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2009年7月

2009年7月31日 (金)

雑談なのに

大学の「前期おつかれさまでした」の会。お酒片手の懇親会なのに、勉強になる話をたくさん聞けてしまうのが、所属している学部の底力というか、魅力である。前回は高山宏先生から「超ダンディ」論のヒントになるレクチャーを受けた。雑談なのに。今回は鹿島先生から、「日本人は自分の利益のために行動しない。自分の利益を考えて行動していれば、戦争なんて起きなかった」という、目からうろこが落ちるような日本人論を聞かせていただいた。雑談なのに(しつこい)。なんと私は恵まれた職場にいることかと幸運に感謝しつつ、自分があまりにも無知で反応がニブいために、せっかくのお話もおもしろい議論に発展させられない無能を恥じる。もっともっと鍛えないと。

7月も終わり。外部の講演2つも印象深く、秋発売の化粧品の実験台(?)になること3週間という得難い経験もさせていただき、プライベートでは闘わなくてはいけない困難なヤマ場もあった。なんだか雑多に盛りだくさんのイベントがあったひと月だったが、多くの人に助けられて、なんとか無事に乗りきることができた。ありがとうございました。

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2009年7月30日 (木)

高級ブランドのマクドナルド化

ダナ・トーマスの『堕落する高級ブランド』(講談社)読了。原書の”Deluxe:How Luxury Lost its Luster”は2007年に出た時にすぐ買っていたのだが、とかく分量が多いのと、書かれていることがシリアスで濃いので流すことができないために、読了できないままでいた。このたび実川元子さんが読みやすく翻訳してくださったことに、感謝。

こんなことまで書いてしまって、ダナ・トーマスはファッションジャーナリストとしてやっていけるのだろうか?と心配になるほど赤裸々なブランド戦略の舞台裏が書かれている。読者としては小気味よいのだけど。えげつないくらいの、セレブを使ったパブリシティ作戦、それにあさましく便乗するセレブが、実名入りで書かれている。これを読んでしまったら、「レッドカーペットの女優のファッションチェック」なんて記事、書く方も読む方もあほらしくてやってられなくなるだろう。裏を知れば、うっとりなんかしてる場合ではない。

コストを削減し、利益の幅を大きく出すために、中国でいかなる製造がおこなわれているのかも、暴かれる。「メイド・イン・イタリー」や「メイド・イン・フランス」も実はほとんどが中国製、というからくりも、容赦なく明らかにされる。これを読んでしまったら、広告のイメージに洗脳され、大枚はたいてありがたがってブランドバッグを買う行為が、いかに愚かしくてばかばかしいことか、目が覚めるだろう。利益はほとんど、一握りのトップだけに行く仕組み。

大量の売れ残りをさばくアウトレット誕生の経緯を知ってなおブランドが欲しくなるということも、ありえなくなるだろう(たぶん)。

現在、世界のどこへ行っても、どのブランドも同じように均質的に大衆化してしまった。マクドナルドみたいになった、というトム・フォードのことばが鋭く現実をとらえている。

大衆には手の届かない高級品をわずかな顧客のために誇りをもってつくっていたラグジュアリーブランドから、大衆的な均質商品を大量に提供するグローバル企業へ。そんなブランドの変遷の歴史がよくわかる、骨太な一冊だった。ブランド・コントロールをおそれないダナ・トーマスの志の高さに敬意を表する。ブランドのご機嫌うかがいしながらタイアップ記事ばっかり書いている(書かされている)日本のジャーナリストも少しは見習わねば。自戒をこめて。

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2009年7月29日 (水)

「面倒くさい」を禁句にせよ

さすが、の鹿島茂先生である。『セックスレス亡国論』(朝日新書)、とても大胆で鋭い視点を提供していらして、うなったのであった。

人間はほっとくと、面倒くさいことを回避する(=セックスをしなくなる)。資本主義は、この面倒くさいことを代行する産業を生み出す(=AVやアダルトDVDの発達)。資本主義が、面倒くさいことをしたくないという願望をくみとって発達すればするほど、それが全面的なセックスレスを招き寄せ、ついには亡国の危機に至らしめる・・・・・・という議論。

「資本主義はこんなふうに人類に『面倒くさいことはやめましょう』という魔法の言葉を吹き込むことで、確実に一歩一歩人間の本能を退化させていく。もしかすると、我々は滅びの道へとまっしぐらかもしれませんよ」。

女性誌がすすめる「モテ服」の落とし穴に関する指摘も、笑いつつ、鋭すぎてひきつるところがあった。恋愛が女の見栄と結びついてしまった喜悲劇的現状があるのだが、それはつまり、女が「男からどのくらい注文があるように見えるのかを競い合うようになった」ことである、と。鹿島先生用語を使えば「女ドーダ」の競争になっている、と。

「もし、男女関係を正しく理解しているなら、絶対に、『モノを持った女が勝ち』などという発想が出てくるはずがありません。・・・・・・(中略)・・・・・・本当にモテたかったら、原節子の首をかしげるしぐさとか、高峰秀子の真っ白なブラウスなんてものを研究して、『優しげに見える女』『貞淑に見える女』『上品に見える女』を研究すべきなのです。ところが、女性誌が間違えて、完全に逆を行っている」。

「情報を載せる側の編集者も忙しくて、自分が恋愛している暇もない。要するに、稼いだお金で高いバッグを買って『ドーダ』と言っているうちに、40歳、50歳になってしまったわけです」。

男の場合、「面倒くさい」ことを嫌い、回避していると、二重の弱者になるという指摘は、先日、雨宮さんにインタビューしたときの話(非モテとワーキングプアはつながっているという話)に通じるところがあって、よく理解できた。

面倒くさい求愛行動を回避してアダルトDVDなどで完結する男は、モテない。面倒くさい受験勉強や就職活動を避けて通ろうとする男は、経済面でもうかばれないことになる、と。

「面倒くさいことは嫌いだと言っているうちに、恋愛でも経済でも、自分の可能性を片っ端から閉じてしまうわけです。・・・・・・(中略)・・・・・・面倒くさいことはしたくないと思って、それを幼いころから実行していると、いつのまにやら、二重三重の弱者になって、ワーキング・プア&オナニストになってしまっているのですね。しかし、だからといって、今さら面倒くさいことはしたくないから、そこで居直ってしまうわけです。働き口もいらない、女もいらないと」。

でも、資本主義はこの「面倒回避」の欲望をくみとって、それに対応する製品を作り続けることで発達していくのである。なんだか空恐ろしい矛盾というか悪循環というか。こういう仕組みを看破して、わかりやすく伝えられる鹿島先生はやはりタフな知性の持ち主であるなあとあらためて感心する。

で、日本の未来のために(?)とりあえず私にできるささやかなことは。 「面倒くさい」、これを言わない、言わせないような教育か・・・。

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2009年7月28日 (火)

この靴は、なにごと?!

25ans9月号発売です。連載「リュクシーなモード」で「サステナ美女」について書いています。機会がありましたらご笑覧ください。

自分の書いたものはかな~り「おとなしめ」で恥ずかしい限りなのだが、他ページではあいかわらず編集部は豪快にやってくれる。今月号でアドレナリンが噴出してしまったページが、靴の新ブランド、マイ・ラモーレの紹介ページ。フェザーをあしらったり、ヒールに18kを使ったりと、それこそフィクション感きわまれりという妄想炸裂ハイヒールに目が釘づけになる。値段を見たら、300万円とか200万円とか。ゼロ、いくつ多いんだ。ここまでくると、ほんもののフィクションとして楽しむ靴ですね。

山田美保子さんのコラムもおもしろかった。「現役美人」として森光子さんを分析しているのだが、その美貌の秘密を「ジャニーズ・エキス」にあり、と。

「東山さんおひとり時代よりも、タッキー&翼や亀梨和也さんという“新作”(!?)を”豊潤”に浴び、ますます若々しく、お美しくなられているように拝見します」。

ジャニ担の女性記者が、ジャニーズ取材の翌日は肌が上がっていて、「どんな美容液よりも注射よりも効く」と声を揃える、という指摘にも笑う。私の友人のなかにもジャニーズおっかけを趣味というか命としている40代美女が何人かいるのだが、なるほど、そういう美容効果もたしかにあるのかも?

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2009年7月27日 (月)

富裕ではなく、有閑であるべき理由

山田登世子先生の『贅沢の条件』(岩波新書)読了。勉強になった。とりわけ気になった指摘、覚えておきたいことなどを、備忘録まで。

「金持ちであることはそれだけでは名誉ではないのだ。いやむしろ、もしその富が労働の成果であるのなら、できるかぎり労働の痕跡を消し去ることが名誉につながる。貴族的伝統を長く培ってきたヨーロッパでは、『労働』は名誉どころか、不名誉な隷属的性格を払拭できない。紳士とはまさしく労働に手を染めない人間のことである―なにしろ近代以前、貴族は名誉のために法によって働くことを禁じられていたのだから―だからこそヴェブレンの書のタイトルは、『富裕階級の理論』ではなく、『有閑階級の理論』なのである」。

「貴族の浪費からブルジョワジーの労働へ―この世紀の転換を、luxe(贅沢)からwealth(富)への転換だといってもいいだろう。貴族たちの義務でもあったluxeは、いまや『不生産的消費』の同義語となって断罪され、市民たちの勤労の成果こそがwealthとなって国富を形成する」。

「要するに茉莉の言いたいのは、贅沢は悪であるどころか、堂々と朗らかに『楽しむ』ものであるということである。自分のやりたいこと、楽しいことを、嬉々としてやること―そして人生でそれ以外のことはやりたくないという『子ども』のような自己中心性。ほんものの『贅沢の精神』とはそれ以外の何ものでもない」。

読みたい、読まねばならない本のリストもたくさん加わった。本を読めば読むほどリストが積み上がる一方・・・。

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2009年7月26日 (日)

実験パフォーマンス

おこさまサービス定番コース渋谷編、NHKスタジオパーク→たばこと塩の博物館。後者が予想していたよりもおもしろくて勉強になった。運よく「実験」タイムにぶつかり、白衣を着た若い理系女子二人による、塩にまつわる実験パフォーマンスを楽しむ。マジックのようで、ゆるいコントのようで、理科の授業のようで、ついつい見入ってしまった。アルコールランプを使いこなす白衣の女子(「女の子」でもない、「女」でもない)というのは魅力的である、といまさらながら発見。この手の「理科実験パフォーマンス」、劇団などが真剣にとりくんで、もっと本格的なシアターで音響・照明つきでやってもおもしろいのではないか?

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2009年7月25日 (土)

ハイヒールとフィクション感

◇心に引っかかった記事の、備忘録。まずは23日(木)朝日新聞夕刊の川上未映子さんの「おめかしの引力」より。ヒールの高い靴の魅力に触れて。

「・・・・・・どっちに転ぶかわからないような臨場感もなかなかいいし、何より家から出て外を歩いているんだよという感じがほどよいフィクション感というか緊張感を生むわけで、好きなのだった」。

一方のフラットシューズに触れた文も、至言。

「足の裏を余すところなく使って大地を踏みしめてる感というのがそのまま労働感と責任感を想起させて結びつき、ただただ苦しく、精神的にギブアップ。ああ、地に足がつく安定が不安に転じてあるならば、私の安定はいったいどこにあるというのだろうかナ」。

ハイヒールがフィクション感を生み、フラットシューズの労働感と責任感が精神的に苦痛を生む、というのが非常に共感できる。精神的な苦痛に比べれば、肉体的な苦痛(足がいたい・・・)なんて、なんのその、っていうときがたしかにあるんですよね。

◇24日(金)夕刊の、関ジャニ∞「七人七色」より。村上信五くんの話。

「以前は、雑誌などの撮影でかっこつけすぎて、いま思えばはずかしくなるような時期がありました。・・・・・・(中略)・・・・・・無理していたというか、ある種の勘違いだったと思います。そのことに気づかせてくれたのは、タッキー(滝沢秀明くん)なんです。二人でよう飯いってたときがあるんですけど、あいつは24時間365日、いつもタッキーなんですよ。本人は何も意識していないけど、普通にしていてかっこいい」。

「どうやったらかっこよーなるんやろな、オーラ売ってくれよ、って聞いたことがある。そうしたらタッキーが、ひな(村上くん)はそのまま自然なのが一番かっこいいみたいなことを言ってくれた」。

ありのまま以上のものに見せよう、というセコさこそが、人を醜くつまらない存在にしてしまうんですよね。「少しでも目を大きくかわいく見せよう」という表情がぞろぞろ並ぶ雑誌を見ていると、どうにも気持ち悪くなってくるのも、おそらく、そういう理由による。

自戒をこめて。

◇「忘れようとしても、覚えていない

「ピラメキーノ」を何気なく流していたら、耳経由で心に刺さったことば。そういう人に、私はなりたい・・・・・・。

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2009年7月24日 (金)

地球を救う怪力美女になりたい願望

「モンスターvs.エイリアン」、専用めがねをつけての、3D映画。宇宙のイメージはじめ、映画の世界に入ってしまったような迫力映像に圧倒される。3Dでここまでできるとは。無声からトーキーへ、モノクロからカラーへ、という映画の変わり目の瞬間に立ち会っていた観客もこんな思いだったのか?

3D映像ばかりか、ストーリーもなかなか興味深かった。宇宙最高のパワーに偶然恵まれ、巨大なモンスター(ジャイノミカ)になり、スーパーパワーを授かって、仲間と地球を救うヒロインに対し、心底、「ああなりたい」と思った自分を発見する。ふた昔前だったら、映画は女の「王子様願望」を描いていたかと思うのだが、今の女の願望はそんな退屈なレベルにはないのである。男を、地球を、スーパーパワーでもって救う。これが今、共感を得られるヒロイン像なのかもしれない。

「ゴジラ」や「モスラ」への「オマージュ」も随所に見られて、ちょっとうれしかった。エンドロールの背景に流れるシルエットの映像が、さりげないのにスタイリッシュで、あえてモノクロっぽくおさえているあたりに作り手のセンスのよさを感じる。

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2009年7月23日 (木)

超克

劇場版ポケモン「アルセウス超克の時空へ」。時空をつかさどる「神々」たる三龍、ディアルガ+パルキア+ギラティナ VS.彼らを生みだした「神」アルセウスが登場。命を削って人間に宝玉を預けた「神」アルセウスと人間たちの信頼と裏切りのドラマ、神々の戦い、時空を自由に行き来する壮大で荒唐無稽なイマジネーション、皆既日食の日に果たすべき「約束」……なにやらギリシア神話を思わせるようなお話を堪能する。

アルセウスの神々しいイメージは、天駆ける白馬ペガサスを踏襲? 命の源が16個、美しい光の輪となってアルセウスを守る絵は本当に美しいし(威厳ある声の主は、美輪明宏さんだった!)、デジタル技術の向上のおかげか、風景が現実以上にリアルな迫力をもって描かれている。肉眼で見られなかった皆既月食も、ヴァーチャルとはいえ、楽しむことができた。

神から命の宝を預かり、それに感謝しながら大地を豊かにしてきた人間の先祖があって、今がある。神の信頼にこたえ、先祖に感謝し、未来のこどもたちのためにも今を大切に、というメッセージも、いやみなく子供たちに伝えている。製作者に心から敬意を表します。株式会社ポケモン。ポケモンのことばかり考えてグローバルでも勝負できる会社っていうのは、部外者の目には、なかなか楽しそうに見える。

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2009年7月22日 (水)

おとな塗り

ロートの「エピステーム」3週間使用後のデータ測定@アオハルクリニック。どきどきだったが、ほとんどのデータにおいて改善を示す数値がでてきたので、驚きつつ、ひとまずは任務を無事果たせたことに安心。全体的に肌状態が安定し、明るさがアップしたようで、友人からも「何使ってるの?」とチェックが入ったりしていた。

すべて優秀なアイテムばかりだが、中からとる美容液がとりわけ私にはあっていたようで、発売後、買って続けたいと思った製品のひとつ。

プレスのヤマダさんの肌が光を反射する水面のようにピカピカで、自社スキンケア製品を「おとな塗り」しているから、と。説得力ありすぎ。

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2009年7月21日 (火)

がんばれ後輩

母校の高校生対象に講演@ホテルメトロポリタンエドモント。進路やキャリアを考える上で参考になる話を、ということだったが、私にとっても、卒業後30年ほどをあらためてふりかえって考えるよい機会になった。熱心に聴いてくださった先生方と生徒の皆さん、ありがとうございました! 私もエネルギーをチャージしていただきました。

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2009年7月20日 (月)

シャネル伝

すでにあちこちで報じられているが、今年は空前のシャネルブームである。シャネルの生涯を描く映画が3本公開され、舞台が2本上演される。

このシャネル特需?で、1980年に刊行されていたシャルル=ルーの『シャネル・ザ・ファッション』(新潮社)も早川書房から新訳で出ることになり、その巻末につけるエッセイを書いた。来月刊行予定とのこと。

シャネルの伝記や評伝は日本語で出ているものだけでも10冊を超えるが、シャルル=ルーの伝記は、おそらく、とことんしつこく調べあげたもっとも詳しい伝記である。シャネルの先祖にいたるまで執拗に調べてあって、感服。

去年が生誕125周年だったためのシャネルブームらしいが、この人の人生には混迷の時代をサヴァイヴするためのヒントがどっさりある。現代人にこそ響く、生き方のお手本的なところも、現在ウケている理由のひとつではないかと感じる。

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2009年7月19日 (日)

エコシック・フレグランス

ニッチな高級フレグランスを扱っている「フォルテ」さんから、新しいブランドの香水のサンプルをお送りいだだく。フレグランス界では有名な女性調香師、南仏グラース出身のオリヴィア・ジャコベッティが手がける、「オノレ・デ・プレ」。100%天然香料、自然にインスピレーションを得た「エコシック」な香り、とのこと。全5種。

蒸し暑い今の季節に最適なリフレッシャー!と感じたのは、「オノレ・トリップ」だった。タンジェリン、地中海のオレンジ、黄色いレモン、青いレモン、フィリピン産のスパイス・・・と聞くだけで脳内に海と太陽が広がる感じがあるが、この清涼効果快く、思わず全身にふりかけてしまった。ただ、当初の鮮烈な香りがそれほどもつわけではなく、しばらくすると肌と一体化する感じ。秋冬にはかなりものたりなく感じるかもしれないが、汗ばみがちな今の季節なら、かえってこのくらいのほうが他人迷惑にならなくてよいかも。

「ボンテ・ブルーム」も、いったいなんの香りだか、言いあてられない繊細な複雑さをもちながら、さりげなく、印象に残る。ひまわり、南インドの花、モロッコのブルーカモミール、バラグアイのレモンの花、セージの葉、ホワイトアイリス。

「シャーマン・パーティー」も、自然の生命力がはじけるようなパンチ力があるのに、静かなやすらぎに満ちている。ハイチ産ベチバーの根、エジプトのバジル、ベネズエラの森の香り、マダガスカルのクローブの乾燥花・・・。どの国にも行ったことがないので、まったくイメージわかない。それもあって、「いわくいいがたい」ミステリアスな香りとして魅了される。

「セクシー・アンジェリック」はちょっと甘い。ハムロックの花、アンジェリカの種、焼きたてのカリソン。アーモンドの甘い香りが好きな人にはたぶん好もしいと感じられるはずだが、お菓子が苦手な私にはあまり似合わないようである。

「ニュー・グリーン」は深呼吸したくなるような森の空気、といったイメージの、癒される香り。しわしわに揉んだ緑の小さな葉っぱ、インドの植物性ムスク、修道院の薬草・タラゴンの香り、シダーウッド・・・。といわれても、わかるようなわからないような。

それぞれ、すぐに素肌になじんでしまうので、至近距離に近づいた人だけが「あらっ、今のは?」と感じるか感じないかという程度にごくごくかすかに香る。これなら和食の席でもキモノでもOKだろう。

すぐに買いたい、と思ったものの、伊勢丹先行発売が9月2日とのこと。日本の夏のためにつくられたようなフレグランスなのに、なんだかもったいない。

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2009年7月18日 (土)

忘れたあとに、本当の効果が残る

朝日新聞be欄の磯田道史さんの「この人、その言葉」より。今回は内田百閒先生の紹介。日頃漠然と感じていたことにすっきり答えを与えてくれるような名言だった。

「学問はむしろ忘れるためにする。はじめから知らないのと、知ったうえで忘れるのでは雲泥の差がある。学問がその人に効果を発揮するのは忘れたあと。学問をするのにすぐ役立つかということばかり考えるのは堕落の第一歩」

覚えておかねば、とメモしながら、ああこの言葉も忘れていいんだな、と苦笑する。一時でも心にひっかかったことは、そのときに「役に立たな」くても、必ずあとで効いてくる。

高校時代は理数科で、物理や数学や生物・化学の実験や地学の実習ばかりをやっていた。今では定理も公式もすっかりキレイに忘れてしまったのだが、文を書く上でも、数学の証明の訓練が効いているなあ、と実感することがある。数学の先生は、ごくシンプルなのに奥行きのある正解を書いた生徒には、「エレガント!」とほめてくれたものだが(そうじゃないごちゃごちゃした回りくどいのは「エレファント」)、たどりつきたいなあと夢見るエレガンスの理想郷の原イメージがまさにそこにある。

ただ、感動を伴わない淡々とした詰め込みは、あまり意味がないような気がしている。「なにをやったかすっかり忘れたけど、効いているよなあ」と今もしみじみと思い返すことのできる「役に立たない学問」は、学ぶ過程で、感情のゆさぶりや感動を伴っていたことが多い。そういう「心に引っかかる」教え方をしてくださった恩師にたくさん出会えたことは、ほんとうに幸運だった。

◇大学のゼミ前期無事終了の打ち上げ。久方ぶりの居酒屋の雰囲気になごみ、笑いに笑って、楽しく過ごさせていただいた。明るくて活発な学生さんたちに恵まれたこともまた「有り難き」幸せと感謝する。

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2009年7月16日 (木)

「書き続けてこられたことが勲章です」

北村薫さん、直木賞受賞おめでとうございます!

59歳、6度目の候補にしての受賞のことば。「ほっとしました。賞もうれしいが、候補に選んでもらえるものを書き続けてこられたことが勲章です」

一定レベルのものを書き続けることがどれほど大変なことであるかは、過去の受賞者の何割かがもう名前すら見かけないというシビアな現実が、物語る。

それにしても、直木賞は「一流文壇デビュー賞」みたいなもの?と漠然と思いこんでいたところがあった。北村さんはもう誰もが知る大御所として活躍している方だから、素通りというか「卒業」したのかと思っていたのだが。 どういうレベルの作家を対象にしている賞なのか、門外漢には、いまだによくわからないところがある。

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2009年7月15日 (水)

偶然にしては、あまりにも

ファッションビルでも、タクシーの中でも、カフェに入っても、マイケル・ジャクソンが流れている。80年代が戻ってきたかのような錯覚をおぼえる。

今年の初め、「80年代リバイバル」がくる、と多くのファッション記事が論じていた。本ブログでも、バルマンジャケットなどのことに触れつつ、ちらっとその話を紹介している。バルマンの肩強調ジャケットは、マイケル・ジャクソンの舞台衣裳を思わせるようなもので、2月、3月には、多くの「セレブ」が競い合うように着ていた。もちろん、マイケルが故人となるずっと前の話である。

いま、マイケル追悼の意味で、80年代のBGMだった音楽が流れ、マイケル風ジャケットの人気が高まっている。

ことし初めに予想された80年代ブームと、現在の80年代全盛のムードは、もちろん、意味はまったく違うもので、ほとんど偶然の一致のようなものだ。

でも、ほんの少し、ひやっと空おそろしいものを感じる。

ファッションの変化は社会の変化に先行する。その後に続くできごとを予兆することがあるのだ。

マイケルが故人になってしまうだなんて、さすがにバルマンですら予想していなかったであろう。だが、この偶然の一致、あとから「歴史」として、記録として眺めてみた時に、やはりただの「偶然の一致」とすますことなど到底できないような気も、ほんの少し、するのである。マイケルが偉大なポップスターだっただけに。

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2009年7月14日 (火)

ごくせん

ザ・ムービー。「事件」もスケールアップして、過去の「卒業生」総出でファンへの大サービス、7年間ありがとう~!といった祝祭感も楽しかった。過去の全作はDVDでチェック済み。ああなってこうきて、ここでこの台詞をきめてこうなる、という期待のパターンをはずさない偉大なるマンネリズムがやみつきになる。大江戸一家の人たちは出てくるだけでなごむし、「同僚」が生瀬勝久はじめみんないい味を出しているし、ヤンキー系でもタイプの違うイケメンがずらり、という光景は何度見ても圧巻。その壮観をひきたてる制服の不良アレンジも面白い(リアりティはともかく、「マンガ」として・・・)。わかりやすくエモーショナルな音楽もマンガチックな効果を盛り上げていて快い。なかでも、'Road to Gokusen' は、ぜったいにα波を出す効果があると思っていたところ、劇場にサントラCDを売っていたので、すかさず買い。

亀梨くんが教育実習生としてヘルプするほか、もこみち(しっかり扇子をもっている)も大事なところでさりげなく援助、小栗旬や小出恵介、小池徹平などなど、すっかり大物になった感のあるOBが、続々と(ちらっと)登場する。「卒業生」たちの、番組の外を離れての飛躍ぶりを思うと、二重に感慨深い。三浦春馬もあれよあれよという間にメジャーになっているし。

おなじうそくさい映画でも、CGによるメカの破壊シーンばっかり派手に続くといううそくささよりも、こっちのヒューマンなユートピアのうそくささのほうが、はるかに感情をゆさぶる力がある。

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2009年7月13日 (月)

しゃれになってない

◇電車のなかで、1歳半~2歳ぐらいの、赤いTシャツを着た男の子に目がとまる。背中に大きな白抜きの字で「クソ餓鬼(がき)」と書いてある。両親らしき人も一緒だったが、なんだかいたたまれなくなった。しゃれになってない。

◇女子学生の座り方が気になる。がばっと両足を広げて座る子が圧倒的に多い。注意してもすぐ元に戻る。原因を推測するに、スカート+スパッツというカジュアルファッションにあるようだ。数年前に「はにわ」として物議をかもしたこの組み合わせも、いまやすっかり女子大生の定番カジュアルなのである。これにぺたんこのサンダルなどを組み合わせている子が多いのだが、そうすると、脚にまったく緊張感がなくなるものと思われる。いや、学生の本分は勉強だから身体に意識が向かないほうがいいのだ、という考え方もあるのかもしれないが、「他人の視線に対して最低限、恥ずかしくない姿勢」に対する感覚は日常的に養って無意識レベルにたたきこんでいったほうがいいのではないか、とも思う。

・・・などと考える私の発想じたい、「うるさいおばさん」になりつつあるようで苦笑する。

◇大学に「サライ」編集部の方がお見えになる。月2から月1刊へ、少し読者対象の間口を広げてリニューアルするとのこと。冬ぐらいから連載を始めることになりそうである。どちらかといえば、これまで「いま、新しく生まれているもの」ばかりを追いかけてきたのだが、「変わらぬ価値」をもつシブいものと向き合うことになる。書き手として適してないんじゃないかという不安のほうが大きいが、これもまたなにかのご縁であるかもしれない、ととりあえずは機会に感謝し、楽観することにする。

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2009年7月11日 (土)

とりかえしのつかないボタンプッシュ

仮にリムちゃんと呼んでおこう。いつもネイルを担当してくれる、30前後のかわいい女の子である。今日はジェル塗り替えの日だったので、いつものように手を委ねつつ近況などを聞いていた。彼女は新婚ほやほやである。ギボさんが必要以上に介入してくることは、前にも聞いていた。

リム「・・・私、ついに事件おこしちゃったんです」

ナカノ「なにやらかしたの?」

リム「ギボが、こっちは仕事中なのに、次の日曜どこ行くとか、そういう電話ばっかりかけてくるから、もうさすがに私もイラっとしちゃって」

ナカノ「で、仕事中に連絡するなって、言っちゃったの?」

リム「だったらまだよかったんです。仕事中に何度もしょうもない電話かけられても困るんだよね、行きたいとこあるなら自分で行けって話だよね、みたいなことを感情のままに書いてカレにメールしようとしたんですけど・・・」

ナカノ「うん、そういう愚痴をダンナさんが聞いてくれるならいいじゃない?」

リム「そのメールをまちがってギボに送っちゃったんですっ!」

ナカノ「・・・ご本人に・・・」

彼女は携帯を壊したいという衝動にかられながらも、センターに送信停止を申し込んで手遅れであることを知り絶望し、全身から血の気がひいて気を失いかけたそうである。

その後まだギボさんと顔を合わせていない、とのこと。

とりかえしのつかない、ボタン押し。苦い経験は私にもある。頭に血が上っている時ほど、「ぜったいに押してはいけない」ボタンを押してしまうものであるらしい。いくら後悔しても反省しても現実をリセットすることはできないと悟ったその日は、壁に頭を何度かぶつけて血まみれになっていた。心の痛みより身体の痛みのほうがはるかにマシだった記憶がある。

心の底から同情し、ラインストーンをつけるオーダーを追加してあげた。

という次第で、「ギャルっぽい」とずっと避けていたラインストーンがはじめて爪についている。

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2009年7月10日 (金)

くもりなき良心を抱いて食べたいゴハン

「フラウ」8月号発売です。連載「ドルチェを待ちながら」で、エシカルイーティング(「倫理を食べる」というトレンド)の最新の状況と、それに対するツッコミ?を書いています。機会がありましたらご笑覧ください。

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2009年7月 9日 (木)

その分野の本200冊・・・

◇朝日新聞夕刊、「人生の贈りもの」欄より作家・精神科医の帚木蓬生さんのおことば。備忘録まで。

「ものを書くときには、その分野に関する本を100冊か200冊、読めばいいですよ。それだけ読めば、その道のプロになりますもんね」

「われわれふつうの作家は毎日、書かないといけませんよ。バイオリニストが毎日、トレーニングするのと同じです。あれは、手を動かしてることによって、続きが浮かんでくるもんですからね」

3年かけて資料調べして、1年かけて書く。これだけの努力あってのあの成果。ことばに重みがある。すばらしいお手本がいることが、畏れ多く、ありがたい。

◇「フラウ」次回ネタに、7月19日に英国でおこなわれるという「ビッグランチ」の話を書く。ボランティアによる、コミュニティ単位での路上パーティーのようである。今の段階で7000スポットの予定というが、果たして当日どうなるのやら。まだ行われていない時点で一大イベントの話を書くというのはかなり神経をすり減らす。

この話を書こうと思ったのは、ほかでもない、宮台真司さんの『日本の難点』(幻冬舎新書)に刺激をうけたためである。挑発的な表現もかなり多くて、著者独特のあくの強さに慣れていない人の中にはむかつく人も多いだろうなあ・・・とは思うものの、その点も含めて、この人、おもしろい。ちょうど大学のゼミでhathos(嫌快感)を議論したんだけど、まさしくそんな感じを抱かせる。いや~なところが、なんとも楽しい、みたいな。本人もそれを折込み済み。あっぱれである。こういう「感染力」、見習おうと思って見習えるもんでもないけど、したたかな腹の据わり方に、少し勇気をもらう。クレーマーや偏狭なせこい部外者のピーチクパチクなど知ったことか。そのくらいの強い覚悟がなくては、影響力のあるものなんか書けないことを思い知る。(実際、ピーチクパーチクの声が大きければ大きいほどこの人は売れていくように見える。それも想定済みであるらしいところが、やはりすごい。小心モノにはなかなかまねできないことである。)

……遠回りした。で、宮台さんによれば、コンビニ&ネット&宅配サービスなどがふえて<システム>が社会全体を覆うようになり、「役割&マニュアル」優位のコミュニケーション領域が広がり、地域社会が包摂性を失ったことが、自殺やうつや孤老死の増加にもつながっている、と(かなり短絡的な要約で失礼。このあたりもっと繊細に幅広く論じていらっしゃいます)。

「善意&自発性」優位の、相互扶助的な地域社会のコミュニケーション領域が減少した結果、隣人が何者かを知らない、知らなくてもOKというムードが、世界の都市部を覆うようになっている。英国のビッグランチの試みは、私には、この「善意&自発性」優位のコミュニケーションの復権をめざすものに見えたのである。地域社会の包摂性を再び取り戻すことが、ひょっとしたら、今起きているさまざまな社会問題に対する解決を、間接的にでも少しでも、もたらすことにつながるのではないか・・・と注目しているという次第である。

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2009年7月 8日 (水)

別人です

わざわざお断りするほどのことではないのかもしれないですが、ときどき、別の業界で活躍なさっている同姓同名の方と同一人物だと思いこんでいらっしゃる方に遭遇するので、混同された方に対しても申し訳ないことと思い、「別人です」と、あらためて、くどく申し上げておくことにしました。

プロダクション所属のモデルの方に、同姓同名の中野香織さんがいらっしゃいます。もちろん、まったく別人です。「タレントまがい」と私を中傷する方がいらっしゃるのですが、それはこのモデルさんのご活躍と混同されているためかと思われます。私は地味なただのモノカキで、どちらのプロダクションなどにも所属しておりません。

他の私立大学に、マーケティング論をご専攻なさっている同姓同名の先生がいらっしゃるようです。もちろん、別人です。

女装マニアの男性に、同姓同名(芸名?)がいらっしゃるようで、しばしば混同されます。私は確かにオトコ顔で、よく「オカマが化粧するとこういうケバイ顔になる」とは指摘されるものの、残念ながら、同一人物ではありません。

フランス書院から、同姓同名で本をだしていらっしゃる方がいます。たぶん、筆名かと思いますが、私ではありません。「出版年代から見て、学生時代にバイトのつもりで書いたものでしょう」などとまことしやかに言われることもあって、目がテン状態です。だいたい学生時代は苗字が違ってましたし。否定すればにやにやされるばかりで、なんだかなあ・・・どうしても私が書いたことにしておきたいのかなあ・・・という感じで、げんなりしてきます。ほんとうの作者に対しても、申し訳ない限りです。フランス書院の本は素晴らしいとは思いますが、私にはそちらの領域の読者を満足させられるようなものを書く才能もなければ、ご縁も興味も素養も決定的にありません。

以上の同姓同名の各界のみなさまの、それぞれのご活躍を心からお祈りしております。

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2009年7月 7日 (火)

シャーリング・ボレロ

ミス・アシダのシャーリング・ボレロ。キャミソールドレスやタンクトップの出番が増えるこれからの季節にひとつあると重宝するすぐれものである。くしゅくしゅと小さくまるめてバッグに入れて旅行に持ち歩けるし、肩を覆う部位をずらしたりすることで、何通りかの着こなしが楽しめる。はっと大胆なようでありながら、愛らしく品よく着地できるところが、芦田多恵さんのデザイン力とセンスの賜物。

意匠登録出願中とのことだが、いいことだと思う。平気でパクリものが横行するこの頃、苦労しているデザイナーの権利を守るには、せめてこのくらいはしないと。アメリカ、イギリスではすでにデザイン著作権は法律で守られ、実際に功を奏しているようだ(マネなのか偶然の一致なのか、線引きがビミョウというケースも相変わらず多いようだが)。日本のファッション界にも「パクリは犯罪」という意識が高まるような空気がほしい。

ファストファッションの隆盛で服の価格がほとんど崩壊しかけている。ていねいによいものを作っている会社には苦しい時期なのかもしれないが、ファストファッションにはまねのできない、まねをさせない、志の高いすばらしい「作品」を、誇りをもって作り続けてほしい、と心から願う。

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2009年7月 6日 (月)

衣装と舞台

◇「悲劇喜劇」(早川書房)8月号にて巻頭エッセイを書いています。私など場違いな感じもする堅い演劇専門誌ですが、特集が「衣装と舞台」というつながりです。機会がありましたらご笑覧ください。

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2009年7月 5日 (日)

初夏の海

梅雨の合間の快晴ほどうれしいお天気はない。初夏の海辺を散策、人もまばらだし、しばし潮風に吹かれながら芝生でまどろむ。Photo_3 全身のバランスが整っていくような快さにつつまれる。

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2009年7月 4日 (土)

30年分の「成長」って

富山の畏友ケイコちゃんに連れて行ってもらい、ほぼ30年ぶりの母校訪問。7月末に東京に訪れる在校生に向けて講演をするので、担当の先生とその打ち合わせをするという名目だが、校長室に通され(在学中は入ったこともなかった・・・)校長先生はじめ、各先生方、同窓会長などなど、多くの関係者の方々に会う。30年前は、先生という存在、とりわけ50近いベテランの先生となればおそろしく大人な雲の上の存在に見えたものだが、そんな先生方と対等に一仕事人として打ち合わせをしているのが微妙にこそばゆい。仕事のおかげでこのようなつながりが生まれたことが感慨深い。

それにしても、当時は「すっかり成熟した大人だ」と思っていた年齢に自分が近づいているのだが、あまりにも「30年前のまま」なことが多いことに気づいて愕然とする。年月を経ても変わらないところもある、ということを自覚する枠が広がった、ということだけが「成長」したということなのかもしれないなあ、などと制服姿の在校生を眺めながらしみじみ思う。

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2009年7月 3日 (金)

81個のみかんを3人で均等に分けるには? ・・・ジュースにする!

日医工主催の全国特約店社長会で講演@富山名鉄ホテル。全国の医薬品会社の社長さん方50人近くを前に、現在のファッションが経済や時代からどんな影響を受けているのかという話をする。おそろしく場違いな気もしたが、それもこれも日医工の社長、田村友一氏が高校の同期というご縁。人のご縁はいつどこでどのような形でつながってくるのか、予想もつかない。

拙い私の話のあとは、「竹内照雄先生」のお話。壇上に現れたのは・・・立川志の輔さんであった。「竹内照雄」は志の輔さんの本名である。会議のパンフにも会場のどこにも、志の輔さんの名前なんて書いてない。ゲストにうれしいサプライズを贈りたい、という日医工の配慮であった。

実はかぶりつきで落語を聞いたのははじめてのこと。一秒たりとも聴衆の気をそらさず、話にぐいぐい引き込んで想像をかきたて、笑わせる志の輔さんの話芸に圧倒される。映像や音響や大道具など余分な背景をぎりぎりまで削ぎおとして話だけで勝負するのが落語の芸、と聞いて背筋が伸びる思いがする。終了後、講師控室でごあいさつをし、色紙をPhoto_2 書いてもらう。あれだけの迫力の芸のあとで、膨大なエネルギーを消耗された様子がよくわかる。比べられるレベルではまったくないが、ビジュアルなしの文章だけでファッションを想像してもらおうと試みたこともある私などは、まだまだ努力も工夫も覚悟もぜんぜん足りない。足りなすぎることをひしひしと実感する。帰ってから志の輔さんの本やDVDを注文、しばらく落語にはまりそうである。

その後、懇親会。終了したばかりの「日医工カップ」に参加していた女子プロゴルファーも加わり、華やかな雰囲気。タレントと見まがうような若い美人女子プロがこんなに大勢いることにも驚く。途中、マジシャンも登壇して、観客を巻き込んでのスリリングなマジックを堪能する。とても得難く楽しい経験をさせていただいた。きめこまかくご配慮いただいた日医工の社員のみなさまはじめ、出会った多くの方々に感謝します。

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2009年7月 1日 (水)

対「糖化」スキンケア

「クロワッサン」の美容特集に協力し、ロート製薬(あの「オバジ」」を成功させ、今やビューティー市場で190億円を売り上げている)が9月に発売するプレステージライン、「エピステーム」を3週間試すことになった。エイジングのメカニズムとして、「加齢」「酸化」「光老化」が原因として働くというのはこれまでもさんざん報じられてきたが、そこに「糖化」という概念が加わったのが新しい。

糖化、というのは、たんぱく質に糖が結合することによって起こるたんぱく質の劣化のことらしい。血管の弾力性が失われたり白目が黄ばんだりという変化はこれによるものとのこと。で、ロート製薬が最新テクノロジーを駆使して開発したのが、この「糖化」を含む4つのエイジング原因に、内と外から働きかける新製品。

麻布十番のアオハルクリニックにて、皮膚科の先生のチェックを受けた後、おどろおどろしいマシンの数々を使い、糖化数値だとか弾力性だとか、シミ・シワ・ケアナ・ニキビ予備軍だとか、ありとあらゆる数値を計測される。スキンケア周辺でここまでテクノロジーが発達していることにめまいがする。直視するのもおそろしいが、エピステームをフルラインで使ってみて3週間後にこれがどう変化しているのかまた計測する。

編集部の依頼時期が絶妙であった。著書を大きく紹介してもらったその直後にお話をいただいたので、断れない。でもまあ、自分の肌を科学的に直視するというめったにない機会を与えてもらったと、よいように考えることにする。

日頃愛用のド・ラ・メールとはしばしお別れ。そういえば、日本で売っている「ド・ラ・メール(DE LA MER)」には「ド」がついているが、先月、韓国旅行に行った友人が買ってきてくれた同製品は「ド」なしの「ラ・メール(LA MER)」であった。デパートで売っている正規品である。中身も容器もまったく同じ。韓国では「ド」ぬきで通っているとのこと。なぜ?

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