそう、そういうことだったのね。

で、もう一か所だけ、備忘録としての引用を許していただきたい。

河野 「ところで、なぜ人は小説を書くのかというと、私は『精神的種族の保存拡大』のためだというのが、本当のように思います」

吉田 「『精神的種族』とは聞きなれない言葉ですね」

河野 「これは佐藤(春夫)さんが、師と仰いでいた生田長江の言葉らしいんだけど、自分の作品に共鳴してくれて、最高の理解者として作品を愛し続けてくれる、心の底から通じ合える読者のことなの。苦労して書き上げた作品を発表したときには、読者の反応が気になって、誰かに共感して欲しいでしょう」

吉田 「はい、そのために書いているようなところがあります」

河野 「そうなのよ。作家は作品を発表することで、たとえ自分がこの世から去ったとしても、その作品を大切に思い続けてくれる自分の精神的種族とつながることで、時代を越えていつまでも作品を残すことができるのね」

……そういう信念と実感があるのとないのとでは、モチベーションがまったく違ってくる。吉田さんではないが、こういう発想というか自覚の有無が「5年後、10年後に立っている場所」を変えるような気さえする。そんな名言。

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「いいね!」ボタンの専制

<FB研究その2>

◇インターネット世界をすっかり変えてしまったものに、「Like」(いいね!)ボタンがある。これを発明したのは、Soleio Cuervo 氏。

「仕事に行く前、12分間フェイスブックを使う時間があったら、それをどのように最大限に有効活用するか?」

シンプル、クリスプ、クリーンに。いろいろあって、2009年2月に、例のちっちゃな「Like」ボタンが生まれる。これがインターネット世界を大きく変えてしまうことになろうとは。

以上の詳しい経過は、The Wall Street Journal, 8月13日付、The Man Who Got Us to 'Like' Everything.

◇……で、この「Like」ボタンに対する批判の記事が、ずっとひっかかっている。Wall Street Journal、7月2日付。The Insidious Evils of 'Like' Culture.  by Neil Strauss.

FriendFeedに2007年に現れ、Facebookに2009年に登場して以来、急速な勢いでユーチューブからアマゾン、その他、ほとんどのニュースサイトに広まった「Like」ボタン。これに抵抗せよ!とのStrauss氏の意見がおもしろい。以下、かなり大雑把に概要。

インターネットは本来、大衆とは異なる考え方をもっていた人々が、自由に意見や考えを述べられるスペースであったはずだ。「みんなと一緒」でなければいけないことからの解放。情熱、クリエイティビティ、イノベーション、自由な情報、それが許される場がインターネットだった。

ところが「Like」が席巻してしまったおかげで、人々は「みんなに好かれる」情報ばかりを発信するようになってしまった。これって、時代錯誤的ではないか。

他人の承認ばかりを求める結果になる「Like」カルチュアは、自分が自分を尊重するというコンセプトを否定するものだ。

「いいね!」の数、ツイッターのフォロワーの数など、いくらせっせと集めても、ネットのシステムが崩れてしまえば、砂上の楼閣のように崩れてしまうのだ。MySpaceがそうであったように。

心理学者のエリッヒ・フロムは、60年以上前にこんなことを書いている。「人間は、自分が作り出したシステムの力が巨大になればなるほど、それに支配され、自分自身を見失う」(←かなりの超訳です)

だから今こそ、「いいね!」ボタンの専制に立ち向かおうではないか。他人とは異なるあなたを特徴づけるものをシェアしよう。他の人が聞きたがっているようなことではなく、あなたにとって重要なことを書こう。どんなものが人気があるかを知るために「いいね」ボタンの数を見るのではなく、あなた自身が読んだものから、あなた自身の意見を形成しよう。自分自身の本物の感情にフォーカスしよう。

以上、ざっと概要。

ここしばらく、ぼんやりと感じていたことがスパッと書かれていて、衝撃とともにすっきりした。「いいね!」ボタンが否応なくついてくるフェイスブックでは、無意識のうちに、FBフレンズが好みそうな話題を提供することが多くなっている。自分で面白いと思っていても、ほかの誰も反応しなかったら、なんとなく居心地よくないように思えてくることはたしかにあるのだ。もちろん、そういうのを気にしないスタンスというのは大あり。ただ、多くの人が『「いいね!」をありがとうございます!』というコメントをわざわざ載せていることから察するに、やはり「いいね!」を押してもらえることは、単純に喜びにつながるのではないかと推測する。

FB空間が居心地よいのは、だれも悪口や不快なことを書かないから。つまらなければスルー。反応するときは、「いいね!」(好感)として表現する。だからいやでも好ましい空気が醸成される。

でもそれってたしかに、コンフォーミティー(融和)を旨とする共同体に身をおくことを求められる、アナクロな世界なのかもしれない…。

いずれにせよ、システムがダウンしたら崩れ去る「砂上の楼閣」。それを常に頭の片隅に置いておくことは必要なのかな。

FB研究、さらに続く。

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2011年9月18日 (日)

「どんな時も、そばにいてくださいます」

◇金曜に、「サライ」連載記事のため、お台場のサントリー本社へシングルモルトの取材に行く。スピリッツ事業部の伊藤洋次郎さんに、シングルモルト初級者にもわかりやすくお話いただいた。広報部の日色さん、三上さんにもお世話になりました。

記事を書くときに心がけているのが、「読者に恥をかかせない」こと。(「サライ」の姿勢でもある。)知っている人にとっては常識になっていることでも、知らない人はほんとうに何も知らない。そこをすっとばして専門用語を多発すると、読者は取り残されたように感じてしまう。

サントリーでは、初心者レベルである当方の「ど初級」な質問にも丁寧な対応をしてくださって、「相手に恥をかかせない」ためにどのようなことばを使うべきか、ということもあわせて学ばせていただいた。ありがとうございました。

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お話はたっぷりうかがったが、そこで試飲したわけではなく、やはり実際に意識的に味わってみなくては記事は書けんと思って、ちょこっと「ル・パラン」に立ち寄ってみる。葉巻やパイプをやりながら男一人でシブく飲んでいらっしゃる素敵すぎるお客様たちのご様子も観察しつつ、マスターの本多さんから、シングルモルトについて「語る」にあたり、バーという「現場」において決定的に重要なことを示唆していただく(ふつうに「現場」になじんでいる方には、なんだそれしきのこと、という程度の「常識」にすぎないかもしれない)。詳しくは本誌にて。本多さんはとりたてて饒舌というわけではないが、さまざまな文化に通じていて、さりげなく核心をつく一言を返して「はっ」とさせてくれる、酒場の教養人。

◇酒つながりで、SIGNATURE10月号の、葉山孝太郎さんのエッセイ。映画「トゥルー・カラーズ」に出てきたシャンパーニュのSALONを解説。映画も観たくなったし、サロンも飲んでみたくなる。商品写真に添えられたコピーも秀。

「シャンパーニュの基本は、いろんな年の白黒葡萄をブレンドすること。老若男女合唱団風だが、サロンは単一年の白葡萄だけしか使わない。女性だけの宝塚歌劇団のように華麗で洗練の極致。一生に一度は飲まねばならない」。

……って、一本42000円。高っ。

◇同SIGNATURE誌の伊集院静さんの巻頭エッセイから、気になった言葉。

「私はかつてカソリック信仰をもつ妻に、神が君たちに何をしてくれるのか、と無神論者の立場で尋ねたことがあった。彼女は答えた。『何かをして下さったということはありません。でも、どんな時も、そばにいてくださいます』」

とくに何もしないでも、「どんな時にも、そばにいてくれる」と感じさせてくれる人やモノや音楽や本やワインに思いが及んでしまったのは及びすぎ…?

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2011年9月16日 (金)

「ヴォーグ」グループ、ロンドンにファッションスクールを開校

◇「マイ・ソニー・クラブ」ウェブサイトで、「映画から学ぶ秋のファッション」ガイドを書きました。20代の初級(映画にもファッションにも)女子を読者として想定しており、かなりやさしめです。機会がありましたら、ご笑覧ください。

https://msc.sony.jp/member/enjoy/life/series/20110915/

◇「ヴォーグ」グループがロンドンにファッションスクールを開校する、というニュース。英「インデペンデント」15日付。

学校は「コンデナスト・カレッジ・オブ・ファッション・アンド・デザイン」で、2012年9月開校。校長はスージー・フォーブズ。「イージー・リビング」のエディターにして、「ブリティッシュ・ヴォーグの」副編集長をつとめたこともある方。

ロンドンにはすでに「ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション」や「セントラル・セント・マーチンズ」などのアート系スクールがあり、コンデナストグループが教育の分野に参入してくることはかなりの軋轢をよびそう、とのこと。

でも、コンデナストのマネージング・ディレクター、ニコラス・コールリッジは、自信満々。

http://www.independent.co.uk/life-style/fashion/news/vogue-group-opens-london-fashion-school-2354921.html

有名ファッションスクールがいくつもあれば、そりゃあいろいろ大変そうということは想像できるが、でも、将来有望な人材がたくさん集まってくるということじゃないか。軋轢をよぶほどファッション教育の市場が活発なのは、いいことだと思う。うらやましいっ。

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2011年9月15日 (木)

考える葦もいいけど、香る葦をめざしたい

昨日おこなわれた、第二回日本フレグランス大賞の最終審査会。昨年よりも審査方法がシンプルになり、最終ノミネートに残った製品から、部門別に、「香り」と「ボトル」、それぞれについて、いちばん良い、と思ったものを選ぶ。

フレグランス・オブ・ザ・イヤーのラグジュアリー部門のエントリーに、Gucciの「ギルティ」と「フローラ・バイ・グッチ」、Jimmy Chooの「ジミーチュウ」、Lanvinの「マリー・ミー!」(なんちゅうネーミング)、Swarovskiの「オーラ・バイ・スワロフスキー」、Escadaの「タージ サンセット」ほか。

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ラグジュアリー・メンズのエントリーにはVan Cleef & Arpels の「ミッドナイト・イン・パリ」、Creedの「アバントゥス」、ブルガリの「ブルガリ マン」、Dolce & Gabbanaの「ザ・ワンジェントルマンフォーメン」ほか。ノミネート全商品のデータはこちらに↓。

http://www.japanfragrance.org/page.php?page=grandprix

日本フレグランス協会が主催ということもあって、協会関連の会社の製品のエントリーが多いのかな。個人的にはニッチ系、アルティザン系、メゾン系のフレグランスが好きだが、こういう機会にさまざまな「今年の製品」をまとめて試香できるのは嬉しい。

「今年らしい香りとボトルデザイン」というのが、たしかにある。ちなみに、上の中から「今年らしさ」を感じ取ることができたのは、Gucciの「ギルティ」。甘くなく、これといった強い特徴が突出することのない、深い陰影を余韻として感じられる大人の香りだった。決して明るくはない現実のことを思わなくてはいけない時代には、やはり若干の陰影を感じさせる香りがふさわしいように感じる。

とはいえ、審査会で出会った香りのなかでもっとも心に残ったのは、ルームフレグランス。エントリーのブランドはNeomとLinari 。どちらも高級オーガニック系で、リード(葦)に香りをひたし、リードから部屋へ香りを拡散させるタイプのルームフレグランス。

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空間が一挙に「マンダリン・オリエンタル」ホテルになる。個人的にこれほしいなあと思ったのだが、かなりムリめに高価っ。

香りを吸い込み、ふんわりと空間に拡散させて、あたりの雰囲気を自然に変えることができる葦の力もはじめて知る。考える葦、というのもいいけど、香る葦、もいいね。

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好きなものは好き、と素直に言ってみる

FB考その1につき、早速、何人かの方が、私も気づかなかったそのプラス面やマイナス面について教えてくださった。ありがとうございました。やはり使う人に応じて、というか、使い方次第で、さまざまな効用やデメリットが生じるみたい。

で、またしてもFBのおかげで経験できたことなのだが。FB上でキティ好きを公言していたところ、サンリオのジェネラルマネージャーに「発見」され、昨日、展示会にお招きいただいたばかりか、社長室やデザインルームまで案内していただいた。

展示会では、ありとあらゆる企業とサンリオとのコラボ新製品が。リヤドやレオナールといった高級ブランドとのコラボがやはりおもしろい。学校法人や製薬会社や郵便局や、それこそありとあらゆるところにキティがいる。Hello Kitty, overkill. うれしいめまいで、頬が緩みっぱなし。写真は社長室で執務するキティ・ホワイト。棚には本物のオスカー像も飾られる。

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コリー・アキノさんもキティファンだったようで、デザインルームには、アキノさんによるキティの絵も。

辻社長にもお目にかかり、お名刺をいただいたが、なんとレースのカットワークを施したような、ゴージャスで美しい紙のお名刺。キティーの顔までカットワークになっている。たぶん、これまでもらった名刺の中でも、もっともおしゃれな名刺の一枚にちがいない。

というわけで、無条件にアドレナリンが噴出する楽しい経験をさせていただいた。やはり、好きなものは好き、と素直に公言してみると、いいこともあるもんだなあ、と心の底からうれしかった日。ありがとうございました!

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2011年9月14日 (水)

「フェイスブックは、高齢者にこそふさわしい」

<FB研究その1> ここ半年ほど、フェイスブックから大きな影響を受けている。それで、この変化はいったいどういう性質のものなのかと思って、関連記事をチェックしつつ、自分の実感とも比べ合わせながらつらつらと考えていたのだが。その途中経過。とくに気になった記事を、おいおいメモしていきたい。.古い(といってもせいぜい2か月ほど前なのだが。今はスピードが速い)記事はリンクを張りづらいのでタイトルと記者名にとどめる。

◇英「インデペンデント」8月1日付。Science of the social network.  by Nick Harding.

sign01フェイスブックは若者のツール、というイメージがあるが、実は高齢者にふさわしいテクノロジー。いろんな理由で実際に友人や知人に会いづらくなった高齢者にとって、希望がある。

これはUnivesity College of London の人類学の教授、Daniel Millerの説。ミラー教授は人類学的な視点からフェイスブック研究をなさっている方。そのミラー説からさらに。

sign01フェイスブックはヴァーチャルな空間なので、現実の人間関係が空疎になるのではというイメージがあるが、調査によると、フェイスブックはむしろ現実の人間関係をより強化することに貢献している。

sign01フェイスブックは「家庭を壊す」イメージがある。実際、小中学校、高校時代に憧れだった人、なんぞに簡単に連絡をとれてしまうし。しかし調査によれば、むしろ、フェイスブックは「アフェア」を減らすことに貢献している。ユーザーが、アフェアをさらされたりすることに対してより用心深くなっているから。

sign01フェイスブックはパブリックとプライベートの関係を変容させたばかりでなく、ここ半世紀ほどの間に急速に失われていっていた「コミュニティ」の概念をアップデートした。

sign01フェイスブックは、「弔い」の形式を変えている。FB以前は、人を弔うことはフォーマルな宗教的な儀式においておこなわれていたが、いまはインフォーマルなプラットフォームで、慣習にしばられずに個人個人が弔いの意を表することができるようになっている。

FB上での弔いというのをまだ見たことはないが、他の国ではそこまで進んでいるのか…。

たしかに、パブリックとプライベートという概念は、FBの以前と以後ではまったく変容している。前にも書いたかもしれないが、私の実感としては、パブリックにしてよいプライベート、という意味で、その両方であるような「第三の空間」。

現実の人間関係が強化される、という点は、まさしく実感しているところ。仕事上で、「表面的な」顔しか見せなかった人の、意外な「第三の顔」がわかることで、コミュニケーションが格段とスムーズになり、仕事の上によい影響が及んでいることを実感する。ただ、現実でもどこでもそうだと思うが、「なにもせず、ただ籍をおいている」だけでは、何の変化も起こらない。何らかの発信をすれば予期せぬ収穫が得られることもある。

FB研究の途中経過、次回に続く。

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2011年9月13日 (火)

「問題って、あなたをつかんで放さないもののこと」

◇遅まきながら、「文學界」9月号に掲載されていた上野千鶴子先生による最終講義「生き延びるための思想」。

フェミニズムは敬遠しがちだったが、これを読んで上野先生がどのような思いで闘い、いかなる業績を築いてきたのかということの一端がはっきりとわかった。畏敬の念がじわ~っとわき、心が洗われるような思いがする。

最初は最終講義のタイトルを「不惑のフェミニズム」としたかった、と。「最終講義のときに東京大学の構内に出る看板に、『フェミニズム』という文字を載せてもらいたかったからです。その文字の入った看板が東大構内に立つのをこの目で見たかった。同時に、『フェミニズム』という文字の入ったタイトルで最終講義を行うのは、おそらく私が最初で最後であろうというふうにも、予感をしておりました」

上野先生の業績がわかったこと、フェミニズムに対する理解をあらためて得られたことも収穫であったが、それ以上に、「ファッション学」を考えるときにも応用可能な、力強く愛にあふれた言葉を、しかと「バトン」として受け取った気になれた。

「私たちは女性学というものの種を蒔き、それを育て、担い手と聴衆を共に育て、マーケットを作り上げてきました。ですから、学問もベンチャーの一種だと考えれば、ある意味、私は女性学というベンチャーの創業者の一人であったと言ってもいいかもしれません」

「学問の原点にあるのは、『私って何?』という謎です」

「フェミニズムというのは、社会的弱者の自己定義権の獲得運動」

「問題って、あなたをつかんで放さないもののことよ」

「学問というのは、こういう人々の営為が積み重なった『伝達可能な共有の知』」

「女が自分を語ろうとしたときに、語る言葉がなかったときに、女の言葉を悪戦苦闘しながらつくってきた先輩の女たちが、私たちの前にいました。その女たちの言葉が私の血となり、肉となっています。英語で言うと、I owe you. つまり、私はあなたたちのおかげでここにいる。私はあなたたちのおかげで、この私になった。私は彼女たちに恩義がある、ということです。だから恩返しをしなくてはなりません。これが私の40年でした」

「弱者が生き延びようとしたときに、弱者は敵と戦うということをしなくてもよい。敵と戦うということはもっと大きな打撃に自分がさらされるだけだからです。強者になろうとする者は、戦いを選ぶかもしれないが、弱者の選択肢はたった一つ、『逃げよ、生き延びよ』」

「時間と年齢は誰にでも平等に訪れます。かつて強者であった人も自分が弱者になる可能性に、想像力を持たなければならない時代が、超高齢化社会だと思います。私たちは、弱者になるまい、ならない、というような努力をするぐらいならば、むしろ誰もが安心して弱者になれる社会をつくる、そのための努力をしたほうがマシなのです」

……だから何、といま一気にまとめてしまうと、こぼれおちたことのほうに大切なものがありそうで惜しい感じがするのだが。日本においてはファッション学はまだ「ベンチャー」として位置づけることができ、それゆえの可能性に満ちていること。「原点」や「問題」は、「弱者」としての自分から出発していいこと。というか、むしろそれを曇りなく見ることができる目を磨くべきこと。「わかってくれる人だけにわかればいい」のではなく、伝達可能な共有知として抽象化する責任があること。数少ない先人の恩義を忘れてはいけないこと。大きな土俵で闘うことを考えず、生き延びることを考えていいこと。想像力を駆使して社会全体とのつながりを保ち続けるべきこと。などなど。

◇私が「バトンを受け取った」異国の先人のひとりに、ヴァレリー・スティールがいる(まだばりばり現役中だが)。The Berg Companion to Fashion は厚さ4センチを超える「読めるファッション辞典」。各項目がコラムのように読み物として書かれていて、それぞれに参考文献がついている。この言葉の集積の迫力たるや。

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「返信不要」の不要

以下、満月にさそわれてのささやかな感情のひっかかりの吐露、というかたんなるつぶやき。

◇英語にembarrassmentという言葉があって、「当惑」とか「気まずい思い」「バツの悪さ」なんて訳語がついているのだけど。感情と感情の間に、まさしく bar(柵)が入るような気分の時、このembarrassmentという動詞がぴったりとくる。(語源としては別の解釈もあるようだが、個人的実感としては、気持ちと気持ちの間にbar 、なのである)

どういうときに感じるかというと、まあ、いろいろな場合があるのだけれど、たとえば、最後に「返信要りません」という一言が添えてあるメールを頻繁にいただくが、これってどうなのだろう。相手の優しさは痛み入るほどわかるのだ。こちらの「お忙しい」時間を割いてまで返信に気を遣ってほしくない、という思いやり。そのやさしさ、しかと受け止め、こまやかなお気遣いに、感謝するのである。

一方、「返信要りません」とは、「あなたとの交流はとくにこれ以上したくありません」というさりげない意思表示とも感じられることがある。

マナ―本の類には、「忙しい相手には、<返信要りません>と書き添えると相手の気持ちの負担がなくなります」と書いてある。なるほど、「返信不要」はマナーにかなった一言でもあるわけか…。

それでも、まあ、相手や状況や内容にもよるけれど、相手の気持ちのなにがしかが感じられるメールのあとに、「返信不要」と目にすると、その気持ちに対する反応をシャットアウトされたようで、embarrassmentを感じることがあるのもたしか。

こちらも自由意思をもつ人間。不要である、と感じれば返信しないし、なにか一言返したい気持ちが起きたら返信したいのに。

ええい、言ってしまおう。「返信不要」かどうかは、こっちが決めるから。

・・・・・・・とか言いながら、あわただしい時間だったりすると、こっちから「レスいらないからね!」と書きっぱなしにしたりしてね。ホント、勝手なことであるっ(笑)。

◇気持ちと気持ちの間に、ささやかなbarが入る当惑その2。本を読んでくださって、「尊敬しています」とか、「いろいろとご指導願いたい」と言って会いに来てくださる方がときどきいる。まあ、多くはあたりさわりのない社交辞令だと思って、とりつくろってもしょうがないので、こちらも自然体で接しているが、embarrassmentを感じるケースもままある。

だいたいにおいて、こういうケースで私に期待されるのは、「冷静で客観的な分析をきちんと下してくれる先生とか上司」みたいな役柄である。相手によっては、そのようにふるまうことも仕事のうち、とわりきってご期待に添えるように演技することもあるけれど。

私はどっちかといえば、その対極にあるような人間で、感情のふり幅が大きいし、いちいち、感覚や感情に振り回されるようなところがある。それをコントロールできるようになるために学問してるんだから(笑)。

というわけで、こちらが自然体で接すれば接するほど、冷静でクールな……という幻想を抱いていらっしゃる相手をがっかりさせることがあるわけだ。ときに、その相手に対して、こちらが(相手にとっては想定外の)好意を見せてしまったりすると、相手がembarrassmentを感じているのが手に取るようにわかる。「尊敬」というのは、「敬して遠ざけておきたい」という意味であって「お近づきになりたい」わけではないのだな、と痛く知る瞬間。

逆の立場も経験しているだけに、幻想を抱きたい人の気持ちもよくわかる。それだけにいっそう、このようなケースでのembarrassmentが、微妙にこたえる……。

まっ。ささいといえばささいなことばかりね。笑い飛ばしてください。

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2011年9月12日 (月)

「着ないでくれたら、お金出します」

◇ブランドのイメージを高めるために、有名人に自社ブランドの服を着てもらう。セレブリティ・エンドースメントと呼ぶのだが、その逆パターンが、最近立て続けにニュースになっていた。

新しいところでは、ラコステ。7月22日にノルウェーで77人を無差別に殺害したBreivikが、ラコステ愛用者だった。ワニのマークがくっきりとわかる赤いセーターを着て警察の車に乗った写真が、世界に配信されてしまった。

ラコステ側はブランドイメージが傷つくことを恐れ、ノルウェーの警察に、Breivikにラコステを着用させないように懇願。だけど、Breivikは囚人服を着ることを拒否し、自分の服を着続けることを主張しているのだという。で、現場検証のために再訪した犯罪現場でも、やはりラコステを着て、写真に撮られている。

ラコステにとっては、悪夢でしかない。とんだ災難でしたね…。

記事のソースは英「インデペンデント」9日付。Lacoste begs police: please stop mass killer wearing our clothes.  by Tony Paterson.

http://www.independent.co.uk/news/world/europe/lacoste-begs-police-please-stop-mass-killer-wearing-our-clothes-2351641.html

◇もうひとつは、アメリカのアバークロンビー&フィッチ。8月18日前後に各紙で話題になっていた古いニュースなのだが。オールアメリカンなイメージのあるアバクロだが、人気テレビ番組「ジャージー・ショア」に出演している俳優、マイケル・ソレンティーノに、「ウチの服を着るのをやめてくれたらお金を出す」と申し出たとのこと。というのも、ソレンティーノとアバクロのイメージが結びつくことが「著しくブランドイメージを傷つける」ことになるから。

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ソースは、8月11日付「テレグラフ」。Why pay a celebrity not to wear your clothes? By Stephen Bayley. 

セレブリティ・逆エンドースメント。着られたらイメージダウン。着ないでくれたらお金を出しますって…(笑)。服はいったん世に出たらもうあとはブランドが関与するところではないはずなのだが。

セレブリティ・エンドースメントの支配がいかに現在強力なのかということを、あらためて知らされたお話でもあった。

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2011年9月11日 (日)

マース、マンキニ、そしてミュエリー

メンズファッションの盛り上がりとともに、新語も増えているという記事。ウォールストリート・ジャーナル 8日付。Grab Your 'Murse', Pack a 'Mankini' And Don't Forget the 'Mewelry'. by Christina Passariello and Ray A. Smith.

http://online.wsj.com/article/SB10001424053111904900904576554380686494012.html

以下、大雑把に概要。

近頃よく使われるようになった新語。たとえば manties (man + panties)、mandals (male sandals)、murses (purses)、mantyhose (pantyhose)、mankini (swimsuit variant).などなど。

こういう新語はギョウカイ用語として出るのはありがちなことだが、今回は辞書の権威たるOEDまでこれらを載せるかどうか検討しているという勢い。

新語が続々でてくるようになった背景には、メンズファッションの盛り上がりがある。NPDグループの調査によれば、今年の前半、アメリカにおける男性のアパレルの売り上げは、4,6%上昇している。女性のほうは0.8%だというのに。

Mewelry とはman+jewelryで、トッズが提案したレザーのリストバンドなどがヒットし、それにマッチするピンキーリングなども登場。

こういうのがでてきたのは、1990年のメトロセクシュアルブーム以降。男が外見を気にすることがふつうになった。manorexia (man + anorexia 男の拒食症)、guyliner (男のアイライナー)、manscaping (男の脱毛)という言葉まで。

ここ10年でもっともふつうになったのが、manbag. 荷物が増えた男のためのバッグはもはやあたりまえに。

だからこそ、そんなからかいの調子ではなく、messenger, gym, tote, carryall, backpack, portfolio, duffelなどと機能別に分類して呼ぶべき、という意見もあり。

記事以上。

今は、アイテム名にいちいち man をおどけたニュアンスでつけなければいけない過渡期なのかもしれない。男にとってもあたりまえのアイテム、として浸透すればmanはとれていくような気もするが。Let's see.... 

下はアルマーニ2011年春夏で発表された、mankini. 男のための新しいスイムスーツである。これを大胆過激にしたバージョン(下を覆う部分がハイレグタイプで、かなーりえげつない水着)が禁止されたビーチもあるが、このアルマーニ版なら、見慣れてしまえばむしろ品がいいように見えなくもないが…。

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2011年9月10日 (土)

「500万種類の命には、500万通りの生き方がある」

◇「ライフ 命をつなぐ物語」。BBC制作のドキュメンタリー。製作日数3000日(!)分をたった90分そこそこにまとめてしまう贅沢さ。

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「生きる=食べる、逃げる、追う、子孫を守る、愛する、子を守るために死ぬ」という、とてもシンプルな基本をめぐり、動物たちが繰り広げる豊穣な知恵と驚きと純粋な愛に満ちあふれた世界。ワンシーンワンシーンにまったく無駄がなく、ただひたすら心が洗われるような深い感動に満ちあふれたドキュメンタリー映画。

人間なんて、地球の上に生かされている500万種類の命のひとつにすぎないのに、なんという傲慢で狭量で愚かなことをやってるんだ私たちは。と心底恥ずかしくなる。「500万種類の生き物には、500万通りの生き方がある」。そのほんの片鱗に、がつーんとやられた。人間なんて地球上の生物の500万分の一にすぎない、という謙虚な自覚をまずもたなくてはいけないのだ。

制作にあたった関係者すべての方、「出演」した動物たちに、最大限の敬意を捧げたい。

◇「サライ」10月号発売です。連載「紳士のもの選び」において、三陽山長の靴について書いています。機会がありましたらご照覧ください。

本誌今月号の特集は「米の力」。お米は日常のステイプルなのに、初めて知ることが多かった。おにぎりの起源が、奈良・平安期の文書に出てくる「屯食(とんじき)」だとか。勉強になります…。

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2011年9月 9日 (金)

ランウェイ化するストリートスタイル

◇ガリアーノの人種差別スキャンダルが勃発し、反ユダヤ人発言をしたとして侮辱罪に問われてから6か月。昨日、パリで有罪判決が下りた。罰金6000ユーロ。約65万円。予想したより軽い。でも、「これだけで済んだ」わけではない。彼はその天才を発揮させるべき職を失った。

これを乗り越えて復活してほしい、と応援しているファンはまだ世界中に大勢いる。

◇上記のは「ニュース」だが、以下、やや「過去のニュース」記事のメモ。ひょっとしてあとからなにか関連事項がでてくるかもしれないので、メモしておきたい。

「グローバリゼーションはストリートスタイルをダメにしたか?」というNYタイムズのディベートルーム。8月22日付のGQシニアエディター、ウィル・ウェルチのコメントが興味をひいた。以下、大雑把な概要の訳。(Too Self-Aware, by Will Welch)

現在のストリートスタイルの皮肉は、それがオンラインに存在するということ。人々は、ランウェイのコレクションや、キャンペーン広告の代わりに、インスピレーションを求めてウェブ上でストリートスタイルをチェックする。

ストリートスタイルは、本来、グローバリゼーションの影響を受けないスタイルとして生まれているはずのものだった。しかるに、アピールはグローバルになっている。東京にもNYにもラルフローレンやユニクロがあるから、とかそういう問題ではない。

ストリートスタイルをダメにした要因があるとすれば、それはその人気。当初は、フォトグラファーも、個性的な日常着を表現豊かに着こなした人々の写真を撮っていた。でも、あまりにも人気が出てくるようになると、今度は、人々のほうがカメラのために装い始めるようになり、競ってカメラに収まろうとするようになった。ハデになればなるほど、カメラに収まりやすくなる。そうすると、ストリートスタイルがランウェイのようになる、という悪しき状況が生まれてしまった。

ストリートスタイルは、「え?ボクがですか?」という何気ない感じがよかったのに、今はそれがなくなり、「ボクを見て見て!」というのが増えている。もうファッション界はこれに飽きて、次のおもしろいことを探しはじめている。

記事の概要以上。

ひとことでいえば「もうストリートスタイルは終わり」っていうことでもあるのだが。たしかに、いま「ストリートスタイル」はあっちでもこっちでも飽和状態で、しかも出てくる人がみんなモデル気分で写っているので、なんとなく食傷気味である…。ストリートが自意識過剰のランウェイ化しちゃったら、本物のランウェイにかなうはずもない。そのような「モード」(=時代の気分)をきっちり把握した記事だと感じる。

ストリートスタイル、リアリティテレビ、SNS…。当初は「なにげない日常をのぞく」のがよい、というところから始まったのかもしれないが、今や完全に演技的な世界。「見られる自分」を意識してプロデュースしている。

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2011年9月 7日 (水)

パブリックでもありプライベートでもある、第三の空間

◇昨日は、OPENERS×GUCCI 90周年のアメブロ・リレーブログに掲載されるための取材を受けた。このテーマを語るための撮影場所として、バー、「ル・パラン」(8月27日付の記事参照)がぴったり、というか、ここしかないだろう、と思って、マスターの本多啓彰さんに相談したら、ご快諾いただき、全面的にご協力いただいた。

映画のセットさながらのインテリア、ゴッドファーザー、グッチ、そしてシャンパーニュ(本多さんがさっと用意してくださった「小道具」。撮影後は私がすべていただきました……)が、ヴィスコンティちっくな(笑)、ゴージャスで艶やかな雰囲気を醸し出してくれた。

バーを撮影の場所として提供してくださったのは、今回が初めてのことだそうで、光栄極まれり。本を書いていてよかった、と心の底から幸福に思えた日でした。たとえ本がたくさん売れなくても(……)、誠意をこめて書けば、こういううれしいつながりが生まれるきっかけになることもあるのですね。本多さん、ありがとうございました。

プロのカメラマンさんが撮った写真は後日の公式アップまでのお楽しみ、であるが、iPhoneで撮ったスナップはFBのほうにアップしました。

◇FBには写真を掲載して、ブログで掲載しないのは、やはり、FBは、「誰がこれを見るのか?」ということが、だいたいわかるから。というか、それこそ見る人の「顔」がわかるから。「パブリックにしてよいプライベート」というか、「パブリックでもありプライベートでもある第三の空間」みたいなFBは、むしろこういう写真を載せていくことで、FBらしい意義(というのもなんだが)が生まれてくることが、うすうすわかりつつある。ま、別に意義などなくてもいいんだけどね。

FBには、だけど、ブログで書くような本や映画の感想、プチ社会問題になっているようなモードニュースはほとんど書かない。何回か試しに投稿してみて、興味を示す人が少ないということがわかったら、なんだか書くのが空しくなった(笑)。そういうのは、ブログの方で思い切り書けばよいという位置づけになってきた。どんどん情報が流れていくFBは、反射的に反応できる記事や写真のほうが似つかわしいようなのである。

ツイッターは、匿名社会がこわいので、今のところ、アカウントはもっていない。

まだまだ人体実験中のところがあるが、FBがあることで、仕事がかなりスムーズになり、思いもしなかった幸運なご縁が生まれて、現実の仕事が格段におもしろくなっていることは確か。でも、当然、メリットがあればデメリットもある。手探りで、自分を実験台にしながら、変化を考察中…というところでしょうか。

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2011年9月 6日 (火)

ウェブで用語を調べることの欠点を回避させてくれる辞書

ユニークな辞典二つ。一つは、できたてのほやほや、『英和ブランド名辞典』(研究社)。山田政美・田中芳文 編著。

英語の新聞や雑誌を読んでいると、とにかく固有名詞に悩まされる。人の名前もそうだけど、最近圧倒的に増えたのが、企業やブランドの名前。仕事柄、ファッションブランドならばだいたい見当がつくが、ウィスキーの銘柄だとか家電、食料品、洗剤、家具あたりになるとお手上げになる。

ウェブで調べるとだいたい出てくるが、ウェブで用語を調べることの欠点は、行きついたサイトが面白かったら(そして近頃ますます、面白すぎるサイトが増えているのだ)、ついそこに長居してしまい、気がついたらどんどんジャンプしてまったく遠いところまで遊びに行っており、「えっと、わたしはいったい何をしようとしていたのだっけ?」ということになり、結局、仕事がまったく進んでないという事態を招いてしまうこと。その点、必要最低限の情報をさっと教えてくれる、こういうコンパクトな辞典が手元にあると、ありがたい。

もうひとつは、1960年から読み継がれている古典的ファッション辞典の、2010年度アップデート版。Valerie Cumming, C.W. Cunnington and P.E. Cunnington, The Dictionary of Fashion History. 写真やイラストを加え、大判になって見やすくなった。それぞれの用語が、どの時代に使われたものなのか?ということが、きっちりと書いてあるのも心強い。

マイナーであっても、きちんとした仕事を世に出し続けていくことが長期的な信頼につながる、ということを教えられる一冊でもある。

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2011年9月 5日 (月)

天空に浮かぶカクレクマノミ

3日(土)に遅まきながら観に行った六本木ヒルズのスカイアクアリウム。

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熱帯魚の数々を、ライティングや珍しいケースや斬新な配置によって、アートのように見せるセンスは、さすがあか抜けている。

幻想的なクラゲと、

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ウーパールーパーにひときわ魅了される。

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カクレクマノミの大群の向こうに東京のビル群、という展望台の演出にも感嘆。

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水は、おそろしい凶器になるとともに、こうして美しい生き物たちをはぐくんでもくれる。

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「かわいい」氾濫は、日本にずっとつながる「ごまかし」

◇台風12号の被害が大きい。亡くなった方が30名近くも…。(その後の報道では、さらに日々大幅に犠牲者が増えている。)なんともむごいことだ。まだ見つかっていない方や、避難を余儀なくされている方々も多い。村ごと孤立しているところもある。何もできず、ありきたりの言葉で心苦しい限りだが、被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。孤立している村の方々の安全が一刻も早く確保されることを祈ります。こんなにも大きな水難が続くことなんて、かつてあっただろうか…。

◇鷲田清一先生の『くじけそうな時の臨床哲学クリニック』(筑摩書房)。2001年に『働く女性のための哲学クリニック』として出ていた本の、増補版文庫化。今年の8月10日に出たばかり。

新版には、小沼純一氏と鷲田清一氏の対談あり。震災後に鷲田先生が気になっていることとして、「子孫のことを社会が考えてこなかった」ことを指摘。

「明日は今日より絶対によりよくなるっていう感覚があって、将来のこと、つまり子孫のことをあんまり考えてこなかった。次の世代も何とかなるだろう、やっていけるんだろうって」。

だからエネルギーは使い放題。国債は発行し放題。子孫のために辛抱するとか蓄えるという人類の基本をまったく考えない社会になってしまった、と。財を残し、知恵を残し、言葉を残すということをしなくなった先に、いったい何がくるんだろう。「七世代先」のことまで考えていかなくては、みんな沈んでしまう。自戒をこめて。

この前から考えていた「かわいい=こわい」問題に対するヒントも。

鷲田「いまは、世の中にやたらかわいいキャラがあふれているけど、結局ああいうものは、想像力が一番乏しい。あのキャラクターが送ってくる電圧っていうのは、ほとんど均一ですよね。尖った議論であるとか、尖った感覚であるとか、拒絶の感覚であるとか、そういう強度の高いものを全部あらかじめシャットダウンするという感じがあります」

小沼「ある意味ではこの列島にずっとつながっているようなごまかしみたいな感じもありますよね」

かわいい=日本にずっとつながっているごまかし。

「かわいい」礼賛と、子孫を無視した国債発行やエネルギー浪費をしてしまうメンタリティは、一続きである。一見、乱暴に見えるが、いや、この視点も、あながち無視できないように感じる。

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2011年9月 2日 (金)

「距離を埋める行為のつながりが関係性を生む」

男性誌で「恋」という特集をすることじたいに、「今」を感じる。内容もたっぷり充実していて、ありとあらゆる視点から「恋」についてマジメに考えている。

切り抜いて単語帳みたいに使える格言カードもおもしろい。表に「問い」があって、裏に作家の言葉が「答え」として書いてある。「振られてばかりいる」という問いには、「恋を得たことのない人は不幸である。それにもまして、恋を失ったことのない人はもっと不幸である」という寂聴先生の答え。

美術、音楽、文学、マンガ、映画、哲学、Jpop、アイドル学、動物行動学などと「恋」をからめた記事もおもしろく、きちんと読めば、たぶん教養も高まる仕組み。

なかでも落語と恋を語った立川談春さんの話に、日本的な恋というものを考えさせられる。タイトルがうまくまとめてあって、「恋より情。相手との距離を埋める行為のつながりが関係性を生む」。

まず出会いがあって、そこから情を通じて距離を近づけていく、というのは、吉原でも、仲人を通じたお見合い結婚でも同じ、という話。

コミュニケーションのテーマの延長で、落語論にも及ぶような話も。

「本当に好きだと思うなら、自分の伝えたいことを二の次、三の次にしてでも、『こういう伝え方をするとこの人は喜ぶだろうな』と考える場面も出てきたんですよね」

女性誌っぽい?と表紙を見て感じたが、とんでもない、ブルータスならではの軽やか骨太な教養特集だった。拍手。

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2011年9月 1日 (木)

「語る価値があるかどうかを知るには、その逆のことを言ってみる」

コリン・ジョイスの『「イギリス社会」入門 日本人に伝えたい本当の英国』(NHK出版新書)。以前の2冊で大ファンになり、新刊が出てすぐに買っておいたのだが、読了してしまうのがなんだかもったいなくてとっておいた(笑)。

やはりこの人の感覚はいいなあ。教条主義的なところはかけらもなく、ちょっと斜め後ろから、冷静に詳細に、人や社会を観察して、みんなが見ていながらはっきりと意識しなかったようなことを、すっと俎上に載せてくれる。ちょこっとユーモアのスパイスを添えて。

この本も、例によって高い観察力とまっとうなヒューマニティが駆使され、インテレクチュアルに、ユーモラスに、血の通った今のイギリスの姿を教えてくれる。

90年代のクールブリタニカのブームの描写も、とてもシブい。

「そのころ、ふつうならイギリスにはつけられないはずの形容詞がずっと聞こえていた。『モダンな』『ダイナミックな』『前進する』『革新的な』。イギリスは『リブランド(ブランド再生)』の真っ最中だという触れ込みを、さんざん聞かされた。

イギリスの著名なジャーナリストがこんなことを言っている。何かの事象に語る価値があるかどうかを知りたければ、その逆のことを言ってみて、ばかばかしく聞こえないかどうか確かめるといい。そのころイギリスに関して言われていたことについて、ぼくはこれを試してみた。『イギリスは遅れた国であり、活気が感じられず、二流国であることに甘んじ、独創的な考え方ができない』

(中略)ぼくは『ニュー・ブリテン』というコンセプト自体に疑いの目を向け始めた」

イギリスの話ではあるのだが、日本においてもあてはめうる議論もちりばめられている。たとえば19世紀に活躍した政治家、グラッドストーンについての記述。

「グラッドストーンはイギリス政治で重要であるべき原則を体現していたと思う。たとえばリーダーシップ(政治的な見返りは小さくても、価値ある原理原則を守ること)であり、健全な国家財政であり、外国との平和な関係である」

サウンドバイト(短くてキャッチーなフレーズ)を重視する政治戦についての揶揄も、どこの国にもあてはまりそう。

細かな情報がいちいちメモしたくなるほど興味深いが、それ以上にやはり、読後、「まっとうな感覚」の友人と会話を楽しんだような心地よさが得られるのがいい。

訳者が前の2冊から代わって、森田浩之さんになっている。前の谷岡健彦さんの訳もすばらしかったが、森田さんの訳もナチュラルにこなれていて、読みやすい。

3・11後の日本がコリンの目からどう見えるのか、聞いてみたい。

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「修羅場では、ブレーキではなく、アクセルを踏め」

◇修羅場でアクセルを踏め、という山路徹さんの言葉。朝日新聞オピニオン欄、8月31日付。

「山道で先の見えないコーナーに突っ込むと、車がスリップする場合がある。そういう修羅場で、たいていの人はブレーキを踏むのですが、すると車はそのまま谷間に落ちてしまう。逆にアクセルを踏み込まないと、コーナーは脱出できないんです」

不倫問題が騒がれたあとに、あえてテレビに出始めた、という山路氏。スキャンダルもまた売名のチャンスだからなあ、とぼんやり思っていたが、「人前に出るのを避ける状況で、アクセルを踏む」という作戦だったそうである。

「番組でたたかれても、『みんな山路さんをたたき過ぎ』、『そんなに悪い人じゃない』と思ってくれる視聴者もきっと出てきて、状況の打開につながる、というイメージがあったからです」

常識破りのことをやって日本を救ってくれ、という野田新総理へのメッセージなのだが、この方がモテる理由がわかった気がしたコラム。

◇オピニオン欄の下に、リレーおぴにおん。駅弁販売のカリスマ、三浦由紀江さんが紹介されていた。パートから正社員を経て、日本レストランエンタープライズ弁当営業部・大営業所長。

一年で売り上げを3千万以上伸ばしたこともある。そのヒケツは、マーケティングの勉強云々をしたとかではなく、

「楽しく仕事がしたくてお客様との会話を大事にしたら結果的にそうなった、というのが実感です」

マニュアル漬けに慣らされた多くの人たちが忘れている(ように見える)、仕事の基本だなあと感じ入る。

山路氏といい、三浦さんといい、自ら積極的に、周囲に対して<常識を超える>働きかけをしている。その行動が次の展開を導いている。運を開くということは、そういうことであるらしい、と教えられるお手本。

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