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2011年1月

2011年1月31日 (月)

ありがとうロビン・ギヴァン

◇米「ワシントンポスト」で長らく(15年間)ファッション記事を書いていたロビン・ギヴァンが昨年12月に辞めていた。ファッションと政治の関係など、一流紙の読者がシリアスにファッションを見る硬派な視点を提供し、読み応えのある記事を書き続けてきたファッション・ジャーナリストで、ピュリッツアー賞も受賞している。

今後は「ニューズウィーク」と「デイリー・ビースト」で書き続けるようである。ミシェル・オバマの批判で話題になったりもしていたので、なにか政治的な圧力があったのだろうか、とも懸念したりする。そうでないことを祈る。

昨年12月23日付の退任のあいさつを述べた記事をしみじみと読み返す。ファッションはビジネスであり、政治であり、宗教であり、社会学であり、ひいては人生そのものである、という信念に基づいてファッション欄を設けてきたワシントンポスト紙への感謝で結ばれていたラストには、ナミダ。

ギヴァンのようなファッション記者がいることで、またそういう記者を支えるワシントンポストのような媒体があることで、どれだけ勇気づけられ、教えられてきたか。私も両者に感謝をささげたい。

◇昨夏、UT-Lifeからインタビューを受け、記事が昨日アップされました。なんだか調子よさそうなことばかりに聞こえるかもしれませんが、苦労話は恥ずかしい、との思いもあるので。悲惨が多い現実でも、楽観しつつ必死にあがくことで、なんとかなることもある。C'est la vie.

http://www.ut-life.net/people/k.nakano/

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2011年1月30日 (日)

ダイイング・スレイヴ

大平貴之プロデュースのスカイ・プラネタリウム@六本木ヒルズ 森アーツセンターギャラリー。世界初の3Dウォークスルー型プラネタリウムというのはどんなものか?と興味津々で。昨夕訪問。

来館者のほとんどがカップルで、大混雑していたが、科学とアートと遊園地が一体化したような、幻想的な体感空間を楽しむ。よくぞこういう精緻な空間をつくりあげたもの。星座がアイデンティファイできる眼力があればもっと楽しめたであろう。

宇宙の中の地球がどのくらいの大きさでどの程度の位置づけかというのも映像で実感できた。地球なんて宇宙全体から見ればほんとに砂粒よりもはるかに微細。そんな小さなところで狭量な欲や恨みや怒りで頭をいっぱいにして殺し合ったり破壊し合ったりしている愚。

森美術館のほうでは、小谷元彦による「幽体の知覚 Phantom Limb」。実体のない存在や形にできない現象、「幽体」の視覚化を試みる、という野心的な彫刻や体感型インスタレーションの数々。

Dying Slave というコンセプトが印象に残る。人間は同じことを繰り返しながら死に向かっていく奴隷である、というような。巨大などくろがくしざしにされて、ぐるぐるぐると回転している。あとから調べてみたら、先駆者があり、ミケランジェロが「Dying Slave」という彫刻を彫っていた。腕と胸を拘束されて、のけぞっている男の彫刻。瀕死の奴隷、といったイメージ。ルーブルにあるそう。小谷さんはミケランジェロとは違う意図で、Dying Slaveを解釈しなおしたようだ。

おどろおどろしくもあり、不可解なところもある、白日夢のような世界だったが、見えないものの存在を考えることで逆に現実の生を見つめなおせ!というメッセージは伝わってきた気がする。

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2011年1月29日 (土)

できるかな? その2

「ニューヨークタイムズ」がツイッターでやっている「ファッションIQテスト」、以前にもご紹介したが、またオタク魂をくすぐる問題がぞろぞろ出ているので、最近の問題のなかから、ご紹介。

A. 最初に防水ウールを発明したのは、次のどのブランド? 1)バーバリー 2)バーブァ  3)アクアスキュータム

B. 「ナイロン・マガジン」のクリエイティブディレクターだったモデルは、次のうちの誰? 1)ヘレナ・クリステンセン  2)ケイト・モス  3)エル・マクファーソン

C. 「パーソンズ」(アメリカのデザインスクール)でバレエ団のキャプテンだったデザイナーは、次のうちの誰?  1)ジェイソン・ウー  2)トム・フォード  3)マーク・ジェイコブズ

D. リネンショップとして創業したのは、どこ? 1)バーニーズ  2)ハーベイ・ニコルズ  3)オープニング・セレモニー

E. デトロイト出身のデザイナーは、次のうちの誰? 1)ジョン・バルベイドス 2)ラルフ・ローレン  3)フランシスコ・コスタ

さて、いくつわかりましたか?

Yokohama

冬のみなとみらい、頭がいたくなるほど風は冷たいですが、空気はすっきり澄んできれい。

さて、答えです。

A. 3 1853年、アクアスキュータムのジョン・エメリーが発明

B.  1   ヘレナ・クリステンセンは1999年、ナイロン・マガジンのクリエイティブディレクターをつとめていた

C.  3 マーク・ジェイコブズは「パーソンズ」でバレエ団にいた!

D.  2  ロンドンのスノッブな高級百貨店ハーベイ・二コルズは、1813年、リネンショップとして創業

E.1 最近、人気急上昇のジョン・バルベイドスは、デトロイト出身

ちなみに私は「まぐれ」でAを正解できただけでした……。

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2011年1月28日 (金)

少しの夢と、シビアな現実のはざまで

◇伊勢丹・三越百貨店の紳士服分野担当の皆様に、昨年に引き続き、レクチャーをさせていただく。紳士服の歴史とパーツをめぐるストーリー。終了後、売り場(というか、お客様目線から「お買い場」と呼ぶそうなのだが)の売れ筋のシャツや、意外と売れないシャツの話なども少しうかがう。現場のリアルな話は、ファッション誌が語る美しい夢物語をすべて虚しくしてしまうほどの破壊力がある。多くの服は、ほんの少しの夢と、シビアな現実のせめぎ合いのなかで買われていく。

昨年末にホーズの取材をしたときに、「伊勢丹メンズ館ではホーズの売り上げは全ビジネス靴下の2割」と聞き、その割合を少ない、と感じたのだが、現場に立つ方の視点では、「2割は、多いほう」と指摘される。数字の解釈ひとつとっても、データを抽象的に考える立場と、現場の具体的実感がこもる立場とでは、まったく違ってくるのである。あらためて、自戒。

◇往復に、なにか話の小ネタがあるかなあと思って持参していった畑埜佐武郎監修『スーツの百科事典』(万来舎)読了。厚くて重い本である。マニアックな情報が満載で、やっぱり日本の服好きな男性の世界はディープであるなあと感心する。服地を使った装丁もなんとも美しいのだが、これは神戸の石田洋服店さんによる限定版の装丁であるため。飾っておきたい贅沢な一冊。

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2011年1月26日 (水)

「観客は敵」から始まるガールズロック

「ランナウェイズ」、3月の公開に先駆けて一足先に見る機会をいただく。1975年、ロサンゼルスが舞台。平均年齢16歳の、実在した「家出娘」ロックバンド、「ランナウェイズ」の物語。ヴォーカルのシェリー・カーリー役にあのダコタ・ファニング、リーダーのジョーン・ジェット役にクリステン・スチュワート。本物のジョーン・ジェットはこの映画ではエグゼクティブ・プロデューサーをつとめている。

70年代半ば、実は私も「チェリーボム!」目当てにランナウェイズのアルバムを買っていた。パワフルでキャッチーなヴォーカルは、ティーンエイジャーの模倣欲を誘うに十二分すぎるほど刺激的だった。

あの「チェリーボム!」誕生の背景にこんな物語があったとは。リーダーが、のちに「アイ・ラブ・ロックンロール」をヒットさせるあのジョーン・ジェットだったとは。ぽつりぽつりと散乱していた記憶の断片が、有機的につながっていく感慨。

幼さ残るミドルティーンの少女たちが、プロデューサーのキム・フォーリーに調教されるままセックスを売り物にし、ドラッグや睡眠薬や酒におぼれながら、舞台で挑発的にシャウトする姿はけっこう痛ましくもある。

ロックンロールも手放せないが、家族も捨てきれない。売るために一人「ぬけがけ」のセクシーフォトを撮られ、仲間からバッシングを受けねばならないばかりか、話題作りのために雑誌にひどい記事を書かれてしまう。そんなシェリーのずたずたの苦悩が、伝わってくる。あの名子役ちゃんダコタ・ファニング(彼女ももう15歳)が体当たりの演技。

女がロックをやるなどということがまだありえなかった70年代半ばに、叩かれても笑われても、粘り強くロック魂を貫いたジョーンの姿にも胸を打たれる。クリステン・スチュワートの気迫の演技。クリステンは当時の本人(ジョーン)にそっくりである。

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ランナウェイズを搾取してるだけなんではないかっ、と腹が立つほど強烈な印象を残すプロデューサーのキムが施す訓練のなかで、こりゃすごいなと感心した訓練。それが、「モノを投げつけたり野次を飛ばしたりする観客にめげずに演奏する」こと。観客はすべて敵、という前提からスタートするパフォーマンスだから、底力が違う。

そんなこんなの壮絶な物語を知ってから聴く(見る)「チェリーボム!」はやはり格別で(ユーチューブに感謝)、今、当時のステージを見ても、70年代色は濃く感じるものの、まったく古くなってない。

キム・フォーリーにしても、ジョーンにしても、シェリーにしても、「売るための覚悟と行動」が半端ではない。閉塞状況の中で打開策を見失っている多くの人にとっては、「逆風の中でここまでやる覚悟はあるか!?」と痛く一喝されるように感じるところもあるかもしれない。

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2011年1月25日 (火)

「ファッションドラゴン」は中国製をほしがらない

おそろしく審美眼の高い「モノクル」の編集長、タイラー・ブリュレ様が、ミラノコレクション及びミラノのショウルームのトレンドを通して予測した、2011年秋のメンズウエア(マーケット)の予測。英「ファイナンシャルタイムズ」21日付。ざっと抜粋をメモ。

1.ミスター・USAを見限るな。

 スーツにフォーカスした多くのイタリアのブランドは、アメリカの顧客向けの売上げを上昇させている。ビジネスを成功させたいと願うアメリカ人男性は、シャープな印象を作る必要があり、もはやドレスダウンによってなんらかのアピールができる時代ではない。アメリカのビジネスマンはヨーロッパやアジアの同僚にならって、すっきりスマートなシルエットを採用したがっているのだ。

2.日本を見限ってもいけない。

多くのイタリアのファッションブランドは(大なり小なり)日本ヌキでビジネスはできない。日本人男性は、わかりやすいラグジュアリーブランドには走らない。日本人男性が買うのは、Boglioliのブレザー、Felisiのバッグ、Butteroの靴、Bigiのネクタイである。実際、小さなイタリアのブランドは、日本において記録的な好況期を迎えている。

3.中国の「ファッション・ドラゴン」は「メイド・イン・チャイナ」をほしがらない。

ヨーロピアンブランドであっても中国に生産工場を移したものは、ビジネスが減速している。洗練された中国人は、自分ちの裏庭で縫製されていながら「メイド・イン・イタリー」のタグがついたバッグなどほしがらないのだ。

4.韓国のエンジンに注目。

中国の成長は興奮ものだが、今年大きな好況をもたらすのは、韓国の小売業者のバイヤーであろう。韓国の男は、東京の男のようにドレスアップしたがっている。日本に次いで大きな可能性を秘めるマーケットとしてこの市場を見ているバッグ、アクセサリーのブランドにとって、これはグッドニュース。

5.未来はテイラード

しばらく続いたワークウエアのブームは終わり。メンズウエアはテイラードの方向へ向かうだろう。

日本人男性のファッション行動の観察に関しては、さすがタイラーというか。日本の男性の、洗練されすぎなほどにマニアックなファッション感覚が、イタリアの小さなブランドの経済状況をうるおしているという報告に、あらためて日本男性のファッションパワーを実感する。海外投資もいいけど、ふんばっているドメスティックブランドにもお金をつかってあげてください。

中国の「ファッションドラゴン」の行動も痛快。中国製なのにバッグのハンドルだけイタリアでつけて「メイド・イン・イタリー」にしている某高級ブランドに対する、痛烈なしっぺがえし。

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2011年1月24日 (月)

ビルの谷間の聖域

「サライ」記事のためグランドセイコーの取材@虎ノ門のセイコー本社。グランドセイコーには色気がなくて、と担当者さんは謙遜するが、ずらりと並んだグランドセイコーからはえもいえぬ色気を感じる。本人(開発者)が気付いていないからこその、好感度の高い色気がある。世界に誇れるメイドインジャパンの時計。詳しくは本誌4月号にて。

帰途、虎ノ門の高層ビル群にまったく違和感なくとけこむように堂々と建つ、ぴかぴかの鳥居に遭遇してぎょっとする。こんなところに神社?! 

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虎ノ門・金刀毘羅宮(ことひらぐう)、とある。

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都会のどまん中にふわっと聖域。新築の高層ビル群と、みごとに調和しているのがすばらしい。休憩中とおぼしきビジネスマンの姿も散見される。不思議な癒しを感じる場所だった。Photo_3お守りには、「金」と書いてある。金刀比羅宮の「金」なのだが、金太郎を連想させ、微妙にキッチュでかわいい印象。

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2011年1月22日 (土)

「どうして人類だけが絶滅しないという保証があるか」

◇DVDで「ソルト」。アンジー様が七変化しながら披露する大胆華麗なアクションの連続を愛でよ、といった印象だけが残る映画。

◇澁澤龍子・編、沢渡朔・写真『澁澤龍彦 ドラコニアワールド』(集英社新書ヴィジュアル版)。これもヴィレ・ヴァンで買う気になった本。ふつうの新書欄に並んでいてもダメだったが、夢野久作のとなりに並んでいたら、興味がわいた(笑)。

貝殻、石ころ、昆虫といった、少年が拾ってくるようななにげないものでも、澁澤ワールドというコンテクストのなかにおさまると、とたんに意味をもってきらめきはじめる。そういう澁澤の「お宝」を沢渡朔が艶っぽく写真にとり、それぞれに関し、澁澤の解説(といっても、そのお宝に関する記述がある過去のエッセイの一部分を抜粋したもの)がつく。

ほんもの?!と思わせる生々しい頭蓋骨もあるが、これは模型で、本物の頭蓋骨を所有するのは、法律で禁じられているのだそう。

生まれ変われるなら、できるだけ下等な動物に生まれ変わりたい、と書いていた澁澤龍彦。「人間は、理知とか感覚とかを一つ一つ切り捨てて行って、生命の根源、存在の本質に近づくのが本当ではないかと思う」。

三葉虫が人類文明の何千倍という長期にわたる文明?時代を築いていたかもわからない、と考えると、「ヒューマニズムなどというものは、まったく意味のない、吹けば飛ぶようなものに思われてくるから妙である。(中略)一時期、地球上に覇を唱えた動物は、これまでの例では、かならず絶滅している。どうして人類だけが絶滅しないという保証があるか」。

「わたしは絶滅した動物が大好きだ。比較的最近でも、駝鳥のようなモアとか、白鳥のようなドードーとかいう鳥が絶滅しているが、彼らは鳥のなかでも、なにか高貴な種族のような感じがする。いわんや三葉虫、アンモン貝においてをや」

こういう長大な視点をときどきもつと、目前の現実のできごとの見え方も違ってくる。

没後、こういうふうに遺品を慈しんで整理し、さらに本として紹介してくれる遺族(龍子さん)がいらっしゃるということ、そのことじたいがすばらしく、うらやましくもある。

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2011年1月21日 (金)

「神がいることに賭けたまえ」

◇「告白」DVDで。原作の凄みをそのままに生かしながら、映画ならではの演出もたっぷり堪能させる、中島哲也監督の力量。松たか子の無表情の怖さったらないし、後任熱血教師の明るい単細胞の浮きっぷりもみごと。ワンシーンワンシーンにねじきれてしまいそうな感情がほとばしっている。

凄絶な話なのに不思議な爽快感、カタルシスが残る。というか、感情を何回転もぐるぐるひっぱりまわされるジェットコースターにのせられたあとの脱力感に近いような感覚。

◇小山薫堂・企画、富増章成・哲学監修『お厚いのがお好き?』(扶桑社文庫)。基本的教養とされているマキャベリ、ニーチェ、孫子、パスカル、サルトル、フロイト、ソシュールなどなどの偉人の業績と生涯を、おそろしく卑近な例を使いながら短くそのエッセンスのみ解説する、というムボーな試みの本。感心したり呆れたり笑ったりしながら、けっこう知識もついてくる。

「女子アナで読み解くサルトルの『存在と無』」とか、「駅弁で読み解くソシュールの『一般言語学講義』」とか、なんだよそれ?とあきれるのだが、このばかばかしいアナロジーで意外と本質がよくわかった気になれたりする(失敗している例もときどきあるのがご愛敬)。

ちょっといいな、と思った話がパスカルの賭けの話。「神がいることに賭けたまえ」というパスカルのことばのココロは、「勝ったら総取り。負けても損はない」。もし神様がいれば永遠の幸福が手に入る。でももしいなくても損はしないだろう、と。

このおおざっぱな本質理解をもとに、原典にもう一度あたってみることができればサイコーなのだが、「言うは易し」で、月日は流れていくのだなあ。

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2011年1月20日 (木)

百パーセント能力を出させてもらえないのは、「拷問」

解熱剤が効いている合間に読んだので、冷静には読めてないとは思うが、現代にこそ必要な「礼法」や努力観が満載なのではないかと思わされたのが、三島由紀夫『若きサムライのために』(文春文庫)。文庫になる以前の本は、日本教文社から発行されているが、それは自決の一年前ぐらいのこと。それを知って読むとひときわ感慨深い。

野心家こそ作法を守れ、というのが三島の教え。「普段、作法を守っていればこそ、いったん酒が入って裸踊りのひとつもやってのけたときには、いかにも胸襟を開いたように思われて、相手の信用をかち得ることができる。普段からだらしがなくては、だらしがない姿を見せても人がツーともカーともこないであろう。そのためには男の威厳(ディグニティー)を保つ作法があり、初めてその裏に人間性の伸びやかさ、人間性の自然さが垣間見られて、そこで相手の信用を博し、同時に仕事の戦いも成功を収めるというわけである」

服装観にも、いかにも「らしい」記述あり。「服装は、強いられるところに喜びがあるのである。強制されるところに美があるのである。これを最も端的にあらわすのが、軍人の軍服であるが、それと同時にタキシードひとつでも、それを着なければならないということから着るというところに、まずその着方の巧拙、あるいは着こなしの上手下手があらわれる」

努力に関しての講和も、心の底から納得する。「一番つらいのは努力することそのことにあるのではない。ある能力を持った人間が、その能力を使わないように制限されることに、人間として一番不自然な苦しさ、つらさがあることを知らなければならない」

「人間の能力の百パーセントを出しているときに、むしろ、人間はいきいきとしているという、不思議な性格を持っている。しかし、その能力を削減されて、自分でできるよりも、ずっと低いことしかやらされないという拷問には、努力自体のつらさよりも、もっとおそろしいつらさがひそんでいる」

ちなみにこの本を発見したのも「アレな人」がうようよしているヴィレッジ・バンガード。くやしいけれど(というか、恥ずべきなのか?笑)、ある狭い一角にはツボにはまる本が固まっているのだ。でもほとんど狩りつくした感あり。この感覚の延長で、この一角だけ、さらに充実させてほしい。

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Prevention is better than cure.

インフルエンザにやられる。二日半ほど高熱に悩まされたが、吸引式の薬を処方してもらったら小康状態に落ち着いた。熱が下がっても2日間は外出禁止と命じられて、今週末予定していた社交やイベントはすべて延期してもらうことに。ご迷惑をおかけしてしまった皆様、本当に申し訳ありません。

熱を出すのも数年ぶりのことで、元気なときには、「どんなときでもコレがないとぜったいに生きていけないだろう」と思っていたコーヒーとワインが、熱がちょっとでもあるときには一滴も飲めなくなったことはちょっとした発見(というほどでもないが)。

なんで数年ぶりにインフルエンザにかかってしまったのか?と考えるに、今シーズンに限って予防接種をするのを忘れていたことを思い出した。予防接種はやはりそれなりの効果を発揮してくれていたのだった。

Prevention is better than cure. 「治療中の苦痛に比べれば、予防接種の一瞬のチクリのほうが、マシ」  by エラスムス。

それにしても、今夜の満月は異様なくらいに近く巨大でオレンジ光が強いように感じられる。熱のせいだとよいのだけど、なにかの前兆だったりしたらヤだなあ、と。そんな不安をあおるほどの存在感。

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2011年1月12日 (水)

「それは、やわらかい約束にしておこうか」

「ブルータス」2月1日号の特集「男の作法」にきらりと光る記事いくつかあり。なかでも村松友視の「スタイリッシュの値打ち」に描かれる野坂昭如像と吉行淳之介像が鮮やかに印象に残る。

野坂昭如さんは「逃げる」「遅れる」「騙す」の三種の神器を駆使する方で、原稿をとるのにいかに苦労したかという話があったあと、次のようなチャーミングな賛辞がつづく。

「往年の野坂担当が顔を揃えれば、俺の被害の方が大きかったいや俺の方がと、悲惨を競い合って言いつのり、あげくは野坂昭如大絶賛となるにちがいない。この屈折した贅沢な時間が、歳月を重ねるごとにふくらむのは、担当者全員が野坂さんという人間のファンだったゆえということになるだろう。

そして、このような荒事の四苦八苦の思い出の片方に、いつも浮かんでくるのが、野坂さんのお辞儀の実に美しい見事な姿なのだ。逃げて、騙して、遅れたあげくであっても、別れの際の野坂さんのきれいなお辞儀が残像として残る。これはもちろん担当者を手玉に取る芸ともなっているが、日ごろ隠し秘めている、野坂さんの本質的端正さのあらわれでもあるにちがいない。この両端があぶなっかしい均衡をとっている」

吉行さんの常套句、と紹介されるくだりにもしびれる。

「それは、やわらかい約束にしておこうか」

宙にういたままの厄介な約束が、ある日ある場所で、唐突に固い約束に変わる。仕事上の話であっても、その底流になんともセクシーな吉行スタイルを感じる。

とじこみ付録みたいについている「遊んで覚える男の作法かるた」も粋で楽しい。

「うち滅ぼせば、うち滅ぼされる。一点リードを守れ」

「こうしょうは厳しい時ほどウィットに富んだ話で切り抜ける」

「みつめ続けろ。その人のいいところが見えるまで」

「まけて笑うことができなければ、博打は打つな」

「よい越しのアイデアは持たず。一回ごとに全部出し切る」

などなど。かるたの裏をめくるとそのことばの由来になった人物とその関連本の紹介が書いてある。ちなみにここに引用したのは、上から、色川武大、吉田茂、木村伊兵衛、山口瞳、倉俣史朗。紹介されている本で、読んでいなかったものを全部注文したくなる衝動に駆られる。

遊び心いっぱいで、中身も濃い企画に拍手。

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2011年1月10日 (月)

混沌から文明、栄華から廃墟の混沌へのぐるぐる円環

「ザ・ウォーカー」DVDで。原題は、The Book of Eli。「イーライの書」。戦争で空に穴があき、大量の紫外線によって地球が廃墟状態と化して30年たった時代に、人類を救う一冊の本を背負って黙々と西へと向かう男をめぐる、近未来SFにして宗教的な原イメージを描く物語。

モノクロームにちかい色彩効果で描かれる廃墟の映像が、殺伐として荒涼たる「原イメージ」感を強めている。近頃のハリウッド映画には廃墟が頻繁に描かれるような気がするが、なにか集合的な潜在意識の投影なのか、それともコンピューターのプログロムで「廃墟」モードにするとこういうのがすぐ作れるようになったとか。

宗教感が日本人にはなじまないところがあるが、本に書かれる言葉が人の心を、ひいては行動を支配し、人類をまとめあげる働きすらするという考え方には深く共感を覚える。

はじめに廃墟のような混沌があり、神の言葉によって天地がつくられ、文明が栄え、神の言葉を忘れた人間によって文明は滅び、そして廃墟の中からたったひとりの人間が立ち上がり、彼が運ぶ神の言葉で再び文明が始まる……という円環を感じさせるラストシーン。人間は結局この繰り返しを生きているのかもしれない、と思わされる。

ゼロから始まり、アナーキーに栄え、ゼロに回帰する、というぐるぐる円環で、ホドロフスキーの「エル・トポ」を思い出した。映画に目覚めるきっかけになった、運命のカルト映画。

デンゼル・ワシントンが「金目のもの」として差し出すKFCのウェットタオル。30年たってたら乾いてるのではないか?とつまらないツッコミをしてみる。

「ローマ」のプッロ役、レイ・スティーブンソンが出ていてうれしかった。ゲイリー・オールドマンの手下役で、プッロ同様、女の子に弱い、みたいな設定だったが。いつか堂々主役をはってほしい俳優。

DVDの終わりにオマケとしてついてた「レバリッジ」というテレビドラマのエピソード1が、なかなか楽しかった。本編があまりにも暗くてシリアスなので、明るく痛快なオマケをつけたのかな?と邪推しつつ、つづきを見たくなる。

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2011年1月 9日 (日)

アイデンティティを託したいのは、「入手しづらさ」

2010年にアメリカで売れたフレグランスに関する記事、「ニューヨークタイムズ」1月5日付。中から気になった項目のみメモ。

ブルーミングデイルズ(百貨店)でのトップセラーは、シャネルの「ブルー・ド・シャネル」だった。これは男性フレグランスとして、ブルーミングデイルズ過去最大を売り上げた。

フレグランスは対象年齢ごとに売れるものが違うことが多いが、ブルー・ド・シャネルは、アピールする年齢層が非常に幅広い。ティーンエイジの息子にも、(孫のいる)自分の父親にもプレゼントできる。

そのほかに男性ものでホリデー・ヒットとなったのは、マーク・ジェイコブズの「バン!」と「ブルガリ・マン」。

女性用で売れたのは、グッチの「ギルティ」、ジョルジオ・アルマーニの「アクア・ディ・ジオ」、そしてサンローランの「ベル・ドピウム(Belle d'Opium)」。

とはいえ、80年代の「プワゾン」、70年代の「オピウム」のように、ブロックバスター・フレグランスは現れない。

今日では、香水愛好者も知識を得てきていて、「みんなと同じ」のを避け、「入手しづらい」フレグランスに飛びつくことで、個性を表現したがっている。

その結果であるかどうか、2010年のリリースではなく、古い時代のフレグランスも復活。1920年代のクラシック、イタリアンブランドの「ボワ」が復活し、カリフォルニアブランドの「ジェンダルム・オリジナルコロン」も復活。ともに男性用。

また、100ミリリットルあたり300ドルもするフレデリック・マルの新作、「ある貴婦人の肖像(Portrait of a Lady)」がバーニーズや反大衆路線をいくパフューム・ブティックなどで売れている。

2011年の展望としては、ウッディノートのoud が主流になっていくだろう、と。トム・フォードが2007年のプライベートコレクションで Oud Wood を出した時には、oudはさほど話題にはならなかったが、今は有名無名とわず、多くのoud系フレグランスが出ているらしい。

さらに、クロエの「ラブ」に先導されるように、パウダリーが復活する勢いである、と。ヴィンテージ化粧品のような甘いパウダリー。

アメリカと日本の好みは異なる。クロエの「ラブ」のようなパウダリーはたしかに日本人受けもよさそうだが、oudはどうか。様子見。

ニッチなメゾン系のフレグランスばかりを集めたパフューム・ブティックはシンガポールにもあって、行けば必ず立ち寄る(買えない価格のものが多いが、トレンドはわかる)。アメリカにも Aedes de Venustas というブティックがあってそれなりに影響力を発揮していることを知る。日本では新宿伊勢丹メンズ館のフレグランスコーナーがそれに近い? 本館のフレグランスコーナーにもメゾン系がおいてあり、「レディス」というくくりでのメゾン系を集めたようなのだけれど、メンズ館のほうが、よりマニアック。フレデリック・マルあたりまでいくと、メンズとレディスの区別などほとんど意味をなさないし。

すぐれたパフューマーが創った香水は時代のムードを先取りしていることが多い。これから「くる」イメージを感覚的に感じ取ろうと思ったら、薬局でディスカウントされて売ってるようなセレブ香水などに惑わされず、メゾン系の新作をひととおりチェックしてみると、そのなかにときどき、思わぬヒントが見つかることがある。

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2011年1月 8日 (土)

この「現実」は何層目の夢なのか

◇「サライ」2月号発売です。連載「紳士のものえらび」で「ホーズ」のことを書いています。機会がありましたら、ご笑覧ください。

ちなみに、ホーズとは膝から下全体を覆う長靴下のことで、ふくらはぎまでの短い靴下ソックスと区別しています。日本の雑誌でときどきみかける「ロングホーズ」という表記は、和製英語です。ホーズのイメージは筒型のホース(水をまくあのホースです)、それだけで「長い筒型の靴下」の意味になります。

◇DVDで、「インセプション」。クリストファー・ノーラン監督、ディカプリオに渡辺謙が出演。潜在意識、夢の中に、アイディアを植え付ける(インセプトする)という発想のSFストーリー。はじめの30分はその発想を理解するだけでたいへんだったが、後半、こういう話なのかとわかりはじめてからがぜん面白くなっていった。夢の階層が幾層にも深くなっていって、このシーンは何層目の夢なのか、必死に上の階層の夢との連関を考えながら観なくてはならない。いったいどうやってこの物語を終えるのか、予想もつかなかったが、シブい着地点。2回観て(DVDだとコレができる)、ようやくすべてのつじつまが合った。

この悪夢のような現状から飛び降りることで、「現実」の幸福な世界に「戻れる」のではないか、とひそかに夢見ることがあるが、そんな観客の潜在願望もすくいとられているように見える。

ノーラン監督は、低予算(風)の「メメント」を観た時にその手腕に感動したが、メジャーな映画をとっても、手をぬかない(大衆向けに易しくしようとしてない)という姿勢がかっこいい。観客の思考力と粘りを試すようなところがある。

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2011年1月 7日 (金)

聖人にならネバダ

◇DVDで「矢島美容室」。カップヌードルのCMなどで有名な中島信也監督で、とんねるずとDJ OZMAが母と姉妹役。邦画好きの友人が「元気がでるかも」とすすめてくれた一作。

ネバダ州を舞台に、この3人の「母娘」が繰り広げるマンガチックな騒動。最初の15分ぐらいは「しまった・・・・・・」感があったのだが(アフロで11歳の女子小学生という「ストロベリー」こと石橋貴明に納得せよというのは、やはりあまりにも酷)、途中からこの不気味な設定がはまりはじめ、笑えるなかに、感情移入してしまって泣けてきた。それほど弱っていたらしい。プロの映画評論家ならスルーするような作品かもしれないけれど、一映画ファンとしてあえて褒めるならば、テレビっぽく軽いけど、妙にウェットでねちっとした面白さがある。

プリンセス・セイコとしてちらりとだけ(でも大事なところで)登場する松田聖子もインパクトがあった。たしかに、彼女はもう聖人の高みにいってるのだ。この映画の役柄を超えて。ひとつの姿勢を、周囲の揶揄をものともせずに貫き通すと、こういう神々しい存在になる、という稀有な例。影響され、悪ノリのタイトル↑。

◇恵比寿ガーデンシネマにつづき、シネセゾン渋谷も閉館。良質のスノビズムが支えていた文化が消滅していく。

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2011年1月 6日 (木)

vox populi, vox Dei (民の声は、神の声)……か?

シーズンごとにクローゼットの中身を「処分」することがあたりまえになった時代に、「ファッション史」としての服の保存のされ方も変容しているという記事。英「ファイナンシャルタイムズ」、昨年末の12月30日付。

インターネットのオークションサイトにシーズン落ちの服がどんどん流出するうえ、ワンシーズン着たら捨てることを前提につくられている「ディスポーザブル・ファッション」の台頭で、未来において「歴史」となるはずのきちんとした服が手に入りにくくなっているとのこと。各コスチューム美術館の学芸員たちの嘆き。

女主人の服を、アクセサリー類とともに手入れ、保管する仕事をしていたメイドという存在が、もはや消滅してしまったことも、コスチュームの保存にとって打撃である、と。

また、クチュールの顧客が減少し、かつてのように「ひとりのデザイナーの服だけを着続ける女性」の存在もなくなってしまったことで、デザイナーの年代ごとのキャリアをたどることができるような服を集めることも困難になってしまった。

一方、雑誌のエディター、ケイティ・グランドやアンナ・デル・ルッソのように、時代の精神をすべて反映するような選び抜かれたワードローブを所有している人がいて、この種の人たちの服が「処分」されずに保管されることが希望の綱でもある。

とはいえ、このまま「服はシーズンに数回着たら、捨てるもの」という流れがあたりまえになっていけば、美術館に所蔵可能な服などほとんど存在しなくなってしまう。

「ヴィクトリア&アルバート美術館」は、すでにファストファッションとデザイナーのコラボ服を保管し始めている。ジル・サンダーがユニクロとコラボした「J+」のラインや、ジャイルズがニュールックとコラボした「ゴールド」など。ハイエンドの服を作っていたデザイナーが、マスマーケット向きにどのように適応したのかを知ることは、ファッション史にとってきわめて重要、と。これぞvox populi(民の声)がいかにデザイナーの現実を変えていったかという実例、というコメントがやや皮肉なトーンを帯びて聞こえる。

短期間に消費され捨てられるのを前提として作られる服が増える中で、いい服を作り続けている貴重な(収集に値する)デザイナーとして、ヴィンテージショップの店主らが以下のデザイナーを挙げている。

・LAのヴィンテージショップ「ディケイド」のオーナー: ロダルテとリック・オーウェンス

・クリスティーのディレクター: クリストファー・ケインとガレス・ピュー

・ファッション・イーストのディレクター: ロダルテ、ジョナサン・サーンダンス、リチャード・ニコル、ルイーズ・グレイ

・ケリー・テイラー・オークションズのオーナー: ヴィクター&ロルフ、クリストファー・ケイン、ニコラ・ゲスキエール、ミウッチャ・プラダ、ガレス・ピュー

デザイナーにしても、作品をコスチューム美術館に保管されて、将来にわたり「ファッション史に燦然と輝く作品をつくったデザイナー!」という位置づけを得たいだろうと思う。でも、大量消費・大量廃棄を望む「民の声」がそれを許さない。すぐに捨てることを前提としたぺらぺらの服を着ている人たちで埋め尽くされた都市の風景は、どこか殺伐として見える。

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2011年1月 5日 (水)

「あゆ婚」する女たち

もう20年以上も前に教えていた女子大の学生から今なお年賀状が届く。忘れずにいてくれて、とてもありがたいことと感謝している。で、今年、そのなかの二人の近況に喜ばしい「異変」があった。結婚しました、と。しかも二人とも相手は外国人である。

二人が二人、聡明にして内面も外見も美女。「師」の立場の私が言うのもなんだが、1000の褒め言葉を用意してなお足りないくらいのすばらしいアラフォー女性なのである。

だが、日本の男性は、ほとんど声をかけてこなかったそうである。国際結婚の相手は、失礼を覚悟でいえば、たぶん日本人だったら「ん?」と思うほど、少なくとも職業上では、格下である。「あゆ婚」の印象。

結婚は相性の問題だから、世間的な「格」の上下問題など、気にするのもばからしいとは信じている。二人が幸せならば、それ以上、なにを望みましょうってもんである。むしろ、そんな見えない壁を乗り越えて愛を獲得しようとした相手の男のガッツに喝采を送りたいくらいではある。

しかし、その半面、日本の「内向き下向き後ろ向き」の男性たちが、「鴨長明の呪い」にかかったまま、たった一人で、現実世界の美女には声をかけず、いちばんいいときを虚しく過ごしていくのかと思うと、なんとも残念な思いもよぎるのである。

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2011年1月 4日 (火)

サナギ哲学から脱出せよ

澁澤『快楽主義』のつづき。幸福は快楽とはまったく無関係である、と幸福の偶像破壊をしておいて、第二章では、快楽を阻むけちくさい思想をこっぱみじんにうちくだいていくのだが、なかでも痛快なのが、ソクラテスの「無知の知」を一蹴してしまった点。

「自分はばかだ、無知だなどと世間に向かって宣伝するのは、用心ぶかい、小ずるい態度といわねばなりません。また、自分を知ろうという努力にも、なにかけちくさいものを感じさせます。まるで自分の財布の中の銭勘定にばかり気をとられているようなあんばいです」

自分で自分の限界を知らないからこそ、冒険することができ、その結果、自分の限界を破り、自分の能力をどんどん広げていくことが可能なのだ、というのが澁澤快楽主義。

自分の限界をよく知って、そこから外へ出ていこうとせず、小さなことしかやらなくなることを「サナギ哲学」(=蝶になれないサナギ)と呼ぶあたり、的確。

「『おのれ自身を知れ。』という金言は、人間を委縮させ、中途半端な自己満足を与えるばかりで、未来への発展のモメント(契機)がない。未来の可能性や、新しい快楽の海に飛びこんでいこうという気持を、くじけさせてしまいます。のみならず、このサナギ哲学は、無知や謙遜をてらうという、妙ないやらしさにも通じます。これは傲慢の裏返された形です」

「無知の知」を自覚することや謙遜が美徳だと思い込まされていた身には、けっこう痛烈な偶像破壊である。

また、快楽主義と禁欲主義が、実は同じ着地点をめざしているという指摘にも、はっとさせられる。

「エピクロス哲学も、ストア哲学も、自然と一致して生きることをモットーとしていたのです。自然と調和していき、なにものにもわずらわされない平静な心の状態、すなわちアタラクシアに達することを求めていたのです」

ストア派(禁欲主義者)にとって、自然と一致するとは、外界に対して緊張をもって雄々しくめざめ、万事に耐えるということ。

エピクロス派(快楽主義者)にとって、自然と一致するとは、外界に対してリラックスして、動物的に、そのときそのときにもっとも楽な姿勢を選ぶということ。

いずれの主義者も、それを通して心の平静にいたろうとする点では同じであるのだ。と。

歴代のダンディたちは、禁欲すれすれの苦行(としか見えないもの)をとおして、究極の快楽主義を貫いてきたことにも思い至る。

快楽主義の巨人たちのエピソードも圧巻。「彼らはいずれも、高い知性と、洗練された美意識と、きっぱりした決断力と、エネルギッシュな行動力の持ち主でありました。この4つの条件がそろって、はじめて人間は翼を得たように、快楽主義的な宇宙の高みに舞い上がることができるのです」

真の快楽主義者でいくには、強い意志と不断の努力と強靭な心身の体力と無尽蔵のエネルギーが必要であるようだ。ちんまりとした「幸福」にとどまっていては見ることのできない宇宙の高みに導こうとしてくれる言葉の数々。

誰もがちんまりとサナギにおさまっている今だからこそ、エネルギーをチャージする力のある本だと思うが、逆に、「そんなタイヘンな思いしなくてもいい。ただ細々と生きてさえいられれば」という反応が多そうな気もする。それも納得できてしまうほど今の日本の現実が厳しくなっている。

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2011年1月 3日 (月)

SAVE THE EARTH

「Space Battleship ヤマト」。今年最初に映画館で観る映画。小学生のころかじりついて見ていた「宇宙戦艦ヤマト」の実写版である。本編がはじまる前の予告編では「あしたのジョー」の実写版の宣伝が流れていた。映画のネタをアニメに求める傾向はますます強くなっていくのか。

アニメ版でいちばん印象に残っていたのは、イスカンダルへ行ったら女王(のような女神のような美女)がいて、なんとそこには死んだはずの古代守が生きていて、女王と愛し合って暮らしていた!というエピソードだったのだが、さすがに物語を短縮せざるをえない映画版ではそこまで描ききれなかったみたいで、ややものたりない感が残る。

とはいえ、戦闘シーンは見ごたえがあったし、木村拓哉はじめ俳優陣もがんばっていた。キムタクの古代進&黒木メイサの森雪が美男美女すぎる(笑)のと、地球を救うのに多国籍軍ではない(原作アニメが日本人ばかりなのでしようがないのだけれど……)というあたりが、なんとなく今的な気分と微妙にあっていない気はしたのだが。

「宇宙戦艦ヤマト」のテーマがあれほどの名曲ではなかったら、はたしてこの物語はこれほど長く愛されたであろうか?ともぼんやりと考える。カテゴリーは違うが、同じように比類ないほどの音楽の完成度の高さが人気を後押し&長押ししているという点で、「ルパン三世」、「ゴーストバスターズ」、「インディ・ジョーンズ」などをふと連想する。

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2011年1月 2日 (日)

バレンタインデーは、菓子屋ではなく花屋が忙しい

ゲイリー・マーシャル監督の「バレンタインデー」DVDで。年に一度の「恋人たちの日」に繰り広げられるさまざまな人間模様をテンポのいいオムニバス形式で。ジュリア・ロバーツにアン・ハサウェイ、ジェシカ・アルバにアシュトン・カッチャー、シャーリー・マクレーンにキャシー・ベイツなどなど、若い俳優からベテランに至るまでの豪華キャストで、飽きさせない。

失うにせよ得るにせよ、ラブ・ライフがある人ばっかりの話ではなく、独身シングルキャリア女性の「バレンタインデーなんか大嫌いパーティー」のエピソードもさしはさんであるあたり、バランスいいなと好感。

いずれにせよ、忙しいのは花屋であるらしい。しかも男から女に贈る花。中国のバレンタインデーでも西洋と同様であることを先日、調査したばかり。日本のバレンタインデーがいかに世界の中で不思議で特殊なイベントであるかを再確認。

似たようなオムニバスでイギリスの「ラブ・アクチュアリー」を思い出した。アメリカ映画の「バレンタインデー」には万人にわかりやすい「愛とはすべてを受け入れること」みたいなメッセージ性もあったが、あちら(「ラブ・アクチュアリー」)のほうは、ピリッと苦い皮肉とひねりが効いていた。お国柄か。

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2011年1月 1日 (土)

A Happy New Year 2011

あけましておめでとうございます。

新しい年が、みなさまにとって良い年になりますよう。

◇ヴィレッジバンガードで予期せず出会った澁澤龍彦『快楽主義の哲学』(文春文庫)。ダンディズム、反効率のロマン主義、反トレンドの個人主義、などなどの日頃ぼんやりと唱えていたことがすべて「快楽主義」というこの一点にフォーカスしていき、波長がぴたりと合って増幅したような感激をおぼえた一冊。

1965年にカッパブックスの一冊として刊行されたときには、「澁澤がこんな俗っぽい本を」とずいぶんファンをがっかりさせたようである。たしかに「らしく」ない平易すぎる語りだが、決して「薄く」はない。博覧強記の「アニキ」がおしゃべりしながら古今東西の快楽主義を説いてくれるような、読みやすさと読み応えが両立している本。

冒頭の、幸福と快楽の区別。「要するに、幸福とは、まことにとりとめのない、ふわふわした主観的なものであって、その当事者の感受性や、人生観や、教養などによってどうにでも変わりうるものだ、ということです。これに反して、快楽には確固とした客観的な基準があり、ぎゅっと手でつかめるような、新鮮な肌ざわり、重量感があります」

「文明の発達は、かならずしも幸福の増加を約束しない。むしろ人間の自由を束縛し、『現実原則』を発達させ、いきいきした快楽をつかもうとする人間本来の欲求を沮喪させる」

というわけで、現在書店に並ぶ凡百の幸福論をかるくふっとばす爽快な論が繰り広げられ、あらためて「快楽主義でいこう!」という意を新たにさせられたわけなのであるが、再読、再再読ののち残ったエッセンスのメモはまた後日に。

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