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2010年1月

2010年1月31日 (日)

「修羅場はある程度こなすと楽しみに変わる」

1月、やっと終わる。おそろしく長かった。公私にわたって20くらいの重要案件が同時進行していて、「できるかどうか?」などと考えるとパニックになるので、とにかく目の前のものから一つずつ丁寧に片づけていく。いつもこんなんだから長期的ビジョンなど、いつまでたっても考えられないのだなあ・・・と泥縄人生を反省する。

タイミングよく「王様の仕立屋」Vol.13のなかで、元気の出ることばと遭遇。

「修羅場はね ある程度こなすと 楽しみに変わるの」「後進が怖いと思うようじゃ まだまだ苦労が足んないのよ」

修羅場が楽しみに変わるまで(!)の道は、はるか遠そうだけど、なんだか気持ちが軽くなるいいセリフ。

同巻の「クラシック」についても、奥深いことばあり。

「クラシックとは必ずしもネクタイを締め革靴を履くという鉄の掟ではない。それは呼吸をするように自然に身についた人生を纏うことだ。無論、自分が生きる道の基本や由来を把握する事で、着こなしにより筋が通るのだ」

「あくまでも控えめでありながら、ほんのちょっとだけ相手の見識を量るような仕掛け。これがクラシックの妙であり大人同士の会話なのだ」

「伝統とは否定するものでなく盲従するものでなく、御するに値する技量を身につけ使いこなすものだ」

完璧美女社長エレナを職人オリベが振っちゃう(!)ときのやりとりも、シブかった。振られたエレナの切り返しが、かっこよすぎる。

「貴方誰を振ったと思ってるの? 私がもう一度チャンスをあげるまで貴方はずっと一人のままよ」

振ったほうも振られたほうも傷つかずに(傷ついた風を見せずに)、笑って去ることができる、覚えておきたい名セリフ。

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2010年1月30日 (土)

「ガムを嚙むのはアゴが疲れる」世代

◇松田久一『「嫌消費」世代の研究』(東洋経済)。車もテレビも海外旅行もいらないという世代の分析。「嫌消費世代」と名付けたことじたいに最大の意義があるのかなという印象。「目立たないように、空気を読んで、できるだけ深く関わらずに」「外すとバカにされるから、流行とかは追わないようにしている」などなど、上の世代から見ると不可解すれすれの若い人たちの低エネルギー現象が、今後、「嫌消費世代」ということばで説明されていくのだろう。劣等感や自信のなさが、「とりあえずまったり暮らして、貯金」というローテンションの行動に向かわせる、という指摘に、なるほどなあと思う。

◇なんだか(気持ち的に)冷え冷えとしてきたので、ジャック・ブラック主演の「スクール・オブ・ロック」DVDで。期待を裏切らないアツ(くるし)さに元気のおすそわけをいただく。金がなくてもロックがある、という時代もたしかにあったのだ。今はフィクションの中にしかハイテンションはありえないのだろうか。

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2010年1月29日 (金)

虎の爪、サメの歯だってお宝に

◇三越伊勢丹百貨店の紳士服売り場担当のスタッフの方々に、紳士服の歴史とパーツに関するストーリーのレクチャーをする。実際に売り場に立っている方はモチベーションが違う。もっと現場の方にも役立ててもらえるような研究をしないと、とかえって刺激を受けた。ありがとうございました。

◇BUNKAMURAにて開催中の「愛のヴィクトリアン・ジュエリー」展に立ち寄る。精巧でイマジネーション豊かなアンティークジュエリーの数々は見ごたえあり。ありとあらゆる種類の原材料、技法を通して美を追求した人々の、情熱とエネルギーをおすそわけしていただいた気分である。ケシ粒ほどのシードパールをぎっしりと寄せ集めて作るジュエリー、細かな石で作るモザイクジュエリーには、作る過程を想像して、感動を通り越して気が遠くなりそうだった。

虎の爪のブローチ、サメの歯のネックレスとイヤリング、昆虫そのままの形を生かしたイヤリング、モルフォ蝶の遊色を生かしたブローチなどは、グロテスクすれすれながら、思わず見入ってしまう迫力がある。

こんなものまでジュエリーにするのか、という素材の極みが、髪の毛である。故人の髪の毛を編んだり貼りつけたりしてジュエリーにするのだ。以前からヘアジュエリーの存在は知っていて、不気味だなあと思っていたのだが、本物をあらためて目にして、深く心を動かされた。気味が悪いとかそういう次元を通り越して、人の想像力はこんなものを作るところまで思い及んでしまうのだ、という感動。故人の片目だけをデザインしたアイジュエリーにも驚き。

ウエディングケーキが3段になっている「意味」もはじめて知った。

平凡社から出ているカタログ本も、詳しい年表ばかりか技法や用語の解説つきで、とてもよくできている愛蔵版である。

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2010年1月28日 (木)

Who cares?

「ピラメキーノ」内「だるだるイングリッシュ」の英会話講座風スキットがおかしくて、ダル先生のあまりのやる気のなさを笑っているうちにいやでも英語がこびりついてしまう。

Let's not. 「やめようぜ」。

Not now. 「またこんど」。 

I can't.  「ムリ」。

No way. 「ぜったいムリ」。

Who cares? 「どうだっていいじゃん」。

なんだかんだって覚えてしまうんだから、いい先生かも?(笑)

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2010年1月26日 (火)

「エル・ブジ」がクローズする

◇世界でいちばん予約がとれないレストランということで有名なスペインの「エル・ブジ」が、2012年から2013年までの一年間、クローズするというニュース。英「ガーディアン」のフードブログにて知る。

どのくらい「予約がとれない」のかというと、ワンシーズンに8000人分提供できるところ、2百万人の申し込みがあるのだそうである。2011年までの予約はもうすでに埋まっているだろう。

シェフのフェラン・アドリアが「休養したい」という理由。

最近のトレンドとしては、「エル・ブジ」スタイルよりもむしろ「スーパーナチュラル」(地産のものをできるだけ調理せずに)が人気と報じられたりしていたが、原材料が予期せぬものに変化している独創的な「エル・ブジ」スタイルは、特別な機会にはとくに、楽しいと思う。2014年からの復活を望む(できれば日本で。それまでの景気回復を祈る)。

◇日本のNIKKAウィスキーがアメリカに進出し始めている、という「ウォールストリートジャーナル」のニュース。記者が北海道の余市まで取材に行った映像つき。がんばれメイドインジャパン。

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2010年1月25日 (月)

ピンクポンド

高城剛『オーガニック革命』(集英社新書)。実際にイギリスに一時的に移り住んじゃった最先端のノマドをなさっている方ならではの、ロンドンの現状の報告が興味深かった。リーマンショック以降の、ニューヨークとロンドンの違いというのも、居住者ならではの視点から具体的に書かれていて、なるほど、と。

「ピンクポンド」ということばを知って驚いた。イギリスに生活する同性愛者は、全人口の約6%にあたるそうなのだが、彼らこそがブレアが唱えていたクールブリタニア市場のお得意様であったという指摘。平均年収が高いうえに、外食や服飾にお金をかけ、パーティーやオペラやコンサートにも積極的に出かけて行って出費を惜しまない。ブレアが力を入れたクリエイティブ産業を活性化させていたのが、彼らゲイのピンクポンドであったとは!

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2010年1月24日 (日)

「健全な市民の苛立ち」

蓮實重彦先生によるエリック・ロメール追悼文、23日付け朝日新聞。映画の仕事の比重が大きかった頃は、ロメール映画は「必見」とされていて、ほとんど見ていたのだが、何をどう紹介していいのか、いつももやもやした印象だった。軽いのに重みがある。あっさりしているのに複雑。つまらなくはないんだけど、わかりよい面白さはない。そんなロメールを蓮實先生に文章で表現してもらうと、ああそういうことだったのか、と理解できた。

「世の健全な市民からは思いきり遠いところで、身勝手としか思えぬ秘境的な映画作りに徹してきたエリック・ロメール」

「(遺作となった「アストレとセラドン」にふれて)良識の持ち主なら誰もが立腹しかねぬ時代錯誤の限りを尽くしてガリア期の男女の愛を描いたその画面には、優雅な卑猥さというべきものが漲っている。卑猥さと戯れずにどうして卑猥さを超えられようかという彼の人を喰った演出ぶりは、これまでも不謹慎と見なされしばし健全な思考を苛立たせ、倒錯的と見なされ不健全な思考をいたく興奮させてきた」

こういう蓮實節が、ロメールを語るときにはよく似合う。

蓮實先生の映画の講義は何年間か聴講していた。「えー」とか「そのー」「じゃあ」みたいな間投詞を一切おっしゃらないのである。体言止めもなければ、聴き手に「言ってることわかるでしょ?」と理解の共有を求めるような甘えの姿勢もない。話しことばであっても文がまったく乱れず理路整然としており、無駄な単語を何一つ発しない。板書なんかもしない。ユーモアも独特で、正確で魔術的な話術だけで聴き手を呪縛する。ほんものの高級な知性っていうのはこういうことをいうのかあ、と思わず平伏したくなるようなお方であった。

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2010年1月23日 (土)

リラックス!

DVDで「ズーランダー」観る。なんでもっと早く観ておかなかったのか!!!と強烈に後悔したほどの痛快な面白さ。メンズモデル界のばかっぽさと能天気な楽しさとが、愛情と皮肉をたっぷりまぶして描かれていて、爆笑しつつ、しみじみ笑い泣きさせられました。ベン・スティラー、オーウェン・ウィルソン、ウィル・フェレルと好きなコメディアン大集合。

不況期の80年代ブーム(不況なのに好況期に登場したものが流行する)って、コンプライアンス(社会的要請への適応=全方向にいい顔をしなくてはならない)の時代の象徴かと思っていたのだが、そうではなくて、あの名曲「リラックス」に集約されるものだったのかもしれない、という気づきもあり。ファッション界って、ほんとうにくだらないところもあるが、その軽さなくしてファッションの魅力はないこともあらためて実感する。

10年ほど前の映画で、当時の有名人がぞろぞろとカメオ出演している。トム・フォードもいるしヴィクトリア・ベッカムも。一方、「あの人は今?」の人もちらほら。クリスチャン・スレーターはあまり話題作で見かけなくなったが。

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2010年1月22日 (金)

「実用的な」ファッション

◇デパートなどではすでにバレンタイン商戦が始まっている。以下は、ここまでやるのね、というチョコレートファッションを紹介する「テレグラフ」のフォトギャラリー。チョコでできたボディスに帽子、靴、扇、ドレスなどの数々。圧巻!(モデルはたいへんそうだが・・・)

http://www.telegraph.co.uk/fashion/fashionpicturegalleries/7045344/Chocolate-fashion-pictures-of-dresses-shoes-and-handbags-made-of-chocolate.html

バレンタインには、「実用的な」ファッション?

◇4月に発刊予定の英和ファッション辞典の監修の仕事をしているのだが、Utility という語をファッション用語としてどう解説したらよいかとしばらく悩んでいた。実用、という日本語はちょっとズレる気がしていて。すると天からの恵みのように、今朝、以下のフォトギャラリーに遭遇。英「ガーディアン」が、トレンドとして「ユーティリティー・モダン・ミリタリー」を特集しているギャラリー。

http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/gallery/2010/jan/21/fashion-trends-utility-modern-military

カーキ色を使い、軍服のディテールを使っていても、あまり実用的には見えない(笑)。ほんとうに実用的にしちゃうとファッションとしての魅力は半減するのである。

英語をにらみ、OEDでことばの原イメージをつかみ、写真を見て、ことばのイメージとのズレを修正しながらぴたりくる日本語を探し当てていく。完全に一致する日本語を思いつくまでが、苦しくて長いのだが。

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2010年1月21日 (木)

幸福とは、副作用である

仕事上の調べものをしていたときに、「快楽のパラドクス(paradox of hedonism, pleasure paradox)」ということばがあることを知る。

幸福や快楽というのは、それを直接に求めても決して得られないものであって、なにかまったく別のことに没頭しているその過程に発見できる現象である、という考え方。

スチュアート・ミル、ヴィクトール・フランクル、エドワード・ヤングなど、古くから多くの哲学者や詩人が同じ趣旨のことを書いているとのこと。

幸福とは、予期せぬ副作用である。しばし深く納得して、もとの仕事に戻る。

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2010年1月20日 (水)

同じ<クラブ>メンバーでありたい幻想

どこかに活字原稿でと思っていたけどタイミングを逸したので、こちらのほうに大雑把にメモだけしておくことにした(必要になった時に、詳しく参照しなおすことができる。紙片だけだと必ず大量の書類の間に紛れてわからなくなる。こういうときにウェブは便利だと思う)。不況にも関わらず時計産業が健闘しているという英「ガーディアン」の記事。昨年12月14日付け。

とりわけ急伸しているのが、ヨルグ・グレイ。(この話は「ダンディズム」の本にもちらっとだけ書いたのだが)もともとはアメリカのシークレット・サーヴィスのメンバーのためにデザインされていたヨルグ・グレイ6500クロノメーターを、バラク・オバマのSPが彼の誕生日にプレゼントしたことが、ブームのきっかけとなった。

オバマはこれをシカゴでの勝利スピーチの際にも、大統領就任の際にも、ロンドンのG20にも着用、知名度と人気は決定的になる。価格が手ごろということもあるが、多くの男は、大統領と同じ時計を身につけることで、「大統領と同じ<クラブ>メンバーに属している」という幻想を抱くことができるのだという。女がセレブリティ所有のバッグや靴と同じものを身につけて、「今だけケイトモス」気分になるのと、同じでしょうかね。

とりわけ男性の場合、スーツで盛装してしまうと、その人のパーソナリティとか同時代感覚とかステイタスなんかがわかる数少ないアイテムが、時計である。とりわけ今は大げさな車を乗り回すことが「アウト」に感じられる不況期なので、その分、時計に力が入るようになっているのだとか(時計は車と違ってCO2も出さないし)。

そこで時計産業のほうもこの状況を最大限に生かし、次の3点に力を注いできた。

1.最新のテクノロジーを駆使し、世界トップクラスのスポーツカー並みに、畏れ多いほどの複雑機能を搭載する。

2.絶えず、ニューモデルを紹介していく。

3.それを一般大衆に知らせるために、大量の広告費を注ぎ込む。

とはいえ、今はさすがに時計産業全体が落ち込んではいる。でもそれはバブル期のように派手なものを誇示的に買うという「ブル・マーケット」がなくなったためで、「インテリジェント」な買い方をする客の比重が上がっているという。知的に選べば、時計は資産価値を上げることもある。1930年代のパテック・フィリップなども、オークションで高価に売買されている。

資産価値ヌキにして、純粋に時計は喜びの源でもある。だが、着用する時計は、好むと好まざるとに関わらず、「あなた」を語ってしまう。それは価格とは無関係で、オバマ大統領のヨルグ・グレイとか、億万長者であるトッズの会長のスウォチのように、安価でも完璧にデザインされたものを選ぶことで、インテリジェンスを表現することもできる、と。

女のバッグや靴をチェックするのがおうおうにして同性の女であるように、男の時計をすばやくチェックするのも、男である。「相手は、どの<クラブ>に属しているのか?」(=どういう幻想に弱いのか?)というのを知るには、わかりやすいアイテムなのかもしれない。

個人的には、ブランドに詳しい(ことを表わす)態度に出会ってしまうと、ちょっと辟易するので(笑)、よほど相手に「見て見て~」と言われない限り、時計なんか見てないしよくわからない、という態度がオトナかな、とも感じる。

就任1周年で評価を下げているオバマ大統領だが、それでも、大統領は大統領。ヨルグ・グレイの「大統領の時計」幻想は今後も生きるのだろう。

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2010年1月19日 (火)

「アメリカ trash can」

◇柴田元幸先生責任編集『モンキービジネス』vol.8音号(ヴィレッジブックス)。あす発売だが、ゴマ粒一粒程度、参加させていただいた特権(?)で一足早く手元に届く。柴田テイストに貫かれた短編小説あり座談会あり翻訳小説ありエッセイあり詩ありの、活字好きにはたまらない、読みごたえのある文学マガジンである。今号は、文学にとっての「音」がテーマで、さまざまな角度から、「活字で語る音」について思いをめぐらすことができる趣向。

個人的にいちばんおもしろかったのが、岸本佐知子、テッド・グーセン、小沼純一、柴田元幸の4人による座談会「音」で、笑いどころ満載。小ネタも頭にこびりついてしまい、日本に来るガイジンの間で、「どういたしまして」はネイティブには言いにくいので"Don't touch my moustache "と言えばいいとか、「アメリカ大使館」も覚えにくいので"アメリカ trash can"と言えばいいとかの話があるなど、必ずやどこかで使ってしまいそうである(おやじですね)。

◇朝日新聞17日付、「仕事力」。姫野希美さんの第2回「生々しい、という美しさ」にはっとすることばあり、メモ。

「それは理屈とか価値観で非難したり隠したりするものではありません。今、この時代に明らかに呼吸している人間の姿です。美しさってすでに存在しているものではなく、常に新しく生み出されてくるものだと思います。従来の基準で、きれいとか汚れているとかを判断するものじゃない。その新しさに巻き込まれながら、人間の普遍的な生々しさに届いた表現がアートなのだと思います」

「人間はその風貌やたたずまい、話し方などにその人のあらゆる面が映し出され、極端に言えばドアを開けて入ってきた瞬間に『あっ!』と感じることがあるほど、その人が生きてきた軌跡は伝わります」

姫野さんの顔もまた美しい。眉なんてぜんぜん今風に整えられたりはしていないし、髪にもほとんど手をかけられてはいないのだけど、ピュアでまっすぐなまなざしが、心の中まで届いてくるようで、強く印象に残る。

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2010年1月18日 (月)

日本のファッション事情の特異性

◇今年度最後の大学の出講日。ファッション文化史の講義に、日本のファッショントレンドを研究する海外の研究者をスペシャルゲストとしてお招きする。ハーバード大卒業後、慶應義塾大学大学院を修了してフリーのライター&コンサルタントとして活躍するデーヴィッド・マークス氏と、ミュンヘン大修士課程修了後、慶應大に訪問研究生として在籍しつつ富裕層マーケティングのコンサルタントをおこなっているヘルゲ・フルフ氏。ふたりとも日本語は完璧すぎるほど堪能で、日本のファッション事情を長きにわたって研究している。

日本におけるトレンドについて、人気雑誌の変遷(ノンノの表紙でさえギャル化している!)をきめこまかく追いながら、マスマーケットが「上」ではなく「下」(ヤンキー的なるもの、ギャル的美学)に憧れる傾向を強めていることを指摘する、楽しくて興味深いプレゼンテーションをしていただいた。

日本のファッションの特殊性に関しても、原宿が世界に類例のない、(外国人には)衝撃を与えるほどの魅力をもっていることと、「ルイ・ヴィトン現象」が日本でしか発生していない特異な現象であることを、あらためて教えられた。海外から見た日本を語る、生のことばには、強い説得力があった。学生さんたちもよい刺激を受けたはず。とりわけ、女子学生の目がハートになってました(笑)。お二人に心から感謝します。

アメリカ、ヨーロッパの一流大学からも日本ファッションに対する熱心な研究者が出てきていることを実感し、心強く思うとともに、日本からも積極的に文化的情報を発信していかなくてはならないことを、ひしひしと感じる。

◇小人数ゼミには、学部広報用DVDのために授業風景を撮る撮影隊が入る。教師も学生もKodak courage を発揮し(?)、いつもよりほんのちょっとだけ緊張感のある雰囲気のなか、楽しく終了。一年間、自由で独創的な訳語をたくさん考えてくれて、私がいちばん勉強させていただいた気分である。みなさんほんとうにありがとう。

◇祝!「アバター」ゴールデングローブ賞作品&監督賞受賞。

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2010年1月17日 (日)

「『大人であること』は、僕らの理想だった」

◇ブノワ・デュトゥールトゥル『幼女と煙草』(早川書房)。眠る前に2~3ページずつ・・・のつもりが、あまりの衝撃的なコワ面白さゆえ、そのまま一気に最後まで読まされてしまう。

死ぬ前の権利として煙草を一服要求する死刑囚、ただ仕事中にトイレで煙草を一服隠れて吸いたかっただけの平凡で善良な中年男。たかが煙草一服をめぐり、それぞれの運命が思わぬ方向に急展開していく。ちょっとした「フィールグッド」な気分があれば、ナカミ空っぽの人間でも一夜にしてカリスマとして持ち上げる世間のあやうさ、オンナコドモの言い分を必要以上に尊重するのが正義であるかのような社会の欺瞞、リアリティTVの空恐ろしさ、「大人であること」を目指されなくなった幼児化社会のあほらしい現実、もっとも同情をかけられるべきは40~50歳代の中年男であるというまっとうな真実、などなど、描かれるすべてのことが、現代社会に対する痛烈な皮肉となっていて、ブラックな笑いが最後には凍りつく。読者は、「明日は我が身」となりかねないような不確かで恐ろしい不条理社会に実際に生きていることに、気づかされる。

映画化を希望。でも映画化の場合、結末をハッピーエンドにしないといまどきの観客は納得しないだろうな。この作者は、フィールグッドなハッピーエンドなど用意しないのだ。そんな世の中への媚びがないあたりにこそ、作者の骨太な気概を感じる。

◇谷川俊太郎さんの「1月の詩」、朝日新聞16日付夕刊。「うつろとからっぽ」の大きな違いを描いた詩が、とてもいい。最後の段落のみ引用。

「うつろとからっぽ

似ているようで違います

心という入れものは伸縮自在

空虚だったり空だったり

無だったり無限だったり」

できればいつも「はるばると地平線まで見渡せ」るように、からっぽにしておきたいものではあるが。

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2010年1月16日 (土)

ヨーロッパのカスタマー出版&中国の日本流ファッション誌

◇ラグジュアリーブランドが、既存の雑誌への広告を控え、編集スタイルをとった独自の「ルックブック」を出し始めている、というニュース記事。英「フィナンシャルタイムズ」8日付け。

ファッション誌の厚さは景気に比例する。景気がよかったころは電話帳のようで、持ち歩き不能だったラグジュアリー誌も、今は広告ページが激減しているために、さびしいほどに薄い。日本ばかりか、ヨーロッパにおいてもそうらしい。

だからといってブランドが紙媒体への広告を打っていないのかといえばそうではなく、ライフスタイル記事のなかにブランドの商品をとけこませた、「カスタマー・パブリッシング」というタイプの冊子がブームになっている、と同紙は報じている。先月にはカール・ラガーフェルドがオリヴィエ・ザームという編集者と組んだ「31 リュー・カンボン」発行。既存のものではサンローランが大都市で配布しているの「マニフェスト」もそのひとつ。

リテイラーもこの流れに乗り、先月には「フォーエヴァー21」が活字版・オンライン版のマガジンを発行、「バーニーズ」「セルフリッジ」なども、編集型マガジン広告へと移行。これはすでに編集スタイルの雑誌タイプの広告で成功をおさめた「ネッタポルテ」や「ASOS」にならったものでもあるようだ。

ブランド側、リテイラー側としては、このような「カスタマー・パブリッシング」のほうが、直接商品の扱いをコントロールできるので、「売る」ことに結びつけやすいうえ、広告費がはるかに安上がりになる。消費者側も、エンターテイメント+ショッピングの楽しみがダイレクトに味わえ、しかも無料となれば歓迎する、と。

こんな容赦ない流れのなか、既存のファッション誌はよほどダイナミックに変わらないと、ますます厳しくなっていきそうだ・・・・。

◇そんな記事を読んでいた折、中国のファッション誌から寄稿依頼をいただく。送られてきた見本誌の数々は電話帳どころか辞書のようにずしりと重く、中国の経済状況の勢いを感じずにはいられない。提携しているのがいくつかの日本の人気ファッション誌で、何人かのモデルの顔は、見なれた日本の人気モデル。齋藤薫先生のコラムもある。広告の多くは日本でもよく見るヨーロッパを中心とするラグジュアリーブランドである。中国が日本発ファッション文化を猛スピードで追っている。

◇JFA(日本毛皮協会)通信には、日本国内のファッションをとりまく状況の問題点として、中堅デザイナーの販路が断たれていることが挙げられていた。百貨店や専門店もとりあげる余裕がなくなっているうえ、かつてはラグジュアリーブランドに押しつぶされ、今はファストファッションにやられている。打開策として、海外への進出が考えられている、とのこと。

冷え込み激しいヨーロッパも、発展が見込めない日本も、次の市場としてターゲット視しているのが、2010年にエキスポが開催される上海をかかえる中国。桁違いの消費が見込まれるらしい。

2010年のファッションシーンは、中国を台風の目として大きく変わるという予感がする。

◇秦早穂子さんによる「シャネル&ストラヴィンスキー」評、朝日新聞15日付け夕刊。

「音楽と香水が隠れた主役、白と黒の室内装飾、衣装、手作りの五線紙が脇役だ。そこから導き出される5の数字の暗示など、独創的発想が展開する」

「今や彼女は男を養う新しい女。ロシア・バレエ団への匿名の寄付も、身分の低いデザイナーの社会的地位を認めさせる挑戦状であった」

「矢のように上昇するシャネルの成功と心の影の落差を冷静に見つめ、監督ヤン・クーネンは本質だけを衝く」

知識に支えられたきめ細やかな観察、的確な鋭い表現。五線紙とNo.5の結びつきは盲点であった。さすが秦先生!と心打たれたのでメモ。

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2010年1月15日 (金)

政治的に正しいフォアグラとは

◇マネー・ヘッタ・チャン『ヘッテルとフエーテル』(経済界)。こどもの病院の待ち時間に読み終えられるほど分量は少ない。でもナカミはけっこう濃くて、爆笑本でもありつつ、当事者には笑えないホラー。現代の日本人がいともかんたんに騙されているあれやこれやの話が、寓話の形式で描かれる。「ホワイトバンド」のうさんくさい流行は私も日経新聞のコラムなどでつついたことがあった(かなりソフトに)のだが、その「いんちき」の仕組みまでははっきりせず、どうも中途半端でもやもやしたままであった。ここまで明快にその手口を明らかにしてくれてありがとう!とすっきりした。もっとも痛快だったのは、底の浅い自己啓発本商法と、それを盲信する信者の末路のお話。最近の見え透いたキャットファイト演出によるマーケティングとやらにげんなりしている人にも、爽快感を与えてくれるかも? 「だれかに認められたいという自尊心、ほかの人よりも目立ちたいという気持ちは狙われる」というグリーム婆さんの警告もぴりっと効いてくる。

それにしてもこんなにも騙し、騙される悲劇が日本には日常的に蔓延しているのだ・・・・・・と思うと、空恐ろしい。

◇活字原稿からこぼれおちたネタをメモ。英「インデペンデント」1月1日付け。

「政治的に正しい」食べ物として、FOIE GRAS(フォアグラ)ならぬ FAUX GRAS(フォーグラ=フォアグラもどき)が普及しているという話。ガチョウにむりやり食べ物を詰め込んで太らせてつくるフォアグラは、動物を虐待しているわけで倫理的に正しくない、ということで、それに似せた食材を、スーパーマーケットなどのほうでも積極的に開発しているとのこと。成分は、放し飼いの鳥の肝臓50%+ガチョウまたはアヒルの脂肪。

動物愛護の急先鋒PETAによる「フォアグラが歴史の一部になるのは時間の問題である」という自信たっぷりのコメントが、なんだかな。

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2010年1月14日 (木)

「成功の復習に意味はない」

◇柳井正『成功は一日で捨て去れ』(新潮社)読み終える。ユニクロの躍進の背景に、この会社が具体的にどのような努力をしてきたのかが書かれている。業績年表、およびここ数年の社員向け「新年の抱負」も収録されているので、社内外に向けたユニクロという企業の紹介本のような印象も受ける。

とはいえ、利益をあげていても決して安定保守にまわらず、常に世界を驚かせるレベルの「攻め」を成功させている経営者のことばに思わず背筋がのびる。

「会社というのは、何の努力もせず、何の施策も打たず、危機感を持たずに放っておいたらつぶれる」

「成功の復習に意味はない」

「先入観が自らの壁をつくる」

「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」

などなど力強いことばがちりばめられる。

社会貢献の一部として、障がい者にも健常者と同じ職場で同じように働いてもらっている、という話には、ユニクロの新しい一面を知った思いがする。配慮はしても、「特別扱いはしない」という考えを、さりげなく実行できているということに感心した。

また、マイナスの印象を与えがちな結果がでるたびに、マスメディアが「これで終わり」」「失敗」「悪化」などとと書きたてる、という指摘にも、苦笑しつつ同情した。メディアって他人の失敗をことさら喜ぶ。非難するのと同じだけ、いいところはきちんとほめるべきだと思うのだが。だからこそ、外部の評価などは受け流して信念をもってやり続けていればいいのだ、とのメッセージも心強い。

◇日本TVのスタッフより「ナポレオンジャケット」が今、流行している理由について、電話取材を受ける。ディテールにまつわることなどもついでにあれこれ話しているうちに、「袖口のボタンはナポレオンが兵士たちに鼻水をふくのをやめさせるためにつけた」という通説にはギモンの余地あり、という自分の考えも話しておく。鼻水ふこうと思えばボタンのついてない面でふけるんではないか?

また、ナポレオンが右手を懐手にしている肖像画が多いのは「胃痛持ちだったため」という説が多いが、これに関しても私はほかにも理由があると思っている。それ以前の英国ジェントルマンの肖像画でも、紳士たちは右手を懐に入れて肖像画を描かせているのだ。その伝統となにか関係があるだろうと思っているのだが。どなたか理由をご存じの方、ご教示ください。

◇「日本経済新聞」より海外ラグジュアリーブランド不振の理由について、電話取材を受ける。

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2010年1月13日 (水)

不況で増えるパクリ訴訟

◇不況がはじまってから、デザインの著作権侵害に関わる訴訟が4倍増加した、というニュース。英「インデペンデント」10日付け。

ハイストリートのファストファッションチェーンによるパクリ製品はかねてから問題になっていた。アメリカ、ヨーロッパで制定されている法律については、「愛されるモード」のなかでも触れているのだが。

不況が深刻になって、この問題がいっそうひどくなっているらしい。ファッションブランドは「いったい世の中で何が売れているのか?」をさぐり、それが自分のところにないものであれば、売れているライバルから「インスパイア」(笑)されて似たようなものを作る、という現象が起きているとのこと。その気持ちはわからないでもないが。

2007年にはトップショップが「クロエ」のダンガリードレスをパクったことで損害賠償金を支払う羽目になっている。

最近、訴訟を起こしているデザイナーにジミー・チュウがいる。マークス&スペンサー、ウェアハウス、ニュールックを相手取って、係争中。

一方、リンジー・ローハンは、2008年にはじめたレギンスライン6126が、デザイナーのジェン・カオの著作権を侵害しているとして訴えられたばかり。ローハンはエマニュエル・ウンガロのクリエイティブディレクタターとしてデビューしており、さんざん酷評と嘲笑を浴びているのだが、それに加えてこの訴訟。どうするのか。

日本の「まねっこ」状況は、おそらく問い出したらきりがないのではないか。たとえばファッションビルやデパートに入っているブランドを見ただけでも、どこの誰がオリジナルで、どこがまねをしているのか、もうわけがわからないくらいまったく一緒なものばかり扱っているようにも見えるのだが。「売れ筋」のコピーを売れ筋の店と同じように並べておけば、消費者が喜んで飛びつくと思ったら、大間違いなのに。

◇「ハイファッション」までも休刊。さらに「プラチナサライ」も休刊。知人から相次いで知らせを受ける。「ハイファッション」にはほんとうに「育てていただいた」感が強い。好きな雑誌がどんどん姿を消していく。何にもできないのが悲しい。

昨夜はエリック・ロメールの訃報に涙したばかり。好きな映画監督も去っていく。やるせない。

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2010年1月12日 (火)

カーディガンの進化

◇「フラウ」2月号発売です。連載「ドルチェを待ちながら」で、最近、海外メディアに登場しているワード、「ラグジュアリー・シェイム(贅沢は恥)」に触れています。機会がありましたらご笑覧ください。

◇メンズモードの春夏のトレンドとしてカーディガンが浮上、という「フィナンシャルタイムズ」の記事(1月8日付)。ダブルブレストであったり、ショウルカラーがついたタキシード風味の味付けをしてあったりするフォーマルなカーディガンを、フェラガモ、ダンヒル、ポール・スミスなどのブランドが出しているとのことである。

模範とすべきモデルは、カッタウエイカラーのシャツにタイをあわせた濃紺(黒?)カーディガン姿で現れたダニエル・クレイグ。一方、同じアイテムでも茶色を選んだデイヴィッド・ベッカムは揶揄の嵐に見舞われた。カーディガンであっても引退感・窓際感を表現してはいけないということですかね。現役ばりばり感あふれる、21世紀型カーディガン。日本までこの流れは押し寄せるのかどうか。

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2010年1月10日 (日)

風はぶつかるのではなく、巨大な力ですれちがう

◇「サライ」2月号発売になりました。新連載「紳士のもの選び」始まりました。機会がありましたら、ご笑覧ください。

◇堀江敏幸『正弦曲線』(中央公論新社)読み終える。ゆっくりと、端正につつましく、深い文学的な時間が流れているエッセイ集。待ち時間や移動中などこまぎれの時間に、ひとつ、ひとつ、味わうように読んでいた。こまぎれ時間でさえ豊かで濃い時間にしてくれる、もの静かな親友のように感じられる本。エッセイひとつひとつがきらりと美しい世界なのだが、とりわけ印象に残っているのが、「風の接線」の話。グライダーがどうやって上昇するのか?という物理的説明文から、さりげなく文学的な味わいをひきだしていく堀江さんの想像力がとてもいい。

「空の密度を読み、AからBに向かって吹く風と、BからAに向かって吹く風がまじわる場所を捜し出し、双方の風速の差をうまく活用して上昇へのエネルギーに変換すること。目に見えない、ふたつの風の層のありか。『人類の飛行に際しては、この相反する風の接線を知る事が困難である』と著者は言う。・・・・・・・・・ 風はぶつかり、まじわるのではなく、巨大な力ですれちがうのである。ながく、しかも不安定に伸びるふたつの風の帯。そのはざまで、私も夢想の楕円を描いて高度を上げよう―、少しでも長く、言葉の空に留まるために」。

巨大な風の帯がすれちがい、その接線をたどって上昇していくイメージは、あらゆる「流行」にもあてはまるなあ・・・と思いつつ読んでいたのであった。

装丁がまた贅沢である。持ちはこべるほど軽い、どちらかといえばソフトカバーといっていい本なのだが、ケース付き。「目次」も「あとがき」も「はじめに」もない。珠玉の一粒一粒が、派手な宣伝とは無縁に、素朴に丁寧につめこまれた、こだわり職人のチョコレートボックスみたい? そこだけ時間が遅く流れているような装丁からも内容からも、なにか今の日本では切り捨てられがちな「良心」「志」みたいなものを大切にしていることが感じられて、ほのかにあたたかい気持ちになる。

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2010年1月 9日 (土)

「アバター」を乗り越えられるか

「アバター」を観にいく。あまり期待しないでいったのだが、予想外のすばらしい驚きにのめりこむ。一瞬、一瞬が、見たこともない美しい映像の連続。語られるのは、人類が古くから何度も懲りずに繰り返してきた(今もやっている)愚行と、その愚かさに警告を与える神話的な物語。そんな骨太の物語と、今現在最前線で起きつつあって、将来実際に生まれかねないSF的近未来の、あまりにも美しい融合。製作者の熱いメッセージも、しかと伝わってくる。

久々に、「終わってもすぐに立ち上がれない」ほどの映画らしい映画世界を堪能した。2時間半と長かったが、もっともっと、パンドラの星の世界に浸っていたかった。いちいち驚かせる、1600ショット(!)。 これだけのものを作り上げるのにどれだけの時間とエネルギーと情熱を要したかと想像すると、製作者の労力に、心から敬意を表さずにはいられない。これを乗り越えなくてはいけない後世の映画作家に思わず同情してしまったほどの、記念碑的できばえだと思う。

ゴールデングローブ賞にはすでにいくつかの部門でノミネートを受けているようだが、個人的には、ぜひとも作品賞をあげたい。

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2010年1月 8日 (金)

エコ・コンシャスな香水

アメリカの「ブルー・マーブル・エナジー」(CO2削減につとめる組織らしい)が、シアトルのパリューマリー、「スウィート・アンテム」とチームを組んで、CO2を出さない初の香水をプロデュースした、というニュース。

香水の名はギリシア神話の女神にちなんでEOS。女性用とユニセックスバージョンありとのこと。

最初に出た反応が、「いままでの香水ってぜんぶ地球温暖化に加担していたのか!」という驚き。スプレイはCO2を放出するってことで、たしかアラスカ知事のペイリンが、髪をアップにしていたときに環境団体から非難されていたが(彼女はその後、ダウンヘアにした)。そうか、香水もあかんかったか。そりゃあ、悪かった。

ちょっとだけ内心で毒づくことを許させていただければ、「エコファシズム。エコもうけ」。

この冬はヨーロッパでも日本でも近年にない厳しい寒さということで、大雪まで降っていることが報じられているが、これは、地球レベルでの温暖化防止の努力が実りつつある兆しということですか? せっかくみんなで努力しているのだから、その関連(の有無)をどこかのメディアが報じていただければ大雪に耐えている人も報われると思うのだが・・・・・・。

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2010年1月 7日 (木)

最高の「アグリ―」

◇活字原稿から惜しくもこぼれおちたネタをメモしておきます。マンハッタンのデザインチーム「アヴロコ」に関するフィナンシャルタイムズの1月2日付け記事。

20年前、カーネギーメロン大学で知り合った4人が、2000年に設立したデザイン会社で、数々のモダンで斬新なレストランの内装で業績をのばし、大きな賞も受賞している。

過去の仕事の一部は「ベスト・アグリー(Best Ugly)」というハーパー・コリンズから出ている大型本でも見られる。彼らの仕事の特徴は、オフビートでひねくれた、ちょっとわかりにくい美しさ。エレガントな表層に、ブッチャーの包丁がかけられていたりとか。洗練のなかに、気持ちをちょっとざらつかせるごつごつした何かがある、というのが彼らのスタイルであるようだ。

「ベスト・アグリ―」というアイディアは、チームで紅一点のクリスティーナ・オニールがアジアに旅行した際、中国の庭園を見てインスピレーションを得て生まれたという。中国の庭園では、1つの醜い植物が、周囲の美しさをより印象深くする働きをしている。

アヴロコの仕事はアメリカのみならず、タイ、香港、シンガポール、インドでも。

アヴロコの仕事をいくつか写真で追ってみて、「今」の感覚がまさしくこれだなあ、と感じたのであった。これでもかという王道美や、スキのない洗練美を「どうだ」とおしつけるのではなく、最先端の洗練のなかに、ちょっと気持ちにひっかかりをつくるような、ひねりのある「醜」なるなにかをとけこませる。そうすることで、奥深い余韻のある美しさが生まれる。これが今の感覚になじむ。

◇NAVI休刊のニュースにしばらく言葉が出なかった。「スーツの神話」のもとになった連載「スタイリッシュ・カリズマ」を掲載してくれたのが、ほかならぬNAVIであった。当時は鈴木正文さん(現ENGINE編集長)が編集長で、ユナイテッド・アローズの栗野宏文さんと3人で鼎談する(撮影用にドリス・ヴァン・ノッテンのスーツを着せられたりした・・・)など、鍛えられることが多かった思い出深い雑誌だった。ありがとう、NAVI。時代がよくなったらぜひ復刊を。

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2010年1月 6日 (水)

「無頓着シック」に「ボリウッド万華鏡」

ニューヨーク・タイムズ 「Tマガジン」、2000年代における各年で、もっともファッションに影響を与えたスタイリッシュムービーが選出されていた。

http://tmagazine.blogs.nytimes.com/2009/12/29/naughtie-behavior-the-decade-in-film-style/?ref=mens-fashion

2000年 ハイ・フィデリティ

2001年 アメリ

2002年 キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

2003年 ロスト・イン・トランスレーション

2004年 君に読む物語

2005年 ブロークバック・マウンテン

2006年 プラダを着た悪魔

2007年 善き人のためのソナタ

2008年 スラムドッグ&ミリオネア

2009年 500日のサマー

納得の選出で、各映画につけられたコメントも秀逸。スラムドッグ&ミリオネアには「ボリウッドのカレイドスコープワールド」なんて表現が与えられていて感心したが、たしかにこれを観て、生まれてはじめて黄色ベースのワンピースを買ったりしたほど影響力は大きかったのであった・・・(恥)。

それにしても、「アメリ」も「ロスト・イン・トランスレーション」もついこの間の映画のように思っていたのだが、もうそんなに年月がたっていたことにガクゼンとする。

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2010年1月 5日 (火)

ウッズの第二章

タイガー・ウッズの「シャツレス」(上半身ヌード)写真が、「ヴァニティ・フェア」2月号の表紙になる、というニュース。

http://www.telegraph.co.uk/sport/golf/tigerwoods/6933498/Tough-Tiger-Woods-pictured-shirtless-on-Leibovitz-Vanity-Fair-cover.html

写真家はあのアニー・リーボヴィッツ。この人の写真が「人生の転機」となった著名人は一人や二人ではない。

しかも実際にリーボヴィッツがこの写真を撮影したのが、2006年のことだという。当時は「クリーン」なイメージでやっていたので、こんなワイルドな印象を与える写真はとても公にできなかったのかな・・・とも憶測する。

ウッズのセックススキャンダル噴出後でこの写真を見るのと、2006年に見ていたのとでは、受けるイメージがまったく違っていただろうなあ。ウッズの隠されていた一面を数年前にすでに表に引き出していたリーボヴィッツの手腕に、あらためて感心する。

この写真の「生のウッズ」、なかなかいいと思う。ウッズの人生「第二章」は、これから。

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2010年1月 4日 (月)

「人為性と無作為性の間で揺れ動く」料理界

ポール・フリードマン編『食事の歴史 先史から現代まで』(東洋書林)。370ページ近いハードカバーの大型本。ケース付き。食卓の情景を描いた絵画がカラーでたっぷりぜいたくに添えられていて、目にも楽しい。人間にとっての「食事」の意味を考えながら、まずはざっと目を通した。後日、テーマに応じて参照できそうなところが、ところどころある。

ただ翻訳ということもあってか、文体がやや単調で地味なので、通して丁寧に読もうとすると眠気に襲われる。概説書はそんなもんかな。逆にそういう文体だからこそ、「古くなりにくい」というところもあるのだろう。同時代感覚を出しつつ今、面白がってもらうか、10年先の読者を見据えて己を抑えていくか。究極の選択のようにも感じる。両立できたら理想だが。

最後の章、美食学についての新しい展望についてのペーテル・スコリールスの論が、現代の関心と近くつながっていて、若干、興味深く読めた。ダノンやコカコーラによる味覚のグローバル化。移民による食材や味覚の国際化。ファーストフードの台頭とその反動としてのスローフード運動。レストランへの熱中が世界中で一気に増えたのが、1970年代であったこと(比較的最近だ)。1960年代には「新しさ」をアピールする食の記事が多かったのに、1990年代には「伝統」をアピールする記事が増えていること。でもその伝統は「創造された伝統」であるということ。その間に起きた食品スキャンダル。などなど。ポール・フリードマンの序説と併せて読むと、近年の食のトレンドの、一連の流れがつかめる。

「フラウ」の連載原稿の最後の締め切りが迫っているので、最終回にふさわしいネタ探しも兼ねてのアラ読み。4年近く続いてきた連載だが、海外の食のトレンドニュースをチェックし続ける習慣のなかで、食のトレンドとファッションの流行が連動していることをひしひしと実感してきた。衣食住ばかりでなく、教育・社会・広告・経済・政治・恋愛・文化・・・・・・人の営みは全部、多かれ少なかれ、互いにつながっているのだけど。

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2010年1月 3日 (日)

「これが仕事ですから」

「ハッピーフライト」「アマルフィ」をDVDで鑑賞。

「ハッピーフライト」は元CAの畏友アケミさんの強力推薦あり、DVDを手元に置いておいたままずっと観る機会を逸していた。ただでさえ大きかった期待をはるかに上回るおもしろさ。綿密で広範なリサーチに支えられた情報が、大きな愛をもって、映画の中で丁寧に生かされている。そんな作り手の姿勢になによりも心打たれた。

CAの青竹踏みつつの立ち食事、コックピット内の操縦士の食事(万一食中毒にあたったときのために2人で同じものを食べることはしない)、などなど、リサーチが生かされたほんのワンカットのシーンがきめこまかく積み重なって、リアリティが楽しげに躍動している。飛行機一機を無事に飛ばすために、機内のスタッフばかりでなく整備士、地上スタッフ、管制官、バードウォッチャー、実にたくさんの人が真剣に働いていることにもあらためて感動したが、それぞれの仕事をさりげなく紹介しながらさしはさまれる、小さなエピソードも見ものだった。なかでも、チーフパーサー役の寺島しのぶのカンロクの接客が印象深いが、やはりグランドスタッフの田畑智子のエピソードが好きだ。スーツケースをまちがえてもっていった客を追って、走り、転んでも起き上がり、メガホンを奪ってバスを止める。ガッツのある仕事っぷりに、客の男が心打たれて思わず誘ってしまう、というのがいい(笑)。「ハッピー」は、接客であれ、整備であれ操縦であれ、映画製作であれ、仕事に向き合う真摯な姿勢から生まれる、というメッセージがあたたかく伝わってくる傑作。

「アマルフィ」はこれまた不思議な映画。世界遺産をこれでもかと映し出す、豪華なローマロケ。織田裕二、天海祐希、佐藤浩市といったギャラも演技のレベルも高そうな俳優陣。なのになぜかケミストリがどこにも生まれてなくて、画面からは色気がかけらもたちのぼってこない。最後まで感情がほとんど動かされない。印象的な音楽がBGMに流れ続ける美しいローマの風景を堪能した・・・・・ということで満足することにする。

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2010年1月 2日 (土)

狩り初め

初売りのラッキーバッグ。いつも気持ちよく過ごさせてくれる店が、「いずれにしてもそのうち買うもの」を福袋で出していたら、「今年もよろしく」のあいさつの意味をこめて、買ってみる。

スタバの5000円バッグには、コーヒー豆3袋に一人用のコーヒーメーカー、マグカップなど。まあまあ、ソンはしないという程度かなあ。とはいえ、桜柄のマグカップは新春の気分を上げてくれるすてきなデザインで、やや嬉しい。

東急百貨店のワインショップ。5000円のバッグにシャトー・デュ・ムーラン2001、ドミニク・ローランのブルゴーニュNo.1 2006、そしてドメーヌ・グランテナンのブルゴーニュ・オート・コート・ド・ニュイ、2005.。デイリー使いにはほどよい感じ。

成城石井の人気イタリアワイン5000円袋。マエストロ・ラーロ2004、ソルディメーラ・ヴェルメンティーノ2007。二本とも未体験だったので、先の楽しみができた。

西武コスメフロアのジヴァンシー5000円とサンローラン10000円。サンローランは品数が少ないうえ、使えるものがひとつもなくてがっかり。去年も一昨年もとても充実していただけに、残念。ジヴァンシーのほうは、プリズムのフェイスパウダーやらリップやらポイント用ファンデやら、なかなかの豊作で楽しく、ふたつあわせてプラスマイナスゼロ、といった印象。シュウウエムラとヘレナ・ルビンスタインも出していたが、そんなにコスメばっかりも買ってられない。でもナカミがどうだったのか、ちょっと気になっている(笑)。どなたか買った人がいたら教えてください。

開けてみて喜んだりがっかりしたりするつかのまの興奮。ほんと、ばかみたいだなあ、と自分でもあきれるが、「狩り」みたいなものか。これで当分の間、コーヒーとワインの備蓄は十分だし。しばらくの間、このドリンクたちを友にして、こもっておとなしく仕事していよう・・・。

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2010年1月 1日 (金)

A Happy New Year 2010

あけましておめでとうございます。

戦争・飢餓のない平和な世界の実現を祈りつつ、効率やコストといった数字ですべての価値が一刀両断にされる横暴がまかりとおるような時代が終わり、ロマン主義を語ることばが、せめてはじかれない社会になるようにと願う。

一年の初めに目にするものは、美しいものがいい。ということで、英GQが選んだ「過去50年間でもっともスタイリッシュだった男たち」の写真スライドを眺めることで、年明けです。

http://www.gq.com/how-to/fashion/200709/cary-grant-paul-newman-andre-3000-george-clooney-slideshow#slide=1

マルチェロ・マストロヤンニ、ポール・ニューマン、スティーブ・マックイーンから、デイヴィッド・ホックニー、ケネディ兄弟、マルカムX、ウッディ・アレンにサミュエル・ベケット、ビヨン・ボルグ、カート・コバーン、ピート・ドハティやエディ・スリマンまで、それぞれの分野で際立った50人。「どこがどのようにかっこいいのか?」というワンポイント解説がぴりっと効いている。

人柄や個性を引き立てるようなスタイルもさることながら、何をどう着ようとも、彼らは、とてもいい目をしている。

2010_hatsuhi_2 ひと仕事の後、近所の神社に初詣に出かけてから、初日の出を眺める。今朝は、巨大に白く光り輝く月が沈むのを見たその十数分後に、反対方向から火の玉を思わせる太陽が現れるのを見る、という神秘的な経験をした。

みなさまにとって2010年が良い年になりますよう、お祈り申し上げます。

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