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2010年6月

2010年6月30日 (水)

世之介さん

吉田修一『横道世之介』(毎日新聞社)読み終える。

ひとりの好青年と、彼をとりまく魅力的な友人たちの、何気ないけどいとおしい日々を、きらきらと光らせてみせる。さりげなくはさまれる、彼らの何十年後かの姿が、そんな日々に「重み」を添える。

ひとつひとつのエピソードが、CMドラマにしたくなるような(?)楽しさだが、なかでもいちばん好きなお話が、帰省先での正樹とのケンカ。本気の殴り合いのケンカになるも、両者の父親の反応といい、酔客の反応といい、どこかのどかで、しかも結局、正樹からいろいろメリットをうけることになるのが、えもいえずおかしい。

終始笑顔で読ませ、最後の、世之介の母が祥子にあてた手紙でどっと泣かせる。巧いのに巧さの押しつけもない。とても風通しよく、あたたかな読後感を与えてくれる小説。

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2010年6月29日 (火)

タキシード・ブルーマー

新しいアイテムなどもう出ようにも出ないのではないか……と思っていたのだが、イヴ・サンローランがクルーズコレクションで発表したスタイルが、気になった。

タキシード・ブルーマーである。

ジャケットはタキシード、ボトムがタキシードパンツ・・・なのだけれど、それが太腿丈のショーとパンツで、しかも、ブルーマーのように少しふくらみがもたせてある。

タキシードルックを20世紀のファッション史に刻んだサンローランならではの、21世紀的タキシードルックの提案。

文章で書いてしまうと奇異なイメージが思いかびそうだが、見た目の全体のバランスは、かなりいい。ショートパンツはすでに大流行しているし、ひょっとしてひょっとしたら、この新アイテムは、いいところまでいくのではないか?

さりげなく今後を見守りたい。

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2010年6月26日 (土)

「大気を描く」(byモネ)

ゼミ生&小人数クラスの学生とともに、「語りかける風景」展@BUNKAMURA。ストラスブール美術館所蔵の油彩画が、「窓からの風景」「人物のいる風景」「都市の風景」「水辺の風景」「田園の風景」「木のある風景」といったテーマに沿って展示される。

館内のつくりも凝っている。「窓」のテーマのセクションには窓枠があって、向こう側の絵が窓越しに見える。知的な構成で、絵の横に添えられる解説も、学生にもわかりやすい簡潔で的確な文章で書かれていた(これが難解で専門的すぎて困ってしまうことが、ままあるのだ)。

油彩ならではの艶やかさや質感をたっぷり堪能したが、なかでもイポリット・プラデルの「月明かりのボート遊び」(1863)という絵が印象的だった。月明かりだけに照らされた、暗闇のなかの微妙な色彩を描き分けていて、思わず引き込まれた(写真だと油絵独特の立体感が生む艶がフラットになってしまう)。

アンリ・ルベールの「ヴォージュ地方の狩り」(1828)は、現代のCG技術でも駆使したのか?と目を疑うようなポップでシュールな楽しさ。

アドルフ・キルスタインの「雷雨」(1872)も白日夢のような風景で、しばし見入ってしまう。

学生たちの一番人気は、フィリップ・ジャック・ド・ルーテルブールの「月光」(1777)だった。月明かりのもと、森の中の水辺で水を飲む牛たちの白さが浮かびあがり、洞窟の焚き火があかあかと燃える。神秘的な絵で、一度見たら忘れられない。

有名大作家の絵は少ないけれど、はじめて出会う画家たちの絵に発見が多く、風通しのいい、快い印象を残す展覧会であった。

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2010年6月25日 (金)

「夢はかなわなくても、人は不幸になるとは限らない」

林真理子『グラビアの夜』(集英社文庫)読み終える。「一流ではない」仕事現場で、それなりにあがいたり、日々をしのいだりしているスタッフたちのそれぞれの物語が、生々しいリアリティで描かれる。大きな山場があるわけでもなく、感情がドラマティックにゆさぶられるわけでもなく、けっして読後はすかっと快いわけではない。でも、まさにそのテンション低めの殺伐とした感覚こそ、作者が狙った効果であるようだ。

巻末の瀧井朝世さんの解説が、そのあたりのもやもや感をうまく表現していた。<上昇志向がなく、熱情もないけれど、現実に穏やかに満足しているという現代人の姿勢を浮かび上がらせている>と。以下、瀧井さんの解説から。

「トップを極めるというのは、かなり面倒くさいものだと分かってきたこと。(中略)栄華を極めた人間は、賞賛や憧れの対象というより、足元をすくうターゲットとなっている」

「トップがすぐ入れ替わる時代なのである。芸能界も経済界も政界も、いちばん上に行き着いたら、後はひとつでも失敗したら奈落の底まで落ちるだけ。しかも、どこに落とし穴があるか分らない」

「一流でなくても、いい暮らしはできる。(中略)ヘタに出る杭になって打たれてすべてを失うよりも、地味だけれども使い勝手のいい人間のままでいたほうが、同じ世界で息長くやっていけそうな気もする」

タイトルのことばも、瀧井解説より。こういう時代においては、「上を目指す」ことがばからしく、そこそこのところでささやかに満足を覚えながらやっていければそれもまたいいではないか、というひとつの考え方。

そんな考え方が救いとなる人が大勢いる。そのような日本の現実に、どこかわりきれない思いも残る。

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2010年6月23日 (水)

独裁制は、遠い国の昔の話ではない

ドイツ映画「ザ・ウェイブ」をDVDで。デニス・ガンゼル監督。

ある高校で「独裁制」をテーマとする実験的な授業が1週間、おこなわれる。ヤル気のまったくなかった生徒たちが、一週間で恐怖の変貌を遂げるまで・・・。

先生には「様」をつける。許可なく発言しない。仲間は助け合う。足ぶみをそろえる。おそろいの白シャツとジーンズを着る。ロゴマークをいたるところにつける。独特の敬礼であいさつしあう。

その一つ一つの過程を経るごとに、生徒たちの脳内に快感ホルモンが生まれているのが、表情から、うかがわれる。

頭のいいやつもわるいやつもない。階級もない。個性なんて意味をなさない社会の幸福。みな平等に所属できるところがある安心感。団結して行動することの、快さ。そしてそれらすべての半面にひそむ、底知れぬ怖さ。

最後は教師にもコントロール不可となり、とりかえしのない事態を招く。

実話に基づいた心理実験映画というジャンルでは、かの「エス」を思い出した。あれもドイツ映画だった。あの凍りつくような怖さにはやや及ばなかったものの、「服が集団心理に及ぼす強力な効果」の演出の鮮やかさという点では、この映画も負けてない。

ぜんぜんジャンルが違うけど、ふと「マシニスト」も思い出した。クリスチャン・ベイルが不眠症で激やせしていく映画。あっと驚く結末の。これもドイツ表現主義的な冷たい怖さがあった。

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2010年6月22日 (火)

「絶望と、悲劇なしに向いあえ」

表面上は華やかで幸福そうな人々ばかりに見えるモード界であるが、その中で働く人々の心の闇を考えざるをえない事件もときどき起きる。

メンズのミラノコレクション真っ最中の18日に、「バーバリー・プローサムの顔」として活躍してきたモデル、トム・ニコンが飛び降り自殺した、という記事。英「ガーディアン」21日付。22日には「インデペンデント」も同様の報道。

トム・ニコンはまだ22歳。ルイ・ヴィトン、バーバリー、ヒューゴ・ボスなどのモデルをつとめており、ヴェルサーチェのリハーサルから帰った直後、アパートの4階から飛び降りた。最近、ガールフレンドと別れており、それによる鬱が原因では、とのミラノ警察の報告。

ニコンばかりではない。以下、「ガーディアン」が報じた、最近のモード界における自殺および自殺未遂者。

先月にはマークス&スペンサーのモデル、ノエミー・ルノワール(30)がパリで自殺未遂。昨年11月には韓国のモデル、ダウル・キム(20)が首をつった。今年4月にはアメリカのモデル、アンブローズ・オルセン(24)が死亡。2月のアレクサンダー・マックイーンの自殺も記憶に生々しい。

4月にはコロンビアのモデル、リナ・マルランダが飛び降り自殺。2008年にはロシアのモデル、ルスラナ・コルシュノヴァがNYのアパートの9階から飛び降り自殺。

自殺する人はどの業界にもいて、プライベートな事情も多く関わってくるから、必ずしもモード業界の仕事によるストレスによるものと結びつけるわけにはいかない。でも、匿名のインサイダーのコメントから、モデルたちが受けるストレスの実態がうっすらと伝わってくる。

「オーディションに行くと、ディレクターたちが一目だけ見て、却下するんだ。その後ずっと、いったい自分のどこが悪かったのか、なぜ自分は仕事を得られなかったのか、と悩み続けることになる」

記事内に引用されていたジョルジオ・アルマーニの指摘が、重みをもって響いてくる。

「この業界はあまりにも若さを重視しすぎていて、22歳で人生が終わってしまうように思わせるのだ。私たちは、23歳以降もずっと人生は美しい、ということを若い人々に伝えなくてはいけない」

「絶望はどこにだってある。愛においても。でも、悲劇を招くことなしに、絶望と向かい合わなくてはならない」

帝王、アルマーニ75歳の言葉には力強い説得力がある。アルマーニはパートナーをエイズで失った後、絶望から立ち直り、独力で経営を学んで今の帝国を作り上げている。

死にたくなるような絶望と、悲劇なしに、向いあえ。きらびやかに見える業界だからこそ、求められるものも、厳しい。ニコンの冥福を祈る。

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2010年6月21日 (月)

「まだ死んでません。今のところは」

「ローマ」、ついに最終章まで見終える。アントニーがクレオパトラにおぼれ、エジプト風の衣装を着て、エジプト風の目のまわり黒ぐろのメイクで堕ちていくさまが圧巻。ジェイムズ・ピュアフォイは、「堕ちていく男」をやらせたらすばらしい。ブランメルを演じたときも、凋落っぷりのすさまじさに胸をうたれた。

ありとあらゆる愛憎が、最後にそれなりの決着を見せる。アティアへの呪いをかけて自害するセルウィリアの迫力。おどおどした男の子だったのに、冷酷なまでに冷静で頭良すぎな「第一の市民」へと変貌していくオクタヴィアヌス(母の愛人で自分の政敵である男アントニーを、自分の姉と結婚させる! その母と姉を、エジプトで情婦クレオパトラにおぼれているアントニーのもとへ遣る!)。 プッロがクレオパトラに産ませた子供の顛末。不器用なルシウス・ヴォレイナスの家族への思い。太った「広報官」が、人民に「ニュース」を伝えるその身振りと口調もいちいち楽しかった。細部にいたるまで、丁寧に「個々人の物語」を語りつつ、大きな歴史物語をガツンと伝える。シブい。シブすぎる。物語が長かっただけに、余韻が延々と続く。

オクタヴィアヌスがプッロと再会、「死んだのかと思っていた」。それに対するプッロの答がいい。

「まだ死んでません。今のところは」

戦おうが憎もうが愛そうが呪おうが、金持ちであろうが奴隷であろうが、いずれみな等しくドクロになるのだ、というメッセージが全編を通して常に流れていた。だから何をしても虚しい、っていうのではなくて、だからこそ、「今のところは」全力で情念やエネルギーを解放して行動することが貴重なのだ、と受け取った。

死の描写とともに、性の描写にも容赦しないドラマなのだが、各登場人物の死に際の表情が、「性の歓喜の極み」の表情とほとんど変わらない、という演出にも、唸ったのであった。

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2010年6月18日 (金)

極薄メイクは、安上がりではない

◇バーバリーもついにメイクアップラインをだすようだ。NYタイムズのマガジン欄で製品の写真を見る。

http://tmagazine.blogs.nytimes.com/2010/06/18/english-accents-burberry-beauty/?ref=womens-fashion

クリストファー・ベイリーが打ち出す、現代の「イングリッシュ・ローズ」のイメージ。クレイジーなアイメイクもリップメイクもなし、ただうっすらとメイクの気配だけが残ることをめざすメイクアップラインであるようだ。

韓国の水光メイクといい、やはり時代はポイントメイクを極力省く、「極薄メイク」のほうに向かっているような印象がある。現実的に考えても、バッグの中身は少ないほうがかっこいいし、「メイクを落としたあと」の顔を見せねばならない局面でも、当惑(?)を与えることもなくていい。

ごまかせない分、スキンケアにより力を入れなくてはならないから、かえってお金も労力も時間もかかるのだが(笑)。

◇「パブリック・エネミーズ」、DVDで。もう10年ほど通っている「クレアトゥール」では各ブースにDVDデッキがおいてあって、次々にいろんなのを流してくれるから、予期せぬ拾いものや見逃した話題作を見ることができて、ありがたい。30年代ギャング映画は、メンズファッションが見もの。男はスリーピーススーツに帽子。葉巻とマッチがシブく合う。

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2010年6月17日 (木)

「胸で歓迎し、仕切るな、焦らせ」

「男と女の不都合な真実」、見逃していたのでDVDで。わざとらしい展開で始まるが、中盤あたりから連発されるお下品なギャグ(ヒロインの体を張ったエロギャグもあり)が、能天気で楽しい。

ジェラルド・バトラーのような「デート・コーチ」がいたら、後になって悔やまれるような失敗も少なそうだ(笑)。

とはいえ、「ゲット」するための一般的なセオリーだけでは必ずしもその人にとってのベストパートナーは見つからない、というメッセージはちゃんと伝えている。最終的には、イケていない部分も含めてまるごとさらけだせる相手こそが幸福をもたらしてくれる、と。

そういう「真実」があるから、モテ本のセオリーを実践しても幸福な恋愛などついてこないんだろうなあ(で、ますますモテ本が売れていくというスパイラルが生まれる)・・・・・・とぼんやりと思いつつ、映画は映画として楽しむ。

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2010年6月16日 (水)

つるつるのオム・オブジェ

日本の若い男性においても、「すね毛はそる」のがふつう(?)になっているらしいこの頃であるが。

クルーズやビーチなどで水着になることが増えるシーズンだからか、アメリカの男性においても、「体毛はそる」トレンドが顕著になっているようだ。「ニューヨーク・タイムズ」15日付の記事。

西洋の男性のなかには、胸毛ばかりか、背中の毛までもふさふさと豊かで、ゴールデンレトリーバー状態の方も多いらしい。なんの映画だったか忘れたが、恋愛コメディもので、男が「デートの前に背中の脱毛に行く」というシーンを見たことがある。

で、最近、急成長しているグルーミングのカテゴリーが、背中の毛をとりのぞくための製品である、と。ワックスタイプ、クリームタイプ、電気シェーバー、スプレイタイプなど、さまざまに工夫が凝らされている。

ボディ用のレイザーを出しているフィリップス社のデータも紹介している。47%の男性が、首から下の体毛の処理のためのなんらかのグッズを使っている。18歳から29歳の男性においては、その割合が61%にものぼる。

ちかごろの水着モデルや下着モデルの男性がほとんどヘアレスなのも影響しているかもしれない。いずれにせよ、(「見る」よりもむしろ)「見られるボク」(オム・オブジェ)意識を強く反映している現象と見えるのだが。

「見る」側に立つザ・元祖肉食の方々が聞いたら、嘆きそうな話でもある。

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2010年6月15日 (火)

「オリエンタル」が日本から中国・韓国に

ロンドンのセントラル・セント・マーチンズといえば、ファッション界のトップで活躍する高レベルのデザイナーを数多く輩出してきた名門デザインスクールである。ジョン・ガリアーノ、故アレクサンダー・マックイーン、ステラ・マッカートニー、クレメンツ・リベイロもここの卒業生。

その名門校の2010年の卒業コレクションでは、アジアのデザイナーの活躍が顕著だったという。英「テレグラフ」9日付けの記事。「インデペンデント」も同様の報道。

アジア、すなわち韓国、中国である。10年前は、モード界で「オリエンタル」といえば日本であった。現在では韓国、中国がメインで、日本ではないのである。

韓国のRok Hwangは、セリーヌに入社することが決まり、同じく韓国のJung Sun Leeのコレクションは、ハロッズが購入。このふたりはMAコース。

BAのショウでは、中国のYi Fangがロレアル・プロフェッショナル賞を受賞。

アメリカではすでに、アレクサンダー・ワン、ジェイソン・ウー、フィリップ・リム、デレク・ラムなど、アジアのバックグラウンドをもつデザイナーがめざましい活躍で、21世紀のモードを牽引している。

日本のファッションは発信のしかたが違うから、と言われれば、まあそれまでなのだが、10年前と比べるとたしかに日本のデザイナーが話題にのぼることが少なくなっている感も否めず、やや、さびしい気もする。

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2010年6月14日 (月)

喫煙・酒・賭博・相場投機・コルセットは5大災厄

仕事に必要な保存版の本、何冊かまとめて目を通す。

・吉村誠一『メンズ・ファッション用語大辞典』(誠文堂新光社)。ディテールまでの情報もあり、イラストも豊富、役立ちそう。

・徳井淑子『ヨーロッパ服飾史』(河出書房新社)。西洋服飾史に頻出する見慣れた絵画が多いが(新しいものはでてこないからなあ・・・)、なかにははじめて目にするものもあり、なによりもカラーで豊富に掲載されているのがうれしい。

シャルル・デュボワが挙げる「5つの災厄」に、喫煙・酒・賭博・相場投機・コルセットがあった、という話が気になった。

・鷲田清一『たかが服、されど服 ヨウジヤマモト論』(集英社)。ヨウジの服と、鷲田先生の詩のような短文のコラボレーション。

いずれじっくり読もう・・・と思っているうちに次々に新しい本も出版される。なんだかんだといって日本は豊かなのではないか、とやや情報疲れも感じつつ。

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2010年6月13日 (日)

「人の笑顔は『演技の賜物』」

百田尚樹『モンスター』(幻冬舎)読み終える。バケモノと呼ばれた女が、整形手術で完璧な美人となり、美貌を武器に復讐をし、美貌を駆使して思いも遂げる。男が美人に対して見せる反応、男の魂まで奪うための美人の振舞い方、男の心を翻弄するテクニックの描写の数々が、興味深かった。自分には縁のない世界なだけに、そ、そういうものなのか……と。残酷で、キレていて、迷いなしのヒロインの情念。コワおもしろくて、どこか哀しい、一気に読ませる本だった。

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2010年6月11日 (金)

「御用達品は無縁」、40%

◇「サライ」記事のため革小物を扱うローナーの取材。女性モノのバッグはエリザベス女王、雅子妃もご愛用ということでよく見知っていたが、紳士用革小物をはじめてひとそろい見て、触れてみる。革製品はやはり、触れてみてはじめてわかるところがある。

◇鮫島敦『これが宮内庁御用達だ こだわりの名品50』(日経ビジネス人文庫)読み終える。あんなものやこんなものまで御用達。知らなかったこと多。

ちょっと衝撃だったのは、巻末のアンケート結果。(宮内庁御用達品のイメージを)「私には無縁」と答えたのが男性40・3%、女性26・7%だったという。高級品世界に関心のない人が圧倒的に多い。あたりまえといえばあたりまえなのかもしれないが、仕事柄、高級品の取材をしていると、視野が狭くなる。このデータをつねに頭の片隅においておかないと。

そうそう、「サライ」はおそらく、もっとも校閲さんのレベルが高い雑誌のひとつだが、この雑誌ならではのルールも独特である。「こだわり」という表現はNGなのである! 「こだわり」という語は、本来、あまりよいニュアンスをもたないのだそうである。まったく無頓着に使われがちなのだが。日々勉強。

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2010年6月10日 (木)

「正時」を外す

◇「サライ」7月号発売です。連載「紳士のものえらび」でブリッグの傘のことを書いています。機会がありましたら、ご笑覧ください。

◇「世界の腕時計」No. 104。織田一朗さんのエッセイ「あえて『正時』をはずす」が興味深かった。「12時ちょうど」や「10時ちょうど」といった「正時」をはずすことの効用が書かれている。

新幹線においては、「正時を外して」乗客を振り分けることで、予約が平準化したとのこと。

会議などでは、開始時刻を「45分」などに設定すると、遅刻者が減り、生産性の向上につながるとのこと(ただし、正時を過ぎた5分や10分に設定するとかえって遅刻者が増えてしまうのだそう)。

時間は、必ずしも均一じゃない。小刻みに設定することで、時間意識が高まる。なるほど。

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2010年6月 7日 (月)

日本、中国、韓国、それぞれの事情

◇日本のファッション誌と中国のファッション誌の提携を仲介するお仕事をなさっている王暁燕さんに、中国の詳しいファッション事情、雑誌事情をうかがう。

Ray, Classy, Vivi, Mina, Glamorous などの提携誌が中国でも売り上げ上位の雑誌に入っている。Rayは100万部近い売り上げを誇るそうである。薄くなる一方の日本のファッション誌とちがい、ブランドの広告がたっぷり入って電話帳のような厚さになっている雑誌も多い。「ハーリー族」という親日の若い人たちが、日本のアニメやファッションに夢中になっていることが背景にあるほか、急激にリッチになった人たちが、ブランド品やエステなどに湯水のようにお金を注ぎ込んでいるという生々しい事情があるようだ。

ブランド店で「ここからこここまで全部ください」という「お大名」な買い方をしたり、野菜を保存するような大きな麻袋に現金を入れて買い物をしたりするという新興リッチ層の話には驚くばかり。

日本で撮影をして100カット以上も撮り、日本のスタッフ(カメラマン、ヘアメイク、スタイリストなど)が「これがベスト!」と選んだ最高のショットを、中国側の編集者はおうおうにしてあまり採用しない、という話も興味深かった。洗練度が高すぎると、中国の消費者は、「自分との距離がありすぎる」と敬遠してしまうのだそうである。プロの目から見たらややランク低めの、手が届きそうな、親しみやすい感じ。これが今の中国では受け入れられるのだと。

西洋人の容姿はかけ離れているけど、日本人は同じアジア人ということで肌や髪の色も近く、身体のバランスも近い。そのこともあって日本のファッション、ヘアメイク情報は、西洋の雑誌情報以上に、熱い模倣の対象になっているらしい。

そんなこんなの興味深い中国のファッション事情を、小人数クラスの学生とともに、興味深くうかがった。重たい雑誌をたくさんもってきて真摯にお話くださった暁燕さん、ほんとうにありがとうございました! 現場に携わる方のお話は、説得力がありました。

写真は暁燕さんにいただいた、上海万博のおみやげ。シルクの巻き物に、書。なにが書いてあるのかわからないのだが(・・・)迫力あるビジュアル。

Photo

◇同じアジアでも、韓国では水光(ムルグァン)メイクというものが流行している、と別の小人数クラスの学生の報告で知る。韓国のほうは、パールの下地を使い、肌はつくりこむけれども、ポイントメンクはティントでごく薄めにするというメイクが流行中で、日本のいわゆる「ナチュラルメイク」よりもかなり薄い印象。

このクラスの、韓国からの留学生は、日本のドラマと韓国のドラマの徹底比較も披露してくれた。韓国ではCMは最初と最後だけ、途中に入ることはないということ。60分ドラマが週二回(!)のペースで続いていき、スケールも大きいこと。戦隊レンジャーものが、韓国には存在しないこと。家族ドラマが多くて老人の俳優の登場場面が多いこと。視聴者の意見が重視され、脇役でも人気が出れば、その人を主役とするようにドラマが変わっていくこともあること、などなど興味は尽きなかった。

学生のリアルなレポートに、学ばせていただくこと大。感謝。

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2010年6月 6日 (日)

「変態は文明のバロメーター」

鹿島茂『パリ、娼婦の館』(角川学芸出版)読み終える。「閉じられた館」(=娼婦の館)について、建物からインテリアから労働内容から経済から階級問題からサービスの内容から、あらゆる角度から論じられている。アカデミックに、人間にとってのエロス、というか男にとってのエロスのあれやこれやを学べる。装丁も渋ゴールドにピンク、活字もセピア色で、なんだか楽しい。学究的なアプローチのあいまに、おやぢで下世話な視点がたっぷり入っているのも、鹿島先生らしいサービス精神というか。変態プレイの具体的な描写の数々には、笑った。今でも同じようなことが、文明社会のどこかで行われているんだろうなあ(タイトルのフレーズは、もちろん鹿島先生の表現)。

文学や映画などによくでてくる社交場も、実はそういう場所だったのか!と驚くところ多し。名高い「スファンクス」とか。実態を知っているのと知らないのとでは、大違いである。

第一次段階としての社交的サービスと、第二次段階の直接的サービスが、切り離されているのは世界広しといえど日本だけ、という指摘がひっかかる。擬似恋愛を核としたキャバクラやクラブが(社交以上のサービスなしに)単独で成立しているのは、日本独特の現象だという。なぜなのか。

イギリス文化、とりわけジェントルマン問題をやっていて、ときどき隔靴掻痒感を抱くのは、このあたりの問題であったりする。英国紳士のダブルスタンダード。たぶん、イングリッシュ・ジェントルマン像は、娼婦の赤裸々な実態とその周辺が明らかになったら、また一味違う見え方をするのではないかと思う。そのあたりは遠慮して踏み込む人が少ないように感じるのだが。

パリに対抗するわけじゃないが(笑)、「ロンドン、娼婦の館」みたいな本が、あったらぜひ読みたいと思う。

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2010年6月 4日 (金)

新しい世界に導いてくれるのは、「ご縁」

◇「ワイン王国」7月号、巻頭アペリティフで、エッセイを書いています。ペリエ・ジュエの会でのご縁つながり。ワインの話を活字で書くのはほとんどはじめてのことで、肩に力が入りすぎて(?)「このドシロウトは!」とあきれるようなハズカシイ話になってしまいましたが。機会がありましたら、寛大なお気持ちで、ご笑覧ください。

仕事も生活も、思ってもいなかった新しい世界に導いてくれるのは、ほかならぬ「ご縁」であるなあ、とあらためて実感。

◇「成城石井」にて恒例の、空クジなしのシャンパンくじ。3500円ほどの投資で、最低でもモエ。最高でドン・ペリ。

もちろん参加。

で、ひきあてたのは。

金賞2本のうちの1本、ドン・ペリニオン2000年。

何百年に一度であろう幸運に、感謝・感涙。

「いままでワインくじに投資してきたお金でとっくにドンペリ何本か買えたんじゃないのお?」とは畏友サツキさんのツッコミ。

いろんなことをトータルにかんがえれば、プラマイゼロになってるのだろう。とりあえず今は酒神バッカス様に感謝。

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2010年6月 3日 (木)

国の基本はどこに? その答えの一つを模索する映画

◇映画「フラワーズ」、公開に少しさきがけて観る機会をいただく。「TSUBAKI」の広告で名高い大貫卓也氏が企画・製作総指揮、「タイヨウのうた」の小泉徳宏氏が監督。蒼井優、鈴木京香、竹内結子、田中麗奈、仲間由紀恵、広末涼子、それこそTSUBAKIな女優陣が、3世代にわたるさまざまな日本女性を演じる。

蒼井優は小津安二郎風世界、田中麗奈はクレイジーキャッツ風世界、というふうに、各時代の女性を演じる女優は、それぞれの時代の映画のなかにワープしたよう。

テクニックはとても凝っているが、伝えられるメッセージは、シンプルなどまんなかの直球である。四季の折々の花のなか、心に傷を抱えながらも、つつましく覚悟を決めて一歩前へ踏み出す女性の、凛とした美しさ。日本人の命は、家族は、こうしてつながってきたのだ・・・・・・と国が砂漠のように殺伐としつつあるような今だからこそ、響いてくる。

支える男性陣も、さりげないのに強い印象を残す。蒼井優の父、仲間由紀恵の夫、田中麗奈の恋人。愛情表現は不器用だけど心根は誠実で優しいこんな男たちに支えられて、女たちは強くなれ、次世代に命をつないでいくことができた。

こういう「ど」シンプル&ストレートな映画がつくられるのも、不況の影響のひとつだろうか。よけいなものをクリーニングアップしてまずは原点を見つめてみよう、というムードを、モード界ばかりでなく、こんな映画世界にも感じ取ることができる。

バブリーな80年代に、過剰でシニカルで倒錯していた変化球映画たち(デイビッド・リンチ、ピーター・グリーナウェイ)の洗礼を受けた身には、ど直球はなかなか心のミットにおさまらないところもあるのだが、直球じゃないとメッセージが伝わらない時代、というのもおそらくあって、それがまさしく、「弱っている」人が多い今なのだろうな、とも感じる。そんな今を迷いながら生きる日本人に希望を届けたい、という作り手の姿勢に敬意を表します。

◇週刊文春書評欄掲載感謝。ささやかでも反響が途切れずに続き、苦労も報われるような思いです。

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2010年6月 1日 (火)

天然香料100%の「デメリット」を使いこなす時代

日本人はとてもにおいに敏感だ。消臭剤があれほどきめこまかく開発されるのも、日本ぐらいではないか。「くさい」ものが嫌われる一方、ある人々にとってはよいにおいであるはずの香水のにおいも、嫌われることがままある。

香水好きなはずの自分でさえ、体調のよくないときには、合成香料のにおいが充満した満員電車のなかで頭が痛くなったことがある。30センチ近寄ってはじめてかすかに香るという程度のつけ方がいいとされるが、肌に最接近してはじめて気がつく、という程度でも十分ではないかと思うことも多い。

他人に香害を与えるのは避けたいけれど、自分でひそかに香水を楽しみたい、というときになかなかよいのでは、と愛用し始めたのが、「パルファン・オノレ・デ・プレ」の一連のシリーズである。合成香料を使わず、100%天然香料でできいる。フランスでは香水のカテゴリーではじめてオーガニックと認定されたフレグランスだそうである。調香師はオリヴィア・ジャコベッティ。

合成香料が使われていないことには、メリットとデメリット、両面がある。メリットは、頭が痛くならないこと。不快と感じる人が少ないであろうこと。たっぷり使っても、深呼吸したくなる。自然のやさしさに包まれるような心地よさで満たされる。

デメリットは、持続性が低くなること。長時間はもたない、と考えたほうがいい。思えばはじめて合成香料を用いた1920年代のシャネルNO.5は、こまめに香水をつけたしていられない忙しく働く女性のために考えられた香水でもあったかもしれない。

でも、今では、持続性が低いということが、逆に強みにもなる。外へ向かって残り香がとんだりしないので、日本料理店やワインバーにいくときにもつけていける。

肌に直接たっぷりつけ、繊細な香りが肌の一部となるようなつけ方を楽しむためのフレグランスである。肌に鼻をつけてはじめてわかる(笑)みたいなところがある。慣れないうちは、「もたない」ことに物足りなさを感じるのだが、少なくとも他人に害は与えないだろう、とリラックスできる。

気持ちを明るめにもちあげたいときには、幸せな夏の日の田園の自然をイメージさせる「ボンテ・ブルーム」、甘めな気分にもっていきたいときには「セクシー・アンジェリック」あたりが、このブランドの個性がきわだっていて印象的。ほかにも、大地の神秘を感じさせる「シャーマン・パーティー」やかんきつ系がはじける「オノレ・トリップ」、森と水をイメージさせる「ニュー・グリーン」など。

外箱がユニーク。アコーディオン型におりたたまれた紙でできていて、クッション性もそなえながら楽しい。「新時代のエコオーガニック」を視覚的に伝えている。下は、「セクシー・アンジェリック」のボトル。

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