着るものに対するアティテュードの伝統
ギュスタヴォ・リンス展@代官山のリフト・エクリュ。布と服、服と身体、建築と服、など多岐にわたって考えることを促す、哲学的でアーティスティックな個展である。
リンス氏はブラジル出身で、もと建築家。その後パリでモデリストとしての経験を積み、2003年から自身のオートクチュールのブランドを手掛けてきた。
暴力的にも見える「服」たちだが、よく見ると、とても繊細で構築的で、テクニックのクオリティが高いことがわかる。
建築と服をつなぐもの、それはキモノであった、とデザイナーのリンス氏は語る。平面的な布と帯が、動く人体の急所を守り、包む理を正確にとらえ、重ね方、結び方のテクニックを駆使しながら、身体にあった立体的な服になっていく。キモノは(帯も含め)多様な可能性を秘めた服だ、と言いつつ、リンス氏はその場で帯を使ってスカーフ風のアレンジを作ってみたり、椅子にかけて家具のカバーのアレンジを作ってみたりしてくれた。上の写真の左から3体はキモノ地で作られている。下は中央奥の服のアップ。
現代の日本人にも、キモノを着こなしてきた時代のしぐさの名残りが見られる、というリンス氏の観察眼には驚いた。男性はコートを着るときの仕上げに、あたかもキモノの前の打ち合わせを整えるときのように、前をしゃんと整えるしぐさをする。一方、女性は、コートの着こなしの仕上げとして、あたかも背抜きをするかのように、両肩をくっと後方へそらすという。ええっ!?と思ったが、言われてみれば、そんな気がしないでもない・・・・・・。キモノから洋服に着替えても、着るものに対するアティテュードの伝統が残っているのだという指摘に、半信半疑ながら、面白い着眼点だなあと感心する。少なくとも、外国人デザイナーの目にはそのように映ることもあるのだ。
服を脱いだあとの身体、身体からはずされた抜け殻としての服、というものに想像を促すジャケットも、シャドウと一体となって、目をひきつけずにはおかない。
なるほど、服は身体が造るものでもあるのだ、と思わされる。
本来ならば捨てるはずのパタン(型紙)をあえて縫い合わせて作られたアートもある。エコロジカルなスピリットに支えられたものであるが、こうして作品にするにはお金も時間もかかる。贅沢なエコロジー、というコンセプトの表現。
難解で哲学的なアートピースにも見える作品をつくるデザイナーであるが、とてもサービス精神にあふれたオープンマインドな方であった。赤い靴がステキでした。
「ファッション・アクセサリ」カテゴリの記事
- 「御しがたい自然とともに前へ歩む」(2012.02.02)
- 気になるのは、下着よりもむしろ(2012.01.05)
- フェティッシュなモード感のための+1 (2011.12.27)
- 「東京ファッション」の現在(2011.12.25)
- 履けない。だから何だ。(2011.12.20)













コメント