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2009年12月

2009年12月31日 (木)

Thank You & Good Bye, 2009.

2009年も終わり。一年は早いようで、でも一年前には予想もしなかったいろんなことがぎっしりとあった。思い通りにいかなかったり力不足を痛感したりと落ち込みも多々あったが、反面、楽しい仕事にもぼちぼちと恵まれて、ぎりぎりの綱渡りの連続ながらなんとかやってこれたことにほっとしている。ピンチの時に、スマートに支えてくれた友人、親戚、ご近所の皆さま、仕事仲間に心から感謝します。拙著を読んでくださった読者の皆様にも、あらためてお礼申し上げます。ちょっとは「時間の無駄づかいにはならなかった」と思っていただけるような言葉の世界をお届けできるよう、引き続き、試行錯誤を重ねつつ努力していきたいと思います。学生のみなさん、拙い講義を一生懸命聴いてくださって、ありがとう。たまには本も読んで語彙力と想像力を鍛えてね。

月並みだけど、個人的に、今年もっとも強く印象に残ったもの、思いうかんだままに。

映画・・・・・・「スラムドッグ&ミリオネア」

コスメ・・・・・ゲランのルージュG No.65、サンローランのルージュ・ヴォリュプテ NO.9

シャンパーニュ・・・ペリエ=ジュエ ベルエポック

本・・・・・・・開高健『人とこの世界』(ちくま文庫)

レストラン・・・・・・パークハイアット「梢」

仕事・・・・・・「ヴォーグニッポン」でのマンガ&モード特集(その後アキバで初のファッションシンポジウムが開かれるなど、余波が驚くほど大きかった)

講演・・・・・・「コカ・コーラ」の魚谷会長のお話、立川志の輔さんのサプライズ「講演」@日医工会議

アート・・・・・BUNKAMURA での「だまし絵展」、京都国立近代美術館での「ラグジュアリー展」

靴・・・・・・・ナイキのエアクッション内蔵の「コールハーン」のピンクのハイヒール

お洋服・・・・アシダジュンのスタンドカラーのワンピース、Tibiのシルクジャージーのハデ柄ワンピース、ポール&ジョーのシルクワンピース

ほかにもいろいろ、出会った人・もの・こと、ひとつひとつがそれぞれに大なり小なり豊かな余韻を残してくれた。作り手やサービス提供者の思いを丁寧に受けとめられるよう、来年も心身の健康を保って五感をできるだけクリアにしておかねば、と思う。

ではみなさま、よい年をお迎えください。

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2009年12月30日 (水)

思想統制はスタイル統制から

'Fashion at the Time of Fascism'が届く。読者の方に教えていただいて注文していた本(←ありがとうございました!)。デカイ本である。A4を少しはみでそうな大きさ、400ページ、これでハードカバーだからずしりと重い。本を動かすのに腕力が要る。移動の途中に読むなんて無理(笑)。

内容も期待以上に充実している。写真がメインだが、ファシズム下にあったイタリアの服装事情が、一般人から兵士、女優まで、型紙からトップモードのイメージ、メイクアップに下着まで、幅広く豊富に網羅してあり、興味がつきない。ちなみに写真&イラスト1500点。贅沢な本である。

衝撃的だったのが、「M」の頭文字のアップリケを兵士はもちろんのこと、小さな子供たちの服にもおそろいでつけていたこと。「M」が模様としてちりばめられた服地でつくったドレスの写真もある。ムッソリーニの頭文字だろう。「ファシズムはスタイルを与える」という表現がでてくるが、思想の統制は、まず、スタイルの統制から、というファシズムの空気が伝わってくるような写真の数々。でもおどろおどろしいわけじゃなく、純粋に「スタイル」として眺めると、なかなかかっこいいものも多いのである。M字模様を服地にちりばめるなんて、よく考えたなあと感心する。

皮革が軍需物資としてとられたために、「ない!」という物資欠乏時代の、布や麻やコルクでつくった靴の数々にも驚き。フェラガモが靴の歴史に名前を残しているのは、あのカラフルなコルクのプラットフォームシューズを30年代に考案した功績が大きいのだが、「靴の歴史」の本では見られなかった、フェラガモの他の布製靴もはじめて目にした。欠乏は創造の母、と感動する。奪われたものは、工夫と努力で創り出せ、というメッセージまで伝わってくる。

じっくりと文字部分も読みたいが、切迫した仕事を先に仕上げてからもう一度、ゆっくり向き合うことにする。なにせ机の前にどっしりと座って読むことだけに集中しないと、扱えない本である(物理的に)。

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2009年12月29日 (火)

グーテナハト~

内憂外患の悩みやウツウツは誰もが抱えているものであるだろうけれど、それゆえに表には出さないのがおとなのマナーというもの。ということで日ごろは能天気に明るく振舞ってはいるのですが、やはりもろもろのストレスやプレッシャーで眠りが浅くなったりすることも、時にはあるのですね。

そんなときに行きつけのコスメショップのスタッフにすすめてもらって、その効果に感動してまとめ買いしているもの(のひとつ)に、クナイプの「グーテナハト」(グッドナイト、の意)がある。入浴剤だが、これを入れた熱めのおふろにゆったりと入ってから眠ると、ぐっす~りと眠れる。ときどき、楽しい夢を見て、翌朝はすっきり目覚めることができる。人によって効き目は違うと思うものの、睡眠導入剤に頼るよりは、いくらかマシかもしれない。

もちろん、あんなこんなのモノやクスリなどに頼らないで深く眠れる生活があれば言うことなし、なのだが。

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2009年12月28日 (月)

ポジションを、世界中で、取りに行く

「WWD」vol.1560合併号、FORECAST2010特集に掲載の、ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正さんの話。強いインパクトあり。

プライスも国もキワがなくなり平準化したグローバル時代の到来に際して、どのような心構えで行くべきか? 

WWDの「業界は良くなるか?」の質問に対して、柳井氏は答える。

「企業次第だ。業界全体が良くなるから自分のところも良くなるなんてことはない。今だってヒットしているのは既存の需要を食ったのではなく、新しい需要を造ったところだ。新しい需要や付加価値を造れたところは今後も成長し、そうでないところはダメ。ファッション業界の一番悪い癖は後追いばかりということ。他人が作った付加価値とか新規事業をコピーしようとするばかり。服のトレンドと経営とを勘違いしていると思う」。

グローバルで生き残らない限り日本でもダメ、と考える柳井さんは、「マーケティングやコミュニケーション能力がより重要になる?」というWWDの質問に対し、こう言い切る。

「その前に、自社はどういう会社で、過去に何をやってきて現状はどうで、将来どちらの方向を目指すのか、その方向感覚が正確でないといけない。ポジションをとらないとダメだ。お客さまに認知され、『こういう企業でこういうことに期待できる』というポジションを世界中で取りに行く時代だ」。

ほかの仕事においても適用されるべき発想と感じさせるあたりが、やはり一流の経営者であるなあ、と。新しい需要を造る。付加価値を造る。ポジションを明確に発信し、自分から、取りに行く。そのぐらいやる気概と行動力がないと、生き残れない時代が到来しているのを感じる。

ま、とりあえずは正月休みが終わってから気合を入れるということで(とのんびり先延ばししていると永遠に出口のなさそうなドメスティックの閉塞のなかに取り残されるのである・・・ああ・・・)。

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2009年12月27日 (日)

画餅的幸福

「ジュリー&ジュリア」。アメリカにフランス料理を紹介した50年前のジュリア・チャイルド(メリル・ストリープ)と、彼女の料理本のレシピ524を365日で再現してブログにアップするというプロジェクトを進めるジュリー・パウエル(エイミー・アダムス)の人生が交互に描かれる。

悪人はでてこない、不倫も不道徳も悪行も描かれない、ひたすら善良で幸福で夫婦愛に満ち、食べる幸せと生きる喜びがあふれるお話なので、退屈になってもおかしくはない映画なのだが。ノーラ・エフロンの本領発揮で、精緻な細部を丁寧に積み重ねていくことで、上質なコメディに仕上がっている。カン高い声でしゃべる185センチの大女ジュリアを演じるメリル・ストリープは安心して見ていられるし、だんだん太っていくエイミー・アダムスもかわいい。彼女たちを支える夫役の、スタンリー・トゥッチ、クリス・メッシーナも、ちょっとした戸惑いや不快感の表し方まで巧い。とにかく食べっぷりがすてきである。スタンリー・トゥッチは、どこかで見たことが・・・と思っていたら、「プラダを着た悪魔」で主人公を変身させるあのヒトだった!

遠いところにある「絵に描いたモチみたいな幸せ」を見ているような印象も受けたが、それはまあ、完璧な幸福に満たされた彼女たちに対する羨望とウラハラかもしれない。おそらく「誰からも嫌われない」映画ではあろう。ジュリアもジュリーも実在の女性であるというのが、興味深い。ジュリア・チャイルドのことはもっと知りたくなった。

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2009年12月26日 (土)

象の吐息は、どんな色?

福田邦夫『奇妙な名前の色たち』(青○書房)(←○は、女ヘンに我と書く。漢字変換できず、失礼)。

「謂わぬ色」「エレファンツ・ブレス(象の吐息)」「思ひの色」「白殺し」「素鼠」「駄赤」「似紫」「はした色」「至極色」「ニンフの太股」といった、想像もつかないけれど想像をたくましくしたくなるような色の名前をめぐるエッセイ集。おもしろくて夢中になった。エッセイを読み、あらためて色の名前を見ると、なるほど、と納得がいく。色彩辞典としても保存版にしておきたい1冊である。マイナーながら、いい本に出会えたことがうれしい。

人間の肌色は、しょっちゅう見ているものでありながら、メイクなどでは「記憶色」に似せておかないとかえって不自然、という指摘にうなる。「人間の記憶によって美化された肌色のイメージと、ニンフの太股の空想の色とはたいして違いはないが、実際の人間の肌色とは大違いである」。

1993年に一度出版されていた本だが、2001年にタイトルと判型を新しくして再び出版された本だという。出版社の高い志に、心から敬意を表します。忘れられていく美しい言葉を後世に残していこうという気概のあるこんな本は、断固として支持していきたい。一時的に儲けて勝ち逃げ、みたいな読者をばかにしたスパム本(←いろんな意味で環境汚染の元凶だろう)ばかり店頭に積み上げられる殺伐とした時代だからこそ、よけいにそんな気持ちが起こるのかもしれないが。

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2009年12月25日 (金)

Merry Christams

◇「25ans」2月号発売です。ビューティー・メダリスト大賞2009の特別審査員として参加させていただき、「今年の化粧品の潮流と日本女性の美」に関してコメントを寄せています。機会がありましたら、ご笑覧ください。場違い感マックスな仕事ながら、真剣に楽しませていただきました。

◇アシダジュン広報誌「JA MAGAZINE」93号も発行になりました。連載エッセイで、近頃猛威をふるう「ピープカルチュア」(のぞき文化)について思うことを書いています。こちらも機会がありましたらご笑覧ください。

◇仕事の関係者がいっせいに本日仕事納めのようで、グリーティングカードやら「今年もありがとう」メールが多い。みなさま、こちらこそありがとうございました。読者のみなさまにも感謝します。よいホリデイをおすごしください。(フリーランスは淡々と仕事をつづけます・・・)

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2009年12月24日 (木)

正しさより、楽しさ

次男のピアノ教室のクリスマスコンサート。渡辺信子先生の門下生、小学校低学年から中学生高校生、セミプロ、そしてプロフェッショナルの渡辺敬子さんにいたるまで、それぞれに豊かで個性的な演奏を楽しむ。

私がピアノをやっていたころ(大昔)は、「バイエル」「ソナチネ」「ソナタ」と順々に進み、「正確」に弾くことが至上命題であった。だから発表会の演奏もみんな同じような感じで、やや退屈だった記憶がある。「まちがえなきゃ、合格」という感じで。

渡辺先生は「正確さ」もさることながら、むしろ「楽しさ」とか「弾く人の個性」優先の指導をなさっている。だからピアノを弾く様子から、弾き手の性格というか、人となりみたいなのが立ち現われてくる感じがある。どんなに小さい子であっても。だから、それぞれの演奏が、味わい深い。たとえまちがっても、そこからの立ち直り方に、またその子らしさが出る。

人それぞれの「持ち味」を尊重することのすばらしさを、あらためて実感したクリスマスイブでした。感謝。

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2009年12月22日 (火)

「らしく ぶらず」

◇立川談四楼『粋な日本語はカネに勝る!』(講談社+α文庫)読み終える。

「様子がいい」「うかつあやまり」「お膝送り」「春夏冬二升五合」・・・・・・落語家さんならではの味わい深いことばが満載で、ボキャブラリーが潤ったような気分になる。ちなみに「春夏冬二升五合」とは「商い益々繁盛」のこと。「秋がない」「升がふたつでマスマス」「一升の半分で半升」ってことで。おやじギャグではあるのだが、商いにともなうカネのにおいをさせないウィットがいい。

「野暮を極める」話も、いいなあ。「粋な言動をと意識した時点で、それはもう野暮なのではないでしょうか」というある紳士のコメント。「つまり粋とは野暮を排除した状態だと思うのです。食事も化粧もケータイによる電話もしかるべき場所では問題ありません。しかしこれを混雑した電車内でしたらどうでしょう。野暮ですよね。ですからそれらのことを決してしないと自らを律するだけでも、現代における粋なのではないでしょうか」

その後に続く話がシブい。30代の公務員風の客が思いつめたようにこの紳士に質問。「私は自他ともに認める野暮天です。私でも粋な男になれるでしょうか」。老紳士は答える。「私はあなたの生真面目なところが好きです。野暮けっこう、極めなさい。野暮は極めますとね、粋に転じることがあるのです」。

で、喜んだ公務員風の客は折り目正しく、一同に酒を注いで回った、というお話。粋ですね。

◇ゼミ生たちと忘年会@ハチ公前30秒の居酒屋。21世紀に生まれた英語(を中心)に訳語をつけていき辞書をつくる、というほとんど無謀な試みを企て、試行錯誤の連続だったけど、学生さんたちがなんとか楽しく盛り上げようとがんばってくれた。心から感謝!

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2009年12月21日 (月)

「ときにはブランドの壁を自ら越え」

◇大学に産経新聞の記者の方が取材にお見えになる。「スーツの未来はどうなる」がメインテーマ。身近にあたりまえに存在するモノの未来はどうなる?という大きな特集のなかでの話になるようだ。

本題が終わって、「国が多額の費用を投じているにもかかわらず、東コレはなぜ盛り上がらないのか?」の議論。この問題に関しては、日本に本格的なファッションジャーナリズムが存在しえない理由とも結びついてくるように思っているのだが。デザイナーやプレスは、ジャーナリズムに対し、オープンマインドの公正なプロ精神をもって接するべきではないか? 記事の扱いや表記をプレスが細かくコントロールする、という慣習を超えていかないと、一般の人、ましてや世界に対して魅力をアピールすることは難しくなる。「ブランドにとって都合のよいことしか書かれない」という閉鎖的な状況が、かえって一般読者の興味を失わせることにつながり、それが「盛り上がらない」ことの一因にもなっているのでは・・・と感じることがある。

「雑誌の低迷」状況にも、同じ原因がひそんでいると思っている。ブランド広告記事を束ねただけの雑誌を、買ってでも読みたいと思う人は少ないだろう。

◇太田伸之『ファッションビジネスの魔力』(毎日新聞社)読み終える。現イッセイ・ミヤケ社長の太田さんは、80年代からずっと東京ファッションシーンの中心的裏方(?)だった方。アメリカのバーニーズで東京ブームを起こし、IFIビジネススクール(ファッション産業人材育成機構)の立ち上げにかかわり,CFD(東京ファッションデザイナー協議会)の発足にたちあう・・・。

「ファッションはビジネスという名のゲーム」という信念のもと、ビジネスとしてのファッションとエネルギッシュに関わってきた太田さんのキャリアが、そのときどきの現場の熱気を伝えるような文章でつづられる。あのできごとにはこんな裏話があったのか!という驚きの連続。東コレの特設テント設置をめぐる三宅一生さんの心やさしい奔走ぶりには涙した。

「『ファッション=ビジネス』ではありません。『ゲーム』なのだからビジネスを楽しめ、挑戦しろ、なのです。右脳も左脳もフルに稼働させ、仕事をゲームのようにエンジョイする、それがファッションビジネスです」。

おそらく、ほかの仕事にもおいても。

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2009年12月19日 (土)

「クリスマス・ファシズム」

19日付朝日新聞「うたの旅人」。山下達郎の「クリスマス・イブ」をめぐる話。

堀井憲一郎さんの『若者殺しの時代』が指摘している点として、

・日本でクリスマスが「恋人たちのもの」と宣言されたのが、1983年。日本で初めてシティーホテルで過ごすイブの夜を提案したのが、83年12月に出た「アンアン」の「クリスマス特集」。

・男性誌がクリスマスのイベント化で騒ぎ始めたのが、88年。同じ年に流れたJR東海のCM第一作が、クリスマス・イブを再定義し、いわば「認可」した。この夜は大切な恋人と過ごしていいのだ、と。

というような話が挙げられていた。

現在、バブル期のクリスマスはこうだった、という話を大学生にしても「えーっ、うそみたい」と笑われる。「おうちで過ごす」のが現代の定番らしい。いずれにせよ、「ひとりだとさびしい」ということにされる「クリスマス・ファシズム」(堀井)はあまり変化していないようだ。

JR東海CMヒットの原因を分析する電通の三浦武彦さんのコメントのなかに、印象深いことばがあった。「横溢するバブル気分は一皮むけば不安で覆われていて、その中心にぽっかりあいた穴があった。多くの人の気持ちはバブルと逆で、むしろむなしさや寂しさに近かった」。

景況にかかわらず、この時期になるとむなしさや寂しさをより強く感じる人というのが、実は大多数なのかもしれないなあ、と達郎の歌を聴きながら思う。

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2009年12月18日 (金)

「花の香りじゃなくて、女の香りがほしいの」(by シャネル)

◇「クロワッサン」の仕事でビューティージャーナリストの倉田真由美さんと対談する@白金のスタジオ。最近注目のブースターコスメがテーマ。

メーカー側としては、手持ちのスキンケアに「プラス一品」買い足させるためのニッチな分野、というところが本音では・・・・・・とは憶測するのだが、あれやこれやと駆使される華麗な宣伝用のコンセプトがとにかくおもしろい。コスメの効き目だって、ことばしだいで大きく変わるのである。

◇その後、「シャネル&ストラヴィンスキー」の試写@ジュンアシダ代官山本店。

久々に、こってり濃厚なヨーロッパ映画らしい映画を堪能した。映画を見たあと、頭と心をフル回転させたあまり心地よくぐったり・・・・・となったのは、久しぶりという気がする。

まずは冒頭に出てくる、1913年パリで初演のバレエリュスの再現シーンからして度肝を抜かれた。観客が騒然となってスキャンダルに、ということは本などでは読んでいたが、あれほどのものとは。80年代に「ブトー」をはじめて観たときのショックを思い出した。白塗りの裸同然のダンサーたちが、ブキミに震えたりとび跳ねたりする、アレである。彼らはもしかしたら「バレエリュス」の子孫だったのか。

映画は細部の巧みな積み重ねで、こちらの心をぐいぐい絡め取っていく。ストラヴィンスキーの描写がうまい。湯船からあがって腕立て伏せをし、生卵の黄身だけをぐいっと飲むシーンを見せる。それだけでなんだか「あ~、この男、きまじめにエロっぽい」という印象を無意識のうちに植えつけられるのだが、その延長上に、シャネルの誘惑に「待ってました」とばかりシャツを脱ぐシーンがくる。シャネルの大人すぎる無言の誘惑といい、それこそ「むせかえるような」濃密な成熟した大人のエロスが満ち満ちる。

シャネル&ストラヴィンスキーという、至高と前衛を追求するアーチスト同士の、恋愛というよりもむしろ、大人のエロティックな情交が同志愛的な絆に変わっていく過程に、酔いしれる。そのさなかに、ストラヴィンスキーは「春の祭典」を書き上げ、シャネルは「No.5」を完成させる。いちいち美しすぎるシャネルのファッションの数々、各部屋に趣向を凝らした別荘のゴージャスなインテリアも、眼福のきわみ。

台詞の少ない映画だが、だからこそ、台詞の印象も大きい。夫の心身がシャネルに向かっていることに気付いたストラヴィンスキーの妻が放つ台詞がいい(というか、こわい)。正確には覚えてないのだが、たしかこんなふうな台詞だった。

「朝起きたら、何かが腐っているにおいがするのよ。はじめは花かと思ったけど、違うの。私のにおいなの。愛されずに死人になっていく人間のにおい」

シャネルのアナ・ムグラリス、ストラヴィンスキーのマッツ・ミケルセン、その妻のエレーナ・モロゾヴァ、といった俳優陣が適役で、すばらしい。

明快な感動は、ない。むしろ豊饒なざわつきがあとあとまで残る。コドモ文化全盛の日本で、この複雑でシブいニュアンスがどれだけ受け入れられるのか、不明だが、大人文化の底力をさあ見よ! と叫びたくなった一本。

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2009年12月17日 (木)

「40年続けること」

◇17日付け朝日新聞、由美かおるさんのインタビュー記事「若さは鍛錬の積み重ね」。

「気持ちのしわは努力と工夫で減らせる」というその秘訣。

「『相手のミスを責めない』『見返りを求めない』『遅刻しない』『新しいことに挑戦する』『思いたったらスタートを切る』などを次々とあげた。どれも平凡な内容だと思っていると、最後に『それらを40年続けること』と付け加えた」。

続けた成果のあまりのうるわしさに、しみじみ見入る。

◇同17日付け、「創設40年 コムデギャルソン川久保玲に聞く」。

ハッとするような企画を次々と打ち出していることを聞かれて。

「何かいつも、新しいこと、強いものを思っていて、それを続けていないと次が生まれてこないのです。自分が活動的に何か新しいものを生み出せば、それについて何かを感じたり、元気が出たりする方もいらっしゃるでしょうし、それがこの世の中を変えていくことに少しでもつながるならと思うからです」。

才能あってもつぶれていくデザイナーも少なくないファッション業界の前衛を、40年続ける。偉大、ということばでは到底たりない。

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2009年12月16日 (水)

ワールドスタンダードとエキゾチズムをともに担う日本のサブカル

菊地成孔+大谷能生『アフロ・ディズニー』(文藝春秋)読み終える。

といっても菊地さんがまえがきで書く通り「軽狂の人文(擬似)科学講義」ということで、なんでもありのパフォーマンスというか、あまり知らない音楽の話がメインだったりすることもあり、おもしろそうなんだけどよくわからないままケムにまかれた感じ。(←これが著者たちの目論見?でもあるようだ)

映画に音楽、発達学にディズニーなどなど、いろんな話がでてくるのだが、私がなんとか理解できた(かもしれないと思える)なかでおもしろいなと感じた指摘がいくつかあった。

まず、19世紀の大人文化から20世紀のコドモ文化への変化。背景にあるのは、芸術を享受するスタイルの変化、という指摘に、なるほどと思う。19世紀には、オペラやコンサートなど、1回きりのステージ芸術を社交として楽しまなくてはならなかったのだが、20世紀には、ひとりで部屋にこもってレコードを聴いていればいいという幼児的なスタイルを成熟させることになった、という指摘。

そして2点め、もっとも現在の関心に近かったこともあり、興味深かったのが、ファッションショウではモデルは音楽に合わせては歩かない、という指摘。ただし、東京ガールズコレクションではモデルは音楽に合わせて踊る、というのがウケた。西洋のコレクションと東京ファッションとの性格の違い、これだけで鮮やかにうきあがってくる。

さらに、モード界において「ギャル服」に接近した一番乗りブランドは、ドルチェ&ガッバーナであった、という指摘。イタリアがギャルに接近した一番乗りであるという話には、感心する。

「イタリアという国は、日本産のテレビ・アニメ、たとえば、永井豪原作の巨大ロボットアニメの視聴率が70パーセントを取ったり、東京でおこなわれるコスプレの大会で上位常連だったりすると同時に、オペラ文化の本場でもあります。オペラは言葉の原義に忠実なコスプレですが、そのことを当のイタリア人がどう考えているのか、残念ながらほとんど資料が見当たりません。日本のサブカルチャーはすばらしい、それで自分は育った、ノスタルジーに根ざした手放しの賛辞と、それを自分は自分なりに取り入れているのだといった自己申告以外のコメントを探すのは難しく、それはあたかも1950年代のアメリカのテレビ番組が、全世界のワールドスタンダードとエキゾチズムの両義を担ったことと同一線上にあるかのようです」。

最後に、料理とワインの相性なんかを語るときによく使われる「マリアージュ」の定義がうまいな~と。

「われわれはこれを『結婚』という語源に基づいて拡大的に解釈し、『今が最高、もしくは最低やまあまあに見える相性も、果たして絶対的にそうなのかどうか、それは当事者のどちらにもわからないし、何度か組み替えて多少の違いがわかっても、まだそれが絶対かどうかわからない=総ての関係は非絶対的であり、唯一絶対で最高のマリアージュというのは原理的には完成しない幻想である』と――つまり、単なる現在の結婚観であるだけのことですが――設定します」。

これは慶應義塾大学でおこなわれた講義の前期の記録とのこと。「後期」講義の書籍化も楽しみにしています。

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2009年12月15日 (火)

日本の医師の白衣の起源は?

朝日新聞大阪支社の記者の方より、電話取材を受ける。

医師が白衣を着なくなった現状に関し、そもそもなぜ白衣が着用されるようになったのか?ということを話す。

西洋の医師の白衣の意味と変遷に関しては、『愛されるモード』の中にも書いているので、その話をしたのであるが、日本の医師の白衣に関しては、調べるにしてもどこから手をつけていいのか見当がつかない。記者も、「現場のお医者さんたちに聞いても、みんな、知らないとおっしゃる」とのこと。

なんだか気になり始めてきたので、もし、なにか手がかりになるようなことをご存じの方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。

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2009年12月14日 (月)

「日本人のようになりたい」西洋美女

◇櫻井孝昌『世界カワイイ革命』(PHP新書)読み終える。パリ、バルセロナ、デュッセルドルフ、バンコク、ミラノ、韓国の女性たちが「日本人のようにかわいくなりたい!」と日本女性のまねっこに熱狂しているさまが生々しく報じられる。

東京が今や「カワイイ」の聖地となっていること。そのなかでも原宿は「ガラパゴス化」して独自の進化をとげていること。「カワイイ」は定義をよせつけない、「なんだかわからないもの」である点がすごいのだということ。カワイくなりたい女の子たちは、自分を変えてモテようとするよりもむしろ自分をとことん貫きたい(自分を変えてまでモテたくはない)というストイックな意志の持ち主であること。

などなど興味深く、驚きながらも楽しく読んだ。

◇大学で持っている「調査+プレセンテーション」の授業でも、台湾からのかわいい留学生が、世界が夢中になっている日本のギャル文化を詳しく調べあげ(「ビビンバ」と呼ばれるギャルまでいるとは)、自らもウィッグとつけまつげでギャルに扮して熱いプレゼンテーションをしてくれた。「カワイイ」ことに興味をもつ女子は、ほんとうにストイックなまでに、とことんやってくれるのだ・・・と感動。

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2009年12月13日 (日)

「読み書きそろばん、ボケ、ツッコミ」

朝日新聞13日付「仕事力」、木村政雄さんの第3回「非常識から花が咲く」。

「現代の日本はツッコミばかりがまかり通り、当たり前のことや建前がきまじめに語られすぎていると思います。クレームを恐れて当たり障りのない意見が並び、メディアにも柔軟性がありません。だから窮屈だし、誰もが閉塞感を抱き元気がなくなっているのではないでしょうか。本音を言ってみる、笑われるかも知れない提案をしてみる。そこから空気の流れが変わり、思わぬ花が咲くこともあると思います」

ボケの非常識な視点をぶつけ、それを取り入れていくことで、スタンスを軽やかに変えながらやっていくことが、結局、仕事人としても長く愛されることにつながる、という指摘。

うまくボケるのって、頭がほんとによくないと難しいんですよね。「読み書きそろばん、ボケ、ツッコミを必須課目に(笑)」という指摘、半ば本気で共感してしまう(その生真面目さがいかん、とおっしゃっているのだが)。

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2009年12月12日 (土)

雄弁な裸

◇「フラウ」1月号発売です。連載「ドルチェを待ちながら」で、最近、海外で「倫理的な食」ブームの延長上に浮上している「ブッチャー教室」について触れています。機会がありましたら、ご笑覧ください。

本誌、映画特集にて「観たくなる映画」情報盛りだくさんで楽しかった。時代の推移を感じたのは、「美マッチョ選手権」。イケメンスターの裸(上半身が主だが)が並べられ、具体的にどこがどうイイのかのコメントがついている。ヘイデン・クリステンセンの「美乳首大賞」には呆れつつ笑う。

09年ベストシネマに「グラントリノ」が挙がっていたので、さっそく勢いで借りにいったものの、雑誌の年末進行と来年度のシラバスの締め切りと講義の準備と単行本の締め切り他が集中している現実に引き戻され、結局、観る時間なく返却。移動の時間を使ってでもなんとか観たい(という映画が数十本ふえた・・・)。

◇朝日新聞12日付、磯田道史の「この人、その言葉」。安田善次郎のことば。

「運は『ハコブ』なりである。我身で我身を運んで行かなければ、運の神にあうことも運の神に愛せらるることもない」。

美女の誘惑にものらなかったこの生真面目で強い意志の持ち主の最期が、命がけで金の無心にやってきた(=身を運んできた)男に刺されて絶命するというものだった・・・・・・という皮肉なエピソードに胸をしめつけられる。

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2009年12月11日 (金)

「女の体は少しひんやりとして見えたほうが美しい」

◇齋藤薫『大人になるほど愛される女は、こう生きる』(講談社)、読み終える。タイトルに負けて買っちまっただ~という一冊。

いつもの齋藤節で、いつものようなお話なのだが。女の弱いところを巧みについてくるタイトルがうまいなあ。女は(例外も多いとは思うが)だいたいにおいて不安なので、方向をぱきっと示してもらったり、強い言いきりで励ましてもらったりしたいもの。同じ話でも1カ月たつと忘れたりするので(笑)、何度も繰り返してもらわんと、というところもあるし。それにしてもたいへんな量のお仕事、齋藤さんはいつお休みになっているのだろう?

◇「uomo」イワセ編集長とブレインストーミングを兼ねた会食@パークハイアット「梢」。ファッションにとってはあまり芳しくないこの時代に、提唱すべき男の装いの美意識について。「ダンディズムの系譜」でも紹介しているスプレッツアトゥーラがいいんじゃないか、だが舌をかみそうに長くて覚えられないのでなんとか3文字ぐらいにならんか、とか(笑)。女には齋藤薫大先輩のような方からの「強い言いきり」が必要なように、男にも背中を押してあげるような楽しいリクツが必要なようである。

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2009年12月10日 (木)

美醜の基準をゆさぶるモデル

2009年イギリスの「ベストモデル」に、ミック・ジャガーの娘、ジョージア・ジャガー(17)が選ばれた、というニュース。

http://www.independent.co.uk/life-style/fashion/news/strolling-stone-micks-daughter-named-britains-best-model-1837386.html

「インディペンデント」のコメント欄には、「彼女の顔が<魅力とはほど遠い>ように見える自分は頭がおかしいのか?」というような投稿がのっていた。

やや出っ歯ぎみ(しかも歯の間隔がはなれている)の口元、目じりさがりぎみの目は、パパのミックゆずりかな。ミックだってけっしてハンサムではなかったかもしれないが、そんな基準をけちらす濃厚なカリスマで目をひきつけた。ジョージアも、美人の基準にすんなりおさまる美人ではないからこそ、なにか目を離せないようなこってりしたものを発している(ように見える)。少なくとも、ジョージアの「代わり」はいない。

イギリス発のモデルは、そもそも、わかりやすい美醜の基準をゆさぶってきたからこそ別格なのである。ツイギー。ケイト・モス。アギネス・ディーン。

ジョージアが今後どう化けるか、あるいは消えていくのか。

ベスト・ラベルとしてはバーバリー。納得の受賞である。クリエイティブ・ディレクターのクリストファー・ベイリーは、今年、ほかにもファッション関連の賞をいくつかとっている。

「アウトスタンディング・アチーブメント(傑出した業績)」を評価されたデザイナーは、ジョン・ガリアーノ。ずっとエネルギッシュに先頭を走り続けているガリアーノには、いつも驚かされっぱなし。枯れない才能に感嘆する。

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2009年12月 9日 (水)

じいさんに少年が二重写し

◇8日(火)付け朝日新聞、沢木耕太郎「銀の街から」。「カールじいさんの空飛ぶ家」の評論がよかった。共感とともに、「そうだったのか」という気づきも促してくれた。

10分間、せりふなしに描かれるカールじいさんと亡妻の人生の描写は、たしかにあのシーンだけで泣けるような、心に染みいる美しいシーンだったのだが、「もしかしたら、その十分間によってこの作品のそれ以降の一時間余が支えられているのだ、と言ってもいいかもしれない」とまで。

「最初から最後まで老人が主人公のアニメーションというのはかなり珍しい部類に属するだろう。そんなことが可能だったのも、偏屈そうなカールじいさんには、いつも最初の十分間で描かれた、気弱で夢見る少年の姿が二重写しになっているからなのだ。見ているうちに、足腰の弱ったカールじいさんが、まるで少年のように思えてくる」。

カールじいさんがかつての英雄と戦う羽目になることを、桃太郎の鬼退治に例える、という見立てには、感心した。

「『妄執』によってほとんど『鬼』になってしまったその人物と戦わざるをえなくなるのだ。とすれば、これは、思いもかけず『鬼が島』で鬼退治をする羽目に陥ってしまう老いた桃太郎の話ということになる」。

いい評論を読んで、映画の印象がいっそう深まったような気分。

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2009年12月 8日 (火)

異国ブランドは「編集」が必要

◇「サライ」連載記事のため、BLBG(ブリティッシュ・ラグジュアリー・ブランド・グループ)のプレスルームを訪問、会長の小石原耕作さんにお話をうかがう。

「スマイソン」に関する取材ではあったのだが、単なるモノの話を超えて、異国のブランドを日本に紹介するために必要な「編集」のこと、「象徴」がどっしりとあることの重要性、オーダーメードが今ウケている理由など、たっぷり1時間半、楽しくお話を聞かせていただいた。感謝。

ロールスロイスはもともとマシン以外の部分はオーダーメイドで作るのが基本で、今出回っているほとんどが「つるしのロールスロイス」という話も興味深かった。そういえば、チャールズ皇太子の財団がやっている「トラディショナルアーツ」という会社で、「ロールスロイスもつくっている」という話を聞いたことがあったが、なるほどそういうことであったか、と納得。ちなみにチャールズの会社では、これまで(昨年、私が会社の広報さんから聞いた段階では)4台のオーダーメイドのロールスロイスが売れており、それはすべてイエメンの一人の顧客のお買いものだそうだ。

小石原さんには、2~3年ほど前、「ハーパースバザー」での「落日のマッチョ」連載のときにもお話をうかがった。そのときは「男はなぜクラシックカーが好きなのか?」というテーマ。経験もボキャブラリーも豊富でいらっしゃるので、知らない分野の話でも、眼前にクルマのイメージが浮かんでくるほどわかりやすかった。

そういえば、クラシックカーが好きな方と、イギリスものが好きな方は、かぶることが多いようだ、と気づく(今さら)。

◇帰途、AOビルに立ち寄る。たまたま、「あ~こういうのがほしかった!」という大胆な柄のシルクジャージーのワンピに出会う。ここ3か月ほど、「買いたいと思える服がまったくどこにも見当たらない」(遠くまで真剣に探しにいく時間もない)という状況だったので、ほんとうに久々にすかっと買い物をした気分。

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2009年12月 6日 (日)

「散歩のついでに富士山に登るひとはいない」

朝日新聞6日(日)付け「仕事力」、木村政雄さんの「肩書きに隠れない」2回目。「アウトプットで鍛える」。

「外に出していくアウトプットの判断に、実は今のあなたの力や個性が表れてきます。

人からも見えるようになるわけですからいいの悪いの、できるやつだのたいしたことはないだのと自分への判断材料を露呈してしまうことになるでしょう。しかしそれが何よりも重要だと思いますね。(中略) それを自分自身ではっきり知るにはアウトプットしかありません。外からは計り知れない、自分などという殻に閉じこもっている場合ではないのです」。

そう語る木村さんの目が美しい、というか「信用したくなる顔」である。

人前でさらす自分は恥ずかしいばかりだが、でもその現実を直視することで、輪郭のようなものが鍛えられる。どんなに豊かな内面をもっていようといまいと、他人は「外に表われたアナタ」でしか判断しない(自戒)。

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2009年12月 5日 (土)

「晩年」の冒険

「カールじいさんの空飛ぶ家」。最愛の妻を亡くしたあとの「晩年」に、妻の夢をかなえるためのアドベンチャーに「家ごと」旅立つカールじいさんの物語。父とも母とも一緒に暮らしていないらしい孤独で饒舌な少年や、少年を慕う鳥、鳥を追う犬、犬をあやつる冒険家がからんでくる。

美しい夢幻的な映像、芸のこまかなギャグ&わかりやすいギャグのバランスのいい配合、さりげないのにツボをおさえた人物描写。堪能しました。アクション&アドベンチャーの底にそこはかとなく流れ続ける、「晩年」と「孤独」の哀切感が、余韻となってしばらく残る。

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2009年12月 3日 (木)

「人生は、息をのんだ瞬間の数で計られる」

次世代産業ナビゲーターズのメンバーのひとり、服部崇さんから『APECの素顔』(幻冬舎ルネッサンス)をお送りいただき、さっそく読む。服部さんは経済産業省の、いわゆる「官僚」さんなのだが、巷の官僚のイメージ(実像を知らないでいうのもなんだが)をこころよく裏切る、さわやか系好青年である(世間の年齢基準では中年かもしれないが)。大学の同じ学部の後輩でもある。

この本は、服部さんがシンガポールにあるAPEC(アジア太平洋経済協力)事務所に勤務していた、2005年から2008年までの3年間の個人的な記録である。

公的文書ではない。かといって、個人的な思いの垂れ流しでもない。APECの活動が、「公人」であり時に「一個人」でもある服部さんの視点から、具体的に描かれる。公的文書的な硬さはやや残るのものの、APECの活動記録の合間合間に、個人としての熱い思いや考えやつぶやきが、ちらりちらりとはさまれる。

個の出し方が控えめである分、「APECっていう組織は、具体的にどのような活動をしているのか?」ということを知りたい一般読者にとっては、いやみなく読み進めることができるAPEC入門書ともなろう。政治・経済に疎い私でも、APECの活動に親しみを感じることができ、「アジア太平洋地域」と一口にいっても圧倒的な多様性があることを思い知らされた。ただ、一物書きとしては、どうせ個人の記録として書くなら、もっと遠慮なく「官僚の胸の内」をセキララに書いてもらってもよかったのに、と(笑)。

知らなかったことがずいぶんあった。以下、とくに勉強になったことをメモ。

・APECでは、参加国・地域を、「エコノミー」と呼ぶ。「国」じゃなくて、「エコノミー」!

・APEC事務局員もチャリティをする。事務局員が、それぞれがもちよった品をガレージセールで販売してお金を集め、それをベトナムの孤児院に寄付したというエピソードにはちょっとじ~んときた。

・ペルーのカソリック教会のマリア像の形状についての話。マリア像はドレスのスカートを大きく左右に広げて、二等辺三角形の形になっていて、さらにマリアの頭上に後光が差しているかのようにつくられているそうだ。これは、「かつてアンデスの山々を崇拝し太陽を拝んだインディオたち被征服民に、カソリック教会のマリア像を礼拝させるために編み出されたもの」であるらしい。

・熱帯のシンガポールでもマラソン大会がある! 気温28度、湿度85度だ。走るか?同僚のアドバイス、として書かれていた三箇条が、ウケた。「1.最初からとばさないで、ゆっくり走ること 2.途中で走るのをやめないこと 3.美女の後を追うようにすること」。

「美女かどうかは後ろからはわからないではないか」という服部さんのぼやきがおかしい。

・オーストラリアのケアンズのナイトマーケットで見かけたステッカーに書いてあったことば、として引用されていたフレーズ。『人生は息をした数ではなく、息をのんだ瞬間の数で計られる(Life is not measured by the number of breath you take, but the moments that take your breath away)」。

この本は服部さんにとっては、APECという大きな組織における波乱万丈の仕事を続ける中での、「息をのんだ瞬間」の記録、という意味合いもあるのかもしれない。

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2009年12月 2日 (水)

「手先が器用になると生きるのが不器用になります」

「王様の仕立て屋」4巻~7巻。服×人生のエピソード、よくこれだけ考えられるなあ・・・と感心しつつ、楽しむ。とくに印象に残ったことばをメモ。

・4巻<ミラノの春>

「ナポリは赤の他人でも紹介された次の日にはチャオと呼び合う街だ 人の心の垣根を払う雑把な風土が産み出したのがナポリ仕立てなんだ」「ダヴィンチだのストラディバリウスだのド完璧な芸術ばかり眺めてる方々にゃ解り難いか知れないがね ナポリは皺も楽しむのさ」

・同<アジアの旅人>ナポリの名士とイギリスの名士の、いずれゆずらぬ服談義がおかしい。

(伊)「私も一度 話のタネにロンドンでイギリス服を作った事があったが 三日と着ていられなかった 重くて窮屈でまるでコルセットだ 水を飲み下すのも難儀だから ダイエットには向いてるかもな」

(英)「服が窮屈でどこがおかしい! イギリス人はきりりと身だしなみをして自らに紳士たる矜持を刻み込むのだ 油だらけの料理で腹がせり出すに適した服など間抜けの極みだ」

(伊)「口を慎め若造! 腹がせり出す程物が食えぬとはいっそ哀れな事だ 白身のフライとスコッチしか受けつけぬ体なら 大人しく自分の庭でウサギでも追っているがいい!」

結局、主人公が仕立てたチノパンが和解の鍵になるのだが。

「イギリスの紳士は人前で滅多にジャケットを脱がないから イギリスのズボンはジャケットとの調和を焦点に仕立てられる」「片やイタリア人はジャケットを脱いでも格好よくありたいと思っている つまりジャケットを脱いだ後にもエレガンテを表現できるように仕立てるのですな」

・5巻<醜いアヒルの子>

「ブレザーにジーンズを最初に合わせたのは かのポップアーティスト アンディ・ウォーホルだ」「エドワード7世がズボンに折り目を入れたように ウィンザー公がセーターをゴルフウエアにしたように 掟破りが新しいファッションのスタンダードになった例はいくらもある そもそもラグビーの起源こそサッカーの掟破りだったんだ」

「あのスタイル(ブレザーにジーンズ)には裏話がありましてね あのスタイルはウォーホルが友人のフレッド・ヒューズを真似た物だという ヒューズは上から下まで全てをイギリス製で統一するイギリス気質で ヒューズが着るとリーバイスさえサヴィル・ロウ仕立てに見えたそうだ しかし知名度はウォーホルの方が圧倒的だったから ウォーホルルックとして定着してしまった」「受け継がれる伝統の中から 突然 発生する 革新のスタイルが心を自由にする ファッションってのは本当に不思議ですね」

・6巻<かあさんの歌>

「わざわざ仕立て屋に来る客ってのは 単に服だけを求めちゃいません 大なり小なり服によって変わる幸福を求めていらっしゃる」

・同<邪道の粋>

「邪道 屈折 大道芸・・・・・・ そいつあ歌舞伎役者にとっちゃ最高の褒め言葉でござんすよ」「”歌舞伎者”とは”傾く者”・・・・・・ とどのつまりは世の中を奔放にわたる無頼の表現でござんしてね 日本は徳川の御世に何度か贅沢禁止のお布令が出て歌舞伎も弾圧された歴史がござんす」「しかし やたらにお上の目が行き届く狭い日本で馬鹿正直に突っ張ったって面白くねえ そこで生まれたのがお上の見えないところに金をかける粋でござんす それでも裾からちらりと覗くのが奥ゆかしいんで 流石におっ広げて見せびらかしちゃ お里が知れますがね」

・7巻<ダンディの条件>

「(フレッド・アステアは)『ダンスの神様』と呼ばれた名優だが 体格は小柄で貧相だった だが彼はその体型を包み隠さない着こなしでダンディズムを見事に実践した」「格好のいい着こなしはまず自分の体型を認める事にある 意外かも知れないがダンディで名を残している人の多くは小柄だ 小柄ならではの軽快感や敏捷性がそのまま魅力にできるからだ」

ダンディと呼ばれた人は、みな世間的に「欠点」とされるものをプラスの価値に転じた人たちだった・・・・・・という話はおもにイギリス男を中心に扱った拙著にも書いたのだが。アメリカ人でもイタリア人でもたぶん日本人でも同じなんですね。欠点を魅力や長所に変える強さの秘密をうかがい知りたくて、もともとカンペキな美男よりも、はるかに興味がつきない対象となるのである。

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2009年12月 1日 (火)

ガリアーノ×クラリッジズのクリスマスツリー

◇うっとりした写真。ディオールのデザイナー、ジョン・ガリアーノがロンドンのクラリッジズ(ホテル)に設置したクリスマスツリーです。

http://www.telegraph.co.uk/fashion/fashionnews/6701851/John-Galliano-designs-first-Christmas-tree.html

趣味が大きく分かれるところだとはおもうのですが。

◇師走のスタート。どうせ走るなら、周りの景色をできるだけ楽しみながら走りたい(こんなことばかり言っているので、なかなか「ゴール」にたどりつけない・・・)。

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