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2009年11月

2009年11月30日 (月)

「離見」

◇29日付朝日新聞「仕事力」。木村政雄さんの第1回目「肩書に隠れない」より。

「たとえばこの案件は誰に頼もうかという時、一つのジャンルで3番目くらいまでに入っていないとほとんど声は掛りません。(中略) 3番目までとその他大勢とは何が異なるのか。それは個性が見えているということでありポジションが明確になっているかどうかの違いです」。

「ここには私しかいないというすき間を手探りし、ユニークなセールスポジションを作っていくことです。ただ、それは独り善がりではなく他人にとって魅力的なものでなくてはなりません。人から求められるものです。  世阿弥はこれを『離見』と呼びました。あなたが持っている個性の中から、人を引き付ける要素を客観的に見つめることを意味しています。自分だけで独善的に判断して頑張ることは『我見』と言いますが、これはまだ閉じた状態で周囲に届かない。ここを脱していかなければならないのですね」

◇30日付朝日新聞「あの人とこんな話」。甲斐よしひろさんのことば。

「つらくてやめようと思うことは何度もあったと思う。でも究極の別れ道に来てもやり続けることを選んだ、修羅場でもリスクをとってきた、この現役でいる凄さがすべてなんですよ」

この人にしてこのことば。「続ける」「やめない」というのはほんとうにしんどいことなのだが、だからこそ、細々とでも、続けていられるということそのじたいが、凄いこと、偉大なことなのであろうなあ。いろんなことに成果がでなくてやめたくなっている時だったので、なんだか天から降り注いできた感のあることばだった。

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2009年11月27日 (金)

「時代とのズレを意識しつつ、時代に抵抗しつづけること」

頭の片隅に、テーマのひとつとして「晩年」があり続けているので、すぐ反応して購入したのが、エドワード・W・サイードの『晩年のスタイル』(大橋洋一訳、岩波書店)。

いやもう、ぼんやりとしか理解できない、というか、字面を追うのが精いっぱい。というのも、「晩年」を語る具体例として挙げられているのが、オペラや音楽家や、フランスやイタリアの詩人だったりするので、イメージが描けないのである。挙げられている固有名詞がわからない。ひとえに、自分の教養のなさのせい。

訳者あとがきで、なんとなく、そういう話だったのかな、と推測できた言葉をメモ。

「たとえ時代の最先端を走っていると自負している人物でも、あるいは時代とともにあることを実感している人物でも、人生のある時期から、自分が時代とずれている、時代に取り残されている、時代についていけないという不安にかられはじめる。『時代に遅刻している』-そこから時代に追いつこう、さらには再び時代の先端に立とうとする人もいれば、逆に時代とのズレや<時代への遅刻感>を契機に、時代に逆らおうとする人もいるだろう。本書の主役たちは、そのような晩年の反逆者たちである。"late style"とは、だから、『抵抗のスタイル』でもある。死を前にした人間が、時代とのズレを意識しつつ、時代に抵抗しつづけること、円満な和解と完成と達成に逆らいつづけること、これが『レイト・スタイル』である」。

そんな骨子は、とても共感できるのである。が・・・。

出てくる固有名詞についていけるようになったら、再読することにする。いつのことになるやら。

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2009年11月26日 (木)

「ファッションとは、自立の象徴」

リンダ・ワトソン『ヴォーグ・ファッション100年史』(ブルース・インターアクションズ)。届いた本を見て、あまりに分厚いので読み切れるかと不安になったが、後半はデザイナー辞典のようになっている。各項目、読みごたえのあるコラム形式。データの羅列ではなく、こういうコラム風辞典は、とてもありがたい。

ファッションを「歴史」として語るのはほんとうに難しい。時代によって、さまざまな要素が思わぬ方向からからんでくるので、どこに視点を定めて書くかが大問題になる。視点が定まってないと、「あれもある」「これもある」「そんなこともあった」といった散漫な点描画になってしまうのである(自戒)。まあ、それはそれなりの趣きもあるのだが、どうしても「骨太感」に欠けてしまう。

その点、この本は「ヴォーグ」にがっちりと軸があるから、トーンが一貫していて、安定感がある。

とりわけ興味深かったのは、1940年代。戦火のなか、ものがどんどんなくなり、建物も生活も破壊されていくなかにおいても、ヴォーグは発行され続けていたのである。「黒いドレスは週日を通して活用できる万能服」(←染料の配給が乏しくなった1942年)。「世界で一つだけのドレス」(←モノを買えない、そもそも、ないから修繕して着なくてはならない1943年)。強くけなげなファッション魂。

1959年のヴォーグの「あなたにとってファッションとは何ですか?」という記事の引用も、思わずメモしたくなる。

「自立の象徴であり、同世代であることの証しなのだ。誤解しないでほしい。繰り返し言うが、流行のファッションに走ることは、決して非行の兆候などではない」。

まだまだ「非行の兆候などではない」と強くお断りをしなくてはいけないほど、偏見が強い時代でもあったのですね。

どの時代の写真も、まったく古さを感じさせず、しかも、時代のムードを鮮やかに表現している。永久保存版として愛せそうな本。久々に、出版社に感謝したい一冊である。

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2009年11月25日 (水)

「財運が移る」

『売れる小説の書き方。』(エンジン01選書)読む。林真理子、大沢在昌、山本一力、中園ミホによる名古屋でのパネル講座を本に収録したもの。

通勤電車片道で読める分量で、「売れるハウツー」など、どこにも書いてない。ただ、それぞれの大作家の、このステイタスにいたるまでの大苦労話と、ちらりちらりと暴露される文壇内輪話が、下世話な関心をひく。

とりわけ、「え? こんな話を活字にしていいの?」と思ったのが、石田衣良さんにまつわる話。

「林:  …… 石田衣良さん、売れてるじゃないですか。

大沢:  うーん、でも彼は、あの中身のなさがすごいじゃないですか。

中園:  アハハハハッ。

大沢: 本当に、素でもああだけど、お前本当に心がないね、ってよく言うんですけど。しゃべってることにまったく心がこもってないでしょう。あれ、素でもそうですからね。あれは、素を出さないから飽きられないんだと思う」。

「作家のテレビ出演問題」をめぐる話で、これだけ読むとたんなる悪口みたいだけど、決してそういうわけではないのである。むしろ、おそらく石田さんへの一種の愛があってこそ出てくる話で、「素を出さないから飽きられない」という稀有な具体例として印象深かった。

そのほか、お金持ちにお財布をもらうと財運が移るっていうことで、中園さんが林さんからドル&ガバの財布をもらい、林さんが秋元康さんからエルメスのクロコ財布をもらった話とか、宮部みゆきさんの服の上から下までの値段とか、俗っぽいエピソードばかりが記憶に残るような、妙になまなましい本だった。

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2009年11月24日 (火)

「ロイヤル」+「クラウン」=最高峰

「ロイヤルクラウンダービー ジャパン」会社設立発表会@英国大使公邸。

英国のロイヤルクラウンダービーは、1750年創立の、由緒ある陶磁器メーカー。1972年にロイヤルドルトンと合併していたが、2000年にドルトンから独立した。このたび、日本法人を設立することになったので、その発表会である。英国本社の会長兼CEOのヒュー・ギブソン氏、セールス&マーケティングディレクターのサイモン・ウィリス氏、日本法人の代表取締役&CEOの佐伯康子さんのお話を聞く。

「ロイヤル」は1775年に国王ジョージ3世から、「クラウン」は1890年にヴィクトリア女王から、それぞれ賜った名で、この二つの称号で英国陶磁器の最高峰のステイタスを誇る。

「ロイヤルアントワネット」のラインは、エリザベス女王がウィンザ―城での朝食に愛用しているコレクション。

光に透かしてみるとわかるが、陶器が薄い。紅茶はやはり薄いティーカップで飲むとおいしいのだ。「エッグシェル」と呼ばれる、繊細なのに強く、真っ白なこの陶器をつくるのに、とても手間がかかる工程を経るのだそう。製作はすべてダービーで熟練職人がおこなっている。動物モチーフのペーパーウエイトも、コレクターズアイテムになっている。

写真だけをスクリーンで拝見したのだが、あのサルバドール・ダリが1937年に詩人のエドワード・ジェイムズのためにデザインしたカップ&ソーサーがあるらしく、その絵柄がいかにもダリ。大胆でかっこいいのだ。日本で展開するのは「別荘に似合う陶磁器」(!)というコンセプトにかなったクラシックなラインだそうだが、個人的にはダリ風も好きである。ぜひ復刻版を発売してほしい。

英国大使公邸は、しばしば英国製品の発表会の会場となっている。現大使は、デイヴィッド・ウォレン氏。英国製品の普及に熱心な、すてきな紳士である。大使公邸は、そこだけ、時空がぽっかりとイギリスを保っている、ロマンティックで素敵な建物である。インテリアにもそっくりイギリスがもちこまれている。トイレもイギリス。イギリスの家には必ず見られるあのパネルヒーターがあり、便座だってイギリス製のあの形で、まちがってもウォッシュレットなんてついてない。「空き」ではなくて「vacant」表示だし。「クラリッジス」とか「ハロッズ」のトイレを思い出す。懐かしくて、うれしくなってしまう。

となりに鏡リュウジさんが座ってくださったので、待ち時間も楽しく過ごすことができた。OPENERSで対談した時以来。鏡さんもイギリスに縁が深く、今年はもうすでに3度も訪英なさっているという。

発表会のあとは、ロイヤルクラウンダービーのカップ&ソーサーで、世界最高峰のコーヒー、「グランクリュ カフェ」をいただく。シャンパンボトルに入った、おしゃれなコーヒー豆として写真は目にしていたが、実際に飲むのは初めて。「世界最高峰」と言われてみないとよくわからないというところもあったが(・・・)、あとあじが格段にすばらしいことに、後から気付いた。飲んでいるあいだはクリアですっきりした印象なのに、甘いあとあじの余韻がずっと心地よく続くのである。

佐伯康子さんのスピーチもすてきだった。特別難しいことは何もおっしゃらないのだが、一語一語、ゆっくりと、ほんとうに心をこめて(という印象を与えるように)、ていねいに言葉を発するのである。年上の方にこういう形容は失礼か、とも思ったが、でも、「キュート!」なのである。お手本にしたいスピーチだった。

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2009年11月21日 (土)

「降りない女」

「婦人公論」12月7日号に登場の、デザイナー花井幸子さんのかっこよさに見ほれる。72歳だそうだが、週一エステで肌はぴかぴか、デコルテまで大きくあいたドレスに大胆なアクセサリーをつけ、13センチのハイヒールをはいて階段を駆け上がる。週2回2時間ずつの、パーソナルトレーナーを呼んでのトレーニングのたまものだそうである。

決して若づくりをしているわけではなく、72歳の自覚もある。

「髪の毛も、白いものが増えているでしょう。そうは見えないだけで、実は確実においていますよ。でも私、別に20代になりたいとは思わないです。たとえシワが増えても、大口開けて笑っていたい。あらゆる努力は、自分のやりたいことをするため、人生を存分に楽しむためにあるんですからね」。

自分のやりたいことのために、努力を惜しまない。潔くて美しいなあ。グチばっかりの老年よりも、こういう「晩年」を送れたら幸福だろうなあ、と憧れをさそわれる。生きたお手本が、心強くも、まぶしい。

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2009年11月20日 (金)

「明るく生きてみせることは、最後の芸術」

曽野綾子『晩年の美学を求めて』(朝日文庫)読み終える。いきなり老後の準備を始めるわけではないが、「晩年」を気持ちよく過ごしてこの世を去るためには、いま何を心かげておけばよいのかということが気になり始めた。ついこの間のこと、と思っていた「年末」がまたたく間に巡ってきたためか。たぶん、このペースで時が進むと、あっという間に「晩年」を迎えることになる。

曽野さんの考え方は、ちょっと趣味が良すぎたり、幸福で教養の高い都会人特有の偽悪っぽい言い回しがあったりして、イヤミすれすれのところもあるのだが、それがまた文章に深みと渋みを与えるいいスパイスになって、心に留めておきたくなる言葉が多い。とくにいいなあ、覚えておきたいなあ、と感じた表現を以下、記しておく。

「犯罪を犯して記憶されるよりは、悪いこともせずに済んで、誰からも深く恨まれることなくこの世を去っていけるだけで、この上ない成功である。晩年の義務は、後に、その人の記憶さえ押しつけがましくは残さないことだと私は考えている」。

・・・そう考えてしまえば、アルバムも手紙もすっきりと整理できる。

「善は言葉で言うものではなく行動で示すものであり、悪は口先だけで盛大に言って実行しないのが、羞恥を知る者の行為であった」。

(ヘブライ学者の前島誠さんのエッセイを引用して)『人はいつ完全と言えるのでしょうか。自分のありのままを自分で認めたときです。飾らず恰好つけることなく、そのままの自分を「これがわたしです」と心から言えた時、その人は完全への道にあるのです』。

「親孝行な子供は、幼い時から、どこかで耐えることをしつけられて来た家庭に生まれている。もちろん、耐えることの全くない子供などというものはないだろう。しかし物分かりのいい、甘いしつけの家庭には、なかなか親孝行な子供は生まれにくい」。

「聖書には『愛』と訳されているギリシャ語の原語が二つある。アガペーとフィリアである。世間が考える愛はフィリアである。(中略)ほんとうの愛はアガペーで、これは相手がそれに応えようが拒否しようが、関係のない誠実である。だからほんとうに愛する人に対しては、私たちは、相手にそれが通じようが通じなかろうが、いや時には憎まれようが、尽くすべき誠実を尽くす。時には『あんなやつは死んでしまえ』と思っても、救いの手は止めない。(中略) これは見方を変えれば、ほんとうの愛は作為的なもの、作ったものであっていいのだ、ということになる。正直など何ほどの美徳か、ということだ」。

「晩年も感謝して明るく生きることである。いや、もっとはっきりいえば、心の中は不満だらけでも表向きだけは明るく振る舞う義務が晩年にはある。心から相手を好きではなくても、愛しているのと同じ理性的な行為をとることだけが、むしろ本当の愛なのだ、と聖書が規定しているのと同じである。長く生きた人々は、或いは病気で苦労した人々は、それくらいの嘘がつけなくてはならない」。

・・・これがこの本のなかにおいて、もっともガーンとやられた考え方だった。内心などどうあろうと、愛しているのと同じ振る舞いをする。それこそが本当の愛、と。正直よりも、愛ある振る舞いをできることこそが、ほんとうの愛である、と。「自分の心に正直になろう」という近頃の軽薄な自己啓発の教えなんか軽くふっとぶ、深い人類愛に基づいた考え方を、しみじみ反芻する。

「内心はどうあろうとも、明るく生きて見せることは、誰にでもできる最後の芸術だ。(中略)優しくしてもらいたかったらまず自分が明るく振る舞って見せることだ」。

「人間の優しさもいろいろな形を取る。人間の残酷さも表現はさまざまだ。そのからくりを死の前に知って、私は大人になって死にたい。それゆえにこそ、簡単に人を非難せず、自分の考えだけが正しいとも思わず、短い時間に答えを出そうとは思わず、絶望もせず落胆もせず、地球がユートピアになる日があるなどとは決して信じず、ただこの壮大な矛盾に満ちた人間の生涯を、実におもしろかった、と言って死にたいと思う。深い迷いの中で、とりあえず自分の好みに近い人生を送れたとしたら、それは世界的レベルにおいても、法外な成功だったのだから」。

実際に「晩年」にきたらもう一度、読み返したくなるような、人間の重さを感じさせながらも心が軽くなる言葉の数々に癒される。

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2009年11月19日 (木)

ベル・エポックな一夜

シャンパーニュの「ペリエジュエ ベルエポック」のシェフ・ド・カーヴ(最高醸造責任者)、エルヴェ・デシャン氏が来日、ディナーに招かれる@ラ・ベル・エポック in ホテルオークラ。

主役はあくまでシャンパン。ラ・ベル・エポックのシェフ、池田順之さんが、年代の異なる4種の「ペリエ・ジュエ ベルエポック」に合わせ、3皿の料理+デザート1皿を演出する。

Photo_7 華やかですっきりした2000年には、平目のマリネのバラ仕立て。

Photo_3  より厚みが感じられる1999年には、あかざ海老と魚介類のポワレ。なんとこの年のペリエジュエをまるごと一本使ったという贅沢なシャンパンソースで。

Photo_5 「当たり年」の1996年のマグナムには、トリュフが香るムースをつめた仔兎の背肉、バロティーヌ仕立て。

Photo_6 そして2002年のロゼに、文旦とシャンパーニュのゼリー。上にのっかるムースもシャンパーニュの泡をイメージしたもの。(写真はすべて主催者の了解を得て掲載)

ゲストには「ヴォーグニッポン」「ヌメロトウキョウ」「エルジャポン」「エクラ」「ドマーニ」各編集長、フードスタイリストやワイン評論家の方々など。シャンパン愛においてはいずれ劣らぬツワモノの、それぞれの視点からのシャンパン談義がなかなか印象深く、心身ともにすっかりシャンパン漬けになった一夜だった。

とりわけ、となりに座ったワインライターの葉山考太郎さんが、「今は清楚な女子高校生だけど数年たってヒミツをもつようになる頃が楽しみ」というような突拍子もない比喩を連発して、終始、笑わせてくれる。葉山さんはなんでも、ペリエジュエのワインセラーにある世界最古のシャンパン(1825年)を味わう世界の代表12人のうちのひとりとして当地へ赴かれたそうで、そのシャンパンの形容もすばらしいというかいかがわしいというか。

1825年のシャンパンともなると、もう泡など立たないのだという。むしろシェリーに近い味わいなのだそうだが、葉山さんいわく、「5分前には温かかったんだろうなあと思わせるベッドみたいに、泡の痕跡はたしかに感じられるんですよ」。

Photo_8 ベルエポック(20世紀初頭の、優雅なる時代)の情緒たっぷりの部屋には、5種類の異なる容量のボトルのペリエジュエが飾られる。通常サイズではないボトルの名前を、アジア太平洋地域ディレクターのヤン・スーネン氏が教えてくれる。1.5Lがマグナム(magnum)、3Lがジェロボアム(jeroboam)、6Lがマチュザレム(methusela)、そして12本分入るという9Lがサルマナザール(salmanazar)。 なんという意味か? と聞いたところ、葉山さんによれば、「聖書に出てくる王様の名前ですね。日本でいえばイザナミとかアマテラスオオミカミとか」。

帰ってから調べたら、ジェロボアムが聖書にでてくるヤラベアム1世または2世。マチュザレムが、やはり聖書に出てくるユダヤの族長メトセラ(ミシューズラーほか表記はいくつかあり)で、969年生きた長命者。サルマナザールが、紀元前8世紀のアッシリアの王。

はじめて知ったのだが、ボトルが大きければ大きいほど、割安になるのではなく、割高になるのだそう。理由は明快で、ボトルが大きいほど品質が高く保たれるため。だから、シャンパンの場合、ピッコロサイズになると「おいしくない」ことが多いらしい。……ピッコロサイズでの一人シャンパンがおいしくない理由は心理的なものではなく、単に物理的な理由である、と。

ボトルに描かれている花はアール・ヌーヴォーの画家、エミール・ガレによるもので、ヒントになったのは日本のアネモネ。そういえばベル・エポックというのはジャポニスムの影響が色濃い時代でもあったのだなあ・・・と100年前につらつら思いをはせる。

はじめて知ったことはほかにもあり、ワイン業界では「女性がロゼを頼むと、今夜は帰らなくてよい、という合図」となるんだとか。女性誌関係者は全員「えーっ!?」と驚いていたので、ワイン業界だけにまことしやかに流れている、男に都合のいい願望まじりの迷信なのかもしれない。でも、「ワイン通の間ではそういうことになっているらしい」と知っておくことで、誤解を避けるなりあえて誤解を招くなり、いろいろ戦略も立てられるかもしれない(?)

「ペリエジュエ」は今後、徐々に、「ベルエポック」という名で流通させていくという。たしかに、「ベルエポック」という名のほうが、このシャンパンのイメージをずばり表しているように感じる。

美味しく楽しくシャンパンのことを学べた一夜だった。主催者、関係者のみなさまに、心より感謝申し上げます。

                     ☆☆

シャンパンついでに。このウェブサイトの上のほうにあるデザインは、「ペンの筆致」と「シャンパンの泡」のイメージを組み合わせたもの。デザインを依頼したアーク・コミュニケーションズ(社長の大里マリコさんが大学の後輩というご縁)のスタッフが、私の話を小一時間ほど聞いて、こういう図とロゴを考案してくださったのである(人影はもちろん、ダンディズムの祖、ブランメル)。具体的に何を話したかは覚えていないのだが、どうもイメージとして「シャンパンの泡」が欠かせないと思われたようなのであった。

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2009年11月18日 (水)

「すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなる」

◇ダイナースクラブ会員向け情報誌「SIGNATURE」12月号。写真がきれいで、内容も厳選されているので、毎月楽しみにしている雑誌のひとつ。今月号のベトナム特集の写真にもうっとり。落語家・立川談春による「流儀CODE:すべての芸能に勝負を挑む」に、興味深いことばがあったのでメモしておく。

「落語を伝統芸能と捉えている人は多いでしょう。でも、多くの人が思っているような、伝統芸能をつくる、伝える人たちが目指しているものと、落語はまったく違うベクトルにあります。それは落語が、洗練というものに価値を見出さない、洗練へのアンチテーゼから始まっているからなんです」

落語は洗練へのアンチテーゼ! なるほど、そうだったのか。近頃、落語が妙にかっこよく見えてきているのだが、その理由のひとつが、「反・洗練」にあるかもしれない、と思えてきた。

◇同誌、伊集院静のエッセイ「旅先でこころに残った言葉」より。旅先で、伊集院さんが小泉信三『読書論』を読んでいて心に残った箇所、として引いているのだが。

「(慶應義塾大学工学部の)学部長であった工学博士の谷村豊太郎が、大学に寄付などをしてくる企業家が、<すぐ役に立つ人間を造ってもらいたい>と注文するのに対して、<すぐ役に立つ人間はすぐに役に立たなくなる>と言って大学では基本的理論をしっかり教える方針を徹底した逸話を挙げ、<すぐに役に立つ本はすぐに役に立たなくなる>とも言えると書いてあった」

ハウツー本ばかり売れる時代に、まだこういう考え方を伝えようとしてくれる人がいて、ちょっと嬉しくなった。同じ欄にこんなことばも。

「人が生きる示唆を与えられたり、才能を開花させるのはほとんどが<人との出逢い>である。それも慈愛に満ちた人である場合が多い」

これも経験上、しみじみ実感するところ。ただ、<出逢い>をきちんと<出逢い>にするには、心と態度をオープンにしておかねばならない。かたくなにつまらない鎧をかぶっていると、貴重な出逢いも逃げていく(自戒をこめて)。

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2009年11月17日 (火)

器用仕事

◇高山宏『かたち三昧』(羽鳥書店)。ひととおり最初から最後までページはめくったとはいえ、「読み終える」なんてこと、恐れ多くてとても書けない(高山本はだいたいそうだが)。おそらく十全には理解しえていないだろうという箇所が大半だからである。とはいえ、退屈なのかといえばその正反対で、絵と知の連想がめくるめくような濃度でぎっしりと詰まるその緊迫の合間に、下世話なつぶやきやらゴシップやらがさらりさらりと入ってにやりとさせる。高山節、健在。かなわないなあ。

18世紀イギリスのエキセントリック(常軌逸脱・賛)、ピクチャレスク(廃墟っぽい荒涼・否定まじりの賛)が生まれた背景に、フランスのヴェルサイユ美学があった、という指摘にうなる。

「何に対する『奇』であり、何に対する『否定』かといえば、同時代フランスのいわゆるヴェルサイユ美学への否であり、奇であった。イデオロギーがフィギュアを決める空間政治学のこの上ない例が、中心から直線が放射状に出ていくヴェルサイユ宮と庭の、そのまま絶対王政というべき構造だった。立憲政体を名誉革命で手にした英国人は、そうなると中心を持たぬ曲線状の園路を持つ庭を造営する」

カタチと美学が政治のアナロジーになる・・・。

そのピクチャレスクの流行がやがて江戸の司馬江漢を巻き込むことになる、っていう、人間のやること考えること、国境などあっさり越えてどこかで蛇の道のようにつながっていくという話に、気が遠くなりつつ感動を覚える。

教養や知を表わすフィギュアは円、の話もかっこいい。サイクロぺディアは、「百学連環」(この訳は、種村季弘)。

「『ペディア』の『サイクル』。ペディアは『パイデイア(教養)』というギリシア語だ。教養を積めば文字通り知は『丸く』なり、『円』満な人格骨品に人を陶冶するというわけだ。知の到達すべき円相」

ほかにも、折に触れじっくりと味わい尽くしたい、鮮やかで楽しい知の営みが満載。

それにしてもマイナーな書店(失礼)からお出しになったものだ。本を探すの、けっこう苦労しました。

◇朝日新聞17日付、大江健三郎「定義集」。「未来をつくるブリコラージュ:市民が核弾頭壊す日夢見て」と題されたエッセイ。

アタマよさげな人たちが「ブリコラージュ」と書くのを見てきて何のことかよくわからないでいたのだが、このエッセイを読んではじめて納得できた。

レヴィ=ストロースによる用語としてのブリコラージュとは、「器用仕事、一貫した計画によらず、有り合わせの素材、道具を適当に組み合わせて、問題を解決してゆく仕方」

有り合わせのものをいたるところから総動員して、失敗を重ねつつも、ほつれを直し、時間をかけて、なにかしら満足のできるようなものを作り上げていく。それが器用仕事ということらしい。

大江さんは、こういう「野生の思考」的器用仕事がこれからの平和にとって大切な希望の灯となってくると考えていらっしゃるわけであるが、私は「器用仕事」というその仕事のあり方じたいを知ったことで、なにか気持ちがすーっとラクになっていくような気がした。

あの仕事もこの問題も、がっちりとものものしく構えず、計画を立てるなんて仰々しい真似もせず(だいたい、計画を立てることじたいできないから、永久に本題がほったらかしのままなのだ)、まずはやれるところから器用仕事でやっていけばいいんではないか。という風に。

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2009年11月16日 (月)

「ドライ」で「スロー」

◇ハイウェル・デイヴィス『モダン・メンズウエア』(ブルース・インターアクションズ)。世紀の変わり目に起きたメトロセクシュアルブーム以降、ぐいぐい面白く、多様になってきているメンズファッション、35ブランドを紹介した、ビジュアル重視の本。

スーツでもTシャツ&ジーンズでもない、モードな男たちのイメージが満載で、ここ数年の革命的な流れが概観できる。アレクサンダー・マックイーン、バーバリー・プローサム、ドリス・ヴァン・ノッテン、ラフ・シモンズにリック・オーウェンス・・・・・・。20世紀まで使われてきた「男らしさ」をめぐるボキャブラリーでは、到底表しきれない、なにか未知で、新しいことが生まれつつある現場に立ち会っているような気がしてくる。これを語ることばが足りない。というか、既成のことばでは、十分に語れないようなもどかしさ。

タイトルの「ドライ」で「スロー」は、ウェンディ&ジムが自分たちのスタイルを称したことば。この形容がぴたりあてはまる近頃の若い男の子の顔が何人か、浮かぶ。草食系とくくられてもちょっと違和感があるのだが。

◇出講日なのに、コドモの小学校が先週土曜の授業参観の振替休日。休講にはできないし、と困りはてていたら、畏友サツキさんが快く面倒を見てくださる。こういう頼もしい友人たちに助けられて、なんとか仕事をさせていただくことができている。深く深く、感謝。そんな貴重な時間だからこそ、ことばを届ける相手が世の中を明るくするような人材になってほしい(その結果、友人たちにも良い流れを循環させていきたい)という願いをこめて話をするのだが、そんなアツクルシイ思いは、「ドライ」で「スロー」なイマドキの学生さんにはスルーされるのがふつう(・・・・・・セラヴィ)。

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2009年11月14日 (土)

細部を詰めてこそ信用を得られる

◇齊藤薫『The コンプレックス』(中央公論新社)読み終える。女のコンプレックスが、どんなふうにその人と周囲に作用して、人生を変えていくのか・・・ということをコワく鋭くついた、フィクション仕立ての本。登場するすべての女性たちが、何らかの形でつながっていて、出てくる女のだれか(複数)に、自分のコンプレックスを重ねて感情移入してしまう。

「美人ではない女」「ヤセたい女」「キレイ好きのふりをする女」「引き立て役だった女」「コンプレックスを消せない女」・・・・・・なんだかいちいちギクリとさせられるタイトルである。コンプレックスなんて他人から見ればどうでもよいことなんだけど、けっこうそれに無意識下で縛りつけられていて、アレやコレやが「うまくいかない」ことの原因になっている。リクツではわかっているからこそ、ほんとうに解放されるのが難しい。

◇14日付け朝日新聞「悩みのるつぼ」、回答者、金子勝さん。「貪欲、前進欲で身が持たない」という50歳主婦・専門職・学生の質問に答えて。

「細部についてぎりぎりどこまで客観的にいえるのか、その限界と緊張感を知ってこそ、大きな枠組みに関する議論も注意深くできるようになります。いつも大雑把なことを、あれこれ脈絡なく言っても人は信じません。相談者は、本当の能力を身につけるために、細部に向かっても『貪欲、前進欲』の2欲を発揮してください」

・・・・・・・自戒をこめて、メモしておいた。

◇同日付、磯田道史の「この人、その言葉」、今日は桐生悠々。

「愛、普遍愛の持主のみこそは、一時は迫害されても、未来永劫に亘って、世界を支配する」

ワンフレーズのスローガンの危険を説き、複眼視点をもって比較することの大切さを説き、教育に愛を、と説いた桐生悠々のことば。手っとり早いワンフレーズと狭量でお手軽なジコケイハツばかりに大衆が走る今だから、ひときわ重みがある。

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2009年11月13日 (金)

「ヘレネの美女ぶりはほとんど語られない」

◇開高健『眼ある花 / 開口一番』(光文社文庫)読み終える。五感を総動員して読まねばならない豊饒なことばがあふれているエッセイ集。一筆書きのように読ませるエッセイばかりだが、それぞれ、鮮やかな物語が眼前に浮かぶ。

たとえば、「パリで、娼婦を買おうとして、いざ二人になって相手をまじまじと見たらやる気をなくしたのでお金だけ置いて逃げた」というだけの話。このまま平たく語っても凡庸で下品なネタとして終わりだが、これを、意外な比喩と、リアルな会話と、けれんたっぷりの情景描写と、人間の真理をつく観察を絶妙にブレンドして語ることで、こちらの感情をゆさぶり、にやりと笑わせ、酔わせてくれるのである。いいなあ。

そのほか、強く印象に残った表現を、メモ。

○(神話・古譚を評して)「物語は予測できるのとおなじ程度に予測できず、いっさいが必然の明晰のうちにはこぼれつつそれとおなじ程度に無秩序きわまる偶然のはたらきに左右される。明察のなかに即興があり、真摯とおなじほどにたわむれがあり、矛盾や逸脱をあまさず微笑と冷知をもって眺めているので、惑乱的な豊饒に接する陶酔が登場している。ゼウスにしてもアポロンにしても、それぞれが神でありながら絶対や純粋という、虚無を内蔵した自己拒否の彼岸願望からとらえられていないから、どんな非情、むちゃくちゃの言動にでてもそこで絶望しないで、つぎの頁にすすむことができる」

→抽象的な表現だが。前々から、神話の類を読むたびに、「神さまっていうのは、いつも激しい感情をふりまわしたり喜怒哀楽にふりまわされたりしている、気まぐれで過剰なヒトたちだなあ・・・」とうすうす思っていたことを、なんとなく、高尚な表現で代弁してもらったような感じ。

○(神話としてのトロイ戦争を評して)「戦争というものは、進行過程にくらべて発端や動機はさほど重要ではないのだということ。まぎれてしまって見えなってしまうものだし、誰もさほど気にしなくなるものなのだということ。ヘレネの美女ぶりはほとんど語られないが、戦役全史をみたす惨苦痛恨の総和がそれを語らずして語っているのだと考えれば、この世にはひょっとしてそういう、語りようのない超絶美女が発生することもあるということ。(中略)無数の英雄と、将と、雑兵が双方ともに肝脳地にまみれて青地のぬかるみに埋もれたあと一人の美女が生きのこってもとの夫のところへもどっていくだけであるということ。これは現代でも戦争そのものと戦後にくるものとについての本質が何ひとつとして変ることのない宿命的生理であるらしいこと。ヘレネの扱い方のひどい軽さを見ればこれを現代のどんなイデオロギー用語や宗教用語のスローガンに入れ替えてもピタリとハマるものではあるまいかということ」

→人がなぜ戦争をするのか、戦争のあとに何が残るのか、について、これほどわかりやすく説明してくれたものはなかった。<原因はなんでもいい、そんなものは途中からどうでもよくなってくる。ただ人は戦争に突っ走り、大勢の死骸のあとに、原因だったはずのものだけが元気でもとのさやに戻っている。> 現代の多くの戦争にもあてはまることかもしれない。

◇朝日新聞12日付夕刊、「千宗屋の茶のある暮らし」。心地よく、飽きない茶碗の条件にふれて。

「見た目に重そうに見えて持ってみると案外軽い、或いは見た目より重さがしっかりしているように感じるものに、飽きの来ないものが多いように思う」

人もそうかも、とつい思わされるあたり、うまい。

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2009年11月12日 (木)

服は、人工臓器

◇「フラウ」12月号発売です。連載「ドルチェを待ちながら」で、近頃浮上してきたサステナブルなキャビアについて書いています。機会がありましたら、ご笑覧ください。

◇たいへん遅ればせながら、片瀬平太『王様の仕立て屋』(集英社)、全巻一気にオトナ買いして、読み始める。おもしろい。『美味しんぼ』のスーツ版? スーツのうんちくに、さまざまな人の人生模様がからんでくるので、服に関心がなくても興味深く読める。まずは1~3まで、読了。心に引っかかった言葉を、メモ。

○1巻 「確かにおめえのスーツは完璧だ 合理主義のアメリカ人ならおめえの方を好むだろう だがイタリア式は完璧の中にわざと隙を作る たとえば肩のこの皺だ こいつは『雨降り袖』と言って昔ながらのナポリ仕立ての『粋』なんだ と言って下手な職人がこれをやったらスーツ全体がだらしなくなっちまう」

○2巻 「そこの店は堂々たるイギリス・スタイルを継承してて 政治家やら実業家が勝負服を作りに来る 相対した人間を威圧するような服が 先生の個性をとっつき難くしてるんですよ」

「妙なことを言うな 服など人体の装飾に過ぎん 私がとっつき難いと言うなら これが天より授かった私の個性なのだ」

「腕のいい美容師は眉毛を数本抜くだけで 客のイメージをがらりと変えてみせるという 個性の改革なんてほんのちょっとした事なんですよ」

○3巻 「いい仕事をした事なんて 一日で忘れなさい! 過去の栄光なんて角砂糖一個の栄養もないのよ!」

「人間が一番最初に作った人工臓器 それが服さ」

もっと早く読んでおけばよかった…と思うものの、ま、今からでも遅くはない。先々の楽しみがひとつ増えた。

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2009年11月11日 (水)

英国ブランドのミュージアム

「ヴァルカナイズ・ロンドン」@南青山、13日のオープニングに先がけて内覧会に行く。

Valcan_1 モダンブリティッシュを代表するブランドがずらり勢ぞろい。イギリスブランドのミュージアムのようなショップである。イギリス好きにはたまらない。

ファーストフロア=2階(イギリス式に、2階をファーストフロア、1階をグラウンドフロアと呼んでいる)のメンズには、ターンブル&アッサーあり、ハケットあり、ニットのジョン・スメドレーあり、靴のエドワード・グリーンあり、バッグのスウェイン・アドニーあり・・・。「英国紳士」を語るときにかならず出てくるブランドが、上から下まで「ないものはない」勢いで揃う。Vulcan2 右下の写真はターンブル&アッサーのコーナー。

グラウンドフロアには、スマイソンの文具、グローブトロッターのトラベルケース、ケネスタナーのフラワー、タテオシアンのアクセサリー、リバティのファブリック、フォックスの傘、ハンターの長靴などなど、ライフスタイル系を中心にぎっしりと並ぶ。ファンにとっては空間そのものがクリスマスコフレのような感じである。逆に、本国だったらこれだけのスペースにこの濃密感ある品ぞろえはできないだろうなあ・・・。

Vulcan3 フレグランスコーナーもオールスターである。ミラー・ハリス、モルトン・ブラウン、ペンハリガンにトルゥフィット&ヒル。よくぞこれだけ結集してくれた・・・と感慨深い(これでフローリスとジョー・マローンが揃えば完璧なのだが)。

ロンドンで活躍中の帽子デザイナー、ハラダ・ミサさんが手がける帽子ブランド「ミサ・ハラダ」のコーナーも充実。レディライクなハットはじめ、大胆な柄もののキャップやベレー、スタイリッシュなヘッドドレスまで、ミサ・ハラダの華麗でポップな世界が凝縮されたコーナーになっている。OPENERSスタッフのご配慮で、幸運なことに、ミサさんご本人に会うことができた。今日一日だけ日本に滞在とのこと(明日もうロンドンへ)。背中が大きくあいたスパンコールのミニドレスをかっこよく着こなす、パワフルで素敵な女性で、こちらまでエネルギーをいただいた気分。Vaucan4 いつかこういう帽子もすんなりなじむ、オフビートな遊び心のあるスタイルに近づけたらいいなあ、と憧れをかき立てられる。写真の左に立っているのが、ミサさん(ご本人の了解を得て掲載)。

東京にいながらこれだけのイギリスブランドが買える(というか、少なくとも手にとって、見ることができる)。しかも価格は現地とさほど変わらない。ありがたいのか、ありがたみが薄くなるのか、複雑なところではあるが。

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2009年11月10日 (火)

あらゆる側面が、コミュニケーションである

第113回次世代産業ナビゲーターズフォーラム@目黒雅叙園。

前半は、目黒雅叙園の名物「百段階段」と、その場を舞台に繰り広げられる、「華道家 カリヤザキショウゴの世界」特別展の鑑賞(←カリヤザキが変換できず、失礼御寛恕)。江戸バロックと呼ぶべきか、和製ベルサイユ宮殿と呼ぶべきか、夢を見ているような、この世のものならぬ妖しくて大胆華麗な世界を堪能する。「百段階段」が、厳密にいえば99段であることもはじめて知った。謙虚な気持ちで、あえて一段少なくしているのだという。なんて日本人的。

その後、日本コカ・コーラ株式会社 取締役会長の魚谷雅彦さんによる講演「コカ・コーラにおけるブランド価値創造のマーケティング」。

ブランド価値において9年連続世界第一位を保っているグローバル企業の、日本法人におけるトップだけあって、プレゼンテーションがすばらしくうまい。関西アクセントをちょっとまじえて(同志社卒)、笑いをきちんととりながら、伝えたいことはきっちり伝えて聴衆の心をつかむ。ほんとうに楽しい時間だった。赤いネクタイ&ポケットチーフと白いシャツ、という「コカ・コーラ・カラー」のファッションもとても似合っていらして、全身から「ザ・コカ・コーラ」のオーラを放つ魚谷会長のプレゼンスそのものにも感動をおぼえる。(ちなみにブランド価値第2位はIBM、第3位はマイクロソフトだそうである)

おもしろくためになるエピソードの連続で、メモも20ページにわたってぎっしり書いたのだが。すべて書ききれないので、とりわけ、心に残ったエッセンスだけをここに記す。

●ブランド価値は、イントリンシック(基本的)なものとエクストリンシック(外部依存的)なものから成る。後者はイメージ、満足、気持ち、共感にかかわる。こっちが時代とともに変化していくことが大切。

●ブランド価値を創出していくために、Everything Communicatesという考え方にのっとった戦略がある。経営者、社員、売り場、広報、ネーミング、メディア、あらゆる側面が、ブランドとして統一された思いを顧客に対してクリアに伝達するために活かされるべき。

●ブランドとは、アイデンティティ+企業から消費者へのコミットメント⇒消費者のブランド体験。その積み重ねが価値をつくる。

●マーケティング一番手の法則。世界で一番高い山、世界で初めて大西洋を横断した人の名前、は誰もが知っているけれど、二番目はどんなにすばらしくても記憶されない。

●Think Local, Act Local.  競合相手を蹴落とし、競合相手に何が何でも勝つ、というゴーマンな考え方には限界と落とし穴が必ず待っている。それよりも、謙虚になって、いかに現地の人々との共存、共栄していくかを考えたほうが、利益もブランド価値も上がる。

●常に一番手でいられる秘訣は、「ハツカネズミ」。走り続け、過去の成功にあぐらをかかず、とにかく常に変革のサイクルをまわし続けること。

●「あと味」はきわめて日本的な概念である。aftertasteととりあえず訳しているが、こういう発想は英語にはなく、日本の食文化の繊細さをつたえる言葉。

いろいろなものや人の「ブランド価値」を考えるうえでも、とても参考になる考え方が多かった。聴き終えての質問タイムに、「サンタクロースの衣装を赤白にしちゃったのは、コカ・コーラさんということになっているのですが、いったい具体的にどうやって赤白にしたんですか?」と聞いてみたかったが、遠慮。(う~ん、でも聞きたかった・・・)。

たまたま隣に座られた方が、「ミケタ億」(←初めて耳にする言葉であった)という言葉をさらりと語ってイヤミのない40代前半のすてきなIT社長さんで、なんと渋くキモノをお召しであった。スーツを着ないときは、「ジーンズか、キモノか」だという。男のキモノ。ひとつ持っているだけで、場に与えるインパクトも強く、おしゃれで賢い選択だなあ、と感心。30代~40代の男のキモノ、もっと普及してもいいと思う。

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2009年11月 9日 (月)

出版界は、コンサバ

大学の講義内容の一環として、ゲスト講師に来ていただく日。今日は「プラチナサライ」編集部の桂浩司さん(明治大学のOBでもある)に、雑誌がファッションシーンに与える影響について、作り手の側からのお話をしていただいた。

雑誌はメッセージであるということ。9月売り、3月売り、11月売りの雑誌の、作り手側の思惑。写真としての美、コーディネイトの巧みさ、実用性、といった観点での雑誌の分類。ビジネスモデルという観点から、広告との関連で見る雑誌。モデルが一般人に移っていることのイミ。などなど雑誌づくりをめぐるさまざまな状況について、現場の立場からのお話を聞かせていただいた。

個人的に「ええっ!?」(と同時に「やっぱりか」)と思ったのは、雑誌業界は意外にコンサバだという指摘。より多くの読者を獲得しようとすれば、突出した、エッジイな誌面づくりは嫌われ、一歩先んじたことはやりにくい、という話。なるほどなあと思う一方、雑誌を愛し、長らく誌面の片隅に関わってきた身としては、「雑誌がそんな守りの姿勢だから低迷するのだ!」という熱い(というか、青い)思いもよぎる。

モデルを生業としていない一般人をモデルとして使用するのは、「~っぽいね」というテイストを伝えるのにふさわしいから、という指摘にも納得。作り手のメッセージがすぱっと伝わってくるわけではない代わりに、「~っぽい」という雰囲気だけはそこはかとなく、漂わせることができる。最近はこういうのが増えた気がする。

あらためて、誌面を冷静に見るプロの視点を提供していただいた。感謝!

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2009年11月 6日 (金)

「夢」から「気がかり」へ

◇来年初頭、三越伊勢丹の紳士服販売スタッフを対象に、男性服の歴史とパーツにまつわるレクチャーをするという機会をいただき、打ちあわせに行く。伊勢丹百貨店さんとは、OPENERSでタシロさんとフレグランス対談をしたり、コミヤさんとビューティーアポセカリーのオープン記念対談をしたりと、貴重なご縁が続く。恒例になったグリーンサンタのチャリティも、伊勢丹での展示である。三越+伊勢丹=老舗の底力+最先端のトレンド発信力、といういい結果が生まれることを期待する。

この日は使っている路線が信号トラブルとかでおそろしく遅延。結局、約束の場所にたどり着くのにいつもの2倍の時間がかかる。通常は30分ほど前に現場近くに着いてスタバなりタリーズなりに入って一息つき、メイクのチェックなどもしてから会議や打ちあわせにのぞむのだが、さすがに今日は現場にダッシュ。打ち合わせが終わった後、ようやく鏡を見たら片目だけ下マスカラがにじんでシュールなパンダになっていた。3分よけいにお待たせしても顔だけはチェックしておくべきだったか、それとも、ひどい顔でも先方を少しでも待たせないほうが重要なのか。キュウキョクの選択である・・・。

気をとりなおし、伊勢丹ついでにジョー・マローンのカウンターに寄り、プレゼント用に二本買い足す。12月初めに発売されるフレグランスクロニクルのカタログをいただき、しばらく目が釘づけ。レギュラーでは未発売のコロンがつくセットが2種類。悩ましい。

◇5日付朝日新聞、加藤典洋「ともに消えた『理想』と『夢』 本当の矛盾が露呈」が興味深かった。1989年、ベルリンの壁が崩壊した時に消えたのは、「夢」と、「虚構」であった、と。

「壁の崩壊で消えたのはマルクス主義という『大きな物語』をささえていたもの、どこかに『理想の世界』がありうるという、宗教的とさえいえる確信、信念、『大きな夢』である。それはもはやない。『壁』が消え、ITが世界を覆い、視野が広がり、『夢見ること』は『見ること』にとって代われらた」

「しかし壁の消滅とその後の世界の一体化=有限化は、一方で『大きな夢』に代わり、『大きな気がかり』を生んでいる。この有限な地球の将来をきっと自分と同じようにこの世界の誰もが気にかけているはずだという、やはり宗教的とさえいえる確信、心情である」

これを加藤さんは「世界心情」と呼んでいるとのこと。

なるほど、「夢」から、「気がかり」へ。こんな認識を与えてもらうことで、世界の見え方が、ほんの少し、クリアになる気がする。

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2009年11月 5日 (木)

「少年法の壁は加害者を守る」という理不尽

◇「フラウ」副編ワタナベさんと打ちあわせランチ@ブノワ。グラスワインを頼んだら、マグナムより巨大なボトル(通常のボトルが4本分入ると言っていた)で注いでくれた。普通の家庭用の冷蔵庫では冷やせない驚きのサイズ(もちろん、それを全部飲んだわけではない)。

◇その後、3年めとなったOPENERSの「グリーンサンタ」チャリティー協力のため、撮影。目黒川近くの公園に立つ、夜会巻きアップでグリーンサンタをもつ女。このイブツ感、「しんれい君をさがせ」のしんれい君になった気分である。

◇移動が多い一日だったので、東野圭吾の文庫本『さまよう刃』(角川文庫)持ち歩く。結局、夢中になって、帰ってからもやめられず全部読みきった。魂がよじれるような痛切な話を、映像を見せるかのような巧みな筆致で描き上げている。最後には茶碗一杯分くらい涙する。日常からは遠ざかっていたり、縁がうすかったりする激烈な感情を擬似体験させるのが、うまい小説家だなあと思う。「少年法」によって極悪非道な未成年犯罪者たちが「守られて」いる理不尽な現状に対して、多様な視点から鋭い問いを投げかける社会派小説にもなっている。映画も観たい。

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2009年11月 4日 (水)

スモーキーなセクシーさ

◇「タイムズ」10月14日付け、ストリートスタイルを撮り続けたものがペンギンブックスから発売されることになった「サートリアリスト」、スコット・シューマンへのインタビュー記事より。

「Times: スタイルには都市ごとに固有の特徴がある?

Schuman: ミラノは人々の服装のフォーマル度が高いこともあって、古きよき時代の魅力をとどめている。パリでは、バーやカフェでパリジャンのスモーキーなセクシーさを見ることができる。アメリカでは、服はアメリカ人のアグレッシヴぶりを映し出している。

Times: ファッションアドバイスを一つだけするとしたら?

Schuman: 自分のライフスタイルのために装いなさい、ってこと。ぼくはスーツと、それにまつわるクラフツマンシップが好きだが、めったに着ない。いつもストリートに出て写真を撮ってるからね」

パリジャンの魅力を、smoky sexiness と評していることばが印象にのこった。言われてみればたしかに、「いぶしたセクシー」。実際、スモーカーも多そうだし。

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2009年11月 2日 (月)

「上から目線でケイベツしながら憧れる」

◇DVDで「カンナさん大成功です!」観る。全身整形美女を演じる山田優がなかなかよくて、目が釘づけ。「ブス時代」の癖が抜けないドタドタした走り方(の演技)とか、誇張したモデルポーズの決め方とか、いやみなくうまくて、気持ちよく笑える。笑いのセンスのある美女って最強だなあ。作品じたいは、「劇場版」とはいえテレビのスケールにおさまっていた感もぬぐえなかったが、ファッションのはじけっぷりとキャストの面白さで、とても楽しめた。

「社長」役の美女、きらりと個性的で印象に残る。誰だろう・・・と調べたら、なんと浅野ゆう子だった。ウィッグとメイクと演技でみごとに「化けて」いた。

風刺がたっぷり入った名言もちくりちくりとちりばめてあって、おかしい。

「(世の中には)美人エリアとブスエリアがある」

「美人は払わない。美人は謝らない。美人は話を聞かない・・・」

「女は、上から目線でケイベツしながら憧れる」

→これ、鋭いな、と感心。さんざん(ヤマダユウの)悪口を言いながら、彼女をマネして似ていく3人組のオバちゃんが、その「証し」として配されているあたり、うまい。女は美女を上から目線でバッシングしながら、彼女に憧れる。女性週刊誌なんて、そんなメンタリティでもっている。

◇1日付朝日新聞、またまた久保田智子。みのもんた評に、なるほど~。

「みのさんはカメラの前でもとても自然に見えた。私が言うとわざとらしい『楽しみですね』というせりふも、みのさんが言うと、『本当に楽しいのかも』と思わせる何かがあった。発する言葉に瞬間的に感情を込め、『今ここでしゃべっている自分だけは確かだ』という、説得力と自信を感じた。全身で喜怒哀楽を表わすみのさんの顔は、まるで歌舞伎の隈取りが浮かび上がっているかのようだった。しかも、カメラが回っていない時も変わらない」

『カメラの前で自然でいられる人だけが、テレビの世界に残れる』

この「自然」は、たいへんな努力の果てにいきつく「自然」なんだろうな、と憶測する。

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2009年11月 1日 (日)

「協調性がなさそうな子にあえて一番大事な役割を与える」

ミッションを終えて、当初ちょこっと観光して帰ろうかとも思っていたが、雨が激しいので、桜島も見ることなく、とんぼ帰り。またいつか鹿児島を訪れる機会に恵まれることを祈りつつ。

機内で井ノ原快彦『アイドル武者修行』(日経ビジネス人文庫)読み終える。シャンパーニュ飲みながらの読書にはこのぐらい軽いのがいいかな、と思って空港の書店でぱぱっと選んでいったが、これがなかなかの掘り出し物!であった。

イノッチこと井ノ原くんはV6としてデビューしたアイドル。生き残りが厳しい世界で長く仕事を続けていらしている理由がよくわかった。陰の努力や気配りが並ではないのである。とにかくマメに人に気配りをし、体力と気力をど根性で養い(熱があっても解熱剤5錠飲んでステージに立つ!)、いろんなジャンルのエンターテイメントや周囲の人から積極的に学び続けている。それをとくに苦行とも思わず、楽しげにこなすことができるのがやはり才能なんだろうな。

ジャニー喜多川さんは、決してああしろこうしろと指図することはせず、アイドルにも自分自身の頭で考えさせるのだそうである。ジャニーズのアイドルはみんなそれぞれに「頭がいいなあ」と感心させられるのだが、そんな指導のたまものでもあるわけか。井ノ原くんのお父さんのエピソードにもじ~んとするものがあり、親や上司といった指導する立場にある人の正しい振る舞い方というのも考えさせられる。

「あがり」を防止する具体的なアドバイスも参考になった。

「よく『質問ある人?』と言われて、みんな黙り込んでしまう瞬間ってありますよね。気まずい空気が流れるこういったときがむしろチャンスです。手を挙げて何か言いましょう。何もないなら『質問はありません!』でもいいんです。とにかく必ず手を挙げて発言することがポイントです。これは目立とうとするんじゃなく、話しやすいキャラであることを周りに示すというのがコツ」

「普段から、いろいろな人が人前で発言しているのを見てきて思うのは、人前では恥ずかしそうにしているのが一番寒いということ。いったん人前に出ると決まったら、開き直ったほうが勝ち」

プライベートフォトも楽しい1冊で、よい旅の友になった。

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