グローバルな<文化商品>は言葉を必要としないもの
あわてて確定申告の準備を始め、どうしてもわけがわからない言葉というかシステムをわかるように説明してもらいに行ったら税務署のプレハブの中で3時間待ちであった。ようやく順番がきて説明してもらえた時間は、5分だった。
待っている間に、読みかけだった水村美苗『日本語が亡びるとき』(筑摩書房)読み終える。最初のエッセイ風のところは楽しく入っていけたが、中盤、やや専門的な言語の歴史の話に入ってくるあたりから、読むのに気力が必要になった。とはいえ、これだけの問いを、今の日本に投げかけるその勇気に、まずは心打たれた。「遊園地のように、すべてが小さくて騒々しい、ひたすら幼稚な光景」と形容された今の日本の文壇からは、相当なバッシングがあったのではないか。とはいえ、「小林秀雄賞受賞」と帯に書いてあるから、案外そうでもないのかな。
スノビズムについて、的確な指摘あり。
「世界の様子がわかるにつれ、世界のスノビズムもわかってきた。世界のスノビズムがわかってくれば、辺境ほどスノッブになるという法則が働く。(今、ヨーロッパの「ブランド品」の最大の市場が東アジアなのと同じである。)」
また、ハリウッド映画をはじめ「グローバル」な文化商品についても、納得の指摘。
「グローバルな<文化商品>とは、ほんとうの意味で言葉を必要としないもの―ほんとうの意味で翻訳を必要としないものでしかありえない。グローバルな<文化商品>といえばハリウッド映画がその代表だが、今や収益の五割以上を輸出に頼っているハリウッドの映画産業は、制作費が巨大な映画ほど、輸出用にわざと台詞を少なく抑え、捉えにくい個別的な<現実>を描こうとする代わりに、人類に共通する神話的世界を描こうとしている。目をみはるほどの勢いで進化するCGの技術を駆使しながら、これまた目をみはるほど古くさい壮絶な善悪の戦いが氾濫する所以である。商業主義のハリウッドであるからこそ、翻訳というものの困難を充分に承知しているのである。言葉の力だけは、グローバルなものと無縁でしかありえない」
かの「アヴァター」も、最先端のCG技術で古くさい神話的世界を描いて、世界的な文化商品として成功している。
それにしても税金関係の言葉というのは、日本語なんだろうか。難しすぎる(涙)。
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コメント
男三兄弟で相続について話をしたときのこと。次男が「俺は放棄するよ」という言葉に銀行員の長男が「おまえ放棄という言葉の意味が分かっているのか」と激しく叱責。二人の思いを知ったつもりの私でしたが,言葉一つでこんな雰囲気になるなんてとドキドキでした。
今月のワイナートの影響でアンリ・フェレティグを検索したら,このページにたどり着きました。すぐに「愛されるモード」を購入。半分読んだところで,病気療養中の父が死去。一昨日葬儀が終わりました。初七日のお斎は120人にものぼり,父の愛される背中を感じ取れたような気がします。今日は市役所,銀行,墓参りと少し寂しい手続きや行事がありました。自分がどんなスタイルをイメージし日常を過ごしていくか,そんな問いに自分自身が答えてみる最高の機会なんですね。
投稿: てつし | 2010年3月13日 (土) 01時03分
>てつしさん
お父様のこと、心よりお悔やみ申し上げます。多くの方々に愛されたお父様だったのですね。悲しみの中でたくさんの手続きをしなくてはならない大変な日々かと拝察します。どうぞ御身大切にお過ごしください。
拙著ご購入くださいましたとのこと、ありがとうございました。
投稿: nakanokaori | 2010年3月13日 (土) 04時53分