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2011年8月

2011年8月31日 (水)

「もっとも弱いものこそ、最強」

「芸術新潮」9月号がおもしろい。特集「ニッポンのかわいい」。

はにわから、仏像、国芳、春信を経て、中原淳一、内藤ルネ、水森亜土にいたり、ハローキティーで極まるまで。銀座松屋での「キティーアート」展に合わせた企画と見えるが、それだけに終わらない、渾身の特集。

ずっと「ニッポンのかわいい」絵を見ていると、だんだんこわくなってくる。このアピール、なんだろう。攻撃しませんよ、というオーラの集まりが逆にブキミになってくる、というか。

西洋的キュートだとすぐ忘れるけど、日本の「かわいい」には「私を覚えてて~」みたいなウェットなものが漂っていて、それがコワさになるのか?

女子美大教授、南嶌宏(みなみしま ひろし)さんの話に、その答えのヒントがあり。

「小さいから簡単にやっつけられるかというとそうではなくて、小さいゆえに絶対に乗り越えられない、そのような存在が放つ力、魅力、それを指し示す呪文が『かわいい』なのではないか」

「人類は、勝ち抜き、征服し、支配したいという意志を持って文化を形成してきました。しかし一方で、何か全く無抵抗なものに同化したい、弱々しいものに支配されたいという欲望も抱え込んでいる。20世紀のある時期以降の人間たちがどこか無意識に希求しているその思いが、『かわいい』によって救済されているのでしょう」

教授のとなりにフツーに座って、うなずきながら聞いているようなキティが、やっぱり「コワい」(笑)。

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「文化を傷つけない」ために

山下達郎さんの「仕事力」の4回目、朝日新聞28日付。「文化を傷つけない」。誇大宣伝とバッシングの両方が、行き過ぎではないか?と思うことしばしばだった最近の風潮を、やさしい声でたしなめてもらったような感じ。

「過大な称賛と不必要な批判が錯綜し対立するたびに、文化は傷つき、人の気持ちもすさむように思えます」

周囲の雑音に負けずに仕事をすることがとても難しい時代、というのにも同感。今はかんたんに理不尽な批判(というかたんなる感情的な罵倒)をネットでまきちらすことができる。クリエイターにはそのことばが届いてしまうのだ。

「厄介なことに人間は、千の賛辞の中の一つの罵倒をすごく気にする動物なので、その中で冷静に自分の仕事を自己評価することは至難です。まして、自己の克己心だけでその苦しさを乗り越えていくことはさらに難しい」

で、大人たるもの、感情を超えて、「文化を傷つけない」ためにふるまおう、という達郎さまからの直球のメッセージ。

「だからこそ職種を問わず、仕事人になったら、好き嫌いと良しあしをきちんと区切って、他者の作品や仕事への敬意を払わねばなりません。一つの作品が形になるまでに費やす時間や労力は半端なものではありません。良しあしや好き嫌いがあるのは当然ですが、度を超した評価や批判は、文化自体をも曇らせていくものです」

今年の夏に、結局、気がついてみればいちばんよく聞いていた邦楽(というと、ちがうジャンルに聞こえるが)はといえば、達郎さん新作のアルバムからの「La Vie en Rose 」に加えて、10年以上も定番の「高気圧ガール」(発表は1983年)。流行り廃りの著しい音楽界にあって、「古くならない」作品を生み出すなんて、なかなか、できることではない。

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2011年8月30日 (火)

衝撃と社会問題の境界は?

◇ファッション界の「モンダイ」ついでに、最近ニュースになっていたこと二つ。まずは10歳のセクシー美少女モデル。フランスのThylane Blondeauちゃん。4歳からすでにゴルティエのモデルとして「仕事」をしていたが、この春、フランス版の「ヴォーグ」であまりにも妖艶な姿で登場、物議をがもした。

Thylane_blondeau

チャイルドレイバー? という問題ではなく(そんなこといったら日本のあの大人気の子役だって)、10歳の少女をセクシャルに演出するのはいかがなものか? という問題。

過去にも、ブルック・シールズが15歳でカルヴァン・クラインのジーンズのモデルとしてセクシーに登場し、同じような議論を巻き起こしたことがあるが。今回のモデルは、10歳である。問題視するのは当然ではあると思うが、正直言って、こういう表情&ポーズができる10歳の女の子がこの世に存在する、という事実そのものが、衝撃だった。たぶん、ヴォーグが狙ったのもその「衝撃」だと推測する。衝撃は、理性的な美に勝る。これはモード界のルールといってもいいほどだが、衝撃を狙いすぎた結果、社会問題となることも。その境界はいったいどこに?

◇もうひとつ。こっちはイタリア版「ヴォーグ」。8月5日、ウェブサイトに、トレンドになっている巨大なゴールドのフープイヤリングを「スレイヴ・イヤリング(奴隷イヤリング)」と表現して、バッシングを受ける。

Slaveearringslarge

「カラード・ウィメン」の装飾の伝統からインスピレーションを得た「スレイヴ・イヤリング」、と書いたのは、アンナ・バッシ。

Jewellery has always flirted with circular shapes, especially for use in making earrings. The most classic models are the slave and creole styles in gold hoops.

If the name brings to the mind the decorative traditions of the women of colour who were brought to the southern Unites (sic) States during the slave trade, the latest interpretation is pure freedom. Colored stones, symbolic pendants and multiple spheres. And the evolution goes on.

「レイシズムである」「奴隷制を美化するのは何事か」という非難の嵐を受け、イタリアン・ヴォーグ側は謝罪。「イタリア語から英語への翻訳が問題だった。差別的なニュアンスはなく、<エスニック>という程度のニュアンスだった」と。現在は、「エスニック・イヤリング」と改称されている。まあ、イタリア人が「奴隷」というのと、ほかならぬアメリカ人が「奴隷」というのとでは、ニュアンスがまったく違ってくるだろう。

モード界はあらゆるものから平等に(偏見なく)インスピレーションを受ける。いいこともあるが、今回のように、悪気はまったくなくても、思わぬ社会問題(というほどでもないかもしれないが)の引き金になることがある。どこで線を引くか。そこに知性とセンスが問われるらしい。

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原発問題とファストファッション工場問題

、H&Mのカンボジア工場で働く、およそ300人の労働者が劣悪な状況下で倒れた、という記事。英「インデペンデント」29日付。

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/hundreds-of-workers-collapse-at-cambodian-hampm-clothing-factory-2345537.html

2日間にわたって二度、トータル284人が気を失った。組合の代表は、工場の劣悪な状況を非難。「中はきわめて暑く、悪臭もひどく、工場からの煙も入ってくる」。それでめまいや頭痛が起きたり、息苦しくなるのだという。

一方、警察側は「集団ヒステリー」と。「一人が倒れると、他の人間まで気分が悪くなるのだ」。

International Laber Organizationは、栄養状態の不良を指摘。

H&Mは、調査を開始した、と発表。

カンボジアには、ほかにマークス&スペンサー、テスコ、ネクスト、インディテクス(ZARAのオーナー)の工場もある。

記事のダイジェスト、以上。

多くの労働者の卒倒。直接の原因に関しては、正確な調査を待たねばならないが、ひょっとしたら、労働者による「ストライキ」のような意思表示かもしれない。先日も、ザラの工場でおこなわれていた児童労働を含む非人道的労働のニュースを紹介したが(8月22日付)、いずれにせよ、安価な服には、「理由」があるのだ。

日本でこういうニュースがほとんどといっていいほど報道されないのは、たぶん、多くの媒体が、こうしたチェーンの広告を掲載しているからではないか。広告主に不利益なことはできないのである。その意味では、原発報道と似ている。マスメディアは東電から膨大な利益を得ていたので、マイナス面を報じるわけにはいかなかった。

福島、および周辺の農作物の汚染は、いまどのような状況になっているのか。日本では曖昧な情報しか入ってこない。ドイツのある公共テレビ番組によって、ようやくはっきりと知ることができた。

内容に愕然とすると同時に、日本でこういう報道が行われないことに、さらに怒りがこみあげる。

(追記:フェイスブックで多くの人にシェアされた動画を上に紹介したのですが、翌日、動画そのものが削除されました。なんらかの黒い力が働いたのではと勘繰りたくもなるのですが……。字幕全部を書き記していた方がいたので、そちらを紹介しておくにとどめます。http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-6085

「プチプライス」の服の背後に広がる悲惨な状況の数々が報道されないのと、同じような理由がありそうだ。(もちろん、福島の問題はこれとは比較にならないくらい大きくて複雑である。だれかの利益のために報道規制がおこなわれているらしい、という点において似た匂いを感じるというほどの意味である。)

安価な服の背後に広がる諸問題をすべて了解したうえで、それでも着るならそれでいいと思う。「しかたがない」「選択肢がない」という側面は、たしかにある。ただ、まったく何も知らずノーテンキに、雑誌のグラビアがあおるままに「ブーム」とやらにのせられている人々の姿を見ると、3・11以前に「原発はクリーンエネルギーです」という甘言に何の疑いもさしはさまずにエネルギーを享受していた私たちの姿が、ほんのちょいと重なって見えてしまうのである。

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2011年8月29日 (月)

「胃のあたりを蹴られた感じ」

「明日の私に着替えたら」DVDで。原題は'The Women'。原題のとおり、女性ばかり出てくるコメディで、重要な役割を果たすはずのヒロインの夫すら一度も姿を見せない。この徹底ぶりはむしろおみごと? 製作に、なぜかミック・ジャガーが関わっている。監督がダイアン・イングリッシュ、出演がメグ・ライアン、アネット・ベニング、ジェイダ・ピンケット=スミス、そしてエヴァ・メンデス。エヴァ・メンデスはメグ・ライアンの夫を寝取る香水売場のビッチ役だが、出演者のなかでいちばんイキがよかった印象。

The_women

ヒロインは、夫に浮気され、親友や娘との関係も崩れそうになりながら、最後には自分のかつての夢だったファッションデザイナーとしてのデビューをも果たす。最後にはすべてはハピーエンド……(まあ、映画ですから……)。このデビューコレクションが、映画内では絶賛という設定だったが、個人的には、どうもソフトバンクの「お父さんマグカップ」の色彩(白に赤黒ライン)とダブってしまって、複雑な思いが抜けないのであった…。

セリフは多くて、ところどころ秀逸。鋭い心理描写だな、と思ったのは、メグ・ライアンの母がつぶやく、「浮気されたときの心中」。リアルすぎるので、あえて英語のままでメモさせていただきます。ご寛恕。

It feels like someone kicked you in the stomach, feels like your heart stopped beating, feels like that dream you know the one when you are falling and you want so desperately to wake up before you hit the ground but its all out of your control, you cant trust anything anymore, no one is who they say they are, your life is changed forever, and the only thing to come out of the whole ugly experience is no one will be able to break your heart like that again.

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2011年8月28日 (日)

「おしゃれではない」ヒロイン像の勝利

「恋とニュースの作り方」DVDで。監督はロジャー・ミッチェル(あの「ノッティングヒルの恋人」の監督だ)、ヒロインはレイチェル・マクアダムズ。ハリソン・フォードにダイアン・キートン、ジェフ・ゴールドブラムという豪華キャスト。

恋に仕事にがんばりすぎて、空回りしがちなヒロインの、いろいろあってハッピーエンド、の若い女の子向け(?)サクセスストーリー風コメディ。

ヒロインがキャスターの世界でトップへのぼりつめるまでの、ミシェル・ファイファーの映画が遠い昔のようだ。この映画ではキャスター(ダイアン・キートン、ハリソン・フォード)は単なる駒というか、過去の遺物みたいな感じで、憧れをかきたてるような仕事ではない。現代のヒロインはプロデューサーで、なりふり構わず、視聴率を上げるためならなんでもする。当然、恋か仕事か、という選択に悩むこともない。その二つが、どちらかを選ばなくてはならない対立する選択肢だった時代もあったのだが。

ヒロインが、ひっつめ髪で前髪もぼさぼさ、いつもリクルートスーツみたいな仕事服を着ていて、決しておしゃれではない、というのが、せめてもの好感ポイントだった。これで「おしゃれもばっちり」だったら、誰からも共感は得られなかったかもしれない(笑)。恋がうまくいきはじめたときに、ほんのちょっと髪をおろしたりと、「プチ変身」の演出があった程度。いまどきの映画やテレビドラマでは、仕事人がファッショナブルすぎて嘘くさく感じることも多い。

視聴率を上げるための方法が、あまりにもくだらなくて、どっちかというと(こんな軽薄なことまでして数字をとりたいか、という苦い顔をしている)ハリソン・フォード側に共感してしまったが、クライマックスでのハリソン・フォードの仕事っぷり(汚職知事への抜け駆けインタビュー)と、その後につぶやいたセリフはよかった。「人がどう思おうと、私はこの仕事に自信がある。私はそれを見せた」。

英語の原題は、Morning Glory. 95年のオアシスの"(What's the Story?) Morning Glory"とリンクしているらしい。Morning Gloryといえばふつう朝顔のことで、早朝番組を舞台にして、それぞれのキャストが花を咲かせるようなこの映画のタイトルとしてはぴったり。ヴィクトリア朝における花言葉は、Love in Vain. (はかない恋)

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Morning Gloryと呼ばれる、明け方に現れるロール状の雲もあるようだ。映画とは関係ないけど。

Morningglorycloud

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2011年8月27日 (土)

レトロな王道を演じるプロフェッショナリズム

素敵なバー体験、もう一軒は、木曜日に。新宿の京王プラザホテルの地下にある「ブリヤン(Brillant)」。本命は高層階の「ポールスター」だったが、いまは、金曜と土曜しか開けてないのだという。震災後の影響と、節電のため。だいぶ客足は戻ったそうだが、京王プラザにはバーが多いので、できるだけ電気や人手の無駄を省くためにこのようにしているとのこと。ホテル業界も必死にがんばっているのだ。

なぜ京王プラザかというと、2年ほど前にホテルバーメンズ協会主催のカクテルコンテストの審査員をしたときに、京王プラザが、歴代の優勝者を多数輩出していることで有名なホテルであることを知ったのである。そのときに私が花丸をつけたカクテル「紅(くれない)」も、ふたを開けてみると、京王プラザのバーテンダーが作ったものだった(彼はその年のチャンピオンになった)。

この日は、ホテルバーメンズ協会にも関わっている「日本マナープロトコール協会」の理事、明石伸子さんとともに訪れた。明石さんはお仕事柄、ホテルのバー事情に詳しく、ホテルマンにもお知り合いが多いので、さまざまなホテルのバーのスタイルの差異などを教えていただきながら、一味違ったバー体験を楽しむことができた。

京王プラザのバーテンダーは、一目で「あ、この人はバーテンダーだ」とわかる特徴的なヘアアスタイルをしている。なでつけた7×3分けか、リーゼント。やや時代遅れとも感じられる、このレトロなスタイルを守り続けることが、京王プラザの伝統のひとつ。

非日常的なバーという空間を演出するのにもっとも大切な要素は、「人」である。そこで働く「人」の独特のヘアスタイルは、プロ意識の証。そんな考え方が徹底しているので、レトロなスタイルが、いっそ、すがすがしく感じられる。

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実はホテルマンのヘアスタイルには、名前がある。「オークラカット」という。7×3の刈り上げ。床屋さんで「オークラカット」と言うと、そういう髪型にしてくれる。

無駄のないきびきびした動きが小気味よいバーテンダーのひとり、石部和明さんに、「そのレトロな髪型、好みなんですか?」とあえて聞いてみた。

すると石部さんのお答え。「いや、ホテルの外の地下道で私とすれちがうと、たぶんわかりませんよ。髪もどちらかといえば、ボサボサで。ホテルで働くときはバーメンをこの髪型で演じてるんです」。

でも、時代遅れでイヤじゃありませんか? とまたしても酔いに任せてぶしつけな質問をしてみた。「そうですね、外資系のホテルにいくと、バーテンダーは短髪にツンツンの髪だったりしますね。リーゼントは、外国人に対しては威圧感を与えるようで、あまり好まれないこともあるのです」。

でも、あえてこのオールドファッションなスタイルを守り続けているのである。なぜならば、「これが王道」だから。

とはいえ、他のホテルにはそれぞれ、そのホテルが「王道」と考えるスタイルがあるようだ。シェイカーの振り方にしても、たとえば、オークラには「オークラ振り」と呼ばれる振り方がある。シェイカーの向きが、通常とは逆なのだそう。

石部さんは、よく聞いてみると、なんと東京都のカクテルコンテストで優勝した経験をお持ちだった。チャンピオン・カクテルの名は、「桜舞(おうぶ)」。このベテランのバーテンダーに、バーで素敵に見える男の振る舞いとは? と聞いてみる。

「ほかのお客様に対してマナーを心掛けている人ですかね。そんなお客様は大事にしたいと思います。それから、知ったかぶりはしないほうがいいと思います。通ぶったり、知識をひけらかしたりするのは、あまりかっこいいことではありませんね。こちらはお酒のプロなのだから、私たちバーテンダーを上手に使って、バーテンダーの力を発揮させてくれる男性の方は、素敵ですね」。

「それから、女性とおふたりでいらっしゃる場合、多くの場合、女性が一枚うわてであることが、カウンター越しに見ると、よくわかります(笑)」。

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ホテルバーメンズ協会員のバッジ。やはり雄鶏(Cock)なのであった。

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「マティーニは、ゆっくりと時間をかけてからませていく」

今週、縁あって、素敵なバー体験を、たまたま二度もさせていただいた。まずは一軒目、新宿三丁目に隠れ家のように潜んでいるバー、「ル・パラン(le Parrain)」。

古い洋館の扉のような重厚なドアを開けた瞬間から、19世紀ヨーロッパの貴族のお屋敷に迷い込んだような錯覚につつまれる。

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マントルピースの上にはさりげなく、ゴッドファーザーや007のイメージにつながる本やグッズなども置いてあり、そういえば、パランとは、「ゴッドファーザー」を意味するフランス語であったと思い出す。化粧室にいたるまで完璧な空間で、非日常の心地よい緊張感と寛ぎを演出してくれる。インテリアは映画のセットを手がけている会社によるものだという。

店長の本多啓彰さんがつくるカクテルがすばらしくおいしい。とりわけ、ドライ・マティーニは、期待をうれしく裏切る豊潤さで、一口ふくむたびに、新しい喜びがわきあがってくる感じ。今まで飲んでいたマティーニはいったいなんだったのか、と思うくらいの衝撃だった。

本多さんにおいしくマティーニを作るコツを聞いてみると、「ゆっくりと、時間をかけてからませていき、とろみをだす」。これだけは、ジェームズ・ボンド流(sheken, not stirred)ではないほうがよいようだ(笑)。英語のstirにしても、こういう官能的な訳語にすると、夜の雰囲気が出ていいなあ、と感心。「かきまぜる」じゃあ、どうもね。

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さまざまなビンテージグラスが用意してあるが、たまたま私のマティーニが注がれたグラスは、雄鶏(Cock)が手書きしてあるうえ、グラスの中央にリンゴがオブジェとしてくっついている楽しいグラス。雄鶏は、Cocktailの象徴。でもリンゴはなぜ?

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時間がそこだけゆっくりと静かに流れているような、大人のバーだった。実は、このバーにはぜひとも行かねばなりません、という勢いでご紹介くださったのは読者の方で、マスターの本多さんも私のダンディズム本を持っていてくださった。恥ずかしながらも、こういう予期せぬシブい出会いに恵まれたこと、しみじみとうれしく、感謝します。

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2011年8月26日 (金)

「欲を出したら途端に自分の浅さを見破られる」

◇朝日新聞から3つ、面白いと思った記事の記録。ランダムな書きっぱなしで申し訳ないが、引っ掛かりだけでも書いておくと、いくばくかの時間がたったときに、「あ、そういうことだったのか」と、意外なことがらと結びつくことがある。というわけで、まずは25日付、論壇時評。高橋源一郎の「伝えたいこと、ありますか」。

ジプリの小冊子「熱風」表紙になった、宮崎駿による「NO!原発」のひとりデモ、についてのコメントである。

「この面白さは、この写真が醸しだす『柔らかさ』から来ている、とぼくは思った。『柔らかさ』があるとは、いろんな意味にとれるということだ。ぼくたちは、このたった一枚の写真から、『反原発』への強い意志も、そういう姿勢は孤独に見えるよという意味も、どんなメッセージも日常から離れてはいけないよという示唆も、でも社会的メッセージを出すって客観的に見ると滑稽だよねという溜め息も、同時に感じとることができる。

なぜ、そんなことをしたのか。それは、どうしてもあることを伝えたいと考えたからだ。そして、なにかを伝えようとするなら、ただ、いいたいことをいうだけでは、ダメなんだ。それを伝えたい相手に、そのことを徹底して考えてもらえる空間をも届けなければならない。それが『柔らかさ』の秘密なのである」。

◇次は24日付、美の季想。高階秀爾先生による「日本美術の傑作 根底に『鑑賞の美学』」。

西洋の傑作は、芸術家の優れた才能によって生み出されるマスターピース、「創造の美学」であるのに対し、日本では「名」が関わってくる、というお話。

「名所」とは、多くの人が訪れ、歌に詠み、絵に描くなどした場所。「その先人たちの記憶の遺産が『名所』を『名所』たらしめるのである」

「広重晩年の名作『名所江戸百景』では、自然景に加えて、七夕祭りや両国の花火などの年中行事が大きな役割を果たしている。年中行事もまた、繰り返されることで人々を過去の記憶と結びつけ、また参加をうながす。日本人の美意識の根底には、西欧の『創造の美学』に対して、『鑑賞の美学』ないしは『参加の美学』とも呼ぶべきものが根強く横たわっているのである」

……深く納得。語られ、描かれ、繰り返されること。それによって、「名」がつく。

◇最後は、26日夕刊のHeroes File Vol. 57。俳優の柄本時生による「父のマネも演じる僕のもの」。

「街で『かっこよかったですよ』と声をかけられたらめちゃくちゃうれしいですが、『かっこよく映りたい』と思いながら演じていたら、それはすごく恥ずかしいこと。でも、気づくとお金がほしい、こんなふうに見られたいという欲が、年齢と主に以前よりも強くなっている自分がいて」

「欲を出したら途端に自分の浅さを見破られる」

……無心で、邪心なく、人前に立つこと。そのむずかしさ、とてもよくわかる。自分以外のものを演じようとしたり、「よく見られたい」という意識がちらついたりしたら、人はとたんに浅はかに、みっともなく見える。文においても同じなのだ、結局。21歳の若者とはいえ、あの柄本明の背中を見て育った息子。ひときわ説得力をもつ。

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2011年8月25日 (木)

目的遂行のために、嫌われることをあえて引き受けること

The Nikkei Magazine (9/25発行)、「モテるオヤジこの10年」企画の取材を受ける

良くも悪しくも小さからぬ影響を与えたLEONの位置づけや、この10年のメンズファッション全般の変化について、LEON編集部の副編イシイさんと、編集のイチムラさんに、考えているところを話す。LEON編集部の方は、30メートル先からもすぐにわかる濃さ(笑)。でも話すと、ジェントルで楽しい方々だった。

NIKITAがまだ休刊していなかった頃、LEONとNIKITAを毎月、セットで購入していた。ファッションネタを笑える娯楽に変えた、とても楽しい雑誌だった。やはり迷コピーの数々は、編集部員が寝ないでうんうん頭をひねって考え出したものばかりだという(かの「乳間ネックレス」の笑劇たるや!)  熱烈復刊希望。

LEONにしても、当初はさまざまな苦情の電話がかかってきたそうである。「モテるオヤジ」とか「ちょいワル」とは何事か(下品である)、と。それをひとつひとつ、編集部が受けて答えていた、という苦労話に、じんとくる。

嫌われることをあえて引き受けること。それを込みで、影響力を目的通りに行使すること。さまざまな「覚悟」について、考えさせられた。

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2011年8月24日 (水)

「心のガラクタは、捨ててはいけません」

「再読してみてやっぱり重要」メモ、もう一つ追加。朝日8月3日付、オピニオン欄、「『断捨離』『すっきり』はリスクが高い」の森永卓郎さんの話。ブームにさえなっている断捨離や片づけに対する、B級コレクターからの異議。

「物を捨てて何かが生まれる、ということはありません。無から有は生まれないですから。新しいアイディアも感性も、異質なものが融合したときに生まれています。学問だって過去の論文の蓄積の上に新しい論文ができます」

「心のガラクタは必要なんです。捨ててはいけません。だって、すべての発想や豊かさの源ですから。新しい物や考えというのは無駄の中からしか生まれないんですよ。それを不要だと捨ててしまうのは、自分で自分の可能性を捨てているのと同じです」

なぜ人は物を減らすことにひかれるのか、という質問に対し、森永氏の答え。「デフレの産物ですね。本来は豊かになればもっと大きな家に住めばいいわけだが、デフレのためにできない。だから物を捨て、狭い家を効率的に使う、おしゃれな暮らしを求める。物を買わないからさらにデフレが進む。経済全体では縮小均衡とリスク増大をもたらしているわけです。それと、こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、私は陰謀だと思っています。国民を都合のいい労働力として飼いならすための」

陰謀、についてのより詳しい説明。「都会に住み、通勤時間が短くて、物を持たなくて、趣味もあまりないという人が、企業から見たら使いやすい労働力なんですよ。通勤コストは少ないし、疲れないし、無駄を切り詰めて最小限の物しか持たないから、ライフスタイルが規格化というか同じようになって、ブームが起きやすい。企業にとってはおいしい国民なんですね。ライススタイルが多様化すると、すごくコストがかかるんです。みんなが同じような衣類を求め、同じスイーツを喜び、同じ食事をしてくれるのが、一番効率がいいんですね」

ここしばらくの断捨離ブームのうさんくささを、自己啓発ブームの延長のように見ていたので、この喝破はかなり痛快だった。

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専門家の誠実さ & 文明批評が成り立たない時代

切り抜きの山の中から、再読して「やっぱり重要」と思った記事2つのメモ。大部分は、そのときには盛り上がっても、2~3週間後に読むと「流してもいいかもしれない話」になっている。だからこそ逆に、後者のほうがあとから貴重度が増してくるかもしれないので、やはりその都度、何かあとで参照できるようにしといたほうがよいのだとは思うが。時間と体力・気力とのせめぎあい。

◇朝日新聞7月31日付、ザ・コラム 「災害と専門家 『敗北』にたちすくまずに」 by 山中季広

イタリアの地震において、地震学者の権威が、直前に安全宣言を出したことで過失致死罪に問われたことをめぐるコラム。

訴えられたのは、国立地球物理学火山学研究所長エンゾ・ボスキ氏ほか。

経緯は、こう。ラクイラで群発地震が半年ほど続き、在野の研究家が、地下水の観測をもとに「大地震が来る」と断言。市民の不安をしずめ、観光客を遠のかせないため、政府は安全宣言のお墨付きをほしがり、学者7人を現地に招いて討議させる。何人かが「安心してよい」と宣言した。

その6日後に、本震が起き、住民309人が犠牲となる。学者7人全員が起訴された。

告発は、正しく予知できなかったという理由によるものではない。予兆か、たんなる群発か、見極められないなら、そのようにありのままに語ることこそが誠実な態度であるはずなのに、あまりにもその誠実さを欠いていた、というのが理由。

関東大震災の時にも、同じような論争があったことが、コラムでは記される。「大災害には至りません」と告げるのが役どころだった地震学者の権威、大森房吉という人がいたそうである。群発地震に市民がおびえても、「大地震は来ない」を繰り返し、翌年、関東を巨大地震が襲った。大森は、責任を感じ、病気を悪化させて2か月後に亡くなる。

山中さんの締め。「共通するのは、市民が不安を訴えたこと、専門家は安全だと言ったこと、そして専門家の判断が間違っていたことだ。専門家の敗北としては、あえなく崩れた原発の安全神話も同じだろう。

思うに、これまで何世紀もの間、専門家の仕事は『解明できたこと』を語ることに尽きた。しかし東日本大震災を境に、期待される仕事は一変した。いま人々が渇望しているのは、専門知識をもってしても解明できないことを率直に語る誠実さだろう」

◇もう一つは、過去からの予言シリーズ、第1回。筒井康隆の小説『霊長類、南へ』(1969年)をめぐる筒井へのインタビュー。朝日8月22日付。

70年代には滅亡論がさかんだったけど、その後、文明批評色の強いSFは潮が引き、「文明が滅んだ後の暴力と荒廃の世界だとか、剣と魔法のヒロイックファンタジーだとかになっていく」。

なぜ、文明批評は消えたのかという問いに対し、筒井の答え。「設定やアイディアは書き尽くしたし、冷戦構造が壊れて批評の足場がなくなったし、若い人が本を読まず、大状況を書いたり読んだりする能力を失った。誰もが原発からエネルギーを享受し、グローバル資本主義に浸って生きています。そうしなければ生きていけない時代に文明批評を書いたってしかたがない」

今後、革命的な転回が起こる可能性は、との問いに、筒井の答え。「ないでしょうね。マルクスが予言したように、資本主義は世界を支配したとたんに自壊を始めて、すでに破綻していますし、フクシマの事故があっても原発は地球からなくせない。このふたつは車の両輪ですからね。こんな巨大な自走するシステムは、動き始めると止められないんです。人類の叡智を駆使しても、せいぜいあと数百年でしょう」

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2011年8月23日 (火)

「本気のバクチなら、はれるものは一つ」

三池崇史監督の「13人の刺客」DVDで。三池印ならおそらくスーパーバイオレント、と覚悟はしていたが、想像以上の「斬って斬って斬りまくり」の血まみれ侍ムービー。

13assasins

これもかなり好悪の分かれる作品。最初はお話に入っていきにくかったし、役者の滑舌もいまいちなのか、ストーリーがわかりづらかったのだが、中盤、13人の刺客 対 敵200人、の戦闘シーンに入るころから、三池印炸裂で、がぜんアドレナリンが噴出してくる。これ以降はもう、理屈抜き、アクションに身を任せるしかない勢い。残虐で冷血なバカ殿(稲垣ゴロウ!)への憎しみの持っていきかたも、うまい。「こいつなら殺されて当然」という感情を、ぐいぐいと盛り上げていく。

血みどろアクションやりすぎ、は、いつもの三池節としても、役者のたたずまいや動きが、ほれぼれするほど美しかった。役所広司や古田新太はすっくと立っているだけで絵になるし、伊原剛志の剣使いの流れるようなかっこよさったらない。「山の民」役の伊勢谷友介の野性味あふれる機敏なスピード感、日本の男の立ち居振る舞いというのはすがすがしく凛々しいものであるなあ…と思わされた一作。

「本気のバクチなら、はれるものは一つしかありません」

「ここぞと頼み、一点勝負をする」

「ショウジロウ、わしの背後に抜けたものを斬れ。一人残らず、だ」

「200両では、安すぎましたな」

「死が近づけば、人は生きることに感謝が生まれる」

アクションのさなかで発せられるセリフのほうが、はっきりと、印象的に聞こえた。他の場面の多くでは、もごもごと何言ってるのか不明なこともあり。アクション映画であるからこそ、セリフのユーモアや明瞭さが必要なのに、と少し残念。

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2011年8月22日 (月)

「プチプライス」を喜ぶ前に

スペインのファストファッションチェーン、ZARAが、契約しているブラジルの下請け会社がチャイルドレイバーをふくむ非人道的な労働を強制しているとして、訴えられた。

http://fashionista.com/2011/08/zaras-brazilian-factories-accused-of-child-labor-and-unfair-working-conditions/

ZARAは52件の違反で罰金を科されているほか、これ以外にも似たような状態で生産しているザラのブラジル工場が30はあると示唆されているようだ。

ZARAを傘下にもつインディテクスは、実態を知らなかったと声明を発表。インディテクスの行動規範(Code of Conduct)に反することでもあり、早急に事態を正規化するという姿勢を示している。

やっぱり、まだあったのか。いたちごっこのチャイルドレイバーに不法労働。劣悪な環境下での低賃金労働でさえ、「仕事がある」だけでありがたいと思う人がたくさん存在して、そういう人々を、「少しでも賃金を安くしたい」雇い主が搾取する。非人道的な労働によって作られたかもしれない製品を、「プチプライスでうれしい」とか言って買う消費者がいるかぎり、止めるのが難しいであろうサイクル。

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2011年8月21日 (日)

「起きてみろよ!」

園子温監督の「冷たい熱帯魚」DVDで。展開も、セリフも、まったく予測もつかず、一瞬のまばたきさえ許さない、ものすごい緊張感をはらんだ映画。久々に、全身の血が逆流するような映画を見た…。

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小心者の熱帯魚店店主。妻は後妻で、胸の谷間をだらしなく見せているような若妻。娘はそういう継母と父の関係に耐えられず、グレて万引きをする。それを救った村田が、一見「面白くていい人」、実はとんでもない邪悪なやつで、気に入らない相手は片っ端から「透明にする」恐ろしい人間だった…。

小心者の主人公が、村田(でんでんの怪演)とかかわっていくうちに次第に変貌を遂げていくさまが怖い。想像できる恐怖のレベルをはるかに超えて、まったく目が離せなくなる。スプラッター系の恐怖ではなく、人間の弱さと、それが反転したときの怖さまで、生々しいリアリティをもってえぐりだしている、空恐ろしさ。

ラストシーンの、観客の誰も予想がつかないであろう、娘のセリフと反応。救いのなさすぎる結末に茫然としながら、同時に、開放感というか、カタルシスを覚える。なんなんだこれは。ホドロフスキーの「エル・トポ」以来の衝撃かもしれない。気が弱い人には、すすめない。でも、観客にまったく媚びないパワフルな映画を作りきった監督に、心からの敬意をささげたい。

タイトルにしたのは、あまりのありえなさの衝撃に、頭にこびりついて離れなかったセリフ。

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2011年8月20日 (土)

逃げぬける!

サム・ペキンパー監督、スティーブ・マックイーン主演の「ゲッタウェイ」、DVDで。マックイーン盛り上がりついでに買っておいたDVD群のひとつだが、ようやく観る時間ができた。その直前に見た「ブリット」はコメントのしようもなし、という感じだったが、「ゲッタウェイ」はのちにリメイクも作られたとあって、それなりの世界観は表現していた印象。ペキンパー流のバイオレンスに次ぐバイオレンス、といってもCGによる派手な爆発シーンなどを見慣れた今から見ればさほど残酷な感じはしない。ドライに人やモノを撃っていくマックイーンがむしろかっこよく見える、という演出。

Getaway

理由あって銀行強盗をやった夫妻が、警察からも仲間からも雇い主関係者からも命を狙われ、危機一髪の連続をすり抜け続けて、結局はハピーエンド、という、今ならば「えええっ???!!!!」っていうストーリー。ニューシネマの時代だなあ。Get Away、まさに、逃げぬけましたね。マックイーンは妻をなぐるし(今ならDVで問題になる)、なんだか1972年という時代を遠く感じさせる映画でありました。

この映画で共演したマックイーンとアリ・マッグローはのちに結婚。

リメイク版で共演した夫婦、アレック・ボールドウィンとキム・ベイジンガーは、のちに離婚。

人生いろいろ、ということで。

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2011年8月19日 (金)

困難な時代における「紳士」像

新・紳士主義を提唱する「uomo」誌から、これからの「男の優しさ」に関しての取材を受ける。ニューオータニのガーデンラウンジにて。印象に残っている20~30ほどの映画のなかの男性像や実在の人物などを例にとり、国難に立ち向かわなくてはならない今、求められている(と、私が考える)紳士像を解説させていただいた。

熱心に聞いてくださった、編集のカイヌマくん、副編のフクダさん、ライターのオダシマさん、ありがとうございました。聴き手のリアクションがよかったので、日ごろぼんやりと考えていたことが、はっきりと輪郭をとってきたような気がしています。詳しくは本誌をお楽しみに。

「日本の紳士」像もまた、英国のジェントルマン像がそうであるように、時代とともに読み換えられていく。困難な時代ほど、新しい理想像が求められる、というのも同じかもしれない。

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技術革新を促進する人間の欲望は

突然の土砂降りの中、「サライ」連載記事のため、「カールツァイス」に取材にいく。今年で創業100年を迎える、ドイツの双眼鏡・単眼鏡・ルーペなどの老舗メーカーである。まったく疎い分野であったが、わかりやすく解説していただき、有意義で楽しい取材になった。ツァイス社の方、ご協力ありがとうございました。

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お話をうかがった部屋に飾ってあった(?)レンズかなにかの設計図。イエナ大学の物理学者が書いたものだそうで、アーティスティックな印象を受けた。

ツァイス社の完成度の高い製品の詳細はさておき。

この分野全体の発展を支えている根強いジャンルが、「ノゾキモノ」と総称される製品であるということを知り、人間の普遍的な願望にまで思いが及ぶ。多くの技術革新の背後には、案外、とても原始的な人間の欲望があるのかもしれない。

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2011年8月16日 (火)

ゆがみこそが、風雪に耐えるカギ

金沢ついでに、妙立寺を見学。別名、忍者寺として名高いお寺。前田利常が、1643年に、金沢城近くから移築建立したお寺で、戦火にもあわず、今に姿を残している。

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外見は、二階建てのふつうのお寺。しかし、内部がすばらしいというか、複雑で、仕掛けに満ちて、無条件にワクワクさせられた。

4階建て7層構造にもなっており、階段の数、なんと29。迷路のように、各部屋から意外な場所へと結びついていて、フツーの部屋がない……。屋内に、風流な「太鼓橋」まで。人知の限りをつくした(?)隠し階段や落とし穴など、どこもかしこも楽しすぎる。

木のゆがみを生かした巨大な梁も見ごたえあり。このゆがみこそが、雪の重みを分散させる働きをし、寺を支えてきた、という解説にも感心する。17世紀の人のほうが、現代人より賢かったんじゃないだろうか、とさえ思わされる工夫が、いたるところにたっぷり。

それにしても、この内部の風景、夢に2度ほど出てきたことがある。おなじ風景を、はっきりと覚えている気がする。不思議な既視感。いつかの前世、ここで隠れたり祈願したりしていたことがあったんだろうか?

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人の表情が、なによりも、「アート」

猛暑の中、金沢21世紀美術館へ。見たかったのが、「レアンドロ・エルリッヒのプール」。

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上からのぞいて驚く人、下からそれを眺めて面白がる人、双方の反応を楽しむ体験が、「アート」?

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「イエッペ・ハイン 360°」と、

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「Inner Voices」も駆け足で鑑賞。

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とても広い建物なのだけれど、どこも人、人、人、の大混雑だった。美術館にこれほど人が集まるというのは、ほかならぬこの美術館だからか、それとも夏休みだから? あるいは現代アートブームが本物ということか? 熱心に「体験」を楽しむ人々の表情が、なによりも強く印象に残る。

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2011年8月13日 (土)

文化遺産の保存と芸術文化の発信をになう、隠れ家風美術館

閑静な住宅街の中に、ひっそりと不意に、いまどき和モダンのおしゃれすぎる「美術館」が現れる。富山市奥田新町の「楽翠亭美術館」。

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昭和初期に築造された1200坪の大邸宅を、文化遺産の保存のため、石崎産業が買い取ってモダンなゲストハウスに建て替えた。この建物および別棟の蔵、庭園などからなる敷地のいたるところにモダンアートを展示した、個性的な美術館である。プロデュースした石崎産業の社長、石崎大善氏は、かの「リバーリトリート雅楽俱」のプロデューサーでもある。

シンボルマークとロゴタイプは佐藤可士和さん。いかにも「らしい」ロゴ。

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パークハイアット系のホテルのような(?)ゲストハウスの各部屋からは、手入れの行き届いた日本庭園を眺めることができる。

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バスルーム(広いジャグジーあり、檜風呂あり)やトイレのすみずみにも、アーティスティックな配慮がいきとどいていて、いちいち眼もハートも喜ぶ。

個人的に「蔵」が好きだった。蔵のそこはかとない怖さを生かした、モダンホラー風の展示と演出が、◎。

文化遺産の保存+地域貢献+芸術文化の振興と発信、を担った、でもそんなに重たさはかけらも感じさせない、心地よい空間でした。隠れ家的な名所を教えてくれた裕子さん、つれていってくれた啓子ちゃん、ありがとう。

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2011年8月12日 (金)

未来の日本の、希望

富山市の芝園中学校で、ミニ講演会。芝園中学校の校長(石上正純先生)が、小学校6年生のときの担任の先生(しかも教員になりたての新任)だった、というご縁で、急遽、依頼されてお話をすることになった。

「学ぶこと、仕事をすること」をテーマに、作文好きな生徒さん、保護者の方、教職員の方を対象に、自分の仕事から学んださまざまな発見などを、お話させていただいた。熱心に聴いてくださったみなさま、ありがとうございました。サプライズできてくれた、中学時代の卓球部男子部長(現・教育委員会)、高校の同窓生にも感謝。とても充実した楽しい時間を過ごさせていただいた。

富山市は教育環境がすばらしく、芝園中学にも、校長先生はじめ、熱意にあふれたすてきな先生方、スタッフがそろっていた。保護者との連携も理想的で、こんなところで子供を学ばせたいなあ、と誰もが思うであろう素敵な環境。校舎も明るくモダンであるばかりか(全国から見学者が訪れるとのこと)、花やグリーンにあふれているので、明るくあたたかな印象。よく手入れされた植物に迎えられると、「歓迎されている」という気持ちになれる。多感な時期の生徒にとって、この効果はとても大きい。植物はすべて教職員や保護者の方がボランティアでもちより、世話をしているとのこと。写真は、校舎の2階から屋上に向けて伸びやかに育っている「緑のカーテン」。近くで見ると、なかなかの壮観。

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芝園中学は、かの田中耕一さんの母校でもあるそうだ。

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未来の日本の国力のベースになるのは、教育である。石上校長は、そういう使命感も抱いて、さまざまな改革をしながら情熱的に取り組んでいる。新任(22歳)のときも、熱血教師だったが、定年を迎えるという今、ますますアツくいらしたのであった(笑)。恩師が変わらず元気に活躍しているというのは、とても励みになる。今なお、教えられること多。感謝。

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2011年8月11日 (木)

Little & Great Kitty

別にギャップを狙っているわけでもブームに乗って(乗り遅れて?)いるわけでもなんでもなく、10代の大昔から淡々とマイペースでキティファンなので、引き出しのひとつが自然とキティグッズでいっぱいになっている。もういい加減、いいやとも思うのだが、やはり本能が反応してしまった。

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ロンドンのリバティ百貨店とキティのコラボ。1933年に発表されたリバティのフローラル・プリントにキティがまぎれこんでいる。よくみると、キティがいろんな楽器をひいている。9月26日から2週間限定で販売されるとのことだが、うむむ……。この時期にロンドンにご出張に行かれる方がうらやましすぎる。2012年からはワールドワイドに販売されるということだが、やはり「一足お先&限定」の魅力にはかなわないし。

それにしても、著作権を主張しないキティ。寛大すぎる。100円ショップでも出会えば、リバティなんかにもいる。で、1978年のお誕生以来、かくも長く、飽きられない。ひとつの偉大な存在だ(言い過ぎ)。ルブタンとYSLのけんかが、子供じみてさえ見えてくる…。

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赤いソール裁判のラウンドワン、ルブタンの敗け

クリスチャン・ルブタンが、赤いソールをめぐってイヴ・サンローランを訴えていた件。NYで第一回目の判決が下されました。(「テレグラフ」10日付 Christian Loubtin loses round one of red sole battle with Yves Saint Laurent)

ラウンドワンにおいては、ルブタンの敗け、でした。判事はヴィクター・マレロ。

赤いソールをトレードマークとするルブタンは、2011年リゾートコレクションで赤いソールを展開するYSLに対し、100万ドル以上の損害賠償を求めていた。これに対し、YSL側は、赤いソールはすでにルイ14世や、「オズの魔法使い」のドロシーがはいており、ルブタンが最初ではない、と主張していた。さらにYSLは、赤いソールを独占的に不正に使いすぎ、とまで非難していた(写真は「オズの魔法使い」のドロシーがはいた、ルビーレッド・ソールの靴)。

Wizard_of_oz

これに対し、判事は、レッドソールはルブタンのみに許されるブランドの刻印なのかどうか、証明することは難しいとして、ルブタンの訴えを退けた。

YSLの弁護士は、法律事務所Debevoise & Plimton のデイヴィッド・バーンスタイン。

「いかなるデザイナーも、服飾アイテムにおいて一つの色を独占すべきではない、というわれわれの主張に対し、判事マレロが同意してくださったことを感謝します。YSLのデザイナーはアーチストであり、ほかのデザイナーと同じように、各シーズンのファッションをデザインするときには、あらゆる色彩を使う権利があるべきです。YSLが当初から指摘してきたとおり、ルブタンによる赤いソールのトレードマーク登録じたい、認められるべきではありませんでした。この登録が取り消されるべきであるというわれわれの主張に、判事が同意してくださったことをうれしく思います」

とはいえ、これで終わったわけではない。YSLは2011年のリゾートコレクションの販売続行を許された段階であり、裁判は来週も続く。お楽しみに(?)。下は、とりあえず「救われた」(?)YSLの靴。

Ysl_red_shoes

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2011年8月 7日 (日)

ご来場のみなさま、ありがとうございました!

ブランメル倶楽部×男子専科のトークイベント、大盛況のうちに無事終了しました。

灼熱の太陽の下、サマーテイラードで正装し、テイラードの魅力を語りつくすというアツイ試み。世のスーパークールビズの趨勢とはみごとに逆行しているのである。

最前列にはメンズファッション業界を引っ張っていらした重鎮の方々がずらりと勢ぞろいし、かな~り緊張したが、健次郎くんが一生懸命話してくださったおかげで、お伝えしたかったことはなんとか伝えられたのでは(I hope)。フレンチテーラードのこともそうだが、まずは、並みならぬ苦労を重ねて今の地位を築いてきた(そしてこれからも発展するであろう)健次郎くんの人柄や表現力のすばらしさを、何よりも感じ取っていただきたかったところです。Clothes make the man ということばはよく知られているが、その clothes を作るのは、ほかならぬman である。  Man make the clothes であることを、健次郎氏の人柄は教えてくれる。

ほぼ満席のお客様の装いがすばらしすぎで、眼福。

Burammel

上のお二方は、英国風正統派。ほかにもマドラスチェックのカジュアルなジャケットあり、イタリアちょい悪風あり、リラックスしたポロシャツあり、カップル着物あり、分類不能な超個性派ありで、それぞれに夏の装いを楽しんでいらっしゃいました。あらためて、メンズファッションというのはいいものだなあと思う。

ご来場のみなさま、ほんとうにありがとうございました! コーディネーターの河合正人さんはじめ、スタッフの方々にも、心から感謝します。鈴木健次郎さん、青柳光則さん、ご一緒に仕事ができて幸運でした。みなさまのおかげで、とてもアツい一日になりました。

……でも、たとえささやかなイベントでも、当日が終わってしまうと、一抹のさびしさもあるかな。文化祭や運動会が終わった次の日の、あの懐かしい感情を、久々に思い出しました。

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2011年8月 4日 (木)

職人にして、芸術家

6日のイベントに向けての打ち合わせ。パリから一時帰国したばかりの鈴木健次郎くん、元「男子専科」編集部員の青柳光則氏、ブランメル倶楽部東京分会のコーディネーター河合正人氏らスタッフたちと。この2か月ほど、FBを使って着々と準備を進めてきたが、顔合わせは初めて。FBというのは薄気味悪いところもある(「知り合いではありませんか?」とホントに知人の顔がどんどん流れてくる…)反面、うまく仕事に使えばこのうえなく便利。地理的距離は離れても、初対面でも、すでに十分、資料や意見の交換はしているし、「パブリックにしてよいプライベート」はお互いにそこはかとなく知っているので、「ずいぶん前からの知人」のような打ち解け方ができて、話が早くなる。

鈴木健次郎くんはボキャブラリーが豊かでお話が上手だし、青柳氏もマニアックな情報をてんこもりにもっていて、話が止まらない。どう収拾するのか、難しいくらいだが、面白くなるしかない雰囲気。

健次郎くんがチーフカッターをつとめているフランチェスコ・スマルトの本。

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日本では「知る人ぞ知る」程度の知名度だが、パリ最高峰の老舗。60~70年代には映画の衣装もたくさん手がけている。初期の「007」もスマルトによるもの。ルイス・ブニュエルの「欲望のあいまいな対象」の衣装もスマルトだし、ジャン・ポール・ベルモンドは公私にわたりスマルトを着用。

Smalto1

お宝のような発見はもっとたくさんあったが、6日のイベントで披露するので、ここではぐっとガマン。とにかくスマルトというのは、職人にして芸術家なのである。こういうクリエイターになりたい、と思わせる。

印象に残ったことばをひとつだけ。'Francesco Smalto is not afraid of diversify. He preaches contradictory works, not because he is eclectic, but because he is passionate.'(「フランチェスコ・スマルトは表現の幅を広げていくことを恐れない。相矛盾するような仕事もするが、折衷主義からそうするのではなく、情熱的だからそうなってしまうのだ」)

トークイベントのお席はあと5,6席を残すのみ。おかげさまで二次会は早々に満員となり締め切りました。ブランメル倶楽部のHPで早めの申し込みを。

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2011年8月 3日 (水)

W.E.

いまいちばん公開を楽しみにしている映画。マドンナが監督する 'W.E' (ウォリスとエドワード)。写真が公開された。

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エドワード8世を演じるのが、ジェームズ・ダーシー、ウォリス・シンプソンをアンドレア・ライズバラ。ヘアメイクの力で、それっぽいといえばそれっぽくは見えるが…。30年代の「王冠か、恋か」のラブストーリーと、現代の女性の物語(アビー・コーニッシュ)が同時進行していく、というような設定の話らしい。衣装デザイナーはマドンナのパーソナルスタイリストでもあるアリアンヌ・フィリップス。この方は「シングルマン」の衣装も手掛けている。マドンナ監督第一作ともあって、パブリシティには力が入っている。

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映画としては未知数だが、30年代の衣装やジュエリーなどの美しさは期待できそう。メンズファッションも、この時代は華やかで完成度が高い。

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