2010年3月12日 (金)

「悔い改めない」放蕩者の悲喜劇

カルロス・サウラ監督の「ドン・ジョヴァンニ」、4月公開に先駆けて一足早く見る機会をいただく。モーツアルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」が完成するまでのいきさつが、劇作家ダ・ポンテの放蕩生活と最後の恋を中心に、その師カサノヴァ、作曲家サリエリ、モーツアルトなどとの関係のなかに描かれる。

「サロメ」や「カルメン」を撮っているあのカルロス・サウラだから、きっちり正攻法できまじめ、隙はない。音楽は完璧、衣装やヘアメイクも時代考証に基づいて正確に再現しており、18世紀のヴェネツイア、ウィーンの情景を、ワンシーンワンシーン、重厚な絵画のように見せていく。18世紀好きには眼福である。男性も刺繍入りのジュストコール&ニーブリーチズで着飾り、女性はパニエでスカートを膨らませていた、ファッション史的にはもっとも華やかなロココ様式である。

「ドン・ジョヴァンニ」は音楽だけは知っていても、演じられるオペラとして通して観たことはなかったので(歌詞もイタリア語だとわからないし)、こういう話だったのか!という驚きも大きかった。喜劇のトーンが主調でありながら、ラスト、石像が「悔い改めよ」と迫ってくるところなど、けっこうシリアスで悲劇的。放蕩の末、悔い改めなんかせず、地獄の業火に焼かれるドン・ジョヴァンニの悲喜劇は、破綻しながらも筋が通っていて、かっこいい。

今の作家の方が逆にいろんなしめつけが大きいかもしれない。「悲劇か喜劇、どっちかにすっきりまとめてよ」というプロデューサーの注文や、「世間体も考えて最後は悔い改めさせてよ」というスポンサーのご意向が目に見えるようだ・・・。悲劇のなかに効果的に喜劇的要素を入れるとか、あるいはその逆とか、その程度のことは許されても、最終的には、観客がすっきり納得する形に無理なく収めなくてはならない。でも、そういうことを気にしていると、たぶん、小さくまとまりはするだろうけど、のちのちまで多くの人の心をざわつかせる「古典」にはならないのだろうな。

サウラはその複雑な古典を「劇中劇」のように撮り、それを書いたダ・ポンテの人生のほうは、フィールグッド効果がほしい現代人の心にもおさまりのよさそうなエンディングにまとめる。

破綻だらけで、悔い改めず地獄に堕ちる。現実にはあまり許されないからこそ、ちょっと憧れを誘われる。

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2010年3月10日 (水)

グローバルな<文化商品>は言葉を必要としないもの

あわてて確定申告の準備を始め、どうしてもわけがわからない言葉というかシステムをわかるように説明してもらいに行ったら税務署のプレハブの中で3時間待ちであった。ようやく順番がきて説明してもらえた時間は、5分だった。

待っている間に、読みかけだった水村美苗『日本語が亡びるとき』(筑摩書房)読み終える。最初のエッセイ風のところは楽しく入っていけたが、中盤、やや専門的な言語の歴史の話に入ってくるあたりから、読むのに気力が必要になった。とはいえ、これだけの問いを、今の日本に投げかけるその勇気に、まずは心打たれた。「遊園地のように、すべてが小さくて騒々しい、ひたすら幼稚な光景」と形容された今の日本の文壇からは、相当なバッシングがあったのではないか。とはいえ、「小林秀雄賞受賞」と帯に書いてあるから、案外そうでもないのかな。

スノビズムについて、的確な指摘あり。

「世界の様子がわかるにつれ、世界のスノビズムもわかってきた。世界のスノビズムがわかってくれば、辺境ほどスノッブになるという法則が働く。(今、ヨーロッパの「ブランド品」の最大の市場が東アジアなのと同じである。)」

また、ハリウッド映画をはじめ「グローバル」な文化商品についても、納得の指摘。

「グローバルな<文化商品>とは、ほんとうの意味で言葉を必要としないもの―ほんとうの意味で翻訳を必要としないものでしかありえない。グローバルな<文化商品>といえばハリウッド映画がその代表だが、今や収益の五割以上を輸出に頼っているハリウッドの映画産業は、制作費が巨大な映画ほど、輸出用にわざと台詞を少なく抑え、捉えにくい個別的な<現実>を描こうとする代わりに、人類に共通する神話的世界を描こうとしている。目をみはるほどの勢いで進化するCGの技術を駆使しながら、これまた目をみはるほど古くさい壮絶な善悪の戦いが氾濫する所以である。商業主義のハリウッドであるからこそ、翻訳というものの困難を充分に承知しているのである。言葉の力だけは、グローバルなものと無縁でしかありえない」

かの「アヴァター」も、最先端のCG技術で古くさい神話的世界を描いて、世界的な文化商品として成功している。

それにしても税金関係の言葉というのは、日本語なんだろうか。難しすぎる(涙)。

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2010年3月 9日 (火)

学問にも虚構性が必要

立花隆+佐藤優『ぼくらの頭脳の鍛え方』(文春新書)読み終える。ギモンをさしはさみたい意見もちらりちらりとあったものの、タフな知性の持ち主二人の刺激的な対談で、面白く読んだ。

とりわけ、学生さんにもぜひとも伝えておきたい、と思ったのが、占い本ブームに対する警鐘。細木数子はなぜ100%当たるのか?ということに対する解説が、わかりやすい。

佐藤「たとえば『このままの姿勢だったら、来年の5月。文春新書はスッテンテンになって、文春新書の編集者は地獄に落ちるわよ』と、こういう予言なんですね」

立花「そう、そう」

佐藤「来年の5月、編集長を更迭になっていたら、予言が当たったんです。ところが、編集長にとどまり、文春新書が当たっていたら、『私が言ったとおりに心を入れ換えたから、当たった』ということになって、やっぱり当たるんです(笑)。これは論理学でいうところのトートロジーですよね。彼女はトートロジーを作る天才なんですよ。『明日の天気は雨か、雨以外のいずれかです』という天気予報をしているようなものです。だから彼女の占いは100%当たる」

・・・と理性ではわかっていても、なんだか占いってついつい見ちゃうんだよなあ。今日をとりあえず生き抜く頼もしい言葉がほしいときって、あるのだ。だから上手にトートロジーを駆使できる占い師のことばは、当たるとか当たらないとかに関わらず、需要があるのだろう。

また、文学が実学だ、という佐藤優氏の見方には、納得するところあり。

「虚構性を学問(総合知)に取り入れる必要があると思うんです。言い換えると知的な基礎訓練を受けた人たちが、物語を読み解き、また場合によっては物語をつくることができるようになる必要があります。そうじゃないと、世の中で流通していることの物語性がわからなくなってしまう」

世の中を見て、そのなかで自分の立ち位置を探していくための鍵は、複雑な諸現象からいかに「物語」をつむいでいくのかというあたりにあるのでは、と思うことがある。

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2010年3月 8日 (月)

パールの価値と女の価値をめぐる複雑な心理

パール卸会社、(株)パールスペンサーのシノダさんが大学にお見えになり、ネックレスなどの留め金をパールの粒や貴金属でつくった「ワイズジェム」のシステムを説明してくださる。パールのネックレスの留め金がいつのまにかぐるりと前に回ってしまったりするのは、やや恥ずかしいものだが、この留め金を使えば、逆にそのパーツを「主役」にすることさえできる。

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留め金を替えればイメージががらりと変わるし、何本かネックレスをつないでロングネックレスを作ることもできる。パールの楽しみ方は広がるかもしれない。

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ただ、手持ちのパールをこの留め金に変えようとすれば、リフォームが必要になる。芯糸を替えるなど、パールのメンテナンスのタイミングは何度かあると思うのだが、リフォームのために手持ちのパールをプロの業者さんに見せる必要がでてくると、多くの女性は「恥ずかしがる」のだそうである。

自分がもっているパールの品質がどのくらいのレベルなのか。ひょっとしたらあまり上等のものではないかもしれないのではないか。いろいろなことがプロに「わかってしまう」のが恥ずかしさの理由ではないか、とシノダさんはその複雑な心理を推測する。

持ち物としての宝石と、本人の価値とはまったく関係がない。大事なのは、宝石をめぐる個人的なストーリーであり、思いである。

でも、それが、大切な人から贈られたものであったり、なにかの大きな節目の記念品であったりすればするほど、それが上等ではなかった場合に、「私の価値はこの程度か」というような気分にもなりうるだろうことは、わからないでもないような・・・。

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2010年3月 7日 (日)

「年齢も魅力のひとつ」

『恋するベーカリー』。原題は"It's Complicated"。ややこしくて、ほろ苦い話のはずなんだけど、危なかったり下品だったりするネタもまじえつつ、2時間ずっと軽やかに笑わせて、幸せな気持ちで帰してくれる。大人の芸当だなあ。

メリル・ストリープが60歳のラブコメヒロイン、ベッドシーンつき。たしかこの方が「マディソン郡の橋」で40歳のヒロインをやったとき、物議をかもしていた記憶がある。見苦しい、というようなヒハンも多かった。時代は変わって、40歳で現役は当たり前の世の中になり、60歳にして「マディソン郡」以上の生々しい恋愛模様である。アレック・ボールドウィンのメタボ+体毛もじゃもじゃの体型がコミカルな味を出していたのが、救いだったかもしれない。あと20年すれば80歳のラブコメヒロインだって出てくるんだろうか。メリル・ストリープが健在ならば、夢物語ではないようにも思えてくる。タイトルにした「年齢も魅力のひとつ」はスティーブ・マーチンがメリル・ストリープをほめて言ったセリフ(厳格に正確ではないかも)。

長女のフィアンセ役の、ジョン・クラシンスキーがとてもよかった。役者としていい、ということもあるが、なんといっても役柄がいい。映画の中でいちばん印象に残ったキャラである。家族の一員として、ああいう娘婿がいてくれると、安心だろうなあ、いてほしいなあと思わせる。お嬢さんをもつ友人が、いつも若い男性を「娘婿としてどうか?」という観点で見ていることを思い出した(笑)。娘婿として頼もしいこと。これからの男性に求められる資質のひとつかもしれん・・・。

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