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2010年9月

2010年9月30日 (木)

カルダン、88歳での復活

2011年春夏のパリ・ファッションウィークにおいて、ピエール・カルダンが10年ぶりにコレクションを発表したというニュース。カルダンは88歳である。

60年代にスペース・エイジのコレクションで時代を方向づけ、形作った、すでにヒストリカルな伝説の域に達しているデザイナーである。車のインテリアからチョコレートまで、ライフスタイルを幅広く「デザイン」し、ライセンスビジネスを手がけた元祖でもある。

復活コレクションは、蛍光色や原色の宇宙飛行士風ボディスーツや男女おそろいのビニールコート、ラバーのアクセサリーや眼鏡(?)、UFO風帽子、幾何学的なミニドレスやサイバー風味の入ったパニエつきドレスなどなど、60年代のカルダンを21世紀風にアレンジ、といった感のあるコレクション。

レディ・ガガも最近、カルダンによるメタリックなコスチューム&帽子を着用したというし、最初のブームから50年たっていたら、今の人の目にはまったく新鮮に映っているかもしれない。

そんなことよりも、88歳で、10年ものブランクを経てパリコレに「復活」したカルダンの意志と情熱と行動力に心を打たれた。ココ・シャネルも80歳で「復活」している。周囲の嘲笑などものともせずに。50前ですっかり挫折した気分になってたのが、心底恥ずかしくなる。

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2010年9月29日 (水)

ゴードン・ゲッコーが帰ってくる

80年代のメンズファッションに多大な影響を与えたオリバー・ストーンの「ウォール・ストリート」(1987)、その続編が間もなく公開ということで、あちこちで「ウォール・ストリート」ファッション特集が組まれる。(日本では来年1月末公開のようである。)

続編のタイトルは'Wall Street : Money Never Sleeps'(「ウォール・ストリート: 金は決して眠らない」)。リーマン・ショック版ウォール街? ゴードン・ゲッコーを演じるのは前と同じ、マイケル・ダグラスで、コスチューム・デザイナーも前と同じ、Ellen Mirojnick。チャーリー・シーンがやってた役の立場に相当する若手俳優には、シャイア・ブラーフ。

80年代の映画が世のメンズファッションに影響を与えた「パワールック」アイテムといえば、ネイビーのストライプスーツ、シルクのポケットスクウェア、フレンチカフのシャツ、サスペンダー、襟とカフスだけ白の、カラフルなクレリックシャツ。

The Wall Street Journal、22日付けの記事によれば、ファッション業界はすでに続編の映画の影響が波及することに備えているとのこと。NYのトレンディなシャツメイカー、Jack Robie からMohan's Custom Tailors まで、映画のスタイルを紹介するプレスリリースを顧客に送っているらしい。(ということは、備える、というよりもむしろ、映画にあやかって新商品を売りたいという戦略?)

ゲッコーの着る「不況期のパワールック」に興味がひかれるところだが、コスチューム・デザイナーのことばを借りれば、ゲッコーはテイラーに行って新しいスーツを"Gekko-ized"(ゲッコー化)していく。写真のなかで目を引いたものは、スリーピーススーツで、ウェストコートに襟がついているタイプ。服地はドーメルやホランド&シェリー。水平ストライプのスーツもあるそうで、いったいどんな仕上がりなのか。

ポイントはむしろアクセサリーの方にあるようだ。ヴァシェロン・コンスタンタンやIWCの時計、ダンヒルの諸々のメンズアクセサリー、ヒッキー・フリーマンのシャツ、バートン・ピエイラの透明セルフレームのメガネ、懐中時計チェーンなど。

シャイア・ブラーフも、一着6500ドルのスーツを6着、映画のなかで着用するとのこと。シャツは白の2ボタンカラーでタイはエルメス。カジュアルではベルスタッフの革ジャケット。

おそらくブランドとのタイアップも無関係ではないと思われるが、不況時代のアメリカ的パワースーツがどんな風に表現されるのか、現実のメンズファッションに影響があるのかないのか、ウォッチしたいところ。

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2010年9月28日 (火)

医師の白衣の復活

英国の病院で、医師の白衣が復活している、という記事。27日付インデペンデント。

20年ほど前から、英国において医師の白衣は、「患者をおびえさせる」とか「感染の危険を高める」などの理由で着用されなくなっていた。

行きすぎた平等主義(「患者も医師も対等」)のおかげで、病院内では誰が医師で誰が患者なのか、すっかりわからなくなっていた。だが最近、医師に白衣のユニフォームを取り入れる病院が続々増えているというニュース。

感染の問題さえクリアできれば、プロフェッショナルとしての医師が医師らしい<ユニフォーム>を着ているほうが、個人的には安心できる。まだローカルな現象らしいが、よい流れだと思う。

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2010年9月27日 (月)

「ソーヴ・キ・プ」

◇有吉弘行「お前なんかもう死んでいる」(双葉社)、移動中(往路)に読み終える。たぶん、ライターが聞き書きしたと思しきサブカル本。猿岩石時代の月収2千万から給料ゼロのどん底に落ち、地獄を7~8年味わったのち浮上してきた有吉氏の生々しい生活と意見。

太田プロの習慣、午後4時に明日の仕事を確認する電話を入れなくてはいけない(「ありません!」という返事だけをもらうために)、というエピソードが、とりわけ怖い。午後4時になると体が震えていた、とさらりと書かれているが、どれだけの仕打ちだ。

「自分を小者に見せて目立たないように生きろ!」「上昇志向なんて持たずに下を見て生きろ!」「潰れたときのダメージがデカいから夢とか希望とか持つな!」「『やりがい』や『自己実現』の基準なんて時給1250円だ!」「金は貯めるだけ貯めて残高見ながら死んでいけ!」などなど、限界越えのどん底を長期間経験した人ならではの教訓は、淡々とお笑いとして書いてあるけど笑えない。有吉氏のどん底状況に「明日の我が身」を見てもおかしくはない時代、真剣に自戒してしまう。

◇内田樹「街場のメディア論」(光文社新書)を復路に読む。読みながら泣けてきた。ここ数年、もやもやと感じていたことを、すっきり、ばっさり、凛と書いて、人間社会が本来あるべき方向へ光を当ててくれるような論。

キャリア教育における「自己診断」「適性検査」の弊害と愚かしさ。新奇と変化を追って無責任な定型文を繰り返すマスメディアの実害。理不尽なクレーマーの増加。医療と教育に、市場原理がもちこまれたことによる医療と教育の崩壊。殺伐とした方向へ暴走してしまった現代社会の諸事情の背景にあるものが、すべてつながっていく。骨太で、まっとうな知性に出会った思いがする。

自分の権利や要求ばかり通そうとする人が増え、危機的状況に陥っている現代人に必要なのは、疎遠になった世の中と親密な関係を切り結ぶための、「私は贈与を受けた」と感知する能力。この力強い原点提示に、はっとさせられる。

Sauve qui peut. 「生き延びられる者は生き延びよ」。 社会全体が生き延びるために必要な心構えを説く終章には、ほとんど宗教的な浄化を感じる。 

「一緒に革命できますか?」という学者の判断基準もいいなあと思う。「一緒に革命できると思えるような人」。最高の人物評価である。

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2010年9月25日 (土)

'Politics is all about seizing moments.'

◇英労働党党首に選ばれたエド・ミリバンド。1969年生まれのポーランド系ユダヤ人の息子で、実の兄に競り勝っての新党首。黒い髪、浅黒い肌、彫りの深い顔に黒い瞳、という容貌だけで、トニー・ブレアともゴードン・ブラウンともまったく異なるタイプの政治家、と感じさせる。もちろん実態がわかるのはこれからだけど、「新しいことをやってくれるのではないか」とちょっと期待させる。オブザーバー紙に語ったとされる、ミリバンドのことば。

Politics is all about seizing moments. 「政治は、いかに時をうまくつかむか、にかかっている」

◇DVDで、見逃していた「NINE」。たしかにセットや衣装や俳優のギャラにはお金がかかっていることがわかる。モテモテなダメ男の映画監督ダニエル・デイ・ルイスの「生みの苦しみ」の過程そのものをミュージカルにした、というような映画だが、美人有名女優たちによる、ランジェリー姿での挑発的ダンスの競演会、といった感がぼそっと残る。強いて印象に残ったセリフを見つけるとすれば、サラギーナの歌う歌詞中のことば。

(Be Italian!) Love today as if it may become your last. 「(イタリア男なら)明日はないというつもりで今日愛しなさい」

「時」に対する感覚がだいじなのは、こういう場面においても。

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2010年9月24日 (金)

ハッピーではなく、ドラマティックに

◇中国との関係の緊張の高まりが報じられる日々だが、タイミングいいのか悪いのか(たぶん、悪いのだろう)、『着るものがない!』の中国語版が完成したということで、送られてくる。

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中国にも読者がいてくださるのは、とても励みになる。ありがたいことである。ただ、『モードの方程式』の中国語版のときには、大陸版、台湾・香港・マカオ版に加え、海賊版?みたいな、こちらが全然知らされていないバージョンまで現れていて、中国の底知れぬ力を感じてひやりとしたこともある。自慢っぽかったら恐縮なのだが、同じ本の中国語版でも、タイトルも表紙イメージもこんなに違うものが出る、という例として、ご一興まで。

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とはいえ、「端麗服飾美容」などのファッション誌の仕事や、中国からの留学生たちとの交流を通じて、個人レベルでおつきあいしている中国の人々には、親近感を抱いているし、信頼もしている。国レベルでの外交がぴりぴりしているご時世だからこそ、「たかがファッション」が、国境を越えた友好と共感の媒体として力を発揮してくれることを祈りつつ。

◇昨日、クレアトゥールでヘアエステ中に読んだ新刊雑誌数冊のなかから、一晩眠ってなお脳裏に残っていることばの備忘録。細部の単語は一言一句正確ではないかもしれないが、覚えておきたい、と思わせられたエッセンス2つ。

・山田詠美が塩野七生にはじめて会った時の印象を評して、「塩野七生という王国のあるじのような」。塩野氏のバックグラウンドを知らない人でも、自然とかしずいてしまうような、圧倒的な存在感を讃えた文章のなかで。

・寺島しのぶのインタビュー記事でのことば。「ハッピーな人生ではなく、ドラマティックな人生を送りたい」。痛く共感する。

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2010年9月23日 (木)

「かっこわるいところをさらけ出すのが、かっこいい」

◇DVDで「色即ぜねれいしょん」。70年代のにおいが濃厚に立ち込める、青春もやもや映画。

みうらじゅんの原作だけあって、仏教系男子校という設定が個性的。講堂のインテリア、集会の様子、それだけで不思議なおかしさ。リリー・フランキーのパパと、堀ちえみのママが、模範的な両親をやっているのも、妙におかしい。

「かっこわるいところをさらけ出すのが、かっこいい、それがロックだ!」みたいな主人公のセリフが、ちょっとよかったかな。

◇DVDで「ディアドクター」。医療、とりわけターミナルケアや「資格」の問題を深く考えさせる一方、細部の表現がリアルで、でもあくまでもどこか明るく、引き込まれる。

老人が大半の村で、献身的に働き、愛されるドクターが、実は無資格だった・・・。善意からでもない、悪意からでもない、ただ、はずみで手を貸して、「くる球を打ち続けていたら、どんどん次のがやってきて、いつのまにか深みにはまっていった」。大半の人間の営みは、そういう流れで進んでいくものかもしれないなあとも思わせる。傑作。こんな難しいテーマ、どうやって終わらせるんだろうかと思っていたら、にやりとさせる想定外のフィニッシュ。脚本・監督の西川美和さんに、遅まきながら、観客の一人として拍手。

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2010年9月22日 (水)

「それぞれの選択に、味わいがある」

◇「サイドウェイズ」、DVDで。悩める日本人たち in ナパ・ヴァレーでの「人生の寄り道」。見ている間ずっと笑顔でいられるような、ちょっといい映画。英会話テキストによさそうな、わかりやすい英語のセリフがまじる。ワインにも正解がなく、それぞれの選択に、それぞれの味わいがある、というメッセージが、染み入る。

◇定番に退屈したころに、タイミングよく登場する、ジョー・マローンのフレグランス・クロニクル。今回は定番中の定番、オレンジ・ブロッサムに、重ねづけできる限定ミニフレグランス3本がついた、スペシャルバージョン。

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閉じると洋書のようになる、知的な雰囲気を漂わせるボックス。重ねづけ次第でいかようにも変化をつけられることを示すことで、定番を大切にする姿勢。マーケティング、うまいなあ……(日本での発売の有無は、不明です)。

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2010年9月21日 (火)

"I won't be a rock star. I will be a legend."

◇NPO若竹塾の仕事で美容師さんたち向け講義、第二回。ゴシック、バロック、ロココ、アール・ヌーヴォー、アール・デコなどなど、歴史が生んだ美の概念について。いつもながら、聴き手のモチベーションが高いので、こちらもよい刺激を受ける。世界のトップレベルで活躍できるアーチストの登場を願いつつ。

◇「大人のロック!」誌の取材を受ける。クイーン、とりわけフレディ・マーキュリーのステージ衣装について。来月16日発売のまるごと一冊クイーン特集のムックに掲載とのこと。クイーンはすでに、活動しなくてもファンを増やし続けている、数少ない伝説バンドのひとつになっている。今回の取材の準備も兼ねて、一週間ほどクイーン漬けの日々を過ごしたが、ますますその魅力の深みにはまりこむ感じ。付録にはクイーンづくしの来年のカレンダーもつくとのことで、今から楽しみ。

タイトルに書いた"I won't be a rock star. I will be a legend."(「ロックスターになるつもりはない。オレは伝説になる」)は、フレディ語録を読んでいて、さすがとうなったひとこと。"I dress to kill, but tastefully."(「悩殺するために服を着る。趣味よく、ね」)も、「らしい」ことば。

◇しゃべる仕事が続いた暑い日の夕方は、とりわけビールが美味しい。マイブームが「青いビール」。「エビス」の飛鳥II船内限定バージョンという「青エビス」。黒、赤、白とさまざまなバージョンが登場してきたが、青エビスがいちばん品があるように感じる。そして「よなよなエール」で有名なヤッホー・ブルーイングの限定版、「インドの青鬼」。アルコール度高めのこっくりしたエール。「よなよな」に通じるクセあり。

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2010年9月20日 (月)

和は耳が立ち、洋は耳が垂れる

昨日記した『図像探偵』においては、ほかにも細かな発見がたくさんあったのだが、そのなかのひとつに「和犬は耳がピンと立っているが、洋犬は耳が垂れている」という話がある。

和は耳が立ち、洋は耳が垂れる。

同じことがウサギにも言えることを知る。ロイヤル・クラウン・ダービーの来年の干支にちなんだウサギのペーパウエイトを見て、おおっと思ったのである。

Rcd_usagi2

ひとつひとつ、職人が手書きする逸品。コレクターが熱く注目するコレクションの新作である。日本では、ウサギは白い毛皮に包まれ、赤い目をしている。これは実は、色素欠乏症の個体をあえて固定化したもので、「紅白」をめでたいものとみなす日本だけで数多く飼われているものらしい。

RCDの干支ウサギは、デザイナーのジョン・エイブリットが自宅で飼うイングリッシュ・ロップ種のウサギがモデルになっているそうである。モデルになったウサギの写真を見れば、目は黒く、長い耳は下に垂れている!

Anyway.

風水的には、24方位で真東(15度)にあたるうウサギは、「東」に置くのがよいそうです。

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2010年9月19日 (日)

ブラジルの原住民がパンツをはいた理由

荒俣宏『図像探偵 眼で解く推理博覧会』(光文社 知恵の森文庫)読み終える。1992年初版なので昔ぜったいに読んでいるはずなのだが、すっかり忘れている。でも内容は今なお新鮮である。

いつもながら、いったいどこから集めてきたのか?という奇怪な図と、奇想天外な解釈で、アラマタワールドが全開。とりわけ興味深く感じたことをメモ。

☆イギリスのCGアーチスト、ウィリアム・レイザムの<形の征服>というコンセプト。「どんなに高度で複雑な図像も、実は四角とか三角とかいったごく単純な<原始形>をいじりまわした結果にすぎない」

「操作というのは、突き出させたり、たまわせたり、強調したり、つなげたり、ひねったり、叩き伸ばしたり、の六種類である。こうすると、形はどんどん変わっていく」

「立方体でも、球でも、これを無限に”彫刻”していくと、どんなに摩訶不思議な図像を作っていくように見えても、それはやがて私たちがよく知っているいくつかのイメージ・タイプにまとまってしまう。そのタイプとは、『建築物のように構造的な形』、『ケルト装飾のように幾何学的な形』、『有機体のようにうねうねとした形』、そして『中世ゴシック風のとげとげした形』」。

「私たちが哲学だ趣味だ思潮だといって極力神秘めかしてきた美術史上の様式区分は、すべて、形に対して加える”彫刻”すなわち操作のパターン集として解析できるのである」

→CGの時代になってもなお、形がすべて古典、バロック、ロマン、ゴシック、といった美術史用語に置き換えられる、という点に、なるほど、と。

☆18世紀半ばに描かれた蛇は、立ち歩きしている。這ってない。「蠕動」に近い動き方をする。なぜか?

17世紀のフランチェスコ・レーディという学者の説。「蛇が水中では鰭をもたぬ魚の一種であり、陸上では巨大な尺取り虫の一種とみなせる」。

「イギリスではシェイクスピアの昔からヘビを虫の仲間と考えたし、中国や日本でも、『虫』の字は元来ヘビのとぐろを巻く姿を形象したものだった。つまり、多くの土地ではヘビは『虫』だったのである」

→ゆえに、19世紀までの西洋のヘビ図は、立って這う姿に。

☆ブラジルの原住民がパンツをはいた理由。ブラジルの原住民はもともと裸で暮らしていたが、西洋人と並んで暮らすようになってから、パンツをはいた姿で描かれている。なぜか?

「キリスト教との西洋人は原住民にこう教えるだろう。裸でいることは罪なのだよ、知恵をもつとは、自分が裸でいることを恥じるところから始まるのだ、と。そして、原住民は裸でいることを恥じ、パンツをはいて白人と暮らすようになった・・・のか?

この答えは、半分当たって、半分外れている。たしかに彼らは自分の裸を恥ずかしく思った。しかしそれは西洋の知恵を獲得したからではなく、西洋人のペニスのものすごさに恐れをなした結果であった、と考えたいのだ。西洋人に向けた、彼らのおどおどした目は、この図からも如実に感じられる」

→この後に続く、とどめのアラマタ解釈がすばらしい。あまりにもおやぢっぽいおかしさで、ここではもったいなくて書けない。

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2010年9月17日 (金)

同じ情熱と方向性と価値観+違う人生と個性=大きな深い世界

ジュゼッペ・ルッソ・ロッシ氏のヴィオラと渡辺敬子さんのピアノによるデュオリサイタル@フィリアホール。

ロッシ氏はローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミーを最優秀で修了したのち、イタリアの数々のコンクールで優勝歴をもつ。シノーポリ賞をナポリターノ大統領から受賞、などなど華々しい経歴の持ち主。

敬子さんも、東京芸大卒業後、ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミーを最高評価で修了。ペスカーラ国際ピアノコンクール最高位、キローニ国際ピアノコンクール3位などなど、華麗な受賞歴を誇るピアニスト。7月にリリースされた初CD、 Side by Sideでは、高い技術に裏付けられた品格のある演奏を堪能することができる。

音楽エリート中のエリートといった感のある二人による、ブラームスの「ヴィオラとピアノのためのソナタ 第2番 変ホ長調 作品120-2」、シューマンの「おとぎの絵本 作品113」、ヒンデミットの「ヴィオラとピアノのためのソナタ ヘ長 作品11-4」ほか。難度の高い曲目を、格調高く流麗に。アンコール曲の「セビリアの理髪師」も楽しいおまけ。

非日常の世界へ連れて行かれるような陶酔と、脳内が洗われるようなやすらぎを味わう。トップレベルのアーチストの演奏に、背筋が伸びる思いをさせていただいた夜だった。

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リサイタルを大成功のうちに終えた敬子さんとロッシ氏。素顔の敬子さんは、気さくで優しい女性です。

「デュオとして二人で一つの音楽を作り上げるには、音楽に対する同じ情熱と方向性と価値観を共有している必要があります。しかしまた同時に、一人と一人の独立した音楽家として、それぞれ違った音楽、人生、個性を強く持っていることで、それらを融合させた時により大きな深い世界を表現できるものでもあります」と敬子さんはパンフレットに書く。「これらのことを可能にする出会いは、そう何度も簡単にあるものでもない」とも。

レアで、貴重な出会いを大切に育くみ、より深い音楽世界を作り上げた二人の並みならぬ努力に、敬意を表したい。

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2010年9月16日 (木)

見て、意味を理解すると、音楽が違うふうに聞こえる

◇「クララ・シューマン 愛の協奏曲」DVDで。

クララを演じるマルティナ・ケディックが骨太の美しさ。「女であるにもかかわらず」指揮するシーンの迫力や、ピアノ演奏の力強さには、目が吸い寄せられるような感じ。息子ぐらいの年のヨハネス・ブラームスがクララに魅了され、死ぬまで愛し続け、彼女の後を追うように死ぬという<物語>にも納得。ヨハネス役のマリック・ジディもキュートだし、頭を病んでいくロベルト・シューマン役のパスカル・グレゴリーも、見ているだけで痛くなるほどの表情七変化を見せる。下世話などろどろには終わらない、選ばれた才能の持ち主たちだからこそありうる、芸術家の崇高な<三角関係>。

◇仕事上の必要あって、ロックバンド「クイーン」が、1986年7月にウェンブリー・スタジアムでおこなったライブのDVD。

10代の終わりごろにはクイーンばっかり聴いていた気がするが、「動くクイーン」を映像でまじまじと見たのは、はじめてのこと。フレディ・マーキュリーが歌う姿を見ていたら、思わず全身に力が入ってしまってぐったり疲れた。

最初は白地に赤の側章入りパンツに、黄色いミリタリージャケット。その後、上半身だけ変わっていくのだが、キッチュな絵柄入りタンクT→上半身だけヌード(でも胸毛と極太ブレスレットつき)→パンツとおそろいのライン入りミリタリージャケット風ロングマント(としか形容できない特殊な上着)、最後は上半身裸で'We Are the Champions"を朗々と歌って盛り上げたかと思ったら、とどめは上半身ヌードの上に、クイーン(女王陛下)のクラウンと赤いロングマントで現れる。これで"God Save the Queen"(イギリス国歌)を歌うのだ。クイーンってそういうことだったのか。今更ながら衝撃を受ける。

衣装デザイナー(Wardrobe)は、トニー・ウィリアムズ、とクレジットにあり。調べたら映画・アート関係だけで36人ぐらいの同姓同名がいた。判別不明。

10代の頃にはただの「音」だった歌詞の、意味がようやくはっきりとわかったのも収穫。意味がわかってしまうと、また、パフォーマンスを目で見てしまうと、音楽もかつてとは違う風に聞こえる。

レディ・ガガが、クイーンの「ラジオ・ガガ」から名前をとったというエピソードも初めて知る。

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2010年9月15日 (水)

華麗な無駄、細部に光る丁寧さ、格調、時代とのシンクロ

日本フレグランス協会主催の「日本フレグランス大賞」審査会。ノミネート商品およそ70品目が並ぶ。ランダムに選ばれた10点ほどを試香、マーケティング、パッケージなども含め、いくつかの観点に基づいて採点して、コメントを記入する。

第一回とあって、採点基準やカテゴリー分類の基準にややおぼつかなさも感じたが、今後、検討と改善を重ねて定着化していってほしい試み。個人的には、今年話題になったフレグランスを、ほぼひととおり、同条件で試すことができた楽しい機会だった。

大胆なボトルデザインで好感をもったのが、マーク・ジェイコブズの「ロラ」。キャップの上に大きな花びら状のオーナメントがついている。この装飾に意味はないけど、華麗な無駄を見ているだけで楽しくなる。

バレンシアガの「パリ」、グッチの「フローラ」は、ブランドのイメージと連動するたたずまいで、細部にいたるまで(「フローラ」は箱の内側にまで美しいイラストあり)考え抜かれていることに感心。細部に光る丁寧さは、使う人を大切にもてなそうとする心の表れのように感じられるものだ。

個性的な香りで印象に残ったのが、アニック・グタールの「ニンフェオ・ミオ」。類似の香りが思い浮かばない。

つけた瞬間に華やいだ気分が広がる「女の王道」的フレグランスとして、格調も感じさせたのが、ゲランの「イディール」。「ミツコ」系のマダムっぽさはなく、若々しい。

もっともよく売れたのが「クロエ」だそうだが、たしかに若い女性が多い場所へ行くと、必ずこの香りが充満していたような気がする。このフレグランスじたいには不満もないが、「みんなと同じ」というだけでパスしたくなる気もする。

時代とうまく同調しているなあ、という点では、個人的にもこの夏よく使った「オノレ・デ・プレ」の一連のシリーズ。緩衝材を兼ねるユニークなパッケージ、エタノールまで大麦からつくるという徹底したオーガニック精神で、倫理的であることがおしゃれとなる時代を象徴するようなフレグランス。

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左端が「ロラ」、左から2番目が「イディール」、奥の右側の方に3つ並ぶオレンジの袴のパッケージが「オノレ・デ・プレ」。いいと思った香りに高い点をつけるシステムではないので、上に記したような思いは必ずしも結果には反映されないのだが。ウェブ上での一般投票も数多く集まっているというので、どういう総計が出るのか、今から楽しみ。

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2010年9月14日 (火)

日本は大きな国? 小さな国?

宮内淑子さんオーガナイズの「次世代産業ナビゲーターズフォーラム」に参加する。第121回になるこの日の講演は、外務省 官房長、木寺昌人さんによる「日本の外交力」。

日本は大きな国か、小さな国か?という問題にはじまり、日本の外交実施体制の実態、外交手段としてのODAの実績、当面の外交課題、普天間基地の移転問題、岡田外務大臣の外交の特色、などなど、案外メディアでは報じられていない日本の外交の生々しい実態を、具体的なエピソードを交えながらわかりやすくお話いただいた。全部記録しようとすると膨大な分量になるので、例によって、とりわけ強く印象に残った話を、以下ランダムにメモ。

☆日本は大きな国か、小さな国か? と聞かれると多くの日本人は「小さな国」と答えるだろう。だが、GDP(Gross Domestic Product)という経済指標を基準に見ると、日本は世界ランキングにおいて、アメリカに次ぐ第2位。近々中国に抜かれて3位になるとしても、ランキング19位のスイスのGDPは日本の10分の1、68位のルクセンブルグで100分の1、142位のルワンダでは1000分の1である。つまり世界の多くの国々から見れば、日本は経済大国。この内外のイメージギャップをますます拡大させているのが、日本人独特の「謙遜」の美徳。日本は自国を過小評価し続けている。世界のほとんどの国は、日本を大国として見ている、と認識すべき。

☆ODA(Official Development Assistance=政府開発援助)の実績。ODAとは、政府または政府の実施機関が、開発途上国の経済・社会の発展や福祉の向上に役立つために行う資金・技術提供による協力のこと。

ODAはGNI(国民総所得)の0.7%を目標とする、という合意があるのだが、その背景には、途上国を支援することによって、テロの原因となるような経済的貧困を世界からなくし、紛争地域の状況を向上させていこうという考え方がある。

日本は軍事的援助はできないけれども、外交手段としてのODAで実績を上げている。たとえば、アフガニスタンでは学校やクリニック、道路などを多数つくるという「目に見える」援助をすることで、現地の人から感謝されている。アフリカでは、現地の人々の希望を聞き、人々と対話をしながら支援するという日本式支援を続け、好感をもって受け入れられている。実はこれは特殊なこと。たとえば中国が援助をおこなうと、援助が終わってもそこに中国人コミュニティが居残る・・・という現象が起きたりする。

↑このような「良い成果」を日本のマスメディアは報道しない。失敗のことは過大に宣伝するが、褒められるべき良い貢献をしても、まったく記事にならない(この問題に関しては、かつてこのフォーラムで講演してくださった、当時の財務省事務次官、杉本氏も同様のことを嘆いていた。メディアに携わる人間は、スキャンダルばっかりかぎまわってないで、同胞の善き行いやすばらしい成果をもっと誇り、褒めていいのではないか。それが結局めぐりめぐって自国、ひいては自分の利益になる)。

☆外交力は、現場に立つ個人の人間力でもある。現在の外務大臣、岡田克也氏は、まじめで曲ったことが大嫌い。正論を、ストレートに、しぶとく主張する粘り強さをもつ。頑として主張を曲げないことで仏外相や中国外交部長と対立したこともある(正しさをとことん貫く姿勢を保ち続ける岡田さんは、あっぱれ、と感心)。

☆中国が「核心的利益」という言葉を使ったら、要注意。誰も異論を言えないような雰囲気が流れる。

☆9月は内政と外交が連動する重要な月。2006年9月26日には安倍内閣発足、同日、国連総会で大島国連大使がスピーチ。2007年9月26日には福田内閣発足、28日には国連総会で高村外務大臣がスピーチ。2008年9月24日には麻生内閣発足、25日に国連総会で麻生総理スピーチ。2009年9月16日には鳩山内閣発足、24日には国連総会で鳩山総理スピーチ。そして今年の9月も・・・。

☆最近は、日本バッシングならぬ、日本パッシング(とばし)が感じられることさえあるが、その背景のひとつには、日本から世界へ向けての情報発信が少ないこともある。重要な国際会議に日本人が行かない。ハーバード大にもスタンフォード大にも日本人学生がいない(行きたがらない)。

締めくくりに、「外務省は眠らない」ということば。木寺さんの携帯も24時間オンとのことである。「外交」と聞くと、形式ばった抽象的なイメージしか浮かばないところもあったのだが、数多くの現場のエピソードを通してうっすらと感じたのは、外交の基本は、血が通い、感情をもつ人間が、同じ(だけれど違う文化を背負う)人間といかにコネクトしていくかという問題でもある、ということ。

世界の中の日本の位置付けを広い視点からあらためて考えさせられた、貴重な時間だった。感謝。

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2010年9月13日 (月)

「自分を犠牲にしてでも人を喜ばせる」

◇WWD vol.1596(Sep. 13/20)、エファップ・ジャポンの夏期講座、山本耀司×伊藤美恵の対談の抜粋記事より。印象に残った山本耀司の言葉。

「世界の中の常識に美しいといわれているものを壊すと嫌われる。非難されてもじっとこらえて、結果として共感してもらえるのを待つ。表現者としてモノを表現することは、自分を犠牲にしてでも人を喜ばせること。そういった意味での”いい人”がモノづくりに向いている」

西洋的な美の基準を破壊することで美の基準を変えた人ならではの説得力。現実には、ギャラリーの無責任な一時的非難や中傷にはビクともしないタフネスを備えるには、かなりの精神力がいる。その程度で傷つくような自意識なら犠牲にしたってたいしたことではない、と構えられるほどの大きな器であるような人が、ここでいう「いい人」か。レベル、高い。

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2010年9月12日 (日)

He's not just that into you.

◇マイケル・ムーアの「キャピタリズム:マネーは踊る」DVDで。原題はCapitalism: A Love Story。ムーアによるアメリカ資本主義に対する激しい告発。「こんな国には住みたくない。だから闘う」という、これもムーアのアメリカに対する「ひとつの愛の物語」、ということなのだろう。

現在の大不況をもたらした資本主義の暴走が、たたみかけるように描かれる。冒頭のローマ帝国との対比の描写からして、引き込まれる。たしかに、<数百年後、歴史家がこの時代をどう描くか?>という視点から現代を見ると、悲惨な時代として描かれる過去のどの時代にも負けず劣らず、下層大衆は虐げられているようにも見える。

ショッキングだったエピソードはいくつもある。PA Child Careという少年院。民間に管理を任され、営利目的になってから、非行ではなくただの思春期の反抗程度の行為まで片っぱしから有罪にし、予定よりも長い期間、少年や少女を施設にとじこめる。本当だとしたら、虐待どころじゃない、ひどい話だ。

パイロットの給料が極端に低いこと。ファストフード店の店長のほうがまだ高給取りで、パイロットは生活していけないので、副業をしたり、自分の血漿を売ったり(!)して食いつないでいるとのこと。驚愕。

ウォルマートなどが、社員に生命保険をかけ、社員が死んだら会社が多額の保険金をもらっている。死ぬ社員は若ければ若いほど、高い保険金が出る。

優秀な頭脳が科学技術開発などの方面に行かず、みな金融界に行く。多額の学生ローンを負っているということもあり、学生たちはとにかく金を稼げる方面へ向かっている。そうした優秀な頭脳は、「デリバティブ」(金融派生商品)という複雑怪奇な儲けのシステムを開発することなどに使われ、金融界がますます「狂ったカジノ」化している。

下層階級が、あおられたあげく組んだローンを払いきれず、家を追い出されている一方、富裕層にはFOA(フレンド・オブ・アンジェロ)などという、頭取とお友達ならば金利を安くする、という特別優遇措置がある。かくしてますます格差拡大はあおられる。

「銃を乱射したい人の気持ちがわかる」と家を追われた一人がつぶやいていた。レーガンからブッシュに至るまで推し進められてきたアメリカ型資本主義の病根は、おそろしく深いように見える。これを治癒するのは並大抵なことではなさそうだ・・・。

激しい怒りをかきたてられる内容ながら、どこでも恐れず突撃していくムーアのガッツが、同時にユーモラスな味わいも醸し出している。それがあるので、映画として観て、少し救われるようなところもある。

◇「そんな彼なら捨てちゃえば?」DVDで。原題はHe's not just that into you. (彼はそれほどあなたに興味がないだけ)。 

デートの翌日に電話がない。その理由は、忙しいからでもなく、焦らす作戦からでもなく、遠慮しているからでもなく、電話番号をなくしたからでもなく、ただ単に「それほどあなたに興味がないだけ」。そりゃそうだろうな。男女関係における各種定番の悩みごとに対する本音(らしきもの)が、セリフとしてずばずばと出てくる。

最終的に愛を獲得したカップルは、結局、「ルール」をはずれた「例外」だったというあたり、この手の映画の定石ともいえるかも。

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2010年9月10日 (金)

「山師とハッタリの文化がゆっくり地球を包んできた、長い革命」

◇「サライ」10月号発売です。連載「紳士のものえらび」で宮本商行の銀製品について書いています。機会がありましたら、ご笑覧ください。

◇ジョン・リーランド『ヒップ アメリカにおけるかっこよさの系譜学』(ブルース・インターアクションズ)読み始める。605ページぎっしり。大著である。

「元ヨーロッパ人と元アフリカ人が、アメリカで混じり踊った複雑なダンス」を見据えつつ、音楽・映画・文化・アート・ファッション・広告・ビジネスにおける「進んだ自分のイメージ」(=かっこよさ)を歴史的に分析する、といった趣旨の研究書。ブルース・インターアクションズは、最近、こうした「ヒップな」本を続々出している。

巻末にある佐藤良明先生の解説が、「入門」としてわかりやすい。

「山師とハッタリ―イメージ企業家と広告戦略―の文化が、アメリカを起点としてゆっくり地球を包んできた。地球大のロング・レボルーション、その基点をリーランドはアメリカ全体の歴史に求める」

20世紀末にはすっかり「ヒップ」が地球上を覆い尽くし、今ではヒップの力も衰え始めていることを佐藤先生は指摘。

「国際市場を見ても、米国発のヒップな市場を、日本発の『カワイイ系』が侵食しているという現実もある。とんがったり、つっぱったりすることのカッコヨサは少なくとも現象としては引っ込んで、爽やかなやさしさばかりが、国際イメージ市場を覆い始めた気がしなくもない。元来、アメリカとは対照的に『個我』を切り出すことには消極的だったこの国が、背伸びせずに気持よがれる自前のポピュラー文化を量産し輸出までするようになった今、・・・・・・」

現状を「ヒップに」わかりやすく提示してくれる佐藤節。

本文は、これからじっくり。

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2010年9月 9日 (木)

性機能とひきかえの、老化と寿命

◇「世界の腕時計」No.105。織田一朗さんのエッセイ「死なない細胞が存在する」より。

時間生物学(という学問分野があるのか!)専門の井上慎一元山口大教授の「死の生物学」と題する講義からの引用が興味深かった。つまり、引用のまた引用になるわけだが、示唆に富む話だったので、メモ。

「バクテリアなど原始的な細胞には死がなく、大腸菌は環境が許す限り分裂を繰り返し、劣化しない。細胞の性向に、劣化や死が定着したのは生殖機能を持つようになった17億年くらい前からで、『性』の機能を手に入れる代償に、細胞に老化と寿命が生ずる結果になった」

性の機能とひきかえに、老化と寿命が生じるようになった……。エロスとタナトスの問題を考える上でも、インスピレーションに富む指摘。

もうひとつ、シチズンの「エコ・ドライブ ドーム」のコンセプトに関する、デザイナー御園昭二さんの話が、印象的だった。

「ここで表現したかったのは、人がエコ・ドライブを付けることで、クリーンエネルギーを身に纏っていることを実感してもらうこと。ドームになっているのは、モーターのようにデザインすることで、この中でエネルギーが作りだされているイメージを作りたかったのです」

エコ・ドライブ機能を持つ時計を身に付ける=クリーンエネルギーを身にまとう。コンセプトが明快で、それがビジュアルとして伝わってくる。機能とコンセプトとデザイナーの思いが、デザインとしてすっきり表現されていることに、感動。

商品開発のための4つのキーワードも、心に残る。Clear Focus, Continuous Evolution, Cool Detail, Comfortable Harmony。つまり焦点がはっきりした明快なアイデンティティー、一貫した継続性をもって進化する態度、行き届いた細部、心地よい調和。あらゆる仕事に応用可能な名言に思える。

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2010年9月 8日 (水)

黒のバラの香り

バラ専門の香水メゾン「パルファン・ロジーヌ パリ」から、新製品「セクレ・ド・ローズ」(バラの秘密、の意)。黒のバラ(つぼみの色は深い黒だが、満開になると黒とパープルの花びらが深紅に変わる・・・というバラ)をイメージした香りで、リコリス、ブラックプラム、クミンなどがバラにまじりあっている。すっきりした甘さのなかに、秘薬っぽさもある。ラストノートにはアンバーやムスクも入って、やや動物的な残り香。

Photo

秋冬のこっくりとした空気のなかで、ひねりのある色っぽさを醸し出しそうな雰囲気のフレグランス。

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2010年9月 7日 (火)

フランダース表現主義

◇学生がつくる東大HPの「東大な人」コーナーの取材を受ける@BUNKAMURA。学生時代の話や今の仕事の話、学生へのメッセージなどなど。学生記者さんは、いろいろな分野で仕事をする卒業生に会えて楽しそうである。右も左もよくわからないときに、こういう機会がほしかったなあ、と思う。

◇BUNKAMURAついでに、「フランダースの光」展。19世紀終わりごろから20世紀前半のベルギーの画家たちの絵画。点数はやや少なく感じたが、はじめて出会う画家の作品も多く、目が洗われるような思いをさせてくれる絵にも出会えた。

レオン・ド・スメットの「読書」。175×212の大きな絵で、赤の印象が深く、ひきこまれる。スメットの色彩感覚には響き合うところが多く、「花咲く果樹園」の、淡いピンクがアクセントになった白の美しさにも見惚れた。女性がしどけなく眠る「桃色のハーモニー」の桃色トーンに覆われた世界にも目がほぐれていく。

ギュスターヴ・ド・スメットの「画家とその妻」や「青いソファー」の、若干キュビズムの入ったポップな絵柄と色彩感覚も、印象に残る。

フリッツ・ヴァン・デン・ベルグのシュールで暗い絵にも魅了された。「夢あるいは創造」「貧しい男」の強烈なイメージはしばらく残像をひきずる。ドイツ表現主義の映画を思わせる、奥の深い暗さ。

スーベニアショップでベルギーにちなみ、ベルギービール各種のグラスを売っていた。なかなかグラスだけは売ってないので、つい嬉しくなり、2つ買う。美術展に行って酒まわりのグッズを買って帰るというのもどうなのか。

あの絵画の風景に、あのビールなのか、とちょっと風景に親しみを覚える。

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2010年9月 6日 (月)

負けざる魂

クリント・イーストウッド監督の「インビクタス」DVDで。南アフリカの大統領に就任したネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)が、ラグビーを「国が誇れるものに」と政治的に重視、キャプテン(マット・デイモン)にインスピレーションを与える。

イーストウッドらしく、ことさらにできごとや演技を強調しすぎたりしないシブい演出のなかに、憎しみで分断されていた黒人世界と白人世界が、マンデラの人柄とラグビーを通じて、じわじわと溶け合っていくプロセスが丁寧に描かれる。最後は深い感動の余韻で満たされる。名人芸だなあ。

選手たちに「持てる以上の力」を出させるにはどうしたらよいか?その答えのひとつが、ことばによるインスピレーションだった。30年も閉じ込められていたマンデラの魂から搾り取られたようなことばが生む説得力もさることながら、選手ひとりひとりの名前をおぼえ、それぞれの名前を呼んで、語りかけることで励ますこと。大統領に名前を呼ばれた選手たちが、はっと覚醒したような表情になっていったのが印象的だった。

ひとりひとりの名前を覚え、名前を呼んで語りかける。そういえば仕事においても、人間関係においても、これがいやみなく上手にできる人は、名前を呼ばない人に比べ、より強い影響力を与えているように思う。相手の名前を話の中で一度も呼ばないままコミュニケーションをしたつもりの人が、意外と多い。テレなのか、意識的(=深入りを避けたい)なのかはわからないが。

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2010年9月 5日 (日)

NYファッションにおけるアジア系デザイナーの活躍

◇ニューヨーク・タイムズ紙4日付、ニューヨーク・ファッションにおけるアジア系アメリカ人の台頭を分析する記事。興味深かったので、ダイジェストを備忘録としてメモ。

今年の6月、CFDA(Council of Fashion Designer of America)が新人賞を授けたのは、すべてアジア系のデザイナーだった。メンズウエア部門がリチャード・チャイ(韓国)、ウィンメンズウエア部門がジェイソン・ウー(台湾)、そしてアクセサリー部門が、アレクサンダー・ウォン(中国)。

今週の木曜からニューヨーク・ファッション・ウィークが始まるが、注目を集めるデザイナーの多くは、アジア系である。上記の3人のほかには、タクーン、フィリップ・リム、デレク・ラムなど。1995年には、CFDAのメンバーだったアジア系アメリカ人は10人ほどだったのに、今日では35人も。

アジア系デザイナーが台頭する理由は、1980年代のニューヨークでユダヤ系のデザイナー(カルヴァン・クライン、ダナ・キャラン、ラルフ・ローレン、マーク・ジェイコブズ、マイケル・コース)が活躍した理由とほぼ同じ、と記事は分析する。ユダヤ系移民は、まず労働者として、次に工場経営者、製造業者、小売業者として、そしてついにデザイナーとして、ニューヨークの服飾産業に関わり、一大服飾産業地区を作り上げた。今日のアジア系アメリカ人の祖先も、服飾産業にさまざまな形で(工場労働者からモデルにいたるまで)関わっている、と。

たとえば中国系の移民であるデレク・ラムの祖父は、ウェディングドレスをつくるファクトリーを経営していた。父は香港から衣類を輸入する仕事をしていた。だがデレクは、もっとクリエイティブなことに関わりたいと思い、名門デザインスクール「パーソンズ」に入学して1990年に卒業。2002年に自身のブランドを始める前は、マイケル・コースのもとで働いていた。

最初は「デレク・ラム」のコレクションはさっぱり売れなかったという。数シーズン後、ようやく動き始め、いくつかの賞を受賞して、2007年にマンハッタンに店を開き、「トッズ」の服とアクセサリーを手掛けるようにもなる。最近、上海と北京へ行って、自分の認知度の高さに驚いたという。10年前にはまだファッション・デザイナーという仕事に対する偏見があったが、今では中国人の目には「傑出したキャリア」のひとつとして映り始めている。

アジア系デザイナーがモード業界で脚光を浴びる背景に、ファミリーがNYで移民として広く服飾産業に関わっていた経緯があるという指摘が、発見というか納得というか。

だから、ここでいう「アジア系」に日本が入っていないのを別に嘆く必要はなく、日本は日本で、オリジナルの文脈から発信していけばよいとは思うのだが。ただ、日本ファッションを底上げして盛りたてる層やムーブメントが、他国に比べてあまりにも希薄というか、エネルギー不足に感じられるのが、少しさびしい。

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ジャーミン・ストリート・ガーデン・パーティー

日本はまだ外気温35度だが、カレンダーの上ではようやく「ファッションの秋」到来、ということで、夏枯れ状態だった各紙スタイルニュース欄に、記事が目白押し。印象に残った記事をピックアップ。

◇ロンドンの「紳士の聖地」ジャーミン・ストリートで、4日、12時から5時まで、交通規制のもと「ジャーミン・ストリート・ガーデン・パーティー」がおこなわれた模様。

フォスターズ&サン、チャーチ、T・M・ルーウィン、ハウズ&カーティス、ヒルディッチ&キイ、デュークスホテル、ダヴィドフ、フォートナム&メイソン、パクストン、そしてリッツなどのセント・ジェイムズ界隈の名店が参加。「ブリティッシュであること」をテーマにショウやピクニックやパーティーなどの形式を通じて、イギリス的商品のプロモーションをおこなうという趣旨。あー行きたかった。

このイベントにちなみ、テレグラフ紙(1日付)では、チャールズ皇太子をイギリススタイルを象徴するアイコンとしてあらためて称揚していた。ここ数年「ワグズ」とかスーパーモデル的なものとかがもてはやされていたけど、やっぱりイギリススタイルの変わらぬ骨格は、チャールズ皇太子にあるよね、と。

皇太子は昨年、エスクワイア誌の「世界のベストドレッサー」の第一位に輝いていた。不況とエコトレンドも後押ししてたのかもしれないが、「40年前の靴をリサイクルしてはく」という態度が、シック、ともてはやされている。

ジャーミン・ストリートには、そんなチャールズ皇太子が御用達とする店舗も目白押しだが、もともと王室の庇護のもとに発達してきた。記事によれば、1664年にチャールズ2世(「衣服改革宣言」をおこなった王様だ)が、宮廷用品をそろえることができる地域としてこの一帯を開発する権限を、ヘンリー・ジャーミンに与えたのがはじまり、という。サヴィル・ロウはスーツの聖地だが、ジャーミン・ストリートは総合パッケージ。テイラー、シャツメイカー、革製品店、香水店、帽子店、理髪店、食品とワイン専門店、レストラン、ホテル、王室の趣味にかなうものがすべてそろう。

ぎらぎらせず、適度に控えめで、守るべき分をわきまえたほどよい堅実さ。伝統と趣味のよさと高品質。自己主張しない慎み深さの魅力が、再認識されている。過激な方へ行ってはまたこっちに戻る、みたいな繰り返しなんだけど、そうやって戻ってくる基本が何百年も淡々と存在し続けていることじたいが、素敵だと思う。

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2010年9月 4日 (土)

ゲームに人生をなぞらえたがるのは、なぜ?

かなーり昔にDVDで買い置きしておいた「バガー・ヴァンスの伝説」、ようやく観る気になって開封。自分でゴルフを始めてみないと、なかなか興味のわかない世界でもある。

「魂のスウィング」「自分のスウィングを取り戻す」「世界の中で調和するスウィング」「頭で考えず、場を感じる」などなど、人はなぜ「たかがゴルフというゲーム」に人生を語りたがるのか。

ゴルフだけではない。相撲でも野球でもサッカーでもマラソンでも、なぜか男の人は、スポーツを通して人生を語りたがる傾向が強い気がするのだが。

ロバート・レッドフォード監督で、マット・デイモン、シャリーズ・セロン、ウィル・スミス、と主演級は美しい俳優陣。出てくる人物がみんなそれなりに「よい人」である(ライバルでさえ)。たぶんゴルフ好きな人には楽しめる127分。

30年代のメンズファッション、とりわけゴルフファッションが美しく再現されている映画でもある。ニッカボッカーズこと「プラスフォー」、「ゴルフなんて気晴らしなのよ」というネクタイつきゴルフスタイルは、眼福。

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2010年9月 1日 (水)

香水が、少子化防止の役割を果たす?

日本フレグランス協会が、10月1日を「香水の日」と定め、日本初の「日本フレグランス大賞」を発表するそうです。

ノミネート商品は74品目。HP上での一般投票の部もあります。香水好きな方、お好きなフレグランスがあれば、投票いかがでしょう?

http://www.japanfragrance.org/page.php?page=grandprix

私は2週間後の審査会に出席し、本格的に審査をしてまいります。

香水にちなみ、天才パフューマー、ルカ・トゥーリンの、彼らしい名(迷?)言をご紹介しましょう。

「<ミツコ>(ゲランの香水)をつけて死んだ人間はいないが、ミツコをつけた結果、多くのベイビーが生まれたのだ」

香水は少子化防止に役立つ?(笑)

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遅まきながらのデビュー

次男のゴルフスクールのコーチがレッスンプロとして独立したので、これも「機」とか「縁」みたいなもんだろうと思って、前々から保留にしていたゴルフデビューを、ようやく果たす。

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熱帯夜でも、ナイターゴルフはなかなか爽快。練習場は、仕事帰りの人でけっこうにぎわっている。ゴルフ人口は今や日本の人口の1割近くにもなるそう。ジュニア層まで広がっていることを考慮すると、これからもっと拡大しそうなマーケットなんだろうか。ラウンジでは、1日中ゴルフだけを映している(!)ゴルフチャンネルまであることを知る。

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